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「人間の弱さ」と「先祖の名誉」と

 先日の従軍慰安婦問題に関するエントリー、少し言葉が足りなかったようなので補足する。

 まず、私が「政治家と軍人の『あやまち』」と言っているのは、「従軍慰安婦の強制的連行に軍が関与したかどうか」などの個別のあやまちの話ではなく、負けるに決まっているアメリカに戦争をしかけたこと。その「大きなあやまち」が数々の不幸や狂気を生み出した事実は否定のしようがない。

 そんな「戦争の狂気」の中で、究極の状況に置かれた人間の弱さゆえに、軍規を破って武器を持たない一般人を殺害したり・強制連行したり・レイプしたりということは、日本軍・アメリカ軍に限らず実際に色々とあったことはほぼ確実なわけで、そんな人間の弱さから目をそむけて「先祖の名誉のためにも疑いを晴らす」と言ってしまう発想は、かなり甘いし偏っていると私は思う。

 クリント・イースト・ウッド監督の「硫黄島からの手紙」がすばらしいのは、自分たちの先祖ばかりを美化したりせず、「自分だけが見張り役で残るのがいやなばかりに降伏してきた日本人捕虜を銃殺してしまったアメリカ人」とかをキチンと描ききっていること。そういう人間の弱さから目をそむけて「先祖の名誉」とかを語りはじめることこそ、次の狂気への第一歩だ。

【追記】 まったく同じ理由で、いまごろになってこの問題を蒸し返してきたアメリカの議員の発想も許せない。そして、それに油を注ぐような発言を何とか安部首相から引き出そうとする日本のマスコミ。本当に困ったものだ。阿部さんも中途半端なインタビューなどにはあくまで「ノーコメント」を突き通すべきだろう。

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Comments

議論が全く噛み合っていません。

米下院の慰安婦非難決議案は慰安婦問題を下記のように糾弾しています。
 「慰安婦」システムは政府によって強制された軍用売春
 であり、強姦、妊娠中絶の強要、性的虐待で死に至らしめる
 など、残虐さと規模において20世紀最大の違法行為である

これに対して安倍総理は、悪い部分はあったがそこまで言われるほどひどいものではなかった。という趣旨の発言をされたわけです。

中島さんはこの発言を批判し、その釈明として下記のように書かれたわけです。
 私が「政治家と軍人の『あやまち』」と言っているのは、
 「従軍慰安婦の強制的連行に軍が関与したかどうか」
 などの個別のあやまちの話ではなく、負けるに決まって
 いるアメリカに戦争をしかけたこと。

米国:日本軍の慰安婦制度は20世紀最大の違法行為
 ↓
安倍:悪いことはしたが、そこまでひどくはなかった
 ↓
中島:安倍首相の発言は無意味。なぜなら日本はアメリカに対して負けるとわかっている戦争をしかけて、そのような狂気をもたらしたからだ。

また、20世紀最大の違法行為とまで言われて黙って認めるのは祖先の名誉を傷つけるものだ、というコメントに対して中島さんは以下のようなコメントを書かれています。
 そういう人間の弱さから目をそむけて「先祖の名誉」
 とかを語りはじめることこそ、次の狂気への第一歩だ。

我々、謝罪すべきでないと考えている人間も、末端でそのような不幸な出来事があったことは認めていますし、日本がその一端を担ったことは残念だと考えています。中島さんは戦争という状態に必ず付随する狂気と、国や軍が組織的に行った20世紀最大の違法行為をごちゃ混ぜにしています。

今日のエントリを読んで、中島さんは小林よしのり氏の漫画でいうところの「純粋まっすぐ君」なんだなぁ、と思いました。「日本の過去の過ちを認める俺って、なんてすばらしい人間なんだろう」と鏡の前でうっとりされている様子が目に浮かぶようです。

中島さんのブログを、いつも色々なトピックについて考えるきっかけにしているファンの一人としては、「先祖の名誉のためにも疑いを晴らす」といっている人たちの多くが、「人間の弱さから目をそむけている」かの論調には抵抗を感じます。
「日本軍・アメリカ軍に限らず実際に色々とあったことはほぼ確実」であるならば、あたかも当時の日本軍のみ「あやまち」をおかした悪者で、正義の味方アメリカ様に成敗されて当然といったステレオタイプな見方の延長線上にあるような歴史観を、
戦争の矛盾を現在進行形で拡散させているアメリカに、なぜ一方的に決議されなければならないのかという不快感があります。
 現在の自分たちの豊かさの基礎を、たとえ大きな「あやまち」は犯したとしても、
当時としては必死になって築いてくれた自分の祖先達の名誉や価値観をよく省みることなく、現在の国益を守って、いい子で他の国に優しくしてもらうために、とにかく平謝りするという態度のほうが、よほど甘えた態度であるように自分には思えます。
 もちろん、戦争で多くの罪のない人々が不幸な目にあい、あるいは亡くなっていったことは非常に悲しいことで、二度と同じ様な事があってはいけないという覚悟は持ち続けなければいけないことですが、これは、ナチスや A級戦犯の人々をスケープゴートにすることによってではなく、全ての国の人々が、常に自分自身に問いかけ続けることでなされるべきなのではないでしょうか。
「硫黄島からの手紙」のような誰も見ていない映画ばかりどうしてアカデミー賞にノミネートされるのかといったようなことを、アメリカCNNのキャスターがゴールデンタイムにさらっと言えるくらい、このような両面的な見方はメインストリームでないなか、日本では、よその国の政治家やメディアに言われたことをほいほいと、自虐的に信じてしまうのは危険だと思うわけです。
 我々のほうが、狂気だとお思いですか?

「先祖の名誉」を語り出すと狂気になるのはまったくもって同意です。

むしろ問題は「過去の過ちを過大評価」されることによって「現代の政治に圧力が加わる」ことです。
なので「それは過大評価だよ」という主張は重要かと思います。

 私は26歳の日本生まれ日本育ちです。
nakajimaさんの一連のエントリーは、

 「60年も経っているのだから(首相が生まれる前の話!)首相は当事者として主観的にその戦争を捉えるのではなく、一歩下がって客観的に捉えてほしい。そして、安易に謝罪するのではなく、しかし『釣られて』相手を刺激するような断定的な発言をするのでもなく、一国の首相なりの立ち回りを見せていただきたかった。」

という内容であると受け取りました。
そして私はその考え方に深く同意します。

 ただ、こばやしよしのりの本を何冊か読んだことの影響から、『負けるに決まっているアメリカに戦争をしかけたこと』という一文には多少の違和感を覚えます。

 個人的な意見としては、戦争という状態において人間の倫理や法律といった概念が成立するとは到底思えません。
 そして現在とは全く異なる世界である「60年以上前」の「戦争時」のことについて、どちらの条件も経験したことがない日本人が正当な評価を下すことはもはや困難だと思います。

中島さん、実は、第二次世界大戦に突入する以前に、緻密な戦争シミュレーションが行われていたようです(「日本人はなぜ戦争をしたか―昭和16年夏の敗戦」猪瀬 直樹)。昭和16年、「内閣総力戦研究所」に軍部・官庁・民間から選りすぐった将来の指導者たちが集められた・・・・。精鋭たちによるマーケット・リサーチ、いや、軍事力比較分析が実践されていました。彼らは、極めてリスクが大きいことを実感していた・・・・。それでは、なぜ、戦争に走ったのか・・・・。われわれは、「組織論とリーダーシップとは何か」という大きなテーマに直面するだろう。スタンフォード大学名誉教授であるジェームズ・G・マーチン氏の次の言葉を思い出す、「宇宙から見れば、われわれは一瞬きらめいて消える光に過ぎません。大物や有力者になりたいという願望は無知なる者の錯覚です。・・・大切なのは、人間のささやかな役割のなか、短い時間のなかで、穏やかに生き、醜さではなく美しさを添えられるかどうかではないか・・・・」と。

>自分たちの先祖ばかりを美化したりせず、「自分だけが見張り役で残るのがいやなばかりに降伏してきた日本人捕虜を銃殺してしまったアメリカ人」とかをキチンと描ききっていること。そういう人間の弱さから目をそむけて「先祖の名誉」とかを語りはじめることこそ、次の狂気への第一歩だ。

いろいろ私も言いたいことがありますが、終戦へ向け
話し合いが進められていく中で、原爆を2つ落とした
アメリカはいまだに目をそむけているように思えます。
小倉に落とすはずが天候が悪く長崎にしたというとても
人間とは思えない判断をするアメリカはいまだに原爆を
正当化しています。これをいうとパールハーバーの奇襲攻撃を
あげるアメリカ人が多いですが、あれは奇襲攻撃でもないですし
民間人をターゲットにしたことでもないんですよね。
所詮アメリカのプロパガンダ映画としか思えません。

 先ほどの自分のコメントへの補足ですが、

 バランスという意味では、終戦記念日の靖国神社参拝にせよ、原爆ドームにせよ、自虐史観などといいつつも、日本には、自分たちが被害者だと連想させるような、もしくは、日本人の戦没者の霊を追悼するような物ばかりが多いような気がします。

 戦争により多くの人を苦しめ殺してしまったことは、まぎれもない事実であるわけで、もっと外国人の死者に対して祈りをささげて、率先して反省をし反戦を誓うような記念日やイベントがあってもいいと素人ながら思います。

 終戦記念日に日本人の霊に黙祷するならば、例えば、昭和の日には、
外国人の死者に謝罪の気持ちを伝え、過去の過ちを振り返るというように。
 祖先の価値観に敬意を表すと同時に、人間の弱さにも向き合うということでは同感です。

 個人的には、もう10年以上前に中国を一人旅した際、多くの人に助けられ親切にして頂いた思い出もあり、アジアの国々と分かり合える日が来ることを願います。

 

反省と謝罪をしたなら賠償するニダ!って言われそう。

現代社会の抱えている問題は各々の一方向からの視点でのみ議論できるほど単純ではないのでは。
誰も正しくも間違ってもいないんじゃないかなぁ。意見は意見なわけだし。判断は政治家が国益を考えてすればいいよ。その政治家を選ぶのが我々なんだけどね。

過去の政治情勢や体制は当然今と違っていたわけで、価値観も違う。
現代の基準で過去を裁くということ自体に無理がありすぎ。

#firefoxに比べてie3.0や4.0が如何に駄目かを論じるのと同じ。あげく互換問題を残してwebデザイナーに多大な迷惑をかけたと言われてもどうしようも無いでしょう?

>負けるに決まっているアメリカに戦争をしかけたこと。その「大きなあやまち」が数々の不幸や狂気を生み出した事実は否定のしようがない。そんな「戦争の狂気」の中で、究極の状況に置かれた人間の弱さゆえに、軍規を破って武器を持たない一般人を殺害したり・強制連行したり・レイプしたりということは、日本軍・アメリカ軍に限らず実際に色々とあったことはほぼ確実なわけで、そんな人間の弱さから目をそむけて「先祖の名誉のためにも疑いを晴らす」と言ってしまう発想は、かなり甘いし偏っていると私は思う。

で、その当事者たち(国民や関係国)の判断とその後処理がもっとも考慮されるべきなのに、それを無視した考えだと思います。
後処理という点では最低限、東京裁判から、「戦犯在所者の釈放等に関する決議」、「戦争犯罪による受刑者の釈放等に関する決議」、「戦争犯罪による受刑者の赦免に関する決議」、「戦争受刑者の即時釈放要請に関する決議」を経て1956年に関係11国の承認を経てA級戦犯(戦争を起こすことを決断した人たち)が釈放されたことを知っておくべきです。

少なくとも一番の被害を受けた当事者たちは、開戦の決断やその後の流れについて納得しているわけです。
そもそも、日本がアメリカに戦争を仕掛けたっていうこと自体が立ち位置によって変わります。現代(しかも裕福な国)の視点で過去の戦争自体を悪だと言うのは馬鹿げてます。

銃弾が飛び交う戦場だけが人を殺す訳でなく、人は資源が無くても死ぬんですよ?


今の現状は、過去の負債は完済したはずなのに、グレー金利で払わなくていい金利を支払っている状態です。
これこれここはこういう法律や判断により払わなくていいものだ。という主張をすることがそんなに悪いことでしょうか?
近所中にビラを撒かれたり、大声でわめき散らされたり、子供に嫌がらせをされたり。

屈しろと?

この線引きは、マイナスを0にするという点で国益にも適っていると考えます。

#小林よしのりは正直受け付けない。。

欧米人はBukkake(ブッカケ)を、中韓は女体盛りを世界大戦の悲惨さと混同しているだけでしょ。本当に悪意を持った連中だな。戦争は「勝てば官軍」。それぞれの見方があるわけだから道理ではかれるもでもありません。日本軍は植民地中国の治安安定と権益の拡大のために共産党反乱・不満分子の討伐をもっと徹底すべきであったと思います。外国(アメリカ・ソ連)が彼らを支援して反日を先導していたのは紛れもない事実であるのだから、かれらにあやまちがないわけではありません。その責任を取らせようと日本軍が考えたのも間違いでもありません。

論点をすり替えるテクニックを使うのはあまり感心できることではありません。

前回エントリーにもコメントした者です。
産経の報道によるとマイク・ホンダへの献金は、中国系が突出しているそうです。その中には反日団体の会長や南京虐殺記念館を米国に開設しようという組織の役員などがいるそうです。前にも言いましたがこれは情報戦なんですよ。安倍さんの発言うんぬん以前に情報戦で負けているって事です。政治家のロビー活動の甘さ、日本の主張が書かれた本や資料が翻訳されていない、そもそも国内に反日日本人が多すぎる、そして、それに意図せず同調してしまう中島さんのような方。中島さんの言いたい事はよくわかるんです。排他的ナショナリズムに走らないように気をつけなければいけないし、過去をなんでもかんでも正当化する事もまずい。しかし、例えて言うなら一発しか殴っていないものを何発も殴ったみたいな事を言って、日本を貶めようとする悪意のある勢力が残念ながらいるという事です。そういう事に気づいていただきたいという事です。

うーん。個人の犯罪か、組織(政府)の主導した犯罪かで重み(性質)が異なりますね。クリントイーストウッドが描いたのは前者では?

最近の日興証券の事件も、組織的関与なら上場廃止、個人なら個人が賠償、で、あいまいにしない、が原則ですから。

慰安婦の問題は、これが組織(政府)主導の犯罪なのかどうかが問われているわけですから、そこはどうでもいい、は言いすぎでは?
日興が不正会計の弁明で「自由競争資本主義の狂気がそもそもいけないんだ」と開き直るようなもの。

一方で、米議会が組織的だったと断定するのもおかしな話で、今回の安倍首相の対応は概ね正しいと思っています。

×阿部
○安倍

被害を受けた側は子々孫々までそれを伝えようとするし(原爆とかもそうでしょう)、
加害側はいちいち付き合ってられないし早く忘れたい。
恨みとおごり。
繰り返しと蒸し返し。
どの国も隣国とは何らかの問題を抱えるのは常だし(仲良ければ一緒になればいい)、これからも付き合っていかなければならないし、そこをどう上手く付き合っていけるかが外交でしょう。
熱くなったら負けではないですか、皆さん。

アカデミズムによって解明されたわけでもないことを「ほぼ確実」というのは軽率だと思いますよ。
安倍総理のコメントも上手くないと思いますが、一連の中島さんのエントリーの方が稚拙に感じます。

http://kawa-kingfisher.sblo.jp/article/3484687.html
http://forrestal.cocolog-nifty.com/blog/2007/03/post_0c5b.html
http://sessai.cocolog-nifty.com/blog/2007/03/post_f402.html

上手なプレゼンターというのは、相手の感情を誘導することが上手なんですね。
スティーブ・ジョブズとか…
ヒトラーもそうだったのかな。
(なんて並べて書くと怒られそうですが)

目的が『相手に納得させる』ことである以上、論理や証拠は手段の一つに過ぎません。
ただひたすらに論破したところで、相手の感情を誘導できていない限り、
復讐に燃える相手は新しい反証を思いついた途端に立ち上がり、
また同じことを繰り返すだけでしょう。

何かを主張する時には、常に相手の感情を誘導する仕組みがないと目的を達成できない、
どころか逆効果です。
今回のように。

日本のプレゼンター・安部首相には、
より一層の奮起を望みます…

が、無理そうですよね(^^;

硫黄島からの手紙は『日本からの視点』というサブタイトルが無ければ普通に見ることができたと思いますがフェアだとは思いませんでした。
現代と近い価値観(≒米国≒日本)の人物が中心として描かれており、その中心人物のうち二名(渡辺謙・伊原剛志)は米国に影響を受けたというシナリオ。二宮ともう一人もこの戦争や日本軍おかしいよね、というエピソードから人物像が組み立てられている。
やはり当時の日本の価値観、視点を尊重し、市丸少将が硫黄島からルーズベルトに宛てた手紙にもフォーカスしてほしかったですね
(現代語版:http://markdarcy.exblog.jp/4168152)。

※ストーリー的に、タイトル・モチーフにするほどの必然性は無いにも関わらず『硫黄島からの手紙』としたところに、もしかしたらクリントイーストウッドは確信犯か?と思ったりしますが・・。深読みしすぎか。

ただおっしゃるとおり、個別の史実がどうだったかは極端に言えばどうでも良くて、どんな解釈で多くの人を認識させられるかが勝負所なわけで。そういう意味で阿倍首相の発言は強烈な一発にはなってませんね。

とは言え阿倍首相は、国内でこの問題に対する国民の認識が変わってきていること(関連エントリのコメントを見てもみなさん良く勉強していらっしゃる・・)、検証すれば日本に有利な結果になるであろうこと、恐らくは有識者・有権者からこの件に関して相当の支持を得ていること、等を背景にあの発言をしたと見るべきです。

というわけで、安倍さんの批判だけでは無くて、どう行動すべきかを考えてはいかがでしょう。>>みなさん

例えば
・ 客観的史実は中・韓の主張と異なっていることを明らかに。
・ 中・韓の主張が道義的・倫理的なところに端を発しているのでは無く、政治目的のもとに作為的に行われていること(これは事実としてあろうが無かろうが、状況を上手く作って騒げばそうなります)。
・ これらを世界的にプロモーションしていくこと。
とか?

>> でらさん
#何かを主張する時には、常に相手の感情を誘導する仕組みがないと目的を達成できない、
どころか逆効果です。

確かに。
そういう意味で小林よしのり氏の「先祖の名誉」はウマイところ刺激する仕掛けですよね。多くの日本人はケガレを払拭しようとするでしょうから。

こういう話題についてコメントをされている方たちの意見を読んでいると、いつも疑問に思うことが2つあります。
1)そんなに熱く語りたい、主張したい、議論したいのであれば、なぜ自分のブログやHPでしないのだろう(みなさん既にされて、それに加えてパワーが余っているのでしたら失礼しました)
2)本名を出しての意見に対して異論があり書き込むのであれば、なぜ自分の名前を名乗らないのだろう。別に名乗る必要がないといえばないけれど、そんな態度にどこか未成熟で卑怯な匂いを感じます。

>Yoshihito Nakayamaさん

1)はわざわざ自分で用意する必要が無いからじゃないですかね?
本人がしたければするんであろうし。
公開されたコメントを受け付ける場所があるのに、わざわざ自前で用意する必要性ってのは正直微妙だと思います。自前で用意するリスク(時間や費用やその他いろいろ)を考えると、知名度のあるところに人が集まるのはあんまり変なことじゃないかと。

2)これもわざわざ自分の名前を出す必要が無いからじゃないですか?
自己の証明ってのはネット上では難しい(たとえば、あなたが他人の名前を騙って書き込んでいる可能性はある。そのまま認証の問題ですね)ですし、(同一人物かどうかを気にするのであれば)サイトにアクセスした瞬間にIPアドレスなんかは相手が自由に取得できます。

匿名だから卑怯だってのは(少なくともweb上では)馬鹿げているとしか思えません。
本当に自己を証明するのであれば色々と設備が必要ですし、普通、その設備は一般家庭にはありません。

#(偽)をはずしたら本物になれるのかしらん?あ、ちなみに上のほうのmokeです。多分。

>>ケンヂさん
>>自虐史観などといいつつも、日本には、自分たちが被害者>>だと連想させるような、もしくは、日本人の戦没者の霊を>>追悼するような物ばかりが多いような気がします。

言われてみればそうですね。確かにバランスが悪いかも。
外国人向けの戦没者慰霊祭?のようなものがあってしかる
べきかもしれません。

中国とは仲良くしたいものです。
日本と中国が対立して得するのはアメリカだけですからね。

>がんさん

いや、そりゃ日本なんだから日本人戦没者に対する慰霊を行うでしょうよ。
海外では、その国の戦没者を慰霊するんだから。

と、普通ならこれで済むんですが
http://www.peace-museum.pref.okinawa.jp/htmls/senbotsu/SN01EXPL200.htm
平和の礎って記念碑(になるのかな?)があります。沖縄には慰霊の日というものがあり、沖縄全戦没者慰霊祭を行っています。

#調べればすぐわかるのに。中国は政冷経熱ぐらいがちょうど良いんだろうけど、経済も先行き不安が否めなくなってくると、さて、仲良くして利益はあるのだろうか?

私はおおむね中島さんの意見に賛成ですよ。負けると決まっていたかどうかについては、出口戦略の欠如と言う理解ですが。

それにしてもこの手のエントリは誘蛾灯みたいなもんじゃないですか。とあるタイプの方達が噛みついてくるのは明らかですよね。遊んでません? もしくは中島さんなりの矜持ですかね。誘蛾灯と違って蛾落ちませんから。

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