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"Less is more"なもの作りと合議制と

ズバリ言ってしまうと既存機能に上乗せする企画は通すのが簡単だし、リスクが少ないからだ。【機能やボタンが多すぎ!! 使いにくいUIのデジタル家電が発売されてしまう本当の理由 - キャズムを超えろ!より引用】

 こういった罠にハマらないためには、色々とすべきこと・してはいけないことがあるが、たぶん最も強く意識すべきは「合議制では良いものは作れない」という法則。デザインに関わる人が多ければ多いほど、「いろいろな意見」が寄せられてしまい、「せっかく有意義な意見を出してもらったのだから」と次々に意見を取り入れているうちに、機能だけはたくさんあるけど魂が無くて妙に使いにくいものが出来てしまう。

 その意味では、37signalsの人たちが言うところの「less is more」は「単に機能を削って使いやすくする」というだけの話ではなく、「企画に関わる人の数を削って魂があるものを作る」というもの作りの過程そのものに関しても言えること。

 日本のメーカーにiPhoneのような思い切って機能を削ったデバイスが作りにくい一番の理由は、まさにここにあると思う。「次世代ケイタイ」の企画書作成にいったい何人の人が関わっているか、いったい何ページのドキュメントを書かなければならないのか、その企画書を通すためには何回の会議と何人のハンコが必要なのか。その辛さは外にいても伝わって来る。

 理想的には、映画の「監督」や建物の「アーキテクト」のようにデザインに関して全権を委ねられる人を一人選び出し、「その人に賭けた」もの作りをするしかないと思うんだが。企業の中で一個人があまりに強い力を持つことを嫌い、責任の所在をあいまいにすることに最適化された日本の大企業にはそんなことはできないのだろうか?

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Comments

YamaPing

 その「誰か」を見つけなければならない方に見分ける力がないように思います。いや、私が期待を集められないでいるからひがんでいるんですが。^^
 だから数値化して人間の能力を測る、数値化されるものはすでにあるものだから 数値で高評価されて「任される」ヒトは どこにもない新しいものを作り出す事にならない、と言うのは言い過ぎだとしても、数値評価の結果「実績」のある人のところにリソースが集まり、その人はホームランを打ち続けなければならない、と言うのもつらそうですね。
 一昨年に学界に吹き荒れたねつ造事件の根っこが、毎回ホームランを期待されたヒトの彼なりにマジメな対応だったのなら、期待する方も、規制を強めるだけでない対応を考えないと...。

Jorge

一人に任せたりするとどこからか「なんで彼だけ特別なのだ」という不平不満がでてくる見たいです。
日本の企業文化だと公平さが重視されているので一人に任せないという状況になるんじゃないでしょうかね・・・

個人的な見解ですが
だいたい不平不満を言うのは平凡な人間で任せる価値もない人が多いです。
そういう人間に優秀な人には特別な仕事が任せられるということを説明できればいいんですけどね・・・

心は萌え

合議制だけが良いとは思いませんし、独裁制だけが良いとは思わないです。
合議制と独裁制のバランスじゃないでしょうか?

少なくとも、日本はその合議制のやり方で、独裁制のアメリカを下して世界一に近いポジションを取ったという過去の栄光(笑)はあるわけで、合議制が100%悪と言い切るのは難しいと思います。独裁制の悪いところはホリえもんの例をみれば皆さんご理解いただきやすいと思っています。(だからといて合議制の方が良いという意味ではないです。)

重要なのは、
1.議決権を少人数に集中させる。
2.広く意見を受け入れるシステムを作る。
3.受け入れた意見を1の人達が『削り混む』

というバランスで。問題は、削り混む作業のところで、いる物といらない物を、市場にマッチした形で実行可能な人材が少ない。または、いても、その人が1のポジションにいない。

という事が問題なのかと思います。

平凡な人間というのは得やすく、特化した人間というのは得難く、さらに特化した上でバランス感を持った人間というのはさらに得難い。

というのが最近の感想です。

nobuichi

> 企業の中で一個人があまりに強い力を持つことを嫌い、責任の所在をあいまいにすることに最適化された日本の大企業にはそんなことはできないのだろうか?

下のようなループが回っているように思います。

誰かに任せる⇒業績アップ⇒権限が集中⇒煙たがる人間が現れる⇒権限を持った人間がミス⇒袋叩き⇒民主化⇒製品の進歩がストップ⇒業績低迷⇒なんとかしなきゃ⇒誰かに任せる

石橋秀仁

トラックバックがうまく送信できなかったのでコメントで。

クリエイティブな価値はプロダクトマネジャの独善から生まれる
http://zerobase.jp/blog/entry-468.html
>つまり、クライアントの責任者には独善的なくらいの「強さ」を持ってもらえるほうが、われわれのような立場では仕事がしやすいですね。

wa-ren

引用感謝です。

削り込む際、お客様が喜ぶ形にきちんと削っていける、いわば彫刻師のような人。

企業の体質としてそういう人を置きにくい(ほかの人の手前)というのが背景なんでしょうけど、結果的にはそれができる人材が絶対的に少ないなぁと感じますね。

何も家電業界に限った話ではないですが。

razorboy

特にモノ作りの分野における話として、全く同意です。

ただ、よくよく考えると、体制に関わらず、「自分ひとりでもやりきってやる」「結果に対して自分が責任を持つ」という気持ちを持った人間一人の存在が結果を大きく左右すると思います。

合議制であっても本当の意味での合議制(全員が同じ権限とコミットを持っているという)はおそらく存在しないので、けっきょく、合議制の壁をぶち破るべき人間(合議制であってもその合議を主催している方、もしくはダレの目から見ても明らかに「この人が実質的なリーダーでしょう?」という人)の意識や自主努力が足りないということだけなんではないでしょうか?

eakas

アップルや任天堂の成功の秘訣は言わずもがな社長の確固たるビジョンとリーダーシップの賜物だと思います。

結局、どんなに良い社員がいたとしても、社長がイケてる判断の持ち主でないと、会社としての成功は勝ち取れない、それくらいシンプルなものだという気がします。

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