心温まる道路標識

050622_041232 私の家の近くに、見るだけで心が温かくなってしまう道路標識がある(写真)。他の場所で見たことがないので、たぶん自治体でオリジナルのものを作ってしまったのだと思う。シアトルの道路交通法のことは詳しくは知らないが、こういったユーモアに関してはおおらかな土地柄だ。

 そういえば、マイクロソフト本社の前の「歩行者注意」の標識の人はフロッピー・ディスクを片手に持っていることで有名だったが、アップル本社の前の「歩行者注意」の標識の人は iPod を聞いている人などだろうか(広告そのままだ)。

 ちなみに、英語ではアヒルも鴨もどちらも duck。どうしても区別したい場合には、"domestic duck" と "wild duck" とするが、普段の会話でそんな使い方をしている人に合ったことが無い。

 話は横にそれるが、"domestic duck" の "domestic" は「家畜化された」という意味。"domestic" という単語は、"domestic violence" (家庭内暴力)、"domestic flight" (国内便)、などと良く使われる単語なので覚えておくと良いが、一対一で対応する日本語の単語が無いために、後ろに付く名詞しだいで言い換えなければならないので要注意。「英会話は心の中で日本語に訳している限りはうまくなれない」と良く言われが、"domestic" はそのまま覚えた方が効率が良い見本みたいな単語だ。

 duck に話を戻すが、公園などで誰かが "duck!" と叫んだら、それは、「危ない、よけて!」という意味なので、頭を手でかばった方が良い(フリスビーとかボールが誤って人に向かって飛んだ場合などに使われる)。この場合の duck は、"頭を下げてすばやくよける" という意味の動詞である。

 ところで、なぜ duck が「頭を下げてすばやくよける」の意味になったかが良く理解できる場面に遭遇したことがある。川辺を歩いていると、私のすぐ横を鷹が急降下して行く。その先を見ると、小鴨を5匹ばかり連れた鴨が水に浮かんでいる。小鴨を狙っているのだ。どうなることかと見ていると、鷹がつめを伸ばしてを水面すれすれに近づいたタイミングに合わせて、小鴨たちが一斉に、それも一瞬だけ水に潜ったのだ(まだ、長くは潜れないらしい)。まさに、duck が duck する瞬間を目撃したのだ。その後、鷹は、さらに3回ほど急降下攻撃を繰り返したが小鴨たちは毎回じょうずに duck し、鷹の餌食にはならずに済んだ。


今日から夏時間

050328_034709_1 米国には夏時間(英語では day light saving time)というものがあり、日が長い4月から9月の間は時計を一時間早めて、日の光を有効に活用しようというものである。単にそれが目的なら、学校とか会社を一時間早く始めるように指導すれば良いとも思えるのだが、時計そのものを一時間早めてしまう、というのが面白い。

 そんな夏時間のある米国に15年も住んでいる私なので、さすがにとまどうことは無くなったと言いたいところだが、今日は失敗をしてしまった。

 夏時間への変更は仕事へなどの影響を最低限にするために、4月の第一週の日曜の0時に行うのである。すると、新聞などで気がついた人は前もって土曜日の就寝前に家中の時計を直して置くし、そうでない人も日曜日にテレビをつけたり人と会ったときに気がつくのである。それゆえに、夏時間の第一日目の待ち合わせはに皆慎重になるし、誰かが一時間ぐらい遅れても笑ってすませるぐらいの慣用さが身についている。

 今年に限って、間の悪いことにその日に日本行きの飛行機を予約してしまったのである。それも予約を取ったときにはそれが夏時間の最初の日だとは意識せず、かつ、前日にも気づかずに、時計を冬時間のまま寝てしまったのである。飛行機の出発時間は2時25分なので、8時過ぎに起きて朝食を食べ、荷造りを済ますと、netflix で見たいビデオの予約などをして過ごした。10時半を過ぎて近所のベルビュー・スクエアで買い物と食事を済ませてもまだ12時少し過ぎである。空港までは30分で着くので余裕がある。運転中の車の中で飲むためのラテをスターバックスで注文し、ラテを待っているときに、カウンターの上に置いてある新聞に目が行き、そこに見慣れた「時計を一時間進めましょう」マークがあることに気がついた。

 「まずい、今日から夏時間だ。後一時間ちょっとしかない!」

 こんなときに限って、中々出来上がらないラテを待ち、車に走る。車に乗ったときはもう(夏時間で)1時10分すぎである。「間に合わないかもー」と言いながら車を走らせる。ニューヨークでのテロ事件以来(米国では、単に ” September Eleven” と言う、日本の「2・26事件」みたいなものである)、空港のセキュリティが厳しくなり、かなり前に空港に着いていないと乗せてくれないのである。

 空港の出発ロビーに車を寄せると、車は妻に任せてノースウェストのカウンターに走る。時間はすでに1時30分を過ぎている(出発まで50分だ)。チェックインカウンターには数人並んでいたが、その横にいる係りの人に、「東京行きなんだけど、まだ乗れるかな?」と聞く。「東京行き!たぶん無理よ」と言うが、「ジェイミー、東京行き間に合う?」とカウンターにいる一人に聞いてくれる。すると、ジェイミーと呼ばれた人が、私に手を振って、「今なら間に合う、すぐチェックインして!」と言ってくれる。私の前に並んでいた人に頭を下げながら、カウンターに走りより、チェックインしてもらう。これで荷物は大丈夫だ。

 そこからセキュリティ・ゲートに小走りに行くと(米国は国際フライトでも出国手続きは無い)、幸い列は短い。運が悪いとここで30分ぐらい待たされることがあるのだが、助かった。エレベータで地下に降り、地下鉄でSゲートへ。そこからエレベーターで出発ゲートに着いたときには既に2時を過ぎていた。9番ゲートまでさらに小走りで近づくと、既に搭乗が始まっている。でも、まだ最終案内というわけではないようだ。余裕である。少し手前からゆっくりとした歩調にし、深呼吸で息を整える。いかにも走ってきたように息を切らせて飛行機に乗り込むのは格好が悪すぎる。そして何食わぬ顔でゲートをくぐり抜け、自分の座席に着いたときもまだ心臓がドキドキしていた。

 ああ、疲れた。夏時間なんか嫌いだ。


「両親の性別」記入欄

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 日本に住む高校3年生の息子が、米国の大学を受けるために願書を書き始めた。学校ごとに別々の試験と願書の書式がある日本と違い、「SAT(Standard Achievement Tests)」という全国共通テストと、「Common Application」という共通書式の願書により、大幅な効率化が進んでいる。そのおかげで、日本からでも(現地に行かずに)受験が可能なのである。広い国土を抱える米国ならではの工夫なのだろう。

 この Common Application に興味深い点があることに息子が気が付いた。両親の「性別(gender)」をそれぞれ記述する欄があるのだ。日本なら当然、父親・母親とすべきところを親1・親2(Parent 1/Parent 2)とし、それぞれに名前・性別・職業・学歴などを記述するのである。同性同士の結婚(Gay Marriage)を認めるカリフォルニアのような州があるために、それに配慮してのことである。

 さらに、「両親の関係」の欄に、「結婚している(Married)」、「別居している(separated)」、「離婚した(divorced)」、「未婚(never married)」、「その他(others)」という選択枝があるのだが、最初の4つが全てのケースを網羅しており、「その他」とはどんなケースなのかがどうも理解できない、と息子が言う。確かに、「同性なので結婚したいが州の法律で結婚させてもらえないので、息子を大学に入れたのちカリフォルニアに移住して入籍する予定」、「前妻の連れ子を引き取ったが、その妻が他界したのち再婚した」などの特殊なケースでも必ず最初の4つのいずれかに当てはまるように思える。

 自分の受験のための大切な願書を書いている最中なのに、そんなことが気になってしまう息子は、顔だけでなく脳みその作りまで私に似ているようだ。 


「おまかせ」文化論

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 最近、日本とのやりとりが増えたので、専任の通訳の人を雇ってメールや掲示板でのやり取りを翻訳してもらっている。その通訳の人が、「どうしても適切な英語の訳が浮かばない」と困ってしまったのが、「おまかせ」という日本語である。

 レストランが旬のお勧め料理を出してくれる「おまかせコース」、ユーザーの見たいだろう番組を予想して録画してくれる「おまかせ録画機能」など、「おまかせ」という言葉は日常良く使う言葉で、決して難しい言葉ではない。では、どうしてプロの通訳を持ってしても「適切な英語の訳が浮かばない」と言わしめてしまうのか考えてみた。

 一つは、日本語特有の「自明な主語は言わなくとも良い(もしくは言わない方が良い)」という特徴である。上の二つの例では、「シェフ」と「機械」にまかせているわけだが、そんな自明なことを言わないのが日本語である。しかし、英語だと "up to ○○" だとか、"○○'s choice" などと明示的にまかせる相手を指定しないと文法的に正しくないという欠点がある。そのため、レストランの「おまかせコース」なら、"chef's choice" と翻訳できるのだが、「おまかせ」だけだと翻訳不能なのである。

 もう一つは、日本独特の「あいまいさがあっても相手を信頼する」文化である。アメリカのレストランでは、"Today's special"、"Chef's choice" などと、一見「おまかせ」に相当するものがあるが、ほとんどの場合、それが実際には何があるか(差込の)メニューに書いてあるか、ウェイトレスが説明してくれる。日本の「おまかせ」のように、何が出てくるか分からないまま注文するアメリカ人はほとんどいないと言っていい。色々な人種やバックグラウンドの人たちが集まってできたアメリカでは、原則としては相手を信頼せずに全てを契約書ではっきりさせる、という習慣が日々の生活にまで浸透しているのである。日本人が「おまかせ」を頼む時は、「『おまかせ』って言うぐらいだから旬のおいしいものが出てくるに違いない」と期待に胸を膨らませるものだが、アメリカ人だと「何が出てくるか分からないのに高い金が払えるか」と思うのである。

 日米間のビジネスにおいても、すごく細かな点まで指定してくる米国の企業に併行する日本企業や、「おまかせ」的な契約書を交わしてしまって後で思いっきり足元を見られてしまう日本企業などが沢山いるはずだ。米国の企業と契約を交わすときは「あいまいさ」は禁物である。相手に「おまかせ」してしまうのは、もっての他である。

 ちなみに、「おまかせ」という言葉を聞くと、「プロポーズ大作戦」を思い出してついほくそ笑んでしまうしまうのは私だけだろうか。公開合コンのような形式で番組が進み、見事にカップルが誕生すると、男の子が女の子の指定した場所にキスをするという儀式がある。すぐに「おでこ」とか「ほっぺ」とか言ってしまえばいいのだが、女の子がモジモジしていると、司会者の西川きよしが、「おーまかせ」とはやしたてるのである。そこで女の子が、「おまかせします」というと、男の子は口にキスをするというのが「しきたり」となっていた。私は結構この番組を見ていたが、一人として「口にお願いします」という女の子もいなければ、「おまかせします」と言われて口にキスしなかった男の子もいなかった。この辺も、今になって思えば思いっきり日本人らしい行動である。

 アメリカ暮らしが長いこそからかもしれないが、こんな日本の「おまかせ」文化が妙に良く思える今日このごろである。


英語うんちく:Field

field

 今日、ウチの会社のエンジニア(アメリカ人)の社内掲示板への書き込みに、こんな表現があった。

Probably Tanaka-san should field this question.

 言っていることは分かるので、普段なら何気なく読みとばしてしまっただろう表現だが、今回は、たまたまこの掲示板への書き込みを日本語に訳す役割が回ってきてしまった。そこで、念のため辞書を調べると、

Field
v. Fielded, Fielding, Fields,
v. tr.
To retrieve (a ball) and perform the required maneuver, especially in baseball.

とある。案の定、野球から来た表現である。つまり、上の文で言いたいことは、野球の試合中に飛んできたボールを野手が(一塁に投げるなり、ホームに投げるなりして)適切にさばくように、ある質問の答えを見つけるように(この件に関して詳しい人を調べてその人に聞くなりして)適切に処理して欲しい、ということを田中さんに頼んでいるのである。
 
 直訳は、「田中さんにこの質問の処理お願いします」であろうか。ただし、もっと明確にするためには、「田中さん、適切な関係者に連絡するなりして、この質問に対する答えを見つけてもらえますか?」という意訳の方が良いかも知れない。

ちなみに、アメリカ人の表現には良くスポーツが出てくる。

"He dropped the ball" (あいつがボールを落とした)は、ある仕事の一連の流れが一人の人のミスや怠慢で滞ってしまった場合に使う。野球で言うダブルプレーの際の連携を思い浮かべてもらうと良く分かる。

"You don't need to swing to the fence" (フェンスに向かって打つことはない)は、大成功を狙って気負いすぎている人に、上司や同僚が良くかける言葉である。"You need singles and doubles, not home-runs" (一塁打や二塁打でいいんだ、ホームランを狙う必要は無い)と続けたりする。