小論文:日本のエネルギー戦略のあるべき姿

メルマガ「週刊 Life is beautiful」の読者からの質問に答え、「日本のエネルギー戦略のあるべき姿」という小論文を書いたので概略を紹介する。

結論から先に言えば、当面(これから20〜30年間)の需要は化石燃料で満たしつつ(必要に応じて火力発電所の新設、小規模ガス発電への投資も行う)、再生可能エネルギーへの投資を大幅に増やす(逆に原子力への投資は減らす)ことが正しい選択だ、というのが私の結論だが、実際の小論文(今週号のメルマガで公開)には、そこに至るロジックを以下の順番で展開している。

日本のエネルギー戦略のあるべき姿

化石燃料はあと何年分あるのか?

1970年代のオイルショックの時に、「石油はあと30年で枯渇する」という言葉が良く使われました。しかし、あれから40年たった今でも、なくなる気配はないし、現在発見されている埋蔵量だけでもさらに40年分あります。このペースで行けば、40年後の2053年になっても、やはり「(2053年時点で)発見されている埋蔵量だけでも40年分ある」という状況になっているでしょう。何だか魔法のような話ですが...

化石燃料の問題点

「今世紀末まで化石燃料が枯渇する心配がない」のであれば、何もあわてて危険な原子力や、コストの高い再生可能エネルギーに切り替える必要はないようにも思えますが、化石燃料にはいくつかの致命的な問題があります。一つ目は、化石燃料が「有限の資源」である、という点です...

代替エネルギーとしての原子力

20世紀の後半になって、この「いつかは括弧する化石燃料」の代替エネルギーとして先進国により積極的に導入されたのが原子力でした。原子力は、同じ値段の燃料から取り出すことの出来るエネルギーが化石燃料よりも遥かに高く、かつ、運転時に二酸化炭素を出さない(=環境に優しい)、という二つの利点を持つ「夢のエネルギー」のはずでした。しかし、チェルノブイリや福島第一での事故を経験した結果...

なぜ原子力がなければ日本の経済は成り立たないのか?

にもかかわらず、日本では、自民党・経団連・経産省が「原子力がなければ日本の経済が成り立たない」と原発の再稼働をしようとしています。それどころか、原発の新設まで許可しようという動きがあります。なぜでしょうか?それは電力会社を頂点とした「原発エコノミー」が日本の経済の中心に...

日本のエネルギー政策はどうあるべきか

こんな事情があるため、答えは簡単ではありません。将来を重視すれば「必要な分は火力で補いながら、これまで原発に投資していた政府・民間のお金を再生可能エネルギーへの投資に回し、出来るだけ早く再生可能エネルギーの比率を増やす」ことが一番良いことは明らかですが...


モンゴルの人々が安倍総理の訪問に神経質になっている理由

Mongol Mongol2

安倍総理が訪問したモンゴルでは、安倍総理に向けて「モンゴルはウランを売らないし、使用済み核燃料も引き取らない」というデモが繰り広げられたそうである(参照)。なぜこんな声が上がるかを理解するには、少し歴史をひも解く必要がある。

以下の3つの記事(いずれも英文)が良い参考になる。

2011年7月11日 US Promotes Nuclear Waste Dump in Mogolia

この記事は、

  • ウランを輸出して外貨を稼ぎたいモンゴル
  • 原子力発電所を持ちたいアラブ首長国連邦
  • 原子力技術を輸出したい日本
  • 使用済み核燃料の最終処分場を国内に作れずに困っている米国

の4カ国の間で、

  • モンゴルにはウランの濃縮設備は作らない
  • モンゴルには中間貯蔵施設だけではなく、最終処分場を作る

という条件の元にモンゴルから輸出したウランを日本もしくは米国で濃縮した形でアラブ首長国連邦に原発の燃料として運び、使用後は再びモンゴルに戻して最終処分する、という覚え書きが交わされたと報道している。

2011年8月23日 Official: U.S. in Early Talks About Int'l Nuclear Leasing Arrangements

この記事は、モンゴルでの使用済み核燃料の最終処分に関する報道を否定して来た米国政府が、ようやく公式に話し合いの存在を認めたが、あくまでこれは「モンゴルが自国で採掘したウランを他国に貸す」という「核燃料のリース・プログラム」であり、米国で行きどころがなくなった使用済み核燃料をモンゴルに押し付けるものではない、と報道している。

2011年10月17日 Mongolia abandons nuclear waste storage plans, informs Japan of decision

この記事は、モンゴル政府が、国内の反対派の声に押されて、使用済み核燃料の中間貯蔵施設および最終処分場の建設を中止し、日本に通達した、と報道している。

 

つまり、この Comprehensive Fuel Service (CFS) プログラムとも呼ばれる「核燃料のリース・プログラム」は、「ウランを輸出して外貨を稼ぎたいなら、最終処分場を作って使用済み核燃料を引き取れ」という日米によるモンゴルへの「核のゴミ」の押しつけプログラムなのだ。

この経緯を良く覚えているモンゴルの人々からすれば、日本の安倍総理が「エネルギー・資源問題を話す」ためにモンゴルを訪れているとなれば、CFSプログラムが復活してしまうのでは、と神経質になって当然なのである。モンゴルとのCFSプログラムがあれば、日本は原発を輸出しやすくなるし、あわよくば国内にたまった使用済み核燃料を「将来輸出するだろうウランに見合う分」などの方便で引き取ってもらえる可能性すらあるからだ。

【参考資料】

モンゴル国のウラン開発・原発建設・核廃棄物処理場建設についてー今岡良子 


安倍総理に講演の場を与えたCSISとは何か

オバマ大統領との会見のためにワシントンDCを訪れた安倍総理だが、同日に、保守系のシンクタンクである CSIS (Center For Strategic & International Studies)が開催するフォーラムで40分の講演をした点は注目に値する(ビデオはここで見ることが出来る)。 

CSISは表向きは民間のシンクタンクで、政府や軍需産業のための調査・研究をするコンサルタント会社だが、実際には、政権交代で政府を出た高級官僚が次の政権交代で復活するまでの間準備をしたり、政府の外から影響力を公使(ロビー活動)するための場所である。

その典型的な例が、ブッシュ政権下で国務副長官を務めたリチャード・アーミテージで、国務副長官の職を離れた後も、CSISを通じ、オバマと大統領選を争ったマケイン候補のための戦略を立てたり、日本政府に対して「原発を捨てると日本は二流国に成り下がる」と警告を鳴らした「アーミテージ・ナイ報告(参照)」を書いたりと非常に積極的な政治活動をしている。

Right Web (軍事マフィアによる米国政府への影響力を監視する団体)によれば、CSIS はレーガン政権時代に作られた「米国は世界の警察官であるべき」という信念の元に各種メディアを通じて米国内外に多大な影響力を持つネオコンのフロント組織である(参照)。

日本再占領」の作家である中田安彦は、彼らを「ジャパン・ハンドラーズ」と称して警告をならしている(参照)。

CSISに関しては、外務審議官・対米全権大使を務めた加藤良三の娘、加藤和世が「ワシントン・ジャパニーズ・ウィメンズ・ネットワーク」にそこで働いた経験談を書いているので一読をお勧めする(参照)。彼女は現在は笹川平和財団の研究員の1人だが(参照)、今でも CSIS のフェローの1人でもある(参照)。

笹川平和財団はCSISへの助成事業としてSPFフェローシッププログラムを進めたり(参照)、CSISが去年発表した「アーミテージ・ナイ報告書」のプロモーションを手伝ったりと(参照)、CSISとの関係を強めている。

ちなみに、CSISに自分の子供を送り込んだのは、加藤良三だけではない。小泉純一郎が次男の小泉進次郎を、渡辺恒三が長男の渡辺恒雄を送り込んでいる。

CSISは昨年、日経新聞と「日経・CSISバーチャル・シンクタンク」なる組織を日本に立ち上げ、そこを通じた保守系政治家のサポート、若手政治家の育成、政策提案、などのロビー活動をしている。アドバイザーとして自民党の石破茂、民主党の前原誠司他、数多くの霞ヶ関OBが名を連ねる、日本版 CSISである。

安倍首相はCSIS主催のフォーラムでの講演で「アーミテージ・ナイ報告」を引用して「日本は二流国にはならない」と宣言したが、参考までに、下に「アーミテージ・ナイ報告」に書かれた日本への提言を外務省が翻訳したものを添付しておく。

この報告書が去年の8月に書かれたものであるにも関わらず12月に発足した安倍政権の政策とほぼ完全に合致している点は注目に値する。これを偶然の一致と解釈するのか、(CSISを通じた)米国保守派勢力の内政干渉と解釈するのかは読者次第だが、今後、自民党が日本のエネルギー政策をどうするのか、ホルムズ海峡が閉鎖された場合に何をするのか、などを予想するにはとても良い材料になる。

【日本への提言(アーミテージ・ナイ報告)】

(1)原子力発電の慎重な再開が日本にとって正しくかつ責任ある第一歩である。原発の再稼動は、温室効果ガスを2020年までに25%削減するという日本の国際公約5を実現する唯一の策であり、円高傾向の最中での燃料費高騰によって、エネルギーに依存している企業の国外流出を防ぐ懸命な方策でもある。福島の教訓をもとに、東京は安全な原子炉の設計や健全な規制を促進する上でリーダー的役割を果たすべきである。

(2)日本は、海賊対処、ペルシャ湾の船舶交通の保護、シーレーンの保護、さらにイランの核開発プログラムのような地域の平和への脅威に対する多国間での努力に、積極的かつ継続的に関与すべきである。

(3)環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)交渉参加に加え、経済・エネルギー・安全保障包括的協定(CEESA)など、より野心的かつ包括的な(枠組み)交渉への参加も考慮すべきである。

(4)日本は、韓国との関係を複雑にしている「歴史問題」を直視すべきである。日本は長期的戦略見通しに基づき、韓国との繋がりについて考察し、不当な政治声明を出さないようにするべきである。また、軍事情報包括保護協定(GSOMIA)や物品役務相互提供協定(ACSA)の締結に向けた協議を継続し、日米韓3か国の軍事的関与を継続すべきである。

(5)日本は、インド、オーストラリア、フィリピンや台湾等の民主主義のパートナーとともに、地域フォーラムへの関与を継続すべきである。

(6)新しい役割と任務に鑑み、日本は自国の防衛と、米国と共同で行う地域の防衛を含め、自身に課せられた責任に対する範囲を拡大すべきである。同盟には、より強固で、均等に配分された、相互運用性のある情報・監視・偵察(ISR)能力と活動が、日本の領域を超えて必要となる。平時(peacetime)、緊張(tension)、危機(crisis)、戦時(war)といった安全保障上の段階を通じて、米軍と自衛隊の全面的な協力を認めることは、日本の責任ある権限の一部である。

(7)イランがホルムズ海峡を封鎖する意図もしくは兆候を最初に言葉で示した際には、日本は単独で掃海艇を同海峡に派遣すべきである。また、日本は「航行の自由」を確立するため、米国との共同による南シナ海における監視活動にあたるべきである。

(8)日本は、日米2国間の、あるいは日本が保有する国家機密の保全にかかる、防衛省の法律に基づく能力の向上を図るべきである。

(9)国連平和維持活動(PKO)へのさらなる参加のため、日本は自国PKO要員が、文民の他、他国のPKO要員、さらに要すれば部隊を防護することができるよう、法的権限の範囲を拡大すべきである。


原発の是非を選挙の争点にする前に認識しておくべき6つのこと

原発の是非を選挙の争点にするのは構わないが、「日本の経済のために原発は不可欠」、「とにかく原発は危ないから再稼働させるべきではない」という二つの両極端の意見を戦わせていても、何も解決しない。

私には、「(酒に酔っていようがいまいが)明日は車が必要なので今日は自分で運転して帰るしかない」、「(酒に酔って運転すると事故を起こすから)酒はいっさい飲んではいけない」と同じに聞こえる。

大切なことは、まず

  • 福島第一の事故は電力会社と経産省の癒着が起こした人災である
  • もし再稼働するのであれば、安全基準はこれまでよりも遥かに厳しいものであるべき
  • しかし、たとえどんなに厳しい安全基準を決めても、絶対に安全な原発などありえない
  • なので、万が一の事故の際には、どうやって住民を避難させるか(そして補償するか)を前もってちゃんと考え、準備しておく必要がある
  • 高速増殖炉が現実的ではない今、再処理はただちに中止し、放射性廃棄物の最終処分場に関して真剣に考えるべき
  • 今ある原発を廃炉にすると、電力会社の経営は破綻する。その場合の破綻コストは誰かが負担しなければならない。

という6つの点に関しての認識をしっかりと共有した上で、「そんなリスクを地方に追わせてでも日本経済のために原発を再稼働させるべきか?」「そこまで厳しい基準の下で原発を稼働してもコスト的に見合うのか?」「原発を廃炉にした場合の巨額の損失を誰が負担するのか」をきちんと議論すべきだ。


日本の発展を阻む「逃げ切りメンタリティ」

去年の福島第一での原発事故後、日本という国の統治機構のさまざまな問題点が露呈されることとなった。国会事故調が指摘した様に、事故の根本の原因は「電力会社と規制機関の癒着」にある。ここを徹底的に検証し、修正しない限り原発の再稼働などありえないのだが、そんな「まっとうなプロセス」をとることが出来ない点がこの国の一番の問題である。

国民の意思を反映したはずの「原発ゼロ政策」がいつのまにか骨抜きにされる、最も大切だったはずの原子力規制庁の「ノーリターン・ルール」がないがしろにされて原子力規制庁が実質的に経産省の傘下に入る、国会事故調があれほど第三者委員会と国会によるオープンな人事決定プロセスの必要性を訴えていたにも関わらず原子力規制委員会の人事が密室で決まる。これがこの国の体質だ。

結局のところ、この国の方向性を決めているのは、国民でも政治家でもなく、霞ヶ関のエリートたちと彼らと強く結びついた産業界の一部だということが良く分かる。代表的なのが、鉄鋼業・セメント・非鉄金属・造船・化学工業などの重厚長大産業、土木建築業、そして電力会社を含むエネルギー産業だ。

バブルの崩壊までの高度成長期はそれでも良かった。エネルギーを大量に消費する重厚長大産業、インフラを作る土木建築業、そしてそこに必要なエネルギーを提供するエネルギー産業が、日本のGNPを押上げ、雇用を確保してきたからだ。

しかし、今やそんな「エネルギー大量消費」型のビジネスは中国やインドにシフトしており、日本という国はこれまでとは違う新しい戦い方を見つけなければならない転機に来ているのだ。

ドイツにできた脱原発・エネルギー大量消費に頼らない経済発展は、日本にもできてしかるべきである。問題は、急激な変化を望まない企業と、彼らと強く結びついた霞ヶ関が痛みを伴う改革を嫌い、問題を先送りし続けている点にある。急激な変化は、主役の交代を意味する。変化の隙をついてソフトバンクやライブドアのような新参者が次の時代の主役になってしまうことは、なんとしてでも阻止ししたいのだ。

つまり、高度成長期の成功により日本という社会の中核を担う様になった重厚長大な大企業が、短期的な保身のために抵抗勢力となって日本の発展を阻んでいるという皮肉な結果になっているのだ。典型的な「逃げ切りメンタリティ」である。

そんなことを考えていたら、数多いジャーナリストの中でも私が最も信頼している神保哲生氏がまさにこの点をとても分かりやすく解説していたので、ぜひとも見ていただきたい。

 


原発事故の不可逆性

評論家の中には、未だに「福島第一での原発事故で死んだ人はいない」などと事故を過小評価する人がいる(参照←池田氏はどこからコンサルタント料をもらってあんな発言をしているのだろう?)。事故直後に被曝を避けるために移動を余儀なくさせられたために亡くなった寝たきり老人、長引く避難生活で体調を壊して亡くなった人、これまで何十年もかけて育てて来た農地や家畜を失ったショックで自らの命を断った人たちは数に入らないのだろうか?放射能を過剰に恐れるあまりの「風評被害」だとでも言うのだろうか?

原発事故が他の事故と違うのは、貴重な国土が放射能汚染によって人が住めなくなってしまうことにある。詳しくは、「フランス人学者の考察 原発事故は元に戻れない大惨事」を読んでいただくと良いが、津波や地震の被害は、どんなに大きくとも30年、50年と時間が経つうちに人々はその傷から立ち直り、地域経済は復興される。

チェルノブイリを見ても分かる様に、ひとたび過酷事故が起こってしまえば、そこは50年経っても100年経っても人の住むことのできない場所になってしまうのだ。鉢呂元大臣は「死の町」という言葉を使って批判されたが、まさに復興が不可能なほどに土地に壊滅的なダメージを与えるのが原発事故なのだ。

脱原発は日本経済をダメにする、再生可能エネルギーには不確定要素が多い、と批判する人がいるが、原発や核のリサイクル計画の方がよほど不確定要素が多いし、万が一同じような事故がまた起これば、それこそ日本経済が壊滅的なダメージを受けると私には思える。


原発をゼロにすると電気代が3万円になるって本当なの?

結論を先に言うと「原発をゼロにしてもしなくても2030年には電気代は3万円近くになる」というのが正しい表現です。

政府の発表した資料を読むと、2030年における一般家庭の電気代は、

  • 15%シナリオ:23,800〜28,200円/月
  • ゼロシナリオ:24,030〜30,612円/月

との予想です(資料の20ページ参照)。「原発をゼロにすると電気代が3万円」と一方的に言われるのとでは、ずいぶん印象が違います。

ちなみに、15%シナリオの計算は、原発の発電コストを 8.9円/kwh と見なして行われていますが、この値は「福島第一クラスの事故が起こった場合のコスト」を最低限の5.8兆円と見積もった値段でしかなく(実際には数十兆円)、経産省も「下限」でしかないことを認めています(経産省の資料には、"8.9円〜" と表示されています)。それに加えて、事故の教訓を生かした安全措置にはコストがかかるので、実際のコストは、火力よりもはるかに高い17.4 〜 20円超になるという概算も公表されています(参照)。  

その数字を当てはめて計算し直すと、15%シナリオの方がゼロシナリオよりも高くなってしまいます。つまり、この資料で提示されている「ゼロシナリオの方が若干高い」という予測そのものがかなり不正確だということです。

それにも関わらず、「原発をゼロにすると電気代が3万円になる」という言葉だけが1人歩きしているのはちょっと問題だと思います。

 

 

 


政府が「将来の原発比率は0%」と宣言できない本当の理由

一昔前は、どこの新聞も同じような記事を書いていて面白くなかったが、福島第一の原発事故以来、新聞ごとの特徴が出てとても興味深い。

事故前と変わらずに、東電・経団連・政府側に立って原発を推進し続けようとしている御用新聞が読売新聞。逆に、電力業界からの広告費をきっぱりと捨て、原発の安全神話や使用済み核燃料の問題点をするどく指摘続けているのが東京新聞。同じテーマに関するそれぞれの社説を読み比べるととても勉強になる。

例えば、読売新聞の「再処理稼働へ『原発ゼロ』は青森への背信だ」 と東京新聞の「『ウラン節約』ウソだった 再処理『原発維持のため』」

読売新聞の社説は「将来は原発0%を日本のエネルギー政策として選択すると、青森の六ヶ所村に再処理のために中間貯蔵してきた3000トンの使用済み核燃料は行く先を失う。だから原発0%を選んではいけない」というのが主題だ。

逆に、東京新聞の社説の主題は「使用済み核燃料の再処理は詭弁にすぎない。本当の理由は『再処理路線でなければ、使用済み核燃料の受け入れ先がなくなり、原発が止まってしまうことになる』からだ。そんなデタラメをもう許してはならない」というもの。

全く同じ問題を表と裏から見ているだけだが、結論がまったく逆なところが興味深い。

先日の政府の発表資料を見ると、青森県、六ヶ所村、日本原燃(株)との間では「再処理事業の確実な実施が困難となった場合には、日本原燃は、使用済み燃料の施設外への搬出を含め、速やかに必要かつ適切な措置を講ずるものとする」という覚え書きが締結されていることが分かる。

「将来の原発比率を0%にする」という決断は、再処理事業の凍結を意味し、日本原燃は覚え書きに従って速やかに六ヶ所村にある3000トンの使用済み核燃料を各電力会社に返却しなければならない。しかし、日本中の原発の使用済み核燃料プールはすでに満杯状態。3000トンの使用済み核燃料は宙に浮くし、再稼働した原発からさらに生み出される使用済み核燃料の行き先もなくなる。

つまり、「将来の原発比率を0%にする」と決めたとたんに、今まで先送りしてきた「トイレなきマンション」問題が一気に顕在化し、安全が確認された原発の再稼働すら出来なくなる、という状況が関係者の頭を抱えさせているのだ。

読売新聞の社説は、この覚え書きの意味を理解した上で「だから原発は続けるしかない」と主張しているが、これは麻薬中毒者が「今、麻薬をやめたら禁断症状が出るからやめられない」と言っているのと等価である。

政府内部では、とりあえず選挙を乗り切るために、エネルギー政策の選定を三年ほど引き延ばし、国民には「脱原発依存」という曖昧な言葉でお茶を濁しつつ、再処理事業の凍結も宣言せずに、再稼働した原発により生み出された使用済み核燃料を六ヶ所村に送り続ける、という案が有効なそうだ。

野田総理が「将来は原発ゼロを目指すが、当面電気の安定供給と日本の経済のために安全なものから再稼働」と言ったとしても、私には「近い将来はダイエットする予定だけど、当面は元気を出して仕事をするためにもラーメンの替え玉はやめられないし、食後のドーナッツは欠かせない」と同じく戯言にしか聞こえない。


霞ヶ関にとって、政治家は「愚民の代表」でしかないのか?

「原発ゼロにすると電気代が高くなる」という政府の試算に対しては東京新聞が社説でとても適切なコメントを書いているので、そこを参照していただきたい。

使用済み核燃料の最終処理問題を先送りし続け、危険な原子炉を暫定的な安全基準で使い続けてお金のかかる廃炉を先送りにし、たまりにたまったプルトニウムと劣化ウランを「いつかは燃料として使える資産」として計上すれば、脱原発路線と比べて安いのはあたりまえ。しかし、それは安全神話の継続と問題の先送りでしかない。そんな状態を国民は望んでいないし、そことコスト比較をしても意味はない。

本当に意味のあるコスト比較をしたいのであれば、原発を稼働し続けることによりこれから増える使用済み核燃料をきちんと負の資産として計上し、より厳しくなる安全基準により再稼働が不可能になる原発が少なくとも4割程度はあり(国会事故調による報告書参照)、かつ、稼働可能なものの運営コストも大幅に上昇する、という前提でコスト計算すべきである。それに加え、万が一同じような事故を起こした時のためのお金を政府と電力会社で毎年積み立てておくことも必要だし、避難経路の確保のためのインフラ投資コストも無視できない。

安全神話から脱却し、問題の先送りを辞めれば、脱原発をしてもしなくても電気代は高くなる。そこをちゃんと説明せず、一方的に脱原発のコスト増だけを政府の試算として発表するのは世論操作以外の何物でもない。

本来ならば「政治家が頭脳、官僚は手足」であるはずなのに、大脳の大半の機能まで官僚に任せてしまっている日本の政治家は、ある意味で国民の感情を間接的に反映する小脳+脊髄の役割しかしていない。たとえ小脳が(国民の意思を反映して)脱原発に舵を切ろうとしても、大脳が「それは理性的に考えれば無理。脱原発などしたら電気代が上がります」と言えば、それに反論もできなければ第三者に試算を頼む根性も持ち合わせていないのが今の政治家だ(それも民主党に限った話ではない)。

そう考えれば、なぜ SPEEDI の情報を官僚たちが公表したがらなかったのかも説明できる。理性的な行動を取れない国民に情報を与えても、脊髄反射でパニックを起こすだけだからだ。霞ヶ関が国民を愚民扱いし、政治家を愚民の代表としか見ていないから、こんな一方的な試算が政府の公式見解として発表されてしまうのだ。


原発比率15%を「落としどころ」として画策する霞ヶ関の狙い

民主党がようやく国民の声に耳を傾けはじめたことはとても良いことだが、「2030年における原発比率」にばかり重きを置いて議論すると、「2030年に0%にすることは現実的ではない」「急激な脱原発は経済への影響が大きすぎる」などの「現実論」との話とごっちゃになってしまう。

今の段階で国としてすべきことは、エネルギー政策の方向性(原発を将来もエネルギーミックスの一つとして許容するのか、しないのか)と安全性に関する姿勢(今までの安全神話路線をやめて、本当に独立した規制組織を作る覚悟があるのか、ないのか)を明確にすることである。

国民に選択させるのであれば、「2030年における原発比率0%、15%、20〜25%」などと数字ではなく、国としての原発に対する姿勢がどうあるべきか、という方向性を問いただすべきである。

私であれば、以下の4つを選択肢として国民に提示する。

  1. 原発の再稼働はやめ、すべての原発をただちに廃炉にする。
  2. 国民の安全を第一に考えて、新たな安全対策を施した原発のみ再稼働し、新設と期間延長を認めずに原発をゼロにして行く。国民の安全を第一に考える人たちから構成される独立した原子力規制委員会を作り(ノーリターンルールに例外は認めない)、ここが作った新たな安全指針を100%満たした原発のみを再稼働する。その際、活断層調査、地震対策、津波対策、ベント、免震重要棟などを先送りすることは許さない。
  3. 経済への影響と国民の安全をバランス良く考え、必要に応じて多少安全性を犠牲にしてでも、日本社会に過剰なストレスを与えない形で、徐々に原発をゼロにして行く。原子力規制委員会は国民の安全性のみではなく経済への影響や電力会社の経営状況を考えた上で、必要に応じて、それなりに安全な原発から再稼働を許可して行く。活断層調査、地震対策、津波対策、ベント、免震重要棟のようなコストと時間がかかるものに関しては、すぐに対応せずとも、計画さえあれば再稼働を許可する。必要に応じて、40年以上の運転や新設も認める。
  4. 原発への過度の依存はしないが(=脱原発依存)、将来も原発をエネルギーミックスの一つとして許容する。

ここで注目して欲しいのが2と3の違い。2は国会事故調が提言した新しい形の安全規制だが、3は今までの安全神話をそのまま踏襲したもの。福島第一での知見を生かして日本の原子力規制の仕組みを抜本的に変えるか変えないかが、この違いに集約されている。

問題は、国民の多くが1もしくは2を望んでいるにも関わらず、官僚や経団連の中には未だに4を正しい選択肢と考える人たちがいることにある。野田総理が「脱原発」ではなく「脱原発依存」というわけの分からない曖昧な言葉を使う理由もここにある。

そんな綱引きの中から、3(もしくは2の衣を着た3)を「妥当な落としどころ」として国民に納得させようというのが霞ヶ関の官僚たちの狙いであり、国会事故調の「第三者委員会に人事案を出させるべき」という提言を無視して政府が出して来た原発規制委員会の人事案なのである。

そして、国が「妥当な落としどころ」として提示した15%にすら国民が拒絶反応を示すのであれば、「2030年にゼロは現実的に無理なので、2030年代にゼロを目指す」という新たな落としどころを見いだし、最も重要な部分(2なのか3なのか=安全神話から脱却するのかしないのか)を曖昧なままにして国民に納得してもらおう、というのが今の政府の立場なのである。

民主党が本音のところで2なのか3なのかを見極める一番良い方法は、今回の原子力規制委員会の人事案を白紙撤回するか、そのまま国会での採決にかけるかを見れば良い。今回の人事は、選別のプロセスが不透明で、経産省の役人が選んだと言われても仕方が無いものだ。本気で原発神話から脱却したいのであれば、この人事こそが鍵だ。民主党がマニフェストに脱原発を掲げようが掲げまいが、この人事案への対応を見れば民主党の本音が分かる。