9月22日発売の「結局、人生はアウトプットで決まる 自分の価値を最大化する武器としての勉強術」からの引用です。
◉自分では気づかない「好きなこと」の見つけ方(73ページ)
これまで、「好きなこと」を追求すべきということをお伝えしてきました。すでに好きなことが見つかっているのであれば、さっそくアウトプットを始めてみましょう。
しかし、実際のところ「そうはいっても、好きなことが見つからないんだよなぁ」と思っている方も多いのではないでしょうか。「趣味と言える趣味がない」「『休みの日は何しているの?』と聞かれてもマンガを読んで、食べて、寝て終わり」などなど……。
また、親や先生から「勉強しろ」と言われとりあえず勉強して、いい大学に入って、就職の人気ランキング上位の会社や流行りの業界には入ったものの、本当は何が好きなのか未だにわからない、という人は少なくないはずです。
私は幸運なことに、好きなことを探して見つけるのでなく、偶然に出合うことができました。きっかけをくれたのは、私の叔父です。母方の親戚に、壊れた自転車が2台あれば、それを合わせて新しく1台作ってしまうような「機械大好きおじさん」がいました。
私はその叔父のことが好きで、ふだんから仲良くしていました。ある日、そのおじさんが興奮気味に「NECが、『TK80』というマイコンを発売したぞ!」と教えてくれたのです。
そのことを聞いたとき、直感的に「これは絶対ほしい。手に入れなきゃ!」と思ったのです。当時の値段で、8万円くらいです。お年玉をかき集めても買えないような高価な代物でしたが、それでも「必ずもとを取るから」と親を説得して、なんとか手に入れることができました。
マイコンからプログラミングに触れた最初の1か月間は、どのようにプログラムを入力すればどう動くのか、さっぱりわかりませんでした。当時はわかりやすい教科書もありません。とにかく仕様書のサンプルコードや雑誌に載っているプログラムコードとにらめっこの日々。しばらく仕組みがわからない日々が続きましたが、けれど不思議と諦めることはありませんでした。
結局のところ、プログラミングは概念・思考プロセスの理解の問題です。プログラミングとはなんぞや、それがわかったのは本当に突然でした。目の前の壁をがむしゃらに叩き続けていたら急にガラガラと崩れたような感覚で「なんだ、そういうことか!」ととたんに腑に落ちました。プログラミングが楽しくて仕方なくなったのは、そのときからです。目の前の道がパッと開けた感覚は、今でも鮮明に覚えています。
このときプログラミングに夢中になって、それがいつの間にか仕事になったので、自然と好きなことが見つかり、いつの間にか仕事としてお金を稼ぐようになっていました。
これは私の息子の話ですが、彼はシアトルの日本料理店でシェフをしています。
彼が料理好きであることがわかったのは、ひょんなことがきっかけでした。私がプログラミングに関わることならいくらでも頑張れるように、息子が料理のことであればいくらでも頑張れるということに、ある日気がついたのです。
私の息子が高校2年のとき、たまたま近所の日本食レストランの厨房でアルバイトをすることになりました。すごく厳しい労働環境で低賃金でこき使われる、典型的な「ブラック職場」でした。ほかの高校生は2週間もしないうちに辞めてしまったそうです。しかし、なぜか、うちの息子に限って、何か月たっても辞めないのです。その厳しい職場に、「何か」を見つけてくれたのだと思います。
別に私たち親が気がついたからとか、サポートしてあげたからということではありません。多くの人が自分の好きなこと、自分が一番幸せな瞬間に気づけないままでいる昨今、まず息子本人が自分の好きなことに気づけたことがラッキーでしたし、それが親である私たちに伝わったこともラッキーでした。
その後、息子は通っていた大学を辞め、料理の学校に通いました。私たちはそれに対して「もったいない」と思ったことは一度もありません。今では彼は好きなことをして食べていく人生を送っています。
もちろん、アメリカでも飲食業は厳しい世界です。なんとなく選んだ企業に務め、サラリーマンになっている方がよほど安定しているでしょう。しかし、毎週月曜日になると悲しい顔で会社に向かう人生よりも、ずっと充実していると思います。もし、今の仕事がつまらなく、飲み会で仕事の愚痴を言い合っているようなら、あなたの人生は正しい姿ではありません。
では、いったいどうすれば好きなことを見つけられるのか。
一つの方法として、「ベーシックインカムが導入されたら、あなたは何をするか?」と考えてみることは有効だと思います。
ベーシックインカムとは、「政府がすべての国民に対し、最低限の生活を送るために必要な額の現金を定期的に支給する」という政策。機能しなくなることが明白な年金に代わる社会保障政策として注目され、各国で議論に上がるものの、本格的な導入にはまだまだ時間がかかりそうです。しかし、本当に好きなことを考えるきっかけとしてはなかなか興味深いと思っています。
仮にベーシックインカムが導入されたとすれば、一人あたり月に6~7万円が入ると想定されています。十分な金額かどうかはいったん置いて、考えてみましょう。
食べていくため、家族を養うために働いている人も多いと思います。では、生きていくために好きでもない仕事をしなくてもよい未来が訪れるとしたら……。そんな社会が実際に訪れたら、あなたはいったい何をするでしょうか?
ちなみに、冗談抜きでベーシックインカムが導入される時代が遠くない未来に来るかもしれません。また、産業革命や機械の飛躍的な進化によって人間が単純作業から解放されたように、AIやロボットの進歩によって、人間が仕方なくやっていた作業が減っていくと予想されています。
もう一度お聞きします。政府から、最低限暮らせるお金が毎月支給されるようになりました。食べるために仕事しなくてよくなる未来、あなたは毎日何をして生きていきますか?それこそが「好きなこと」の正体なのです。
「諦めていたミュージシャンになる夢を追いかけたい」
「昔から絵を描くことが好きで、本当は一日中描いていたい」
「今は仕事で忙しいけど、作ってみたいスマホアプリがある」など……。
やってみたいことが見つかったなら、さっそくアウトプットしてみましょう。
この、「アウトプットしてみる」というのは、本当に好きなことかどうか判断する方法でもあります。ブログで書いてみて、それが続くようであれば、あなたは本当に好きなものと出合えたというわけです。
そうすると今度は、自分の好きなことと世間のニーズがマッチしているかどうかも分かるようになります。自分の好きなものや異常なこだわりが身近な友達や同僚には理解してもらえなくても、ネット上にアウトプットしてみたら、たくさんのリアクションがもらえるかもしれません。
今ではすっかり「大衆」という概念が希薄化し、趣味嗜好が多様化しています。たとえば、昔なら「ただのキャンプ好き」で終わっていた人でも、経験から得られた情報を発信してみることで、多くの人におもしろいと思ってもらったり、アウトプットした情報を有益と感じてくれる人がいるのです。
そして、ネットを使ったアウトプットなら、読者やユーザーのリアクションをリアルタイムに把握することが可能です。ニーズがある部分をもっと深掘りしていくと、さらに人気を集めることだってあります。人には誰にでも承認欲求があり、求められると嬉しいもの。自分が好きなことで、なおかつ、求められているものを発信できる。そんな好循環が生まれれば、楽しくないわけがありません。
書いたからといって、すぐにお金や信用に換わるわけではありません。だから、本当に好きなことでないと続きません。途中で投げ出してしまったなら、本当に好きなものではないということです。ここで別に悩んだり、落ち込む必要はありません。他のものを試してみれば良いのです。そう、アウトプットしてみることで、自分が本当に好きかどうか確かめることができるのです。
別のテーマで書いてみて、それでも続かなければまた別のテーマをやってみる。そうやっていろいろと試しているうちに、自分の好きなものに出合うことができるはずです。
言い換えれば、もしすでにブログなどを書いている人がいて、なんだか筆が進まない、いまいちだと思っていたら、今よりも面白そうなことを見つけてみましょう。
「石の上にも三年」ということわざがありますが、好きなことを見つける中では、気にすることはありません。いい意味で、いろいろなテーマを食い散らかしていいのです。アウトプットについては、浮気性でも何ら問題ありません。
「ベーシックインカムが導入されたら、あなたは何をするか」、そして「アウトプットしてみて、1か月以上ムリせず毎日続くのか」。これこそがあなたにとってのリトマス試験紙になるのです。
◉アウトプットは仮説でOK(120ページ)
前項では、私がいかにして最新情報を捉え、かつ自分なりに消化し、一見バラバラの事象を一つの流れとして捉えているのか、その方法論をお伝えしました。
「アップルがサムスンとOLEDパネルの値段交渉をしている」と読んだとたん、少し前に読んだ「LGがOLEDパネルの製造に手間取っている」という記事が自然に頭に浮かぶようになったのです。
このように、事実としてアウトプットするときもあれば、ときに〝仮説〟をアウトプットする場合もあります。しかし、それもまたれっきとしたアウトプットですし、仮説をアウトプットすることがまた、良質なインプットにつながります。私はそんな教訓をブログから得ることができました。
一つの良い例をご紹介しましょう。
エンジニアとして仕事をしている中で、私にはずっと答えの出ない疑問がありました。それは、「なぜ、日本のソフトウェア会社はアメリカに敵わないのか」ということです。
私は、マイクロソフトで働く前はNTTの研究所に在籍し、高校時代からアスキーでソフトウェアの開発に携わってもいました。日本人エンジニアの友人もたくさんいます。アメリカ人エンジニアに比べて日本人エンジニアが劣っているとは思いませんが、世界で見ると日本のソフトウェア業界はやはり「弱い」のです。この謎を、私はマクロ的に知りたくなりました。
最初は、日米の間に技術的な格差があるのだと思っていました。しかし、調べていくと、思いもよらないことが明らかになったのです。
日本でのソフトウェアの作り方がアメリカでのそれとは大きく異なっていること、そして、日本のソフトウェアエンジニアの境遇が悪すぎること。これが、日本のソフトウェアが世界で通用しないことの一番の原因になっているのです。
アメリカのソフトウェアビジネスは、ベンチャー主導型で成長してきました。マイクロソフトにせよ、グーグルやアップルにせよ、この業界を牽引する会社のほとんどが「起業家」によって作られたベンチャー企業です。そういった企業は、基本的に開業資金を起業家本人や家族、知人から集めた〝自己資金〟で賄います。自己資金で会社を立ち上げ、少し軌道に乗ったところでベンチャーキャピタルと呼ばれる投資家から資金を集め、会社をさらに大きくしていくのです。
そこでの政府の役割は、起業家が会社を上場させたときに得る利益(創業者利益)への税率を低く設定して起業家精神を刺激したり、巨大な企業が既得権やマーケットシェアを利用して、ベンチャー企業の市場への進出を不当に妨害したりしないように監視することです。
上場企業ではなく、わざわざベンチャー企業に投資する投資家たちは、ハイリスク・ハイリターンを承知で投資しています。当然ですが、そんな投資家を株主に持つベンチャー企業は、利益率の高い「知識集約型ビジネス」を選ぶことになります。これは、知的所有権など、頭脳が生み出す「価値」そのものに対価を払ってもらうビジネスのことで、マイクロソフトがウィンドウズやオフィスなどで確立した「ソフトウェアライセンス」というビジネスがその典型と言えます。
そんなアメリカのソフトウェアビジネスにおけるエンジニアは、メジャーリーガーのような存在。ストックオプションなどを駆使Dした魅力的な雇用条件で優秀な人材を集め、スポーツ施設や無料のレストラン、一人ひとりに用意された広い個室などの心地良い労働環境を提供し、彼らの生産効率を上げることが、ビジネス上もっとも大切なことの一つです。グーグルやアップルのオフィス空間がさまざまな面で「快適すぎる」という特集を見たことがある方は多いと思いますが、こういった背景もあるのです。
優秀なエンジニアとそうでないエンジニアで、生産効率の差は20倍にもなると言われます。本当の意味での「価値」を生み出せる優秀なエンジニアはごく一部。その違いが給料やストックオプションに直接響いてくるし、優秀な人材は常にライバル会社のヘッドハンティングのターゲットとなります。もちろん、優秀でない人はすぐに解雇されるという、真の意味での「実力社会」でもありますが。
一方、日本におけるソフトウェアビジネスは、銀行と同じく、官僚主導で作られたようなものです。旧郵政省・通産省の主導のもと、「日本のエレクトロニクス産業・IT産業の育成のため」という名目で、海外の企業を締め出してきました。そのかわり、官庁や旧電電公社のような特殊法人が、国内の選ばれた数社からほとんど競争もない形で平等に「調達する」というやり方が、高度経済成長の時期に形作られました。
この官僚主導による「IT産業の育成」が、ある時期にそれなりの経済効果をもたらしたことは否定できない事実です。しかし、一つの大きな弊害を日本のソフトウェア業界にもたらしたことも揺るぎない事実なのです。それが「ITゼネコンビジネスモデル」。「プライムベンダー」と呼ばれる巨大なIT企業が大規模なソフトウェア開発を受注し、実際のプログラミングは「下請け」と呼ばれる中小のソフトウェア企業が行うという、まるで建設業界のような構造ができ上がってしまったのです。
そして、このITゼネコンビジネスモデルは、いくつかの副作用をもたらします。
官庁や公益法人向けの「横並び調達」スタイルのビジネスをすると、どうしてもコスト(コスト)に適度な利益率を上乗せしたものを対価として請求する、労働集約型ビジネスモデルにならざるを得ません。
ソフトウェアの開発スタイルにはさまざまなものがありますが、ITゼネコンビジネスモデルのもとで唯一可能なのは、プライムベンダーが顧客の要求を聞き出し、そこから仕様書を起こして下請けに投げるという、「ウォーターフォール型」の開発スタイルのみ。この型にもそれなりの利点があるものの、やたらと人手と時間がかかってしまいます。
このような性格を持つ日本のIT企業が、海外で通用するわけがないのは当然です。また、この影響が家電などの産業にまで影響を及ぼしました。
ITゼネコンにソフトウェアの開発を外注していたり、内製でありながらウォーターフォール型の労働集約型ビジネスモデルで作る日本のメーカーは、コスト・スピードの両面で海外メーカーに敵わず、iPhoneのような尖った製品も作れません。
ITゼネコン数社を頂点に置いたピラミッド型の日本のIT業界では、アメリカと比べベンチャー企業の立ち上げが難しくなります。ゲームやアプリを作るなら可能ですが、ビジネス向けのソフトウェアを売ろうとすると、ITゼネコン抜きではビジネスができない。結果として、多くのベンチャー企業が労働集約型ビジネスの波に飲み込まれてしまうのです。
そして、もっとも致命的なのは日米におけるソフトウェアエンジニアの扱いの差です。メジャーリーガーのように大切に扱われるアメリカのソフトウェアエンジニアと違い、日本のIT業界のソフトウェアエンジニアは「新3K(キツい・厳しい・帰れない)」などと揶揄されるくらい厳しい労働環境に置かれているのが現状です。
そして、それに拍車をかけているのが、エンジニアの派遣制度です。案件の規模に合わせ、柔軟に人をアサインできるようにと作られたシステムではあるものの、このシステムがさらにソフトウェアエンジニアの地位を低下させているのです。
これは、アスキー時代やマイクロソフト時代には気づかなかったことでした。「なぜ日本のソフトウェア会社はアメリカに敵わないのだろう」と思って調べていくうちにわかってきたことです。こうやって深堀りしていくと、日本がアメリカに敵わない理由、それはエンジニアの技術力や理科系うんぬんの話ではなくなってきます。社会構造や政治の話が複雑に絡んでいるからです。
典型的な理科系だった私は、それまで社会情勢や歴史にあまり興味を持っていませんでした。しかし、原因を調べていくと、歴史だったり、社会の仕組みをあらためて知ることができましたし、社会や歴史、経済などの面白さにも気づいたのです。気になって調べてみると、知らなかった情報がどんどん出てきて、結果的に非常に良いインプットとなりました。
当初の私のブログは、私がもともと興味のあったパソコンやテック系の話題が中心でした。しかし、こういったことをきっかけに、どちらかというと文科系的なこと、つまり歴史や政治への興味が湧くきっかけにもなりました。書くため(アウトプットするため)に調べていったら、いろんな面白いことがわかって、また新しい分野へ興味が広がっていったというわけです。
また、自分ではわかっているつもりでも、実際にアウトプットしてみると「意外とわかっていなかったな」と思う部分がけっこうありました。
特に、書くというアウトプットは、自分が理解していないとうまくいきません。仕事で使う知識であればさらっと理解して終わっていたものが、ブログのために書くとなると、もう一度しっかり読み返さないといけない、といった状況がけっこうあるのです。
文章というものは、文字数制限さえなければいくらでも説明できるものですが、これが短く書くとなると、過不足なく伝えるには、やはり自分がきちんと理解していることが大切になってきます。
その点、アウトプットを続けていけば、何を省いていいかいけないかを、きちんと認識しないといけないため、そこで「課題の本質は何か」ということを抜き出していく技術も培われていくのです。
この話には続きがあります。
「なぜ、日本のソフトウェア会社はアメリカに敵わないのか」という話をブログで書いたところ、コメント欄で読者同士の激しい議論が起こりました。いうなれば、「ポジティブな炎上」です。中には、実際にITゼネコンに勤めるエンジニアの方からのコメントもあり、いくら調べてもネット上には載っていないであろう内情まで知ることができました。また、他の読者から、私のコメントに対する補足や、逆にツッコミを入れてくれる方もいて、結果的に新たな気づきも得ることができました。
ネット上で書いてアウトプットする際には、「100%誤りのない状態に仕上げないとツッコまれたり、炎上したりする」というイメージがあるかもしれません。しかし、「仮説」の状態でアウトプットしても何ら問題ないのです。
きちんと「正しいかどうかはまだわかりませんが」といったエクスキューズを入れておけば、読者とのコミュニケーションによって、私の例のように、仮説を結論に昇華させることも可能になってきます。
ここまでお話ししたことは、今のようにSNS全盛になる以前のことです。現在であれば、もっと活発に議論が進むはずです。
仮説というアウトプットでも、実は仮説をブラッシュアップしたり、結論に導いてくれるフィードバックが返ってくるときがある。そんなお話でした。