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February 2004

鳥インフルエンザ

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 「感染症とたたかう」 岡田晴恵・田代真人共著 岩波新書 

 なまじっかなホラー小説よりずっと背筋が寒くなる本であった。ちょうど読んでいる途中で、山口県で鳥インフルエンザが発生したのも、効果を倍増させた。少し抜粋してみよう、

 最近、中国南部においてトリ由来のインフルエンザウィウルスによるヒトへの感染事例が増加している。…感染症の専門家の間では、大流行の可能性が高まっている兆候であるとの緊張感が広まっている。(56ページ)
  …
 では、トリにおける強毒型と弱毒型ウィルスのちがいは何に起因するのであろうか。…したがって、弱毒型ウィルスは呼吸器や消化管の局所感染にとどまることとなる。それに対して強毒型ウィルスの…このため、強毒型ウィルスはすべての臓器で感染性のあるウィルスが生産され、その結果、全身感染を起こすことができるのである。(59ページ)
  …
 今、スペインかぜと同程度の伝播力と病原性をもつ新型インフルエンザが出現した場合には、地球全体で、同時かつ短期間に集中した大流行が起こり、全人口の25~40%(15~24億人)が感染・発病し、6000万人以上が死亡すると推定される。さらに、先に述べたトリ強毒型ウィルスの場合には致死率が30%を超えることから、最悪のシナリオとして、地球人口の10%近く(5~6億人)が死亡するとの試算もある。(64ページ)

 この本の著者(岡田晴恵氏と田代真人氏)は、それぞれ厚生省国立感染研究所、国立感染症研究所の研究者であるのだが、そんな立場の人たちが、こんなすごいことを淡々と書いているのである。この脅威は、テロの脅威なんかの比じゃない。そんな人類の存続にかかわるようなことを、インフルエンザの研究者たちや、WHOの人たちが背負っているとは、本当に驚きである。

 あまり素人が一般大衆の不安をあおることをこのブログに書いても誤解をまねくだけなので、このくらいにしておこう。もし少しでも興味のある人がいたら、この本を読むことをぜひお勧めする。


金のメイプル・リーフ

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 友人から、クリスマスカードと一緒に送ってきたギフトである。あまりにも美しいく、かつ、繊細なので、見ているだけで「切なく」なる。不思議な感覚だ。どうやって作ったのか分からないが、メープルリーフを処理して葉脈だけを残し、金メッキしたように見える。写真では分かりにくいと思うが、葉脈の細かな網目から向こうが透けて見えるところが、なんとも言えず、はかなく、美しい…


男の料理 鳥と野菜のシチュー

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 昔、19ぐらいのとき、アルバイト先のOLたち(24から30ぐらい)が集まって、「男の料理」という本の話をしていた。私は、てっきり、「(つかまえた)男をどう料理するか」というすごい話をしているのではないかと勘違いしてアセッった、という経験がある。それいらい、「男の料理」の話をすると必ず、この話を思い出す。青春時代の、笑える思い出である。

 上の写真は、たった今、作っているシチュー(というかスープ、どこが違うんだろう?とろみのあるのがシチューかな、それとも具が沢山入っているのがシチューかな?)である。材料は、(左から)適当な大きさに切った鶏のモモ肉(ムネ肉ではおいしくない)、適当な大きさに切った野菜各種(今日は、カブ、にんじん、小さいたまねぎ、マッシュルームを入れた。他のものでもかまわないが、煮くずれやすいブロッコリー、ジャガイモ、さやえんどうなどは、何回も煮返して食べる一人暮らしの人には向かない)、鳥だしのスープ(ここでは缶詰を使っているが、もちろん、鶏がらから取ったほうがおいしい。チキンブイヨンのたぐいも悪くはないが、私はあまり好きではない)。量は、いつも適当だが、鳥肉と野菜のバランスは考えたほうが良いし(野菜が多いほうがおいしい。上の写真参考。)、なべに入りきる量にする必要がある。

 鶏肉をなべの中でまずバターで少し炒め(こうすると良いとどこかに書いてあったのでしているだけで、炒めないとまずくなるかどうかは知らない)、スープ、野菜の順で加えて、中火で煮込む。具の量に対して、スープが足りないときは、水を足す(今日は、コップに3分の1ぐらい足した)。煮立つとアクが出始めるので、それを2-3度取り、弱火にして、しばらくメールを読んだり、ブログをしたりして時間をつぶす。

 30分ぐらい煮込んだ後、味を適当に整える。基本は、塩・コショウであるが、市販のシチューの元などを入れてもよいし、適当にスパイスを入れても良い。初心者は、塩・コショウがお勧めである。なれるまでは、味を見ながら少しずつ入れる。塩を入れすぎたら取り返しがつかないので要注意。


半落ち

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 横山秀夫の「半落ち」をたった今読み終えた。去年の10月ごろだろうか、本屋に山積みになっているこの本を見た妻が、「この本すごく面白いらしいの。早く文庫にならないかしら。」と言ったときから気にかかっていた本である。まだ一度も横山秀夫の本を読んだことがなかったので、ハードブックに手を出す気がしなかったのである。その時は、文庫コーナーに行って、「動機」を買って帰った。まずは、一冊読んでから決めようと思ったのである。

 「動機」はまあまあであった。日本推理作家協会賞をとったらしいが、あまりインパクトのある本ではなかった。確かに警察関係者の内部事情などは良く描かれていたが、全体のトーンがどうも好きではなかった。そうは思いながら、妻がその後も、「半落ち」を気にかけていたことを知っていたので、クリスマスにプレゼントしたのである。そんなわけで、この本は2004年に私が読む、最初の小説となったのである。

 「半落ち」を読んだ感想だが、確かにベストセラーになるだけあって、しっかりと書き込まれている。警察関係者だけではなく、検事、弁護士などの内部事情を、業界だけで通じる「全落ち」、「ボス弁」などの業界用語をちりばめて行くあたりは、筆者の(良い意味でも悪い意味でも)こだわりが良く見えてくる。ただ机の前でワープロをたたくだけではこの本は書けない。良い意味とは、「臨場感」であり、悪い意味とは、「小説の本当の面白さはそこなの?」という意味である。あまりに、技巧的すぎると、筆者の「業界用語をちりばめて臨場感をだしてやろう」という意図がミエミエになり、興ざめしてしまう。そんな意味で、これは両刃の刃である。

 全体のトーンは、「動機」ととてもよく似ている。この作者は、登場人物の感情の動きを徹底的に書き込むのが好きである。読んでいると、全ての登場人物の行動が、手に取るように分かり、納得できてしまう。読んでいると、なぜまともな人たちの間でも、誤解や争いが生じてしまうかが、悲しいほどに分かってしまう。この作者が物書きになったのは、こういった人間たちの心の動きを描くのが楽しくてしょうがないからではないかと思う。

 私自身は、この手のトーンはあまり好きでない。ウェットすぎるとでもいうのだろうか、どうも、一人一人の心の動きをことこまかに書いた小説は好きになれない。昔、古典の時間に、日本の詩には、「抒情詩」と「叙述詩」という2つのスタイルがあると習った覚えがあるが、横山秀夫の小説は、圧倒的に「抒情型」である。私は、どちらかと言うと、物事や事件だけを淡々が書かれている文中に、登場人物の感情が自然と読み取れてくる形の、「叙述型」が好きである。

 ミステリーとしての構成は、良く出来ていると思う。読者を答えに導く鍵は、まともな読者の目にはきちっととまるような形で提示されているし、読者を納得させる仕組みも、(これも、ロジックでというより、感情でだが)良く出来ている。

 全体の感想としては、「優秀作」である。小説家として、「臨場感」を出し、と「登場人物の心の動き」を書き込むのに秀でた、横山秀樹の自信作であり、そういった技巧の分に関しては、ほぼ完璧である。非常に読みやすく、次々にページをめくらせ、あっという間に読み終わらせてしまう、ベストセラーとしての特質は100%持っている。読者を感動させる仕組みもちゃんと持っている。30万部突破も納得である。

 ただし、どこかに不満が残る。はっきりとは言えないのだが、どうも「作られたベストセラー」のような部分が気に食わないのである。これは、宮部の最近の小説(「理由」や「模倣犯」)にも感じられることである。ひょっとして、編集者が(こうしたら売れます、ああしたら売れます、と)色々と口を出しすぎているのではないだろうか?それにくらべ、宮部の初期の小説、「龍は眠る」や「レベル7」は本当に良かった。あんな「熱き」小説がまた読みたい。


個室露天風呂からの初日の出

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 今年の正月は、個室露天風呂付きの宿(湯河原の眺望山荘)で正月を迎えた。温泉が好きな人は、ぜひ個室露天風呂付きの宿を試すべきである。温泉宿に行くと、一日に3度も4度も入るのが常だが、個室露天風呂だと、それが6度も7度にもなる。特に私のようにカラスの行水タイプの人間には、格別である。ほとんど顔をあらうような感覚でお風呂に入れるのがすばらしい。実際に、朝起きて顔を洗うかわりに入ったり、テレビを見ながらコマーシャルの間に入ったりした。

 この写真は、露天風呂から初日の出を長男と見ながら撮った写真である(SH505i)。アングル的には水平線から上がるところが見える絶好の場所だったが、あいにく海から朝霧が立ち上ってしまい、実際には朝霧からの初日の出となってしまった。しかし、すばらしい「御来光」であった。

 アメリカ人は、クリスマスはやたらと大騒ぎするが、正月はほとんどなにもしない。1月1日が休みで、2日から通常営業である。初日の出を拝んだりもしない。やはり、正月は日本で過ごすに限る。


解放厳禁

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 これも、SH505i で撮った写真である。いつでも開けっ放しになったゲートの「解放厳禁」の文字が輝いている。

 近所のマンションの入り口(人も車も通る)のゲート(手動)だが、通るたびにいちいち開け閉めするのは見るからに不便である。まず第一に、人も車も両方このゲートを通らねばならないのが問題である。たぶん100人以上の住む中規模マンションなので、朝などは少なくとも2-3分に一人が通ると思われる。そんな状況で、いちいちゲートを開け閉めするように頼んだところで、誰もするわけが無い。それに加え、このゲートの前の道は間口の狭い一通の道で、一通の入り口には消防署がある。そんなゲートの前で、道をブロックして車を止め、、車を降りて、ゲートを開けて、車に戻って、車を動かして、などしている間に消防車が来たらどうするのだろう。


変な道路標識

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 携帯電話のソフトウェアのの会社を経営している私が、普段(米国で)仕事をしているときにケイタイを持って歩かないのに、日本に出張中は、楽しそうにケイタイを持って歩いて、メールを送ったり、写真を撮ったりしていることは、弊社の社員(ほとんどがアメリカ人)には評判が悪い。こちらのケイタイももう少し楽しくなったら持って歩こうと思っている。

 ちなみに、この写真は、日本に出張中に家(家族は日本である)の近所で、犬と散歩中に撮った写真である。歩いているときは道路標識などは見ないのだが、なぜかこのときは目に止まったのである。嫁さんが髪型を変えても気がつかないぐらい注意力が散漫なのに、なんでこんなものに気がついたのかは分からないが、気がついてしまった。

 写真を見てもらえば分かるとおり、「直進と右折が可能」と指示されているが、実際には T 字路である。横の道は一通なので、右折のみが正しい。どうしてこんなことになってしまったのかは分からないが、道の入り組んだ世田谷区であるから、どこかと間違って取り付けてしまったのだろう。

 誰かと一緒にあるいていたら、結構笑ったと思うのだが、一人(正確には犬と私)では笑えないものである。そこで、ケイタイ(SH505i)を取り出して証拠写真として撮ったのが、この写真である。


年頭のご挨拶

 去年の中ごろから、仕事関係でブログを書き始めたが、スパムを受けてからすっかりご無沙汰である。今年からは、Typepad に移し、少しまじめに取り組んでみようと思う。年度の初めによくある、3日しかもたない「新年の決意」でなければよいのだがと思いつつ、最初のエントリーを書いているところである。

 今回は、より仕事よりのもの(英語)と、より個人的なもの(日本語)を分けて書くことにした。こちらは、もちろん日本語版のものである。

 ブログを続けるこつは、あまり一つのエントリーに時間をかけず、こまめに気楽に書くことだと思う。と言うわけで、今回はここまで。私の自己紹介などはぼちぼちとしようと思う。