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サンタ・クララ大学

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 「サンタ・クララ大学は右折」の道路標識に従って曲がったその瞬間、「間違った!」と思った。美しく刈りそろえられた芝生、道にそって植えられた椰子の木、その間に見える「あずまや」と、レンガ色の屋根の美しい建物。どう見ても、アリゾナかパーム・スプリングあたりのリゾート・ホテルである。

 説明会の時間より一時間ほど早く来てしまったので、地図をもらって「セルフ・ツアー」をしたが、学校内のあらゆる建物が一つの統一されたデザインで作られている。学校と言えば、何年もかけて建物を建てていくため、建築様式の異なる建物がならんでしまうのが普通だが、いったいどうやって建てているのか不思議である。庭も、隅々まで手入れの行き届いた、まさにリゾート・ホテルなみのクウォリティが保たれている。

 仕事では何度も足を運んだシリコン・バレーだが、その真ん中に、こんな美しいところがあったとは驚きである。インターネットバブルの時代には、地価だけでも天文学的な数字になっただろうに、そのバブルの被害に合わなかったのは幸いである。まさに、「都会のオアシス」とはこの大学のことである。


同じ週に2回の駐車違反

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 先週は、4日で5つの大学を見学したが、その間になんと、2回も駐車違反の切符を切られてしまった。駐車違反のチケットは何度かもらったことがあるが、同じ週に2度は始めてである。

 最初は、クライアント・マッケナーで、許可が必要とは知らずに学校の駐車場に車を置き、見学をして戻ってみると駐車違反の切符(50ドルの罰金)がワイパーに挟んであった。明確な表示もなく、あたかも自由にとめて良いかのように見えたので、いささかショックであった。

 二度目はスタンフォードで、勝手が分からずとめたコインパーキングに払った分を5分超過して戻ると、駐車違反の切符(35ドルの罰金)がやはりワイパーに挟まれていた。5分ぐらいカンベンしてくれれば良さそうなものだが、パーキングメーターを見ると、何分超過したかは表示されていない。つまり、係りの人が運悪くその5分の間に来ただけのようである。

 「レンタカーだし、破棄してしまおう」とも思ったのだが、万が一、息子の受験に影響が出ても困るので、払うことにした。受験生の親はつらい。

 ちなみに、シアトルに戻って郵送で罰金を払おうとチケットを見ると、クライアント・マッケナーの方には、「事務所に来て払うように」とあり、郵送での罰金の支払い方が書いていない。そこで、学校に電話してみると、「それは学生や学校の関係者が許可無く駐車することを禁止するためのもので、州外からのビジターの方なら破棄していただいて結構です」とのことである。残念ながら、スタンフォードで切られた駐車違反のチケットは、サンタ・クララ郡の保安官の発行したもので、郵送での支払い方もきちんと書いてあるし、交渉の余地はなさそうだ。


クレアモント・マッケナー

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 大学見学2校めは、UCLAとは対照的な、小規模な Liberary Arts School (日本語でなんと訳してよいのか分からない)である、クレアモント・マッケナーを見てきた。はっきり言って感動したし、こんな教育環境が与えられているアメリカの学生がとても、うらやましいと思った。UCLAと私の母校(早稲田)では、対した差は無いと思ったが、ここにははっきり言って脱帽である。こんな学校を出たアメリカ人たちに、大学で遊んでばかりいた日本人が社会に出てかなうわけが無い。

 まずもって、説明員がすばらしい。学生にもかかわらず、理路整然と人前で話すのに慣れているし、こちらが聞きたい点をきちっと丁寧に話してくれる。UCLAの説明員とここの説明員が、私の会社に就職面接に来たら、間違いなくこちらの学生を取る。個人差とも言えるかも知れないが、人前で社会人として話す、というしっかりした訓練を受けていることは明確である。

 次に気に入ったのが、システムである。クレアモント・マッケナーは、学生数わずか1000人のとても小さな大学であるが、全部で5つの同じような規模の大学が同じ敷地の中にあり、スポーツ施設などを共有し、中規模大学の利点も有していることである。選択科目は自由に他の大学から取れるし、メジャーも他の大学から選択もできる。ある意味で、UCLAよりも自由度が高い。ちなみに、学生寮は4年間保障されており、97%の学生が、4年間寮で生活するとのことである。

 最も気に入ったのが、この学校の「社会ですぐに通用する学生を育てよう」という態度である。夏休みのインターンシップは、1年生からどんどん行かせるし、ワシントンDCの会社もしくは政府の機関でインターンとして一学期を過ごし単位をもらえるというシステムもある。社会人を招待してのレクチャー・ディナーは週4回もあり(自由参加)、チェコの元大統領だとか、レイトショーの司会で有名なジェイ・レノなどを読んでレクチャーをしてもらうのである。基本的に学生優先で、先着7名はゲストと同じテーブルに座って食事をするし、質疑応答も、原則的に学生優先である。

 学費は、親の収入によって変わるそうだが、平均して年1万ドル、寮・教材費・旅費などを入れると年4万ドル(400万円強)の出費は覚悟するべきとのことである。これだけでも驚きだが、学校側が学生一人当たりにかける教育費は実際には一年10万ドル(1000万円強)だというからすごい。その差額は、卒業生や親からの寄付で成り立っているというのだから、本当にうらやましい環境である。

 卒業後が約半分の生徒が大学院に、残りが就職するそうだ。しかし、就職した生徒も、大半は学費のローンを返した後大学院に進むそうである。就職先は、(米国で最も高給取りといわれる)投資銀行、会計事務所などが多いそうである。医学の道に進む生徒も多く(アメリカでは大学卒業後、メディカル・スクールに行って医者になる勉強をする)、合格率 97% を誇るとのことだ。

 対照的な大規模公立大学の代表であるUCLAを見たすぐ後だったので余計感じるのかも知れないが、本当にこの学校には感心した。まだこれが、クレアモント・マッケナー一校にかぎったすばらしさなのか、小規模な Liberal Arts School に共通するものなのかは分からないが、良い勉強にはなった。今後の大学見学が楽しみである。


UCLA

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 今週は、息子(高校2年)と大学見学でカルフォルニアに来ている。親としては、評判の良い東海岸の学校を見て欲しいところだが、まずは手近な西海岸の学校からということにした。一番最初はありきたりだが UCLA を見た。確かに、「太陽の州」カルフォルニアを代表する州立大学だけあって、いかにも楽しそうで、パーティ・スクールの異名をとるのも分かる。さすがに3月なので、ビキニで芝生に寝転がる学生はいないが、皆Tシャツかタンクトップで、太陽を目いっぱい楽しんでいる感じだ。

 学生が二人説明員が付くツアーに参加したが、あまり賢そうではない。色々と学校の自慢をするのだが、それが「もしUCLAが独立国家だったら、世界で7番目に多くオリンピック選手を出している」とか、「UC全校をあわせたライブラリのシステムは、政府のシステムについで、米国で2番目に大きい。」など、とかく規模を自慢するもので、あまり感心できない。

 UCLAは、全部で9つあるカルフォルニア州立大学の一つで(他に UC Berkley、UC Riverside などがある)、学部の学生が約2万6千人、大学院の学生が約1万1千人いるマンモス大学である。その意味では、早稲田とか日大のような雰囲気があり、日本から来る学生には親しみやすい部分もあるかもしれない。

 学生寮は1、2年生の分(つまり約1万3千人分)は用意されているが、3、4年生は、自分でアパートなりを探す必要がある。規模が大きすぎて、どうも全体像を把握しにくい。

 UCLA は、"Letter and Science" という一般教養学部(とは言っても、数学や物理などの理数系の学科も含む)と、工学、演劇、などの専門学部とに分かれており、それは入学時に選択しなければならない。実際のメジャー(日本で言う学科に相当するもの)は3年生で選べば良いのだが、学部をまたいではメジャーの選考は出来ない。学部を移動することは、可能ではあるが、一般教養学部から工学部への移動は非常に難しいそうである。説明員はたまたま一般教養学部の学生であったが(90%ぐらいが一般教養学部なので、確率は高い)、「遊ぶなら一般教養学部」というメッセージが伝わってきた。ここまで、早稲田にとても似ている。

 競争率は、毎年4倍程度であり、州内からの学生が94%、州外からが5%、国外からが1%ぐらいの比率だそうだ。GPA(高校の成績を反映した内申書)は、州内の学生の場合は、「どの高校から」というのを含めて評価するが、州外からの生徒の場合は、絶対値のみを見るそうだ。つまり、州外・国外の学生の場合、レベルの高い高校に行っていると損をすることになる。

 学費は、州内の学生の場合、年約5000ドル、州外の場合、年約15000ドルだそうだ。それ以外に、教科書、学生寮、食事の費用などがかかる。


桜餅の食べ方について

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 ここの所、妻は「鶴屋吉信」の桜餅にハマっている(これも息子から教わった現代用語、「とても気に入っている」、「凝っている」などの意味)。確かにうまい。今まで、柏餅と桜餅がならんでいたら必ず柏餅を選んできた私だが、今度から、「鶴屋吉信」なら桜餅、そうでなければ柏餅、という行動に出るかも知れないぐらい、ここの桜餅はうまい。もち米の一つ一つがまだ分かるぐらいに軽くついただけの餅の食感が絶妙である。

 ちなみに、私は、まだ桜餅は初心者なので、ついつい(柏餅と同じように)葉っぱをはずして食べてしまうのだが、妻によれば、「葉っぱのしょっぱさと、餡の甘さの取り合わせが絶妙」だそうで、葉っぱごと食べるのが「常識」だそうだ。私は、食べ方に関しては、彼女が正しいとは思うのだが、これが「常識」(=一般社会人の大半の人が知っていること)だとはどうも思えないのだがどうだろうか。このように、夫婦で「常識」の認識が異なった場合、サンプルの母集団が小さすぎ(たった二人)、何が常識かの判断が付けられず、結論が出ないのが常である。今度、誰かと桜餅を一緒に食べる機会があったら、ぜひ注意深く観察して見たいものである。次に日本に行ったときに、誰かのところにわざわざ手土産で持って行こうかと思う。でも、「シアトルから来た中島です。つまらないものですが、お受け取りください」と桜餅を差し出すのはあまりに変だ…


スクエニによる UIE の買収

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 このブログには、あまり直接仕事のことばかり書くまいと気をつけてきたのだが、これは私の会社(UIEvolution)にとっては大ニュースなので、書いておくことにする。写真は日本経済新聞の2004年3月19日付けの記事だ。守秘義務契約もあるしスクエニは上場企業なのでインサイダー情報を流すわけにもいかないので、詳しい経緯は書けないのが残念であるが、当事者から見ると、まるで小説のような展開で、昨年末の投資決定、そして今回の買収と話が進んだ。弊社の営業のトップのルー・グレーが、この買収劇を評して、「(2つの会社の間に)いつのまにか深い関係ができてしまい、結婚するしかなくなった」と言ったがまさにそうであった。

 私は、「一般の人には、『なぜ、ゲーム会社がソフトウェア会社を?』と写るかも知れないが、この買収は、コムキャストによるディズニーの買収劇にならぶ、『21世紀のデジタル・コンテンツの覇者となるのは誰か?』という戦いの序盤戦だ。一億人の人々に僕らが作ったソフトウェアが使われる時代も近い!」と社員の前で平気で言えるぐらい楽観的で超「自己中」(息子に教わったのだが、「自己中」は「自己中心的な人」の省略形)である。そんなえらそうなことを言いながら、ここ数日は N900i に搭載されていたドラクエで必死に遊んでいるのだから、どちらが本当の自分だか時々分からなくなる。


小籠包

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 初めて小籠包を食べたのは、わずか10年前ぐらいのことであるが、本当に感動した。数ある点心の中で、ダントツで好きな食べ物である。それ以来、中華料理屋でメニューに小籠包を見つけると必ずと言っていいほど注文するのだが、スープが漏れてしまったり、皮が厚すぎたり、具が重過ぎたり、と中々欠点のない小籠包を作れる店には出会えない。たぶん、餃子とかシュウマイとかと違って、作るのがとても難しいのだろう。そんな中で、ここに行けばいつでも確実においしい小籠包が食べられる、という店がディン・タイ・フォン(新宿高島屋10階)である。スープのいっぱいに詰まった皮うすの小籠包を丸ごと口に入れる瞬間は、まさに「至福の時」である。

 この店の欠点は、「やたらと混んでいる」ことである。平日の昼間でも30分から1時間待ちは当たり前である。昼時に行くなら、待ち時間も合わせて2時間は覚悟しておいたほうが良い。

 ちなみに、麺類はお勧めしない。日本のラーメン屋の競争で洗練された麺と比べるとコシが無くて情けないし、本格中華の熟成麺でもない、という中途半端な麺である。セットメニューなら炒飯とのセットがお勧めである。


新しい携帯電話の使い勝手が…

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 ドコモの N900i を買った。そろそろ au に切り替え時のような気もするけれども、一度は FOMA を体験しなければいけないと思い、N900i にした。PでもFでもなく、Nにしたのは、「ドラゴン・クエスト(ドラクエ)」である。これから色んなプロジェクトでスクエニと組んで行くので、どのくらいの機能を期待されているのかを見る必要がある。「ファイナル・ファンタジー(FF)」の乗っている P900i でも良かったのだが、FFよりはドラクエになじみが無いので、あえてこちらにした。

 まず、何と言ってもアンテナが突き出ていないのが良い。今までの携帯(SH505i、P504i)は、突き出たアンテナのために、ポケットから取り出すのが一苦労であった(おかげで何度もかかってきた電話を取り損ねた)が、この形だと、スルッと取り出せる。もう、二度とアンテナが突き出た形の携帯は持ちたくないと思うぐらいだ。

 使い勝手(ユーザーインターフェイス)は、SH505i や P504i と比べてかなり悪い。設計者は、「機能が多いから仕方が無い」と言い分けをするかもしれないが、かなり基本操作に近い部分に欠点が目立つ。最悪なのは、携帯電話で最も重要な電話帳。SH505i は、電話帳を選ぶといきなり電話帳に行けたが(1クリック)、N900i は、まず「電話帳機能」メニュー画面になり、そこから、「電話帳検索」を選び、「名前検索」を選び、次に(発見するのが難しいのだが)上下ボタンで全件を選んで、初めて全件を表示した電話帳が開く。ここまで5クリック必要である。その上、この電話帳は SH505i のように「あ行、か行、…」とグループ分けされてないので、非常に使い勝手が悪い。

 カメラの使い勝手も、また非常に悪い。SH505i のように一発起動ではなく、まず「実行ボタン」を押し(すると画面上のカメラアイコンが選ばれる)、再度「実行ボタン」を押してカメラを選択すると(一つしかアイコンが無いのに、なぜそれを「選択」しなければならないのか不明)、「カメラ機能」メニューになり、そこから「フォトモード」を選んで始めて撮影が可能になる。ここまで4クリック必要である。その上ひどいのは、前回指定したの撮影サイズ・保存サイズを覚えてくれていないので、このブログ用に QVGA モードで撮るためには、毎回設定しなおさなければならず、実際に撮影準備が整うまで18クリックもかかる。これでは、シャッターチャンスと思った時に「気軽にパシャッと」は撮れない。せっかくの「カメラ付き携帯」の良さが台無しである。

 ちなみに、色々と試している間、実行キーを押しているにもかかわらず認識しえもらえないケースが何度もあった。調べてみるとN900iには「ニューロ・ポインター」という実行ボタンをマウスのように使える機能がついているのだ。その機能が、実行ボタンを押そうとしたときに、勝手に働いてしまうために起こる問題である。色々と試してみたが、「百害あって一利なし」の機能と判断して、機能をOFFにした。典型的な、「目新しいので差別化のために入れてみたらかえって使い勝手が悪くなってしまった」ケースである。

 まだ一日しか使っていないが、N900i の使い勝手は「非常に悪い」としか評価のしようがない。はっきり言って、「こんな携帯は使っていられない」ぐらい悪い。10点満点で3点ぐらいである。N900iを使ってみて、初めて SH505i の使い勝手の良さが認識できた(あちらは9点)。次に日本に来たときに(このブログは成田エクスプレスの中で書いている) SH505i に戻す方が良いのでは、と真剣に思うほどである。


スクエニの福嶋さん

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 昨日は、スクエニ(Square-Enix)の会長の福嶋さんと食事に行った。「人と同じことをしていては駄目」というのを絵に描いたようなユニークな人物である。「僕は自分が嫌いなんです」と言いながら、とても楽しそうに「この列のお酒全部持ってきて」という調子で、お酒を飲んでいました。「1年後・2年後のことが心配で、安心を得ようとがんばっているうちにこうなった」といっている福嶋さんが好きなのはギャンブル。でも、「僕は石橋をたたいても渡らないほど慎重なタイプなんです」と、一見矛盾だらけのことを言っていながら、本人の中ではつじつまがあっている様に見えて妙に納得できてしまうところが不思議である。


特許問題に関して一言

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 青色ダイオードを初めとする最近の特許訴訟に関して、アメリカのハイテク企業(マイクロソフト)で、実際に幾つも特許を申請してきた研究者としていろいろと言いたいことがある。

 まず第一に、あの200億円というでたらめな判決である。確かに、日亜化学工業が青色ダイオードによって得た利益はその数倍だったかも知れないが、ある「発明」を「利益」に結びつけるためには、それがどんなにすばらしい発明だったとしても、誰かがそれ相応のリスクを追って人と資金をつぎ込み、「利益を生み出すビジネス」にしなければならない。このケースでは、会社側が100%のビジネスリスクを追っており、その部分の投資に対する見返りが全く考慮されていないのが大きな問題である。

 仮に、中村修二氏が、シリコン・バレーでベンチャー企業を起こして青色ダイオードを発明していたと過程しても、創業者利益として200億円を得ることが出来たかどうか、疑問である。運良く理解のある投資家が見つかり、初期の研究資金を出してもらったとしても、その時点で会社の40-60%は投資家に持っていかれる(dilution-希釈-と呼ぶ)。「投資」というリスクを負ってもらうのだから当然である。青色ダイオード完成後も、経営者と営業の人員を雇い、ビジネスとして成立させるにはさらなる資金調達が必要で、その時点では中村氏の持分はたぶん20-25%ぐらいになっているだろう。会社を上場させる時点ではさらに中村氏の持分は減り、上場時には15%ぐらいと考えるのが妥当である。上場時の時価総額が200億円だった場合、中村氏の持分は30億円相当である。時価総額が1000億円という値を付けて、やっと150億円というお金が中村氏に入ることになる。

 しかも、これは中村氏が、いつ倒産してもおかしくないベンチャー企業に何年も身を置くという大きなリスクを負い、かつ最初の時点では経営者としての責任も追って、のことである。ある統計によると、ベンチャー企業で投資家から投資を受けることができた企業のうち上場までこぎつけるのは、5社に1社という確率だそうだ。その前に倒産したり、大きな企業に吸収されてしまう可能性のほうがずっと高いのである。それだけのリスクを追って、ベンチャー企業の創設者が上場により得ることが出来る利益は、10億円前後というのが一般的な相場である(ビル・ゲーツが巨額の富を築いたのは、上場後に経営者としての手腕を発揮してマイクロソフトをここまで大きくしたからであり、上場時点での財産は今よりずっと小さかったことを忘れてはいけない)。

 日亜化学工業が全ての投資リスクを追い、中村氏は(終身雇用の職を持ち)リスクをほとんど追わなかったし経営にも参加しなかったことを考慮すると、どうして200億円などという高い判決になったのか理解できない。幾らが適切か、という質問に答えるのは難しいが、普通に考えて10億程度、青色ダイオードという特殊性を考えても、高々20億から30億というのが妥当ではないだろうか?

 第二の問題は不十分・不正確な情報で大衆を混乱させる無責任な報道である。「アメリカでは発明に対してきちっと対価を払っている」、「アメリカの企業が特許に対して与える報酬は、通常数十万円である」、「ベンチャー企業の起業家は上場で何億という上場益を得るのがあたりまえ」、「アメリカにはストックオプションという制度があり、企業に働く研究者にも利益配分がされる仕組みが出来ている」だとかいう言葉が、前後の脈絡も無く流されるものだから、混乱のきわみである。きちんと理解している人は、マスコミの中にもほとんどいないのではないだろうか?

 そこで、「ハイテク企業の技術者として幾つも特許を申請した」経験のある私自身が、マイクロソフトを例にとってアメリカのハイテク企業のシステムがどうなっているか正確に説明しよう。

(1)特許の権利
 マイクロソフト本社に入社する第一日目に、人事部の人から3種類のの契約書を渡された。1つ目が機密保持契約書、2つ目が non-compete agreement (退社後1年間は他社の競合部門では働きません、という誓約書)、3つ目が特許を含む知的財産に関する契約書であった。この3つ目の契約書には、マイクロソフトに勤めている限り、会社にいる間であろうと家にいる時であろうと全ての発明・創作物をマイクロソフトに譲ること、もし日常の業務に関係の無い(つまりマイクロソフトに譲り渡したくない)発明・創作活動にかかわる場合は、上司の許可を書面にて取ること、と記してあった。この3種類の契約書にサインして、初めてマイクロソフト社員として認められるのである。この契約書のどれ一つ拒否しても、採用はしてもらえない。

(2)発明の対価、特許申請の対価
 ここに大きな誤解があるのだが、まず、「発明」と「特許申請」をきちっと区別して認識する必要がある。企業の研究者は、日々さまざまな発明・創作活動をするものだが、そのうち、特許申請をする対象になるものはごく一部である。通常は、ビジネスをしていく上で特許として申請することがプラスになる物のみを選択して申請する。その場合、最も重要なのは発明そのものであり、特許の申請手続きそのものではない。よって、大半の対価は発明(およびそれに付随する製品開発、販売活動、経営活動)に対する対価であり、それは給料・ボーナス・ストックオプションなど色々な形で払われる。中村氏のような world-class の研究者に対しては、給料・ボーナスはもちろんのこと、数千億円もしくは数億円分のストックオプション(つまり数億円相当の株を現在の価格で未来に買う権利)を与えて、会社の実績に応じて多額の差額益が出るようにするのがアメリカの企業であれば当然である(逆に言えば、そうしなければ優秀な人材は雇えない)。当然、オプションであるので、会社の株価が全く上がらなければ一銭にもならないが、もし株が10%上がれば数千万円、倍にでもなれば数億円の収入になるので社員もやる気になる。そこが狙いであり、ストックオプション制度が正式には incentive stock option plan と呼ばれるゆえんである(incentive = やる気)。
 それに対して、「特許の申請手続き」に対する報償は微々たるものである。私もマイクロソフトで十数件の特許申請にかかわったが、一件当たり1000ドル(10万円強)の報奨金が出ただけである。この報奨金は、決して「発明」そのものに対する対価ではなく、「忙しい日々の研究開発から離れて、会社のために特許申請をする」という、特許一件あたり数時間弁護士と過ごす「余分な作業」に対する対価である。であるから、この報奨金の額は、会社にとってどんなに重要な特許であれ、一律1000ドルであった。ここを理解せずに、「アメリカの企業が特許に対して与える報酬は、通常数十万円である」などと報道するマスコミがいるものだから、大きな誤解を招くのである。

 ここで日本の企業がどうすべきということをあれこれ言うつもりはない。(壊れつつあるとはいえ)終身雇用・年功序列・横並び給料という雇用制度、契約書に頼らないという慣習、未整備なストックオプション制度、人材・資金の両方の工面が難しいベンチャー企業経営、などなど日本独自の状況が多々あり、アメリカの制度をそのまま持ってくることは当然不可能である。

 先日読んだ本に、日本人とアメリカ人のすれ違うさまは、まるで別のスポーツを同じフィールドで戦っているようなものだと評してあった。言いえて妙である。英米国が定めたルールの資本主義経済というスポーツを戦う限り、国内だけで通じる日本独自のルールを通そうとすると、色々とひずみが生じる。この特許権問題も、そのひずみの結果である。