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UIA: ペンシルバニア駅

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 私は商売柄か、街角を歩いていても「これは使いやすい」、「この表示は分かりにくい」など、色々なものの使い勝手・ユーザーインターフェイスが気になってしかたがない。そこでブログ内の新企画として、"User Interface is Art" (略して:UIA)シリーズを始めようと思う。これはその第一弾である。

 これは、荷物と家族を抱え、アメリカで初めて乗る列車に胸を躍らせて、ニューヨークのペンシルバニア駅に入った私を待ち受けていた案内標識である。"Ticket・Train" という方に行きたいのだが、この標識を見て迷ってしまった。この矢印は、(写真の左の)柱を左に見ながらまっすぐ進めと言う意味だろうか、それとも、柱の手前を左に進むべきだろうか?はっきり言ってあいまいである。思い切って柱の手前を左に行ってみると、心配したとおり間違っており、100メートルほど戻らねばならなかった。幸い電車には乗り遅れなかったが、さっそうと前を歩く父の威厳が台無しである。

 このケース(柱を左に見てまっすぐ行くべきケース)で言えば、矢印の方向を少し変えるだけで(11時がベストだが12時でもOK)、あいまいさが消える。逆に、柱の手前を左に進むべきなら、表示する場所をもっと左にして、矢印がちょうど柱の真上に来るように書くべきである。一見小さな問題のように思えるかも知れないが、たぶん、毎日何千人もの人が始めて訪れるであろうこの手の場所の案内標識は、もう少し気を使って描いて欲しいものである。


ボストンの町並みとファースト・フード

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 今回、ボストンに初めて行ったのだが、町並みの綺麗さに驚いた。ヨーロッパ調の建物を丁寧に保存して使っているのにも驚いたが、テンポが看板などで町並みを乱さないようにしっかりと規制しているのがえらい。マクドナルド、ダンキン・ドーナッツ、セブン・イレブンなどの看板の色合いが、町並みに合うように変更されているのである。 


ボストンの大道芸人

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 これは、先日ボストンに行ったときに、散歩中に見かけた大道芸人の芸である。芸(ジャクリング)は特に驚くほどのものではなかったが、とぼけたしぐさと観客とのやりとりがけっこう笑えた。写真は、その場でアシスタントとして抜擢された妻(後姿ながら、このブログ初登場)である。


ナイキとオリンピック

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 私は、決してナイキの商品のファンではないが(考えてみたが、私自身は一つもナイキの製品を持っていないようだ)、ナイキのマーケティング戦略は大好きである。タイガー・ウッズと契約し、一気にゴルフ業界に乗り込んでいったさまは、本当に見事であった。今回のオリンピックも、もちろんナイキとしては見逃すことの出来ないマーケティングのチャンスである。

 この写真は、たまたま立ち寄ったナイキ・タウンの入り口に置かれた、オリンピックにあわせたディスプレーである。そのあまりのナイキらしさに、つくづく見とれてしまった。ブランド戦略には、アイデンティティ(一目でそれと分かる特徴)が重要というが、ナイキのアイデンティティは際立っている。ナイキのマーケティング担当者に脱帽。


ユビキタス羊[3] ソフトウェアはサービス

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これは、このブログを利用して執筆中の「ユビキタス・コンピューターは電気羊の夢を見るか」の第3章である。以前の章は、以下のリンクからアクセス可能である。
 1.まえがき
 2.「端末は窓」の意味

 私がまだマイクロソフトにいた98年ごろ、私も含めたインターネット最前線にいた人々の口癖は “Software is Service” (直訳は、「ソフトウェアはサービス」であるが、「ソフトウェア・ビジネスはサービス・ビジネス」と言った方がより明確であろう)であった。今までの、「Microsoft Office△△を○○円で買ってもらい、その2年後に新しいバージョンへのアップグレードを◇◇円でしてもらう」という「売り切り」型のソフトウェア・ビジネスから、「Microsoft Office サービス」に月々○○円で加入してもらう(そして新しい機能は逐一追加していく)、というサービス・ビジネスへの変換をすべき時が来ていた。

 その背景には、2つの重要な要素があった。マイクロソフト・オフィスそのものの問題と、インターネットという新しいプラットフォームの脅威である。

 マイクロソフト・オフィスは、98年当時ですでに大半のユーザにとって十分すぎる機能を持っており、新しいバージョンを出しても既存のユーザーがお金を出してまでアップグレードしてくれないという状態にあった。その状況は、2004年の現在でもいっさい解消しておらず、ユーザーの多くが、古いバージョンのオフィスをパソコンを交換するまで使い続けている。その売り方ゆえに、小まめなアップデートをユーザーに提供する道がなく、プロダクトの進化も2・3年に一度と非常に遅いものとなってしまっている。ビジネスモデルを月額課金のサービスモデルに変更することにより、ユーザーの意見をすばやく反映した改良を小まめに提供していくことが可能になり、それによりユーザーのより強い抱え込みがしたかったのである。

 インターネットというテクノロジーが、マイクロソフトのウィンドウズ・ビジネスを脅かすほどのプラットフォームになりうることを最初に言い出したのはネットスケープという会社である。95年に書かれた、”Netscape One” という文書には、全てのアプリケーションをサーバー側からブラウザーを通して提供するウェブ・アプリケーションという構想が明確に書かれてあった。それにより、ユーザーをアプリケーションのインストールやアップグレードの苦役や、特定のOSの乗ったマシンを選ばねばならないという呪縛(つまりマイクロソフトの呪縛)から開放することが出来る、というのである。技術的には、正しくかつ革新的なことを言っており、マイクロソフトにいた私ですら関心してしまったほどの文書であった。(この「宣戦布告」にマイクロソフトが黙っている訳がなく、有名な「ブラウザー戦争」が95年に始まったのだが、その話は別の機会に書こう)。

 このインターネットの脅威に対しては、マイクロソフトは、インターネットとマイクロソフトの基幹ソフト(OSやブラウザーなど)を組み合わせたものをインターネット時代のプラットフォームとして提案することにより対応してきた。その新しい時代のビジネス・モデルは、従来の「売り切り」型のビジネスではなく、eBay や Amazon が提供しているようなサービス型のビジネスにであるべきことは、すでに見えており、そこでの先駆者になりたいという思いがあったのである。

 ただし、この「ソフトウェア・ビジネスはサービス・ビジネス」という考え方を突き詰めていくと、マイクロソフト・オフィスもゼロから作り直さねばならないし、ウィンドウズというOSのビジネスそのものも否定しなければならない。それ故に、あれから6年も発つのに、マイクロソフト自身のサービス・ビジネスへの移行は進んでいない。それに対して、過去のしがらみのない、eBay、Amazon、Google、Salesforce.com などがサービス・ビジネスでの先駆者として先を走ることができるのである。

 ここまで読んでくれば明らかだとは思うが、ユビキタス時代のソフトウェア・ビジネスもまさにサービス・ビジネスであるべきだ、というのが私の見方である。アプリケーションやコンテンツが特定の端末向けに開発され、ユーザーがそれを手作業でインストールして初めて動かすことのできる時代から、サーバーから任意の端末にアプリケーションやコンテンツに提供されるようになる時代には、アプリケーションは端末ごとに「売り切り」の形で売られるのではなく、ユーザーごとにサービスとして売るべきである。つまり、ユーザーはあるアプリケーション・サービスへ加入しすることにより、どんな端末(例えその端末が人から借りたものであれ)からもアプリケーションを走らせることが出来るようになるのである。言い換えれば、アプリケーションが端末に帰属する時代から、ユーザーに帰属する時代に変わるのである。

(続く…)


英語うんちく:Field

field

 今日、ウチの会社のエンジニア(アメリカ人)の社内掲示板への書き込みに、こんな表現があった。

Probably Tanaka-san should field this question.

 言っていることは分かるので、普段なら何気なく読みとばしてしまっただろう表現だが、今回は、たまたまこの掲示板への書き込みを日本語に訳す役割が回ってきてしまった。そこで、念のため辞書を調べると、

Field
v. Fielded, Fielding, Fields,
v. tr.
To retrieve (a ball) and perform the required maneuver, especially in baseball.

とある。案の定、野球から来た表現である。つまり、上の文で言いたいことは、野球の試合中に飛んできたボールを野手が(一塁に投げるなり、ホームに投げるなりして)適切にさばくように、ある質問の答えを見つけるように(この件に関して詳しい人を調べてその人に聞くなりして)適切に処理して欲しい、ということを田中さんに頼んでいるのである。
 
 直訳は、「田中さんにこの質問の処理お願いします」であろうか。ただし、もっと明確にするためには、「田中さん、適切な関係者に連絡するなりして、この質問に対する答えを見つけてもらえますか?」という意訳の方が良いかも知れない。

ちなみに、アメリカ人の表現には良くスポーツが出てくる。

"He dropped the ball" (あいつがボールを落とした)は、ある仕事の一連の流れが一人の人のミスや怠慢で滞ってしまった場合に使う。野球で言うダブルプレーの際の連携を思い浮かべてもらうと良く分かる。

"You don't need to swing to the fence" (フェンスに向かって打つことはない)は、大成功を狙って気負いすぎている人に、上司や同僚が良くかける言葉である。"You need singles and doubles, not home-runs" (一塁打や二塁打でいいんだ、ホームランを狙う必要は無い)と続けたりする。


Movin' Out

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 長男のための大学見学のために東海岸に来ているとは言え、ニューヨークに一泊するチャンスを我が家の「文化・芸能活動担当重役」である妻が見逃すはずは無い。出発前から、インターネットでニューヨークのミュージカルのスケジュールを全て調べあげ、準備万端である。ホテルにチェックインするとすぐにタイムズスクエアに向かい、当日券の安売り所に向かう。お目当てのチケットが安売りされていないとすると、今度は劇場の窓口に直行する。幸い、第一候補に彼女が選んでおいた「Moving Out」の当日券がまだ残っており、それを見ることにする。いざ見てみると、ビリー・ジョエルの曲の生演奏(歌っているのはもちろんビリー・ジョエルでは無い)に合わせてダンスで表現していく恋物語、という通常のミュージカルとは少し異なる構成のものであったが、生演奏もダンスもすばらしく、とても楽しい時間が過ごせた。

 あまりにも全てがうまく行ったので、妻はさぞ満足しているだろうと思ったが、一つだけ不満があったようだ。「せっかくミュージカルを見るためにドレスを持ってきたのに、着替える時間がなかった」のが「玉に傷」だったそうだ。その瞬間に私の脳には「ドレスなんてどうでもいいじゃん、見たいミュージカルが見えたんだから」という言葉が浮かぶが、18年間の結婚生活で見事に進化した前頭葉が、0.2秒で「残念だったね。でも、見たいミュージカルが見れて良かったね。」と翻訳する。


車でニューヨーク入り

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 当初の計画では、アレンタウンからフィラデルフィアに車で戻り、そこからはアムトラックという列車でニューヨークに移動する予定であった。しかし、アレンタウンからニューヨークまで車で移動してもわずか1時間半であることが判明し、急遽予定を変更し、ハイウェイ22でニューヨークに向かうことにする。西海岸に住んでいると、都市から都市(とは言っても、シアトル、サンフランシスコ、ロサンジェルス、サンディエゴぐらいしかないのだが)の移動はもっぱら飛行機であり、フィラデルフィアからニューヨークにこんなに簡単に車で移動できるとは予想外であった。

 ニューヨークまでの道は、渋滞も無く、道も間違えず(私としては非常に珍しい)、最後に Holland Tunnel という有料のトンネルを通ってマンハッタン島に着くまでは、非常に順調で快適であった。しかし、マンハッタン島に着いたとたんに道は間違えるし(ホテルはアップタウンにあるにも関わらず、ダウンタウン方面にしばらく進んでしまう)、渋滞には巻き込まれるし、タクシーにはクラクションを鳴らされるし、歩行者は信号無視するし、ひどい目にあう。マンハッタン島についてから、無事にレンタカーを返すまで、1時間以上かかってしまった。ニューヨークの街中は二度と運転したくない。


東海岸で大学見学:2日目

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 2日目は、フィラデルフィア郊外のアレンタウンという所に移動し、Lafayette University と Leahi University を見学する。どちらも、小規模な Liberay Arts School(一般教養大学)であるが、なかなか教育システムが良く出来ており、日本の大学を出た私としては、「もう一度大学生になりたい」ぐらいうらやましい環境が整っている。教授一人当たりの生徒数が8人ぐらいと非常に小さいし、その結果、クラスのサイズがとても小さいく(ほとんどが25人以下、語学のクラスだと10人程度)、教授との1対1の会話の時間も十分持つことが出来る。学期ごとに4-5科目だけを集中して勉強する方法も、日本の大学の1年に十数科目を勉強する方法も遥かに優れていると思う。学生寮も整っているし(どちらの学校も95%以上の生徒が寮に4年間暮らす)、教授も近所に住んでいるので、おのずと学業を中心とした生活を強いられることになる。マージャンとアルバイトと合コンに大半の時間を使いながらも試験前さえ少しがんばれば悠々と卒業できてしまう日本の大学とは大違いである。明らかに「少数精鋭で社会にでて即戦力となるエリートを育成している」という大学の姿勢が、はっきりと見えてくる。

 ちなみに、学費はどちらも年4万ドル程度(日本円で400万円弱)と日本の大学に比べて高いが、奨学金のシステムが整っているので、実際の持ち出しはその半分ぐらいで住むと言う。


東海岸で大学見学:1日目

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 今週は、休みをとって長男のために東海岸で大学見学である。まずフィラデルフィアに夜行便の飛行機(英語では “red-eye flight” ― たしかに寝不足で目が真っ赤になる)で入り、昼過ぎからSwartmore University を見学。こじんまりとした感じの良い学校であった。一番印象に残ったのが、カフェテリアの窓。鳥がガラスに誤って衝突するのを防止するために、ガラスに薄い緑の点が無数に書いてある。光の透過率が著しくさがるほどではないが、これで鳥には十分「壁」に見えるそうだ。生徒が積極的に設計に参加した結果だと言う。言われて見れば、私の家の窓ガラスに衝突して怪我をした鳥が2匹ばかりいた記憶がある。「環境に配慮」というと、ゴミだとか空気の汚染だとかがまず頭に浮かぶが、透明な窓ガラスが環境に悪影響を与えるという意識はなかった。確かに透明なガラスと言うのは鳥にとっては迷惑しごくな物である。そういえば、ビルの1階をガラス張りにする場合、人が間違って突っ込まないように、目に付くところに線やマークを置くという話を聞いたことがある。それと全く同じである。ちなみに、私自身はもう覚えていないのだが、私が子供のころその手のガラスに走って突っ込んだことがあるらしい。ガラスは粉々になったが、私は切り傷一つ負わなかったと親に聞いたことがある。