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ケチャップの謎

050227_073233  私自身はあまりケチャップ好きではないのだが、私の妻は「フレンチフライ(フライドポテト)はケチャップを付けて食べるのが常識」と言って譲らないぐらいのケチャップ好きである。それゆえに、彼女とレストランで食事をするとケチャップを頼むことが多いのだが、そのケチャップに関して、前から疑問に思っていることがあるので、この場を借りて、その疑問を述べてみようと思う。

 それは、「レストランのケチャップはいつでも瓶いっぱいに詰まっている(写真参照)が、底の方のケチャップはどのくらい古いものなのだろう」という疑問である。

 私の想像するに、レストランは客が使った分のケチャップを毎回上から補充して次の客に出しているはずである。そうすると、上の方のケチャップはいつも新鮮なものに入れ替わるのだが、瓶の底の方のケチャップはずっと入れ替えられることがない。これを一週間・一ヶ月と続けると、瓶の底の方には一週間・一ヶ月前の古いケチャップが「停滞」することになる。店の人の衛生観念にもよるが、ひょっとすると数ヶ月から数年前のケチャップがあの瓶の底の方に停滞し続けているのかもしれない。

 そんなことを想像してしまう私は、「万が一底の方の古いケチャップが一緒に出てきてしまったらいやだな」と考えて、レストランのケチャップを使う勇気が沸いてこない。妻がケチャップを皿に出している時にも、「あ、そんなに振ったら、古いケチャップが出てしまうかも」などと心配してしまう私である。そんな私の心配をよそに、「不思議だよねー、このケチャップの瓶って」と言いながら、まさにその瓶から出したケチャップをたっぷり付けたフレンチ・フライをおいしそうに食べる妻の「おおらかさ」がそれはそれで好きだったりするから人間は不思議である。

[追記]
 ちなみに、これを書いていて思いついたのだが、この問題を解決する「循環型ケチャップ注入装置」を思いついたのだが、どうだろうか。瓶の底まで届く長いストロー状のケチャップ注入装置で、常に底の方に新しいケチャップを注入する装置である。これを使えば、瓶の中のケチャップは常に「底から上に向かって」循環するので、底の方に古いケチャップが停滞することはなくなるのである。

 基本特許を申請してから試作機を作り、「底に停滞するケチャップ」の不衛生問題をマスコミを使って世論に訴え、保健所を動かしてこの「循環型ケチャップ注入装置」の使用を義務付ける方向に持って行く事さえできれば、この事業の成功は間違いない。もし、このブログを読んでこのアイデアを事業化する気になった人がいたら、ぜひともコメント欄に条件とともに書き込んでいただきたい。ただし、特許申請料・事業化に必要な資金を負担していただける人に限るので要注意。


Constantine - キアノ・リーブスの初オカルト映画

Constantine  封切の週に映画を見に行くようなことは滅多にしないのだが、昨晩はたまたまキアノ・リーブスの初オカルト映画、「constantine」を見に行った。

 そもそもオカルト映画はどうも不得意な私がなぜこの映画に行ったかを説明しようとすると、朝のニュースのインタビューに出たキアノに説得された、としか言いようがない。封切後一、二週間で勝負のついてしまうアメリカにおいては、あの手の封切前のメディアによる報道は、とても重要である。

 一口で言えば、「ヘビースモーカーで暗くてハンサムな一匹狼の霊能力者(確かにこれはキアノがやるしかない)が、霊能力の双子の兄弟を持つ美人刑事とこの世界になだれ込もうとしている悪霊たちと戦う」、というストーリーである。オカルト通ではない私には、「典型的なオカルトもの」としか思えない内容だったが、その辺りの評価は専門家にまかせよう。

 特筆すべきは、この世は天国と地獄の狭い隙間にはさまれた境界面でしかなく、実は地獄も天国も私たちのすぐ隣に4次元の座標でわずかにずれた場所に偏在している、「ユビキタス」な存在であるという世界観であろうか。ほとんどオカルト映画を見ていない私にはこれが新規なアイデアなのかどうかの判断は出来ないが、妙に説得力があったし、「ユビキタス・コンピューターうんちく」好きの私としては、「ユビキタス地獄だァ」というのりで結構楽しめた。

 ただ、全体に宗教色が濃く、「自殺した人は自動的に地獄に行く」などのキリスト教の人たちの間の常識のようなものがバックグラウンドにあるので、その辺りの知識と価値観を共有できていない日本人の間でヒットするかどうかは少し疑問である。

 まとめると、「キアノ・ファン」と「西洋版オカルト・ファン」にはお薦めだが、一般の人が楽しめるかどうかは少し疑問。「マトリックス・ファン」は勘違いして「マトリックスと同じSF・特撮感覚」を期待して行くと失望するので要注意。


[余談]
 最近気がついたのだが、「急遽(きゅうきょ)」という言葉はとても言いにくい。つまり、この前後に似通った発音の言葉をつけて文を作れば早口言葉ができる。そこで、早速作ったのが、

 「急告!長谷川京子、急遽帰国!」

どうも安っぽいスポーツ新聞の芸能欄の見出し文字のようになってしまった。


経済後進国ニッポン

050219_120522  先日書いたライブドアのニッポン放送株の買収の件であるが、大方の予想通りリーマン・ブラザーズは堀江氏から借りた株を大量に売り出し始めた。

 この「ニッポン放送買収騒動」で最後に笑うのが誰かを予想するのはとても難しいが、最初に笑うのがリーマン・ブラザーズであることは明確である。どうしても買収の資金が必要だったライブドアに、株価の変動に応じて自動的に転換価格の変動する特殊な転換社債(MSCD)を発行させ、堀江氏個人の株を大量に空売りして株価を下げた所で社債を株に転換して返却することにより、800億円の払い込み(24日)の前に数十億円(株価しだいでは100億円以上の)利益を確定させてしまうのだから、みごととしか言い様がない(MSCDに関しては18日付けの毎日新聞速報に良い解説記事がある)。

 今回のリーマン・ブラザーズの動きに関して、「海外のはげたかファンドは許せない」だとか、「合法なら何でもして良いのか」というリーマン・ブラザーズに対する批判の声が上がっているが、とんだ「お門違い」である。批判すべきは法的準備を速やかに進めることの出来ていない日本政府である。

 国民の貴重な税金を使って救済した新生銀行の上場で「濡れ手に粟」の利益をリップル・ウッドに持っていかれたときも、世論の主な批判はリップル・ウッドに対してのものだったが、これも全く同じで、非難すべきはあんな条件で銀行を売却してしまった100%政府である。

 リーマン・ブラザーズにしろ、リップル・ウッドにしろ、投資銀行のインベストメント・バンカーやヘッジファンドのマネージャーの仕事は、こういった「法律の整備の整っていない国の法律のはざま」や、「株価のひずみ」を利用して投資家の資金を増やすことである。彼らはハーバードなどの世界の頂点の学校で、ノーベル賞級の経済学者から最新の経済学・統計学を学び、世界中のマーケットに目を光らせて、こういったチャンスをうかがっているのである。

 これは(またも野球を使った比喩で申し訳ないが)、一塁ベースにいるランナーがピッチャーのわずかな隙をうかがって盗塁を試みようとしているのと全く同じである。厳しい練習の末に得たテクニックと脚力を使って盗塁王になった選手に対して、「盗塁はずるい」と言ってもしかたがないのと同じく、法律の隙を突いて巨額の利益を得るヘッジ・ファンドのマネージャーに対して「合法ならば何でもしていいのか」と言うのは子供のたわごとである。

 こういうことをされたくないなら、早急に法律を整備し、この手の手法(この場合はMSCDを持っている投資家が空売りにより株価を人為的に下げること)をはっきりと禁止する法律を整備すべきである。日本の株式市場は、法律の面でもそれを取りしまる組織の面でも、米国と比べ大幅に遅れており、このままでは海外のヘッジファンドの餌食になることは目に見えている。

 シアトルに住む知り合いのMBA取得者にこの件を話すと、「その手法は明らかに米国では違法だと思う。でも、日本の法律がそれを禁止していないのなら、その方法でヘッジファンドが儲けようとするのは当たり前だよな」とのコメントをくれた。リーマン・ブラザーズにとってみれば、日本の株式市場での取引は、「手を使っても何の罰則もないサッカーの試合に出る」みたいなものなのだろう。彼らにとってみれば、そんな国で試合をするときに手を使ってゴールにボールを運ぶのは「当たり前」のことなのだ。

 こんな米国人のメンタリティーを理解せずに、「投資家のモラルが必要」などと検討違いの話をしているから日本人は痛い目にあうのだ。早急に法律を整備しないと、日本の株式市場は海外の投資家の餌食になってしまう。日本政府の人たちには、ぜひともこの事件を教訓にいち早く法律の整備をしていただきたい。

(ちなみに、今日の写真は息子が作ってくれたオリジナルのスイーツである。バニラアイスクリームに溶けたダークチョコレートと、みじん切りにしたイチゴを乗せて冷やして作っただけだが、とてもおいしかった。反抗期のまっただなかでかなり苦労させられているのだが、この辺りのセンスだけは天下一品である。)


米国からの日本のテレビ視聴成功

050218_124721  先週のブログで宣言したとおり、シアトルに帰って、インターネット経由での日本のテレビの視聴にチャレンジしてみた。

 ノートブックをワイアレスLANでブロードバンド(ケーブルモデム方式)に繋ぎ、ドキドキしながら、早速ハードディスクに試しに蓄積しておいた番組を見てみる。しかし、残念なことに画面が時々とまってしまう。「バッファリング中」と出ているので、ストリーミング方式で視聴するには下りの帯域が十分に出ていないようだ。しばらく我慢してみてみるが、数秒に一回、かならず「バッファリング中」になってしまう。

 これでは一度「ダウンロード」して見るしかないとあきらめ、標準モードで録画しておいた1時間番組の「不機嫌なジニー」をダウンロードする。ダウンロードのスピードは約256KB/sec(=2Mbps、ケーブルモデムとしては優秀)は出ているのだが、1.6GBもあるので1時間半以上かかってしまった。1時間番組のダウンロードに1時間以上かかるということは、やはりストリーミング方式で直接は視聴できないのかもしれない。ただし、少し疑問なのは、ストリーミング時の圧縮率を「高」に設定してきたので、ストリーミング中は1.6GB全てを送る必要はないはずであり、2Mbps あれば十分な様にも思える。

 いちいち一旦ダウンロードしてから見なければならないとすると便利さは極端に落ちるし、「追っかけ再生」もできないことになる。くやしがりながら、しぶしぶと2つ目の番組をダウンロードしているときに、ふと思いついた事がある。日本の自宅でテストした時に、アクセスポイントから少し離れた寝室から見ようとしたら同じような症状になったのだ。そのときは、単にワイアレスLANのノイズの問題だろうぐらいに思っていたのだが、ひょっとしたらストリーミングとワイアレスLANの相性が悪いのかもしれない。

 「駄目で元々」とあまり期待せずに、LANケーブルでノートブックをルーターに「有線接続」して、もう一度ストリーミングでの視聴をしてみる。すると、なんと何の問題もなく視聴できてしまうではないか!しばらく見ても画面が止まる事はない。どうも SHARP の Galieo の使っているストリーミング・プロトコルはワイアレスLANと相性が悪いようだ。

 その後も色々と試してみたが、結局のところ無線LANではどうやっても動かすことができず、ただし、有線LANを使えばかなり安定して「追っかけ再生」も含めて視聴できることが判明した。幸い、ルーターはテレビのすぐ隣にあるので、それをノートブックを繋ぎ、ノートブックのアナログRGBをテレビ(数年前に買ったHitachi の36インチのブラウン管型HDTV)に、音声出力をAVシステムに繋ぐことにより、普段テレビを見ているテレビで、日本のテレビが追っかけ再生も含めて見れるようになった。

 まだまだ「ノートブックをいちいちテレビに繋ぐのが面倒」、「リモコンが使えない」、「10分おきぐらいに勝手にフルスクリーンモードでなくなってしまう」、「時計をシアトル時間にしておくと予約録画がちゃんとできない」などの細かな不具合はあるものの、目指していた「日米双方向テレビ視聴」の実現に大きく近づくことができた。

 ちなみに、家に帰るとこんなことばかりしているものだから、せっかく見れるようになった「不機嫌なジニー」を見る時間がなく、もう2週分たまってしまった。「さまざまな技術的障壁を乗り越えて、日本のテレビをいつでも見えれるようになった」という達成感だけで結構満足しまったからかも知れない。

 具体的には何だったか思い出せないが、どうもつい数ヶ月前にも同じようなことをしたような気がする。何かを「可能にする」作業そのものに満足してしまい、その可能になった何かを使わない、ということは私の場合よくある話である。結局のところ「技術者」である私は、純粋な「消費者」にはなれないのかもしれない。

 この件で思い出したのが、以前食事をしたことのある「アルプス電気」の技術部長さんである。いかにも「プロジェクトX」に出てきそうな人で、食事をしながら「世界で最初の光に強いインクを印刷できるプリンターのヘッド」を開発した話を熱く語ってくれた。まさに「地上の星」である。その人が、すごく自慢にしているのが、自分の家に設置した自家発電装置である。奥さんに文句を言われながら、「いざというときに役に立つから」と説得してかなりのお金をかけて設置したそうで、その設置にまつわる苦労話も丁寧にしてくれた。私が、「それでその後停電はあったんですか?」と尋ねると、恥ずかしそうに「実は去年近所一帯が一晩停電になったことがあったんですが、私があいにく出張中だったので、家内にはスタートさせることが出来なかったんですよ」と言う。結構笑える話だが、まるで自分のことを聞いているようで、ますますその人が好きになってしまったのを覚えている。


堀江氏の変化球と、直球勝負の好きな日本人

050214_193504  多くの人と同じく、ライブドアという会社の名前は、去年の球団騒ぎの時に初めて聞いた。「ライブドアってどんな会社なの」とまわりの人に尋ねても、「M&Aで大きくなったIT関連の会社」という答えしか返って来ず、どうも理解しかねていた。しかし、堀江氏が必要以上にメディアに露出するのを見て、「この人はひょっとしたら本当は球団なんか欲しくなくて、単にライブドアという名前を世の中に知らしめるために『球団を作りたい』と言っているだけではないか」という思いが強くなった。

 そこに今回のニッポン放送株の取得である。日本のマスコミは、「単なるマネーゲームだ」とか、「どうせ株価を吊り上げて売り抜けるつもりだ」などと批判ばかりしているが、私にはどうもピントがずれているとしか思えない。何よりも注目すべきは、800億円もの転換社債をリーマン・ブラザーズという非常にまっとうなところが引き受けたという点なのに、日本のマスコミはそこの堀さげをしっかりとしないから全く話にならない。リーマン・ブラザーズという会社は米国の投資銀行の中でも大手で、米国のトップクラスの大学でMBAを取得したような金融のプロの集団である。そんな会社が、堀江氏の「単なるマネーゲーム」にリスクを負って800億円もの金を出すわけがない。今回の転換社債の引き受けはかなり「計算ずく」であるはずだ。そこで、私なりに、堀江氏の戦略、リーマン・ブラザーズの計算、を推理してみた。

 前回の球団騒ぎから考えても、堀江氏の第一の目的はテレビというメディアを取得することにあることは明確である。インターネットというメディアで「ライブドア」というブランドをここまで育ててきたものの、今のままの戦略で「楽天」なり「ヤフー」と戦いつづけてもおいそれとナンバー・ワンにはなれない。そこで、何らかの形で既存の大手メディアを手に入れて、相乗効果で一気に逆転を図る、という戦略に打って出ることにしたのである。

 しかし、そうは言っても、大手新聞社や大手テレビ局を簡単に買収できるものではない。特にフジテレビぐらいの大手になると、株価総額も相当なものになるためそれに必要な資金を調達するのは至難の業である。そこで目をつけたのがニッポン放送である。「ラジオ」という枯れた(つまり今後の成長の見込まれない)メディア企業であるがゆえに、ニッポン放送の株価にはほとんどプレミアムがついておらず、株価が一株当たりの資産に限りなく近いのである。ニッポン放送の株価総額は今日現在で約2250億円であるが、そのニッポン放送が所有するフジテレビの株22.5%の価値は1325億円もあるのである。つまり、フジテレビの株を除いたニッポン放送の価値はわずか925億円しかないのである。

 堀江氏が目をつけたのは、この「ニッポン放送の株価が、ほぼその資産価値までに落ちている」点である。この状況は「ラジオ」というメディアに今後の成長がほとんど期待できないからであるが、逆に言えば、ニッポン放送の株をその価格で買うことはリスクが非常に低い、という意味を持つ。すなわち、極端にローリスク・ローリターンな株なのである。こんな株は一般の投資家にとってはほとんど価値が無いのだが、「間接的にフジテレビへの影響力を手に入れることによって大きなメリットを得ることの出来る」ライブドアにとってはとても価値があるのである。この「一般投資家にとっての価値」と「ライブドアにとっての価値」に差があることに目をつけて、堀江氏はリーマン・ブラザーズを説得したのである。

 リーマン・ブラザーズにとってみれば、今回の転換社債の引き受けは、万が一ライブドアが今回取得した株をうまく利用できなかったとしても、どのみちニッポン放送の株価は今より下がりようがないのでローリスクでありながら、うまく利用できた場合にはライブドアの株価が上昇するので、「ローリスク、ひょっとしたらハイリターン」というとても条件の良い投資に見えたに違いない。

 ライブドア側からしてみると、万が一自分の株価を上げることが出来なかったら、社債の満期時にニッポン放送株を売って借金を返せば良いし、うまく株価を上げることが出来れば株に転換してもらえるので借金は返さなくとも良いので、これもまたそれほど大きなリスクは負っていないのである。

 こうやって考えてみると、堀江氏の非常に巧みな金融戦略と、リーマン・ブラザーズの計算ずくの転換社債の引き受けが見えてくる。そして同時に、一部マスコミが言っている、「堀江氏はニッポン放送株を一時的に吊り上げて売り抜けるつもりかも知れない」という説がいかに経済学を理解していない『言いがかり』かがよく分かる。同様に、「フジテレビがニッポン放送の株を買い増すことによりニッポン放送が上場停止になってしまうとライブドアは大損する」という発言も、全くの見当違いである。上場停止になったとしても会社の価値が下がるわけではなく、単に流動性が悪くなるだけである。思惑どおりにフジテレビを利用してライブドアの株価を上げることができれば(転換社債は株に転換されるので)何の問題もないし、万が一株価を上げることが出来なかった場合でもニッポン放送の株を引き受けてくれるところを探すのはそれほど難しくないはずだ(リーマン・ブラザーズも一緒になって探してくれるだろう)。

 ちなみに、この手の金融戦略は、金融経済の発達した米国の企業においては日常茶飯事である。しかし、金融経済後進国の日本でこの手のことをすると、何も分かっていないマスコミが「マネーゲームだ」とか、「米国式のはげたかファイナンス」だとか、まとはずれの批判ばかりして国民を混乱させる。文句ばかり言ってちゃんと何が起こっているか分析して対抗策をとらないから、国民の税金でさんざん援助してきた銀行を外資系の投資銀行に買い叩かれておいしいところを持っていかれてしまうのである。

 良かれ悪かれ米国が決めた「資本主義」というルールの元で経済活動をせざるおえない状況にある今の世の中で、そのルールを最大限に生かした経済活動をせずに「それはずるい」と文句だけ言うのは、野球の試合で「変化球」を多用する相手投手に三振させられて、「男なら正々堂々と直球で勝負しろ」といいがかりをつけるのと同じように格好が悪いことである。どうしても直球勝負だけの野球をしたいなら(アメリカが何と言おうと)ルールを変えて試合すべきだし、ルールを変えないで試合をするなら、文句を言わずにそのルールの下で勝つ可能性を最大限に上げるべき戦略をとるべきだ。

[関連ブログへのトラックバック]
http://blog.livedoor.jp/zentoku2246/archives/13886443.html
http://shinta.tea-nifty.com/nikki/2005/02/livedoor_fujisa.html
http://kiri.jblog.org/archives/001384.html
http://cmplan.ameblo.jp/entry-891882f0ed7d568449ecac02d5362615.html
http://kusanone.exblog.jp/1635823

(ちなみに、写真は Tops のチョコレート・ケーキ。これも「死ねるスウィーツ」の一つである。)

[追記] 「ろ」さんのコメントを受け、MSCBについて勉強。ダントツ投資というサイトにとても良い解説を発見。私はてっきり普通の転換社債だとばっかり思っていたが、今回のライブドアの発行した社債はMSCBというかなりアブナイしろものである。要約すると今回のファイナンスは、リーマン・ブラザーズ側に一方的に有利な(逆にライブドア側の株主に一方的に不利な)ファイナンスである。これはライブドア側にとっては「大博打」で、「変化球」どころか「満塁策」の極めつけのようなものである。

 ダントツ投資に書いてあるシナリオ通りに、リーマン・ブラザーズが(1)堀江氏個人からライブドアの株を借りて売り浴びせ株価を下げる、(2)株価が十分下がったところで社債を株に転換し割り増しして堀江氏に返す、という動きをすると大損をするのはライブドアの既存株主であり、一連のニュースに踊らされてこれからライブドアの株を買う人たちである。ここまで来ると、さすがにかぎりなく違法に近く、下手をすると堀江さんは株主に訴えられることになりかねないのではないかと心配になってしまう。とにかく素人はライブドアの株にも(そしてニッポン放送・フジテレビの株にも)手をださないことが一番なようだ。欲の突っ張った投機筋がやけどをするのは仕方が無いとしても、なけなしの退職金をライブドア株につぎ込んで一家心中という姿だけは見たくない。


ハリウッド版「シャル・ウィ・ダンス?」

050212_103140  日本ではゴールデン・ウィークからの公開だそうだが、米国ではすでにDVDになっているハリウッド版「シャル・ウィ・ダンス?」。劇場公開の時に見損なったので、DVDを買って来て昨日見た。

 リチャード・ギア、スーザン・サランドン、ジェニファー・ロペス、と超大物を三人も揃えてのキャスティングはやりすぎで、原作の良さが失われてしまうのではないかと心配していたが、意外と秀作であった。

 原作と同じく、愛する妻がいて、立派な家と仕事も持ち、なんの不満も無いはずの主人公が、でも「何か不満」という気持ちを抱えながら通勤電車に揺られて毎日を過ごす「さえないサラリーマン」、をリチャード・ギアが演ずるのだが、「かっこ良すぎるんじゃないか」という私の不安を裏切って、きちんと「うらぶれた」感じを出しているのには感心した。

 しかし、やはり見せ場になるとリチャード・ギアで、ジェニファー・ロペスとタンゴを踊るシーンとか、タキシード姿でスーザン・サランドンにバラの花を渡すシーンなどは、あまりにもカッコ良すぎる。役所広司なら自分を同化して感情移入できても、リチャード・ギアでは少し無理があるところが難点といえば難点である。

 しかし、それも最初の「さえないサラリーマン」からの落差を見せて楽しませるという意味で言えばとても効果的だし、原作の伝えようとしていたメッセージはきちんと抑えつつ、「楽しいデート・ムービー」に仕上げているところはさすがハリウッドである。アカデミー賞の作品賞にノミネートされていながら駄作の「アビエーター」や、ブラピはかっこいいけど中身のない「オーシャンズ12」なんかよりはずっとお薦めである。

[追伸]日本でも試写会が上映されたらしく、幾つかブログを発見。やはり結構評判が良い。映画の趣味の会う人のブログを覚えておくと将来役に立つかも知れないので、すかさずブックマーク代わりにトラックバック。

ラムの大通り:『Shall we Dance?/シャル・ウィ・ダンス?』
映画の胃袋 Живот киноего


「日米双方向テレビ視聴」プロジェクト

050207_212937_2  ついに光ファイバーでのブロードバンドが東京の我が家にも来た(とは言っても、引越し先のマンションに付いてきただけのことだが)。これで去年から計画していた、「日米のテレビを東京とシアトルの両方で見れるようにする」という我が家の「日米双方向テレビ視聴」プロジェクトに着手できる。プロジェクトのあらましはこうだ。

 東京とシアトルのそれぞれの家にビデオ・サーバー機能のあるハードディスク・レコーダーを設置し、それをインターネット経由で東京にあるものにはシアトルから、シアトルにあるものには東京から「予約設定」と「視聴」を自由に出来るように設定するのである。これが実現すれば、普段シアトルにいる私は、大好きなトレンディ・ドラマをほぼリアルタイムで見ることが出来るし、東京にいる家族は Joey などの最新の sit-com (situation comedy の略)を見ることが出来るのである。

 日本のドラマはシアトルのレンタルビデオ屋で借りることは出来るのだが、どうしても2週間ほど遅れてしか入荷しないので、日本に出張したときに家族と一緒に見ようとすると、ちょうど2週分飛ばして見ることになってしまうのだ。そのおかげか、去年の「ラスト・クリスマス」はどうも十分に楽しむことが出来なかった。

 まずは今回の出張中に日本側のビデオ・サーバーを設置することにしたのだが、綿密な機器選定の結果SHARP の Galileo が最適であることが分かり、ヨドバシで買い求め(新宿西口店は「売り場スペースの関係上」置いておらず、東口店に一つだけ在庫があった)早速設置する。DHCPの設定だの、専用アプリのダウンロードだの、通常の「家電」の粋を遥かに越える複雑さで、ヨドバシがなぜ力を入れて売らないかが良く分かる。

 設定を終えて、幾つかリモートで予約録画して視聴してみると、使い勝手は悪いが、それなりに動いているようだ。シアトルの家から視聴できるかどうかは実際に試してみないと分からないが、登りの帯域は十分出ているようだ。マニュアルには、インターネット経由の視聴にはMPEG4の高圧縮モードでの視聴を進めているが、ひょっとするとそこまで圧縮しなくともVHSテープ程度の品質では視聴できるかも知れない。15日にはシアトルに戻るので、とても楽しみである。

 ちなみに、この Galileo であるが、とても先進的なデバイスでありながら、すごくマニアックな作りで洗練されていないところが、いかにも SHARP らしく憎めない。古くは MZ シリーズのパソコンからザウルスまで、エンジニアが自分たちのために作ったようなデバイスをそのまま市場に出してしまうところが、SHARPの良さでもあり弱点でもある。この Galileo は家庭向けメディア・サーバーという全く新しい分野を切り開いている、という意味ではとても大きな意味を持つデバイスである。ソニーがPS2とBBキットで実現するはずだった、そしてマイクロソフトが Media Center PC プロジェクトで実現しようとしている、「家庭用メディア・サーバー」という商品をパソコンではなく、「AV機器」として発売したSHARPにはエールを送りたい。

 ただ一つ残念なのが、使い勝手の悪さと野暮ったさであり、それが同じく先進的なデバイスでありながらマス・マーケットに受け入れられた Sony の Walkman や、Apple の iPod のような存在になりえなくしているのである。数年後にメディア・サーバーの市場が本格的に立ち上がり、いつものようにソニーやパナソニック(ひょっとするとマイクロソフトかアップルかも知れない)がその市場の覇者になったときに、「最初に家庭用メディア・サーバーを市場に出したのは俺たちだったんだよな」とSHARPのエンジニアたちがビールを飲みながら残念会をする姿は見たくないな、と思う私である。


ギックリ腰と人間の進化

050204_004427_1  久しぶりに「ギックリ腰」になってしまった。会社の連中と2年ぶりのボーリングをしている最中に腰が痛くなったのだが、家に帰って2時間ほど仕事をしてから立ち上がろうとすると腰が固まってしまっていて立ち上がれない。そのまま椅子からはいずり落ちるがそのときにますます痛みが激しくなり動けなくなってしまった。30分ほど奮闘して何とか「つかまり立ち」をするが、腰が伸ばせないのでまともに歩くことができない。

 座るのもままならないので、しばらくベッドに横になることにするが、あいにくベッドは二階だ。階段を休み休み30分ほどかけて登り、なんとかベッドにはたどり着くが、横になろうとすると色々なところに痛みが走るのでうまく行かない。ここでさらに30分ほどかけていかに痛くないようにベッドに這い上がるかを試行錯誤するがうまく行かない。仕方が無いので、最後は痛みを覚悟で走り高跳びの抱え込み飛びのようなスタイルで体を投げ出す。激痛が走るが、何とかベッドに横になることはできた。

 そのまま痛みの引くのをまって天井を見つめ、今回の「ぎっくり腰」の反省をしてみる。シアトルに戻って、運動どころかろくに歩きもせずに丸二週間ほどずっと働きづめだったし、腰に良いはずのバランス・チェアも使っていなかった。その疲労しきった腰に2年ぶりのボーリングがとどめをさしたようだ。

 ちなみに、「ギックリ腰」は、2足歩行をするようになった人間特有の病気であり、それは本来四足動物のために進化してきた骨盤の構造が2足歩行には向いていないからだ、という説を読んだことがある。一見もっともな説にも思えるが、「科学うんちく」好きの私は、この説は怪しいと思っている。人間が2足歩行をするように経ってから骨盤が2足歩行に合わせて進化するだけの十分の時間はあったはずだ。特に有史以前は、「ぎっくり腰」は致命的だったはずで(狩りの最中に「ぎっくり腰」になるような男が子孫を残せたとは思えない)、「進化圧」は十分である(ちなみに、「進化圧」とは自然淘汰による進化を促すような環境からの圧力のこと)。そんな説が正しいのであれば、キリンの持病は「むち打ち症」だろうし、ナマケモノはみな運動不足で不健康なはずだ。

 それよりも、「現代人に特有の『ほとんど一日中座って過ごす』という生活スタイルに合わせて人間の骨盤が(まだ)進化できていない」、と言った方がより正確な表現であろう。現代人の生活スタイルが確立されてからまだわずかだし、私のような「ガラスの腰」(この表現は、あだち充の「H2」より拝借)を持った人間が堂々と子孫を残せるものだから、人間の腰の構造がこの生活スタイルに合わせて進化するには、まだしばらくかかりそうだ。それよりは、椅子の構造が進化する方が早いかもしれない。

 ちなみに、この私の危機を救いに正義の見方(=妻)が日本から急遽駆けつけてくれたのだが、私をphysical therapy(=物理療法)のクリニックに送りがてら、「私も肩が痛いからついでに治療してもらう」と同じ時間に予約を入れてマッサージをしてもらっている彼女の合理性には本当に関心してしまう。クリニック側も心得たもので、「次の治療も同じ時間に予約入れておきますか?」という気の使いようだ。

 それで思い出したのが、中学生のときに足を捻挫して通った整形外科だ。つねに待合室は老人たちであふれており、

 「鈴木さん、今日来てないねえ」
 「具合が悪んじゃないといいね」

などと冗談のような会話が平気で交わされていたのを覚えている。今考えてみると、老人医療制度を悪用して、保険を適用させてマッサージを提供している悪徳クリニックだったようだ。あそこは今でもあるのだろうか…