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スクエニ、NHK買収の意思を表明

Waday [2005年エイプリル・フール]

 スクエア・エニックス(社長:和田洋一)は1日、日本政府に対し、政府の保有するNHK(日本放送協会)の株式全てを買収する意思があることを表明したと発表した。具体的な買収提示額は非公開だが、買収に必要な資金はLBO(注1)の形で機関投資家より調達する。一旦子会社化し、収益の上げられる形に整えた上で、3年後の上場を目指す。
 NHKは政府が100%の株を所有する特殊法人の形で、設立時より受信料収入での運営を続けてきたが、相次ぐ不祥による受信料不払いの増大を受け、2004年度には受信料収入が初めて前年度割れとなるなど、受信料に頼った経営の見直しを迫られていた。
 和田洋一社長は、「これからはコンテンツの時代だ。NHKの保有する、大河ドラマ・NHKスペシャル・プロジェクトX、などの優良なコンテンツを活用して、受信料収入に頼らない形の新しいビジネス・モデルを作るには、(スクエニの持つ)オンライン・ゲーム運営のノウハウが必要だ」とコメントしている。
 政府は、来週にも与野党混成議員からなる「日本放送協会民営化検討会」を設立し、買収金額の妥当性、今後の公共放送のありかた、などを検討して行くと発表した。小泉首相は、同日、フジテレビのインタビューに「郵政民営化に関しては野党への説明が不十分だったと反省している。この件に関しては、最初から野党の議員も交えて前向きに検討して行く。」と答えた。議員の中には、「離島も含めて日本全国の全家庭に放送をとどけるというNHKの公共性が失われるのはどうかとと思う。何でも民営化すれば良いものではない。」(自民党議員)との慎重論も出ている。

注1)LBO(Leveraged Buy-Out)とは、買収する側が、買収される企業の事業価値を見合いに銀行融資・社債の発行によって資金を調達して買収する手法。

(情報提供:APフール通信、2005年4月1日)


デジタル・コンテンツ・ビジネスの未来

050328_034709  今までも、何度か「パーケージビジネスの終焉」だとか、「ソフトウェアはサービス」という言い方で、インターネット時代のビジネス・モデルに関して色々な言い方で延べて来たが、今回はそういったメッセージを通じて私が何を言いたかったかをまとめてみたいと思う。

 ひとことで言えば、「音楽・映像・ゲーム・アプリケーションなどデジタル・コンテンツは、次第に月額固定料金での『見放題・遊び放題・使い放題』のサービスとして提供されるようになる」ということである。

 コンテンツがCDやゲーム・カートリッジのような「物」として流通している限りは、消費者ははっきりと「所有」を意識する。消費者にとって、2000円なりのお金を払って、その対価として音楽CDを受け取る、という行動は、靴屋で靴を買う、肉屋で肉を買う、などの経済活動と全く同じ皮膚感覚で行える。

 しかし、インターネットを介して、従来の「物販」と同じビジネスモデルでデジタル・データとしてコンテンツを流通させるのにはさまざまな問題がある。

 まず第一に、その「所有感覚」が非常に薄いのが大きな問題である。消費する側にとってみれば、お金と引き換えにダウンロードした音楽データが、自分のパソコンにデジタル・データとしてあるだけ、という感覚はCDなどの「物」を所有する場合と比べて、非常に不安である。「間違って消してしまったらどうしよう」、「ハードディスクが壊れたらどうするのだろう」などの感覚は当然で、その不安感は、提供する側が「一度購入したコンテンツは再度ダウンロード可能です」と言っても簡単に拭えるものではない。

 第二に、消費者がデジタル・コンテンツのコピーにはあまり罪悪感を感じない、というのが大きな問題である。全世界で Winny などを使って行われる違法コピーによる音楽・映像業界への被害は1000億円を超えるとも言われているが、それもデジタル・コンテンツの「所有感覚」の欠如のなせる業である。それを防止しようと、さまざまなコピー・プロテクションの技術などが開発されているが、いたちごっことなっているのが現状である。

 私はこの問題を解決するには、一曲あたり幾ら、一ゲームあたり幾ら、というコンテンツを「物」として流通させていた時代のビジネス・モデルから脱却して、「月々幾ら円で音楽聴き放題」、「月々幾らでゲーム遊び放題」というビジネス・モデルに移行するのが一番だと信じている。その月額課金料金が一度サービスの提供者に集められ、コンテンツ提供者に対しての分配金は、実際にユーザーがどのくらい聞いたか・遊んだか、に応じて決定されるのである。つまり、昔からある「有線放送」型のビジネス・モデルである。

 「○○放題」のサービスとしてデジタル・コンテンツを提供することにより、サーバー側で加入者の管理をしっかりことが可能になり、消費者側にはあいまいな「所有」感覚ではなく、「月々課金」の代価として「○○放題」が楽しめる、というとてもストレートな「加入」感覚が生じることになる。もちろん、サービスそのものをコピーしようなどとは普通の消費者は思わないしできないし、月額課金という自分自身のIDと繋がったものを悪用するのにも抵抗がある。

 以上の理由で、私は iTune のようなダウンロード課金は一過性のものでしかなく、最終的には Rhapsody のような「聞き放題」サービスに集約されていくだろうと確信しているのである。もちろん、今までの「物の流通」型のビジネス・モデル上での既得権者が抵抗してくることは目に見えているが、流れは変えられないと思う。先月も Napster が Napstar To Go という「聞き放題」サービスを始めたし、近いうちに日本でもそんなサービスが始まることを期待している。

 こう考えてみると、コンテンツの作り方も変えていく必要があるかも知れない。コンテンツがサービスとして提供される時代には、莫大な制作費と宣伝費をかけて発売後2~3週間で一気に回収しようという作り方より、長く聞いてもらえる・長く遊んでもらえるコンテンツ作りをする必要がある。最近では、中島みゆきの「地上の星」が記録的に長い間チャートにい続けたことはよく知られているが、あんなコンテンツこそがオンラインの時代には最適なのである。

 ちなみに、「ロングセラーで有線放送型のビジネスモデルに強い」コンテンツと言えば演歌である。だからといって、「これからのオンライン・コンテンツは演歌を参考にして作らなければならない」と言う話でもないが、演歌がなぜロングセラーになるのかを研究しておくのは無駄にはならないかも知れない。「演歌だけでなく、サザンもユーミンもロングセラーだ」という声が聞こえてきそうだが、私には彼らの歌は演歌に限りなく近いと思っている。堀内孝雄なんか、完全に演歌歌手になってしまったし。


私がボランティア活動?

041231_134512  口では色々とえらそうなことを言いながら、ボランティア活動にはあまり積極的には参加して来なかった私である。考えてみると、子供の父兄として反強制的に参加させられるもの意外、やったことがないかも知れない。機会があっても、「今はたまたま仕事が忙しいから」とか、「今回は誰か他の人にやってもらって、次こそは私も」などと逃げていたのである。

(話は横にそれるが、「ダイエット」だとか「ボランティア」だとか、やるべきと知っていながらなかなか出来ないものに関するシリーズ本の企画を前から暖めている。「明日からダイエット」、「明日からボランティア」、「明日からエクササイズ」、「明日から整理整頓」、「明日から禁煙」、…と続くシリーズもので、何でも「明日から」と引き伸ばしにしてしまう人たちを痛烈に皮肉って描くことにより、読者を刺激しようという逆説的な啓蒙本である。奥田英郎あたりに書いていただけると最高なのだが。→奥田さん、いかがでしょう?)

 そんな私に、「私がやるしかない」ようなボランティアの話が降ってきたので、引き受けることにしたのである(というか、ここに「引き受ける」と宣言してしまうことにより、引き下がれない状況に自分を追い込んでいるのかも知れない)。以前に仕事で付き合いがあった人が、「日本から来た留学生のためのネット上の交流の場」をインターネットを使って作ろう、という目的でシアトル拠点でNOPを立ち上げるので協力して欲しいと言うのである。ソシアル・ネットワーキングはブログとならんで注目しているテーマなので、思わずその場で「ぜひ協力させて下さい」と言ってしまった。この機会にソシアル・ネットワーキングの作り方が学べれば一石二鳥である。

 確かに考えてみると、私が「リトル・リーグのコーチ」や「老人介護」のボランティアができるはずもなく、インターネットを使ったボランティア、という機会が今まで一度もなかったからボランティアをして来なかったのである。…と妙に自分を正当化してしまう私はやはり偽善者なのだろうか。


シングル・ファザー体験中

050302_063034 家族がシアトルに戻ってくることになり、私の二年以上にわたる単身残留状態が終わったのは良いが、「残務整理」のために妻が下の子供を置いて日本に一時帰国しているため、突然シングル・ファザー状態になってしまった。

 妻が日本に行っている間の二週間、チュータリング・スクール(日本でいう塾のようなものだが、正式な単位をくれるところ)と公立中学の両方に行っている息子を、一日3回仕事を抜け出して、車で移動させるのは私の役目だ。これは結構きつかった。

 それに輪をかけて、来年度の開発計画を立てなければならないし、日本からは人が来るし、新しいオンライン・ゲームを二つも同時に始めてしまうし、新しいプロジェクトのプロトタイプを引き受けてしまうし、まるで「皿回し」の曲芸師である。アメリカには、離婚した後に子供を引き取って一人で育てるシングル・ファザーもシングル・マザーも良くいるが、良く続けられるものだと思う。

 インターネットのおかげで家からも仕事ができるようになったので、仕事の絶対時間は作ろうと思えば作れるのだが、時間が途切れ途切れになってしまうのがきつい。一度も息子の送り迎えを忘れたり、食事を食べさせなかったりしなかったのが奇跡である。

 ちなみに、写真は私の愛車を洗う息子である。日本では、月々決まった「お小遣い(英語では allowance)」を上げていたのだが、シアトルに戻ってからは、「洗車8ドル」、「芝刈り5ドル」、のように全て「働いてかせぐ」方式にした。そのおかげで良く家のことを手伝うようになってくれたので大助かりである。ちょうど、iPod だの「ドラム・セット」だの欲しいものが沢山あるので、彼としても必死である。反抗期のまっさかりの息子には、「ムチ」が一切効かなくなってしまったので、「アメ」作戦に出ているのである。こちらは、さしずめ「猛獣使い」の気分である。


NEC TK-80

041226_101210  ここの所、東京・シアトル間での「部分引越し」ばかりしている我が家だが、つい先日の荷造りの際に撮影したのがこの写真。私の最初のパソコン(当時はマイコンと呼ばれていたが)、NEC TK-80 である。

 思いっきり理科系路線を走っていた高校2年の私に、松戸に住む叔父が「聡君にぴったりのものが発売されたよ」と送ってきてくれた雑誌の切り抜きに紹介されていたのが、この TK-80である。「これからはマイコンの時代」というようなセンセーショナルな記事だったと思う。

 「SF小説でしか縁のなかったコンピューターが自分で作れる!」と感動した私だが、8万円もする TK-80 が自分で買えるはずはなく、「かならず稼いで返すから」と親にねだって買ってもらったのを覚えている(返したかどうかは覚えていない)。

 無我夢中ではじめてのハンダごてを握り、2日ぐらいで一気に作り上げた。電源を入れ、サンプルプログラムを打ち込むと、ちゃんと動く。感動である。しかし、そこでハタと困ってしまった。その後何をしてよいのか分からないのである。マニュアルには、「8080インストラクションセット」、「レジスタの構成」などが書かれているのだが、チンプンカンプンである。サンプルプログラムも全く理解できない。そこから一週間ぐらい、全く何から手を付けてよいか分からなくなってしまった。

 「ひょっとしたらこれは高校生の僕は手を出してはいけないものだったかもしれない」との不安を抱きながらサンプルプログラムとにらめっこをしているとき、ふと「これってひょっとしたら命令を一つずつ実行しているだけなんじゃないか」とひらめいた。そう思ってサンプルプログラムを見直してみると、今まで全く理解できなかった「インストラクション」だとか、「レジスタ」の意味が分かるではないか。自分の基礎知識のなさを棚に上げて、「なんで最初のページに、『CPUとはメモリーに書かれているインストラクションを一つずつ順番に実行するものです』とひと言書いておいてくれなかったんだろう」とマニュアルの不備に腹を立てたのを覚えている。今考えると、参考書も読まずにキットのマニュアルだけでプログラミングをマスターしようとしていたのだから無謀である。

 ソフトウェアという概念を全く理解していなかった私は、メモリーに書き込んだプログラム全てが同時にCPUの挙動に影響を与えると信じて疑わなかったのである。ソフトウェアは、今で言うところの FPGA (FIeld Programmable Gate Array) のようなものだと思い込んでいたのである。インストラクションを一つずつ実行するコンピューターを「ノイマン型コンピューター」と呼ぶのだと知るのは、ずっと後のことである。

 そんな私が、「初代パソコン少年」としてアスキー出版に入り浸るようになり、マイクロソフトで Window 作りに参加し、米国でソフト会社の起業までしてしまったのだから、「縁」というものは不思議なものである。あの雑誌記事をわざわざ私のために切り抜いて送ってくれた叔父にも、高校生の私に8万円もの大金を投資してくれた親にも、感謝・感謝である。

 ちなみに、今の高校生たちにはこれに相当するものに出会う機会はあるのだろうか。コンピューターもインターネットも既に「黎明期」は過ぎてしまったので、これからだったらバイオだろう。などと考えていたら、「家庭でできるクローン・キット」とか、「自宅でできる遺伝子組み換えセット」とかが売り出される日が楽しみになってきた。しかし、私の場合、甥に勧める前に自分で買ってしまいそうなのが怖い。「カトキチの冷凍うどんの横で、カエルの受精卵を凍らせるのだけはやめて」という妻の声が聞こえてきそうだ。


ソニーの苦悩

050304_132710  今回のソニーのトップの交代劇に関しては、色々な見方があるが、私はこれを「ソニーは変わらなければいけない」という出井氏の強い意思表示と解釈している。自分がなしとげられなかった「ソフト・ネットワーク路線への大幅な方向転換」を託せる後継者がソニー本社におらず、ハワード・ストリンガーというイギリス人に託さざるおえない出井氏の苦悩が良く見える。

 大賀氏が出井氏にバトンを渡したのには、ソニーを「ハード・技術重視」の会社から、「ソフト・マーケット重視」の会社への大転換させる必要が来ているとの大賀氏なりの判断があったと私は解釈している。たぶん、当時のソニーの中で、ソフトの重要性やインターネットのもたらすインパクトを一番理解していたのが出井氏だったのだろう。

 トップについた出井氏は、さまざまなメッセージを社内外に送り始めるのだが、今まで「もの作り路線一筋」でソニーのビジネスを支えてきた技術者たちには中々伝わらなかったようだ。私の知り合いによれば、当時のソニー内での出井氏の評価は、「出井氏の言うことはかっこはいいけど抽象的で具体性に欠け、具体的に何をすれば良いかが見えて来ない」というものだったようだ。出井氏からすれば、「具体的に何をするべきかを頭を使って考えるのはお前たちの役目だろう」と言いたいところなどだろうが、この辺りから出井氏と技術者たちのすれ違いが始ったようだ。

 中々自分の言うことを理解してもらえないのに業を煮やした出井氏は、自分の言うことを理解できる文科系の優秀な学生たちを採用し始めるのだが、これは皮肉にもさらに社内の軋轢を高めてしまったようだ。ソニーに古くからいる技術者から見れば、「もの作りが分かっていないエリート大学出の文科系の連中」が社内の主要なポジションにつき始め、それも悪いことにそういった「文官(ソニー内部ではそう呼ばれているらしい)」たちがリーダーシップを取って薦めたプロジェクトがことごとく失敗するものだから、「文官」と「武官(技術者)」の軋轢がますます広がって行くことになる。

 極めつけはソニー・ショックで知られる2002年の決算で、出井陣営の「文官」たちを主要なポジションに置いて進めた本業の「エレキ・ビジネス(これもソニーの社内用語)」が惨憺たる結果となり、「武官」の代表格である久夛良木氏率いるSCE (Sony Computer Entertainment) のゲームビジネスがソニーを救う、という状態になってしまったのである。本来株主のことを考えるならば、あの時点でSCEをスピンアウト・上場させるべきだったのかもしれないが、出井氏は逆にSCEをソニーの100%子会社にするという手段を選んだ(私にはなぜ久夛良木氏がこれを了承したのかがどうしても理解できない)。この時点で、出井氏のリーダーシップが形骸化してしまい、「飯の種を稼いでいる」久多良木氏のソニー本体に及ぼす力が限りなく強くなってしまったのである。

 ソニー本体での発言力の高まった久夛良木氏は、ゲームビジネスで稼いだお金を出井氏のめざす「新しいソニー」を作るための資金に使うのではなく、今までと同様に、ゲームビジネスの延長上にある、PSX、PSP や セルチップの開発に使いつづけたのである。久多良木氏としては当然の行動だが、出井氏か見れば、これでは SCE をソニーの100%子会社にしたメリットは無いに等しい。

 その歪んだ状態を一気に断ち切るために出井氏が選んだ手段が今回の人事である。一部のマスコミはこれを「久夛良木氏の降格」と見ているようだが、それよりは、「久夛良木氏を使いこなせない出井氏が白旗をあげ、最後の手段として自分と久夛良木氏の両方をソニー本体からはずした」、と言った方が正しいと思う。やはり、SCE をソニーの100%子会社にしたのが間違いだったのである。

 今後のソニーがどんな方向に行くのかを見るのはとても楽しみである。私としては、今からでも(1)SCE をスピンアウト・上場(もちろん久夛良木氏がCEO)、(2)その資金でアップル・ピクサーの買収、そして(3)スティーブ・ジョブスを新CEOに、というシナリオが一番見たいのだがどうだろうか。このクラスのM&Aの方が、ライブドアのニッポン放送株の買収なんかより数百倍インパクトがあるし楽しいと思う。

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ソニー久夛良木副社長、降格!
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ソニーの”顔”が総退陣
出井の退場で名実ともに外資系になったソニー
ソニー・出井伸之会長退任へ


ゲーム端末バトル-笑うのは誰?

050207_212508  今週開かれた GDC(ゲーム・ディベロッパー・コンファレンス) で、マイクロソフトと任天堂が次世代ゲーム端末の仕様を初公開した。気が付いた人も多いと思うが、すごいことが起こっている。気が付かなかった人のために、関連記事から注目すべき点を抜き出してみた。

MS、次世代Xboxに関する情報公表
…次世代XboxはIBMと共同開発したマルチコアプロセッサアーキテクチャを採用し、ATI Technologiesと共同設計したカスタム仕様のグラフィックスプロセッサを搭載。テラフロップ以上のターゲット型コンピューティング性能を実現できる、バランスの取れたシステムを目指す。…

任天堂・岩田社長がGDCで次世代ゲーム機の概要を発表
…Revolutionは、IBMのCPU「Broadway」とATIのグラフィックチップ「Hollywood」を搭載している。これは、エンターテインメントの本場である「ブロードウェイ」と「ハリウッド」の地名から名前が取られたことは言うまでもなく、ここから新世代のエンターテインメントが輩出されるように、という意味が込められれている。…

ソニー:「PlayStation 3ではゲーム開発者の作業負荷を軽減する」
…ソニーは、IBMおよび東芝と提携し、4年前からCellの開発に取り組んでいる。先月には、同社のエンジニアがそのアーキテクチャの詳細を明らかにし、IBMのPowerアーキテクチャに基づくマルチコアプロセッサになると説明していた。…

 つまり、据え置き型の次世代端末に関しては、IBMが100%のシェアを持つことがほぼ確実になったのである。それも、単なる「チップの採用」などという生易しい話ではなく、どれも「共同開発」をうたっている点がすごい。

 少し前は、PowerPC support on tap for Red Hat Linux だとかの記事もあったし、IBMが着実に駒を進めているのが見える。IBMが今後市場に投入してくるサーバーの多くがPowerPCを使ってくることは目に見えている。

 極めつけは、PCビジネスの売却で、これはどう見ても確信犯である。ここまで戦略的に駒を進めてくれば、「詰めの一手」はこれしかないだろう。

 「Dell Computer が PowerPC ベースのウィンドウズマシンを発売」

 もしこれが実現してしまえば、過去20年間誰もが崩すことのできなかったインテルの牙城を一気に突き崩すことができる。インテルのCEOは枕を高くしては眠れないはずだ。

 もう一つ心配なのはソニー。大きなリスクを負ってCELLチップをIBMと共同開発したのは良いが、そこで得られたノウハウが他のゲームメーカー向けのチップに流用されないようにプロテクションはかけてあるのだろうか?世界最強の知的財産管理部門を持つ IBM とそんな契約ができたとは思えないのだが、それは杞憂だろうか?チップの開発はIBMに任せて、プラットフォームとツールの開発に集中投資しているマイクロソフトの戦略とは好対照である。


パッケージビジネスの終焉

Ondemandtv  開発のエンジニアたちにはずいぶん無理をしてもらったが、何とかオン・デマンド・ティービー社の VOD(video on demand)サービスの発表にこぎつけることができた。「ユビキタスなユーザー・インターフェイス・テクノロジー」をうたい文句にしながら携帯電話でしかビジネスが成立していなかった弊社としては、とても重要なマイルストーンだ。ここを借りて、関係者の皆様にお礼を申し上げたい。全てのユーザーインターフェイスがサーバー側からオンデマンドでダウンロードされて動くという「ブラウザー的」なウェブ・アプリケーションでありながら、使い心地はC++ などで作りこんだ組み込み型のソフトウェアに劣らない、という UIEngine の利点を十二分に生かしたものに仕上がっており、今後のサービスの展開が楽しみである。

 これで、2005年は名実ともに「VOD元年」となったわけで、今後のVODマーケットの展開からは目が話せない。ドコモの iMode サービスが始まったのが1999年末であるから、そのパターンを踏襲すれば、2006年にはほとんどの人の知るところになり、2007年には「クラスのほとんど全員のうちにVODがあるのに、なぜうちにはないの?」と子供たちが騒ぎ始めることになる。普及率が20-30%ぐらいになったときに、「皆が持っているから」という心理状態が(子供にも大人にも)働き、一気に60-70%ぐらいの普及率まで駆け上がるのが、日本のマーケットの特徴である。その意味では、オン・デマンド・ティービーの「2100円で映画見放題」というプランが起爆剤になって市場が一気に立ち上がってくれるのではないかと期待している。

 ちなみに、新聞や雑誌では「映像コンテンツの時期メディアは Blue-ray と HD-DVD のどちらになるか」などという議論がよくされているが、そんなことよりも、「5年後・10年後にコンテンツを『物』として流通させる形のパッケージビジネスがそもそも存在するのか」という心配をしたほうが良いと思う。あらゆるところにネットワークと端末のある、「ユビキタス・ネットワーク」、「ユビキタス・デバイス」、の時代になると、VODに代表されるサービス型のビジネスへのシフトが加速され、従来型のパッケージ型ソフトのビジネスモデルにしがみつく過去の勝ち組が、負けてもともとの意気込みの新規参入組みに淘汰されてしまう可能性があるから要注意である。

 音楽に関しては、Winny のような違法なものはさておき、iTune に代表されるダウンロード型のビジネスモデルへのシフトがすでに始まっている。しかし、私はこの形は過渡的なものでしかなく、ある時点で RealNetworks の提供する Rhapsody のような、「聞き放題サービス」(古くからある「有線放送」の形)に落ち着くと信じている。その際には、ユビキタスなデバイス・ネットワークで安心して使えるユーザー認証や課金の仕組みだとか、オフラインでの視聴を可能にする著作権保護付きキャッシュの技術などが当然必要になるが、それさえ実現すれば、「月々ある一定の料金さえ払っていれば、どの端末でも音楽が聞き放題」という「コンテンツがユーザーに帰属する」時代の実現が可能になる。

 ゲームに関しても同じで、「FFXI」クラスのヘビー・ユーザー向けのMMORPGから、東風荘に代表されるカジュアルなオンライン・ゲームまで含めた、大きな意味での「オンライン・ゲームへのシフト」はすでに始まっている。それに加えて、「膨大な開発費をかけてゲームを作り、数百万本以上売って一気に回収する」という従来型の「売り切り型」のコンテンツ・ビジネスが、さらなるゲーム端末の進化についていけるかどうかはゲーム業界にとっては大きな課題である。たとえ次世代のゲーム端末が、実写と見間違えるばかりの3D空間を再現する性能を持っていたとしても、その性能を引き出すコンテンツを作るのに現状のコンテンツ作りの10倍のコストがかかるとしたら、ビジネスとしては成立しないのである。それよりは、月額課金により安定した収入を確保しつつ、サービスとしてコンテンツを提供するオンライン・ビジネスの方が、ビジネスとしては遥かに安定しており魅力的である。

 こうやって考えてみると、映像・音楽・ゲームという従来CDやDVDの形の「パッケージ」の流通により成立していたビジネスが、(ダウンロード流通などというなまやさしいものではなく)月額固定額で「見放題」、「聞き放題」、「遊び放題」というビジネスにシフトするのも遠くないような気がして来る。そんな意味でも、他社に先駆けて「見放題」、「聞き放題」のサービスを提供しているオン・デマンド・ティービー社とRealNetworks社にはエールを送りたい。


スターバックスの新戦略

050303_124037_1  シアトル近辺のオフィスで最近良く見かけるようになったのが、スターバックスブランドのコーヒーメーカー。カップを入れてボタンを押すだけで入れたてのコーヒーが飲めるので、とても評判が良い。社員向けのラウンジや、ショールームの待合室などに置いてあるのを良く見かけるようになった。

 知り合いの経営する会社のオフィスにも置いてあったので、秘書さんに「これってリースでしょ、幾らするの」と聞くと何と無料だという。月々ある程度以上のコーヒー豆を決まってスターバックスから買うと約束しさえすれば、無料で設置してくれるそうだ。「うちのオフィスはコーヒー好きが多いから、値段は同じだからこれにしたの。」と言う。

 つまり、これは Yahoo がADSLモデムを無料で配ったり、携帯電話事業者が「1円」で携帯電話を売ったりするのと同じく、月々の収入を確保するために機器を無料で貸し出すという、「サービス型」のビジネスモデルなのだ。

 マイクロソフトでは、私のいた99年ぐらいから「ソフトウェアはサービスだ(Software is service)」という掛け声とともにビジネスモデルの切り替えを図っているがなかなかうまく行っていない。それに先んじてスターバックスが、オフィス向けのコーヒー豆をサービス型のビジネスモデルで売ることにしたとは賞賛に値する。

 ちなみに、日本でのサービス型のビジネスモデルの先駆者として、ダスキンとセコムがよく取り上げられるが、考えてみれば一昔前は、酒・米・牛乳も限りなくサービス型に近い形で提供されていたように思う。残念なことに、あの手のビジネスは(客寄せに原価以下で売る)安売りスーパーに駆逐されてしまったが、まさに今注目されている「サービス型のビジネス」を先取りしていたのが当時の酒屋・米屋・牛乳屋であったわけだ。

 ひょっとしたら、「米びつと炊飯器を無料で配って、米をサービス型で販売するビジネスモデル」を提案すれば、新しいもの好きのベンチャー・キャピタルから資金を引き出せるかもしれない。そして、その資金を使って、駅前で炊飯器を無料で大量に配り、ユーザーを100万人集めたところで、ソフトバンクかライブドアにビジネスごと売るのだ。


Lexus RX330

050304_053052  米国への帰国の決まった妻のために車を買った。今回の車は「おしゃれなSUV(Sports Utility Vehicle)」の代表格のLexus RX330 である。子供が小さいうちは「ミニバン」を夫婦のどちらかが運転し、子供が大きくなるとそれを SUV に買い換えるというのが、シアトル近辺ではとても良く見られるパターンだが、我が家もまさにそのままのパターンにはまることになった。

 前回の車と同じく、今回もメールで値段交渉をした。セールスマンとのメールのやり取りはざっとこんな感じだ。

セ「興味を持っていただきありがとうございます。ぜひともご来店ください。」
私「来店より先に、まずは幾らで売ってくれるのか数字を出して欲しい」
セ「車を買うときはまずは試乗してからと言います。ぜひともご来店ください」
私「試乗は値段交渉を済ませてからだ。早く数字を出して欲しい。ちなみに、invoice price (仕入れ価格)は調べてあるので、それに幾ら上乗せするかを言ってくれれば良い」
セ「では、ぜひともお電話をいただきたく思います。わたしの番号は…」
私「電話で交渉する気はない。メールで数字を出して欲しい。」
セ「満足していただける数字は用意したつもりです。お電話を下さい。」
私「メールで数字をくれ」
セ「今回の数字は破格の値引きなので、メールに書くことだけはできません。」
私「分かった。5分後に電話する」

 ここで電話をすると、invoice + $1500 を提案してくる。予想していた invoice+$2000 より低い価格だ。「じゃあ、今日の夜、試乗に行く。車を用意しておいてくれ。」と言う。

 夜になってディーラーに行き、妻と試乗する。悪くない、さすがトヨタだ。ショールームにもどり、値段の最終確認をする。恐れていた通り、必要のないディーラーオプション(ドアの保護シールなど)がついており、invoice + $1500 にそのディーラーオプション $590 を加えた額を契約書に書き込もうとしている。私が、「invoice + $1500 だと聞いたからここに来た」と強く出ると、意外とあっさりと $590 はあきらめてくれたので内心ホッとする。

 もし米国で車を買う人がいるとしたら、私のようにメール(もしくは電話)で値段交渉をすることを強く勧める。 米国の車のセールスマンの多くは、「ショールームに足を運んだ客をいかに試乗させ、その試乗した客のうちどれだけ多くにその場で契約させるか」を徹底的に訓練された「心理戦のマスター」である。そんなセールスマンの「戦場」であるショールームで値段交渉を始めてしまうと、どうしても「こんなに時間と労力をかけてしまったのだから」という心理が働いてしまい妥協しやすくなるし、「その値段なら他のディーラーから買う」という脅しも使いにくいからだ。メールで交渉するかぎり、こちらの労力は最低限で済むし、対応の悪いディーラーとの交渉はさっさと打ち切ってしまえば良いので、こちらが圧倒的に優位だ。