今までも、何度か「パーケージビジネスの終焉」だとか、「ソフトウェアはサービス」という言い方で、インターネット時代のビジネス・モデルに関して色々な言い方で延べて来たが、今回はそういったメッセージを通じて私が何を言いたかったかをまとめてみたいと思う。
ひとことで言えば、「音楽・映像・ゲーム・アプリケーションなどデジタル・コンテンツは、次第に月額固定料金での『見放題・遊び放題・使い放題』のサービスとして提供されるようになる」ということである。
コンテンツがCDやゲーム・カートリッジのような「物」として流通している限りは、消費者ははっきりと「所有」を意識する。消費者にとって、2000円なりのお金を払って、その対価として音楽CDを受け取る、という行動は、靴屋で靴を買う、肉屋で肉を買う、などの経済活動と全く同じ皮膚感覚で行える。
しかし、インターネットを介して、従来の「物販」と同じビジネスモデルでデジタル・データとしてコンテンツを流通させるのにはさまざまな問題がある。
まず第一に、その「所有感覚」が非常に薄いのが大きな問題である。消費する側にとってみれば、お金と引き換えにダウンロードした音楽データが、自分のパソコンにデジタル・データとしてあるだけ、という感覚はCDなどの「物」を所有する場合と比べて、非常に不安である。「間違って消してしまったらどうしよう」、「ハードディスクが壊れたらどうするのだろう」などの感覚は当然で、その不安感は、提供する側が「一度購入したコンテンツは再度ダウンロード可能です」と言っても簡単に拭えるものではない。
第二に、消費者がデジタル・コンテンツのコピーにはあまり罪悪感を感じない、というのが大きな問題である。全世界で Winny などを使って行われる違法コピーによる音楽・映像業界への被害は1000億円を超えるとも言われているが、それもデジタル・コンテンツの「所有感覚」の欠如のなせる業である。それを防止しようと、さまざまなコピー・プロテクションの技術などが開発されているが、いたちごっことなっているのが現状である。
私はこの問題を解決するには、一曲あたり幾ら、一ゲームあたり幾ら、というコンテンツを「物」として流通させていた時代のビジネス・モデルから脱却して、「月々幾ら円で音楽聴き放題」、「月々幾らでゲーム遊び放題」というビジネス・モデルに移行するのが一番だと信じている。その月額課金料金が一度サービスの提供者に集められ、コンテンツ提供者に対しての分配金は、実際にユーザーがどのくらい聞いたか・遊んだか、に応じて決定されるのである。つまり、昔からある「有線放送」型のビジネス・モデルである。
「○○放題」のサービスとしてデジタル・コンテンツを提供することにより、サーバー側で加入者の管理をしっかりことが可能になり、消費者側にはあいまいな「所有」感覚ではなく、「月々課金」の代価として「○○放題」が楽しめる、というとてもストレートな「加入」感覚が生じることになる。もちろん、サービスそのものをコピーしようなどとは普通の消費者は思わないしできないし、月額課金という自分自身のIDと繋がったものを悪用するのにも抵抗がある。
以上の理由で、私は iTune のようなダウンロード課金は一過性のものでしかなく、最終的には Rhapsody のような「聞き放題」サービスに集約されていくだろうと確信しているのである。もちろん、今までの「物の流通」型のビジネス・モデル上での既得権者が抵抗してくることは目に見えているが、流れは変えられないと思う。先月も Napster が Napstar To Go という「聞き放題」サービスを始めたし、近いうちに日本でもそんなサービスが始まることを期待している。
こう考えてみると、コンテンツの作り方も変えていく必要があるかも知れない。コンテンツがサービスとして提供される時代には、莫大な制作費と宣伝費をかけて発売後2~3週間で一気に回収しようという作り方より、長く聞いてもらえる・長く遊んでもらえるコンテンツ作りをする必要がある。最近では、中島みゆきの「地上の星」が記録的に長い間チャートにい続けたことはよく知られているが、あんなコンテンツこそがオンラインの時代には最適なのである。
ちなみに、「ロングセラーで有線放送型のビジネスモデルに強い」コンテンツと言えば演歌である。だからといって、「これからのオンライン・コンテンツは演歌を参考にして作らなければならない」と言う話でもないが、演歌がなぜロングセラーになるのかを研究しておくのは無駄にはならないかも知れない。「演歌だけでなく、サザンもユーミンもロングセラーだ」という声が聞こえてきそうだが、私には彼らの歌は演歌に限りなく近いと思っている。堀内孝雄なんか、完全に演歌歌手になってしまったし。