NEC TK-80
2005.03.16
ここの所、東京・シアトル間での「部分引越し」ばかりしている我が家だが、つい先日の荷造りの際に撮影したのがこの写真。私の最初のパソコン(当時はマイコンと呼ばれていたが)、NEC TK-80 である。
思いっきり理科系路線を走っていた高校2年の私に、松戸に住む叔父が「聡君にぴったりのものが発売されたよ」と送ってきてくれた雑誌の切り抜きに紹介されていたのが、この TK-80である。「これからはマイコンの時代」というようなセンセーショナルな記事だったと思う。
「SF小説でしか縁のなかったコンピューターが自分で作れる!」と感動した私だが、8万円もする TK-80 が自分で買えるはずはなく、「かならず稼いで返すから」と親にねだって買ってもらったのを覚えている(返したかどうかは覚えていない)。
無我夢中ではじめてのハンダごてを握り、2日ぐらいで一気に作り上げた。電源を入れ、サンプルプログラムを打ち込むと、ちゃんと動く。感動である。しかし、そこでハタと困ってしまった。その後何をしてよいのか分からないのである。マニュアルには、「8080インストラクションセット」、「レジスタの構成」などが書かれているのだが、チンプンカンプンである。サンプルプログラムも全く理解できない。そこから一週間ぐらい、全く何から手を付けてよいか分からなくなってしまった。
「ひょっとしたらこれは高校生の僕は手を出してはいけないものだったかもしれない」との不安を抱きながらサンプルプログラムとにらめっこをしているとき、ふと「これってひょっとしたら命令を一つずつ実行しているだけなんじゃないか」とひらめいた。そう思ってサンプルプログラムを見直してみると、今まで全く理解できなかった「インストラクション」だとか、「レジスタ」の意味が分かるではないか。自分の基礎知識のなさを棚に上げて、「なんで最初のページに、『CPUとはメモリーに書かれているインストラクションを一つずつ順番に実行するものです』とひと言書いておいてくれなかったんだろう」とマニュアルの不備に腹を立てたのを覚えている。今考えると、参考書も読まずにキットのマニュアルだけでプログラミングをマスターしようとしていたのだから無謀である。
ソフトウェアという概念を全く理解していなかった私は、メモリーに書き込んだプログラム全てが同時にCPUの挙動に影響を与えると信じて疑わなかったのである。ソフトウェアは、今で言うところの FPGA (FIeld Programmable Gate Array) のようなものだと思い込んでいたのである。インストラクションを一つずつ実行するコンピューターを「ノイマン型コンピューター」と呼ぶのだと知るのは、ずっと後のことである。
そんな私が、「初代パソコン少年」としてアスキー出版に入り浸るようになり、マイクロソフトで Window 作りに参加し、米国でソフト会社の起業までしてしまったのだから、「縁」というものは不思議なものである。あの雑誌記事をわざわざ私のために切り抜いて送ってくれた叔父にも、高校生の私に8万円もの大金を投資してくれた親にも、感謝・感謝である。
ちなみに、今の高校生たちにはこれに相当するものに出会う機会はあるのだろうか。コンピューターもインターネットも既に「黎明期」は過ぎてしまったので、これからだったらバイオだろう。などと考えていたら、「家庭でできるクローン・キット」とか、「自宅でできる遺伝子組み換えセット」とかが売り出される日が楽しみになってきた。しかし、私の場合、甥に勧める前に自分で買ってしまいそうなのが怖い。「カトキチの冷凍うどんの横で、カエルの受精卵を凍らせるのだけはやめて」という妻の声が聞こえてきそうだ。
な、なんと! 現物をまだもっていらっしゃるなんてびっくりです。
私もMZ80Bという当時30万円もするコンピューターを親父が月賦で買ってくれたことが人生の転機となりました。
まだ実家の物置に眠っているはずなので発掘してみようと思います。感謝の念をこめて。
ただ、起動するためのカセットテープがないのであの当時を再現することは難しそうです。(クリーンコンピューターなので...はははっ!)
Posted by: meigara | 2005.03.17 at 05:00
meigara さんは、MZ80B 派だったんですね。私は、なぜかずっとNEC機(TK-80の次は、PC-8001、88、98)だったので、MZ には縁がありませんでした。今や、TK-80もMZも博物館ものですね。
Posted by: Satoshi | 2005.03.17 at 10:53
こんにちは!コメントありがとうございました。このサイト興味深く、プロフィールを始めあちこち読ませていただきました。またじっくり拝見させていただきます。まずはお礼のごあいさつまで!(あっ、後ほどTB張らせていただきます)
Posted by: C子 | 2005.03.17 at 14:03
私のPC遍歴にコメント有り難うございます。大学も同窓のようで、いろいろとご縁を感じ、オールドPCユーザーの独り言を書きたくなりました。Life is beautifulのblogはそれぞれに含蓄があり、楽しく読ませて貰っています。
Posted by: taki | 2005.03.21 at 06:03
私のPC遍歴にコメント有り難うございます。大学も同窓のようで、いろいろとご縁を感じ、オールドPCユーザーの独り言を書きたくなりました。Life is beautifulのblogはそれぞれに含蓄があり、楽しく読ませて貰っています。
Posted by: taki | 2005.03.21 at 06:04
私の原体験は小学二年生の時に触った「SHARP X1-C」です。その後、HITBITに浮気しつつ「X1turbo」でCP/Mなどに触れていました。当時隆盛を誇ったNEC系のPCはMark2-TRを一瞬所有したくらいですが、武田鉄矢がCMをしていたPC-6001SR(SLの音が出るという触れ込みのマシンでしたね)とか欲しかったのを思い出しました。
まったく"「縁」というものは不思議なもの"ですね。
Posted by: Cyberoptic | 2005.04.12 at 20:41
確かに、縁というものがあるようで、私は TK-80 以来、ずっとインテル系のチップを載せたパソコンばかり扱ってきました。そのせいか Mac 系に縁が無いのが残念です。最近になって、ようやくケイタイ向けのソフトなど作っているので、やっとインテル系から脱却です。
Posted by: Satoshi | 2005.04.12 at 21:01
私は小3で親戚のおにいさんのMZ80で平安京エイリアンでマイコンに初めて触れ、小6でお年玉貯金に前借でPC6601(3.5FDDが初めてついた)を購入。BASICマガジンに投稿するも採用されたことなし。。。マシン語の途中で挫折といった経歴です。
今の子供たちはもっと面白いと思います。探せばさすだけ興味深いものでてきますから。きっとSatoshiさんが今の子供であれば、いろんなOpenSourceいじりたおして、面白いものつくっているのではないですか? 。。。クローンキット笑いました。ありそうですね(笑)
Posted by: Jun Konno | 2005.04.28 at 18:31
MZ80も懐かしいですね。あのころは、日本勢だと Sharp 派と NEC 派がいて、米国勢の、それにコモドールの Pet 派とアップルの AppleII 派と分かれていましたね。
Posted by: satoshi | 2005.04.28 at 21:50
残念ながら(いや、当然と書くべきか)、組換え体は条約/各国国内法で規制されており、隔離して扱えるような施設で扱わなければなりません…
# 私も、「自宅で組換え」したかったので。
Posted by: ばく | 2006.07.22 at 21:09