アーキテクトという職種
2005.06.10
私の父親が40年前に設計した建物が、このたび解体されることになった。自分が設計した建物が、40年もの時を経てその役目を終えて解体される時の気持ちはどんなものなんだろう。
建築家(アーキテクト)の父は、私も建築の道を選ぶことを少しは期待していたとは思うのだが、高校時代に「元祖パソコン少年」としてソフトウェア・エンジニアの道にハマり切ってしまい、その道に突っ走ってしまった私である。
今度は私の息子が大学に進む番だが、数学が得意にも関わらず「ビジネス」を勉強するという。少し裏切られたような気もするが、何よりも本人が一番したいことをするのが良いのだろう。私が大学進学のときに、ソフトウェアがあれほど好きだったのにも関わらず父に気を使って建築学部に進学していたら、きっと後悔していたと思う。そんな私を暖かく見守ってくれた父に恩返しをする一番の方法は、同じことを息子達にしてやることではないだろうか。
ちなみに、私のマイクロソフトでのタイトルは Software Architect、今も CEO 兼 Chief Software Architect である(Chief Prototype Officer と呼ぶ人もいるが^^)。ソフトウェアの世界での Architect (アーキテクト)の役割は、文字通り「設計図を引く」ことにある。きちんとした設計図があってこそ、良いソフトウェアが出来るのであり、そこを間違えてしまうと、開発コストやスケジュールに影響が出るだけでなく、期待した性能がでなかったり、スケーラビリティが悪かったり、と悲惨なことになってしまう。それほど重要な役割を果たすアーキテクトの仕事が私はたまらなく好きだ。何も無い段階から知恵と知識と勇気と想像力をふんだんに働かせて形あるものを作りあげて行く過程が、そしてそれが自分の思うとおりの形に仕上がってきた時の感動が、たまらなく好きだ。
業界も業種も全く違う道に進んだ私が、気がついてみたら、父と同じアーキテクトという職種を私は選んでいたわけだ。不思議なめぐりあわせだ。
ちなみに、私の書いたプログラムは40年間も使われ続けるのだろうか?Windows XP には、まだ私が Windows95 で書いたコードが沢山残っている。当然、Longhorn においてもそうだろう。つまり、少なくとも後10年、トータルで20年間は使われることになるわけだ。しかし、40年は難しいだろう。2035年になっても、まだ Windows が今の形を継承したまま存在するとしたらそれはそれで不気味だ。その時までには、Windows みたいな形のOSとは全く違う形のソフトウェア・プラットフォームが出来ていて欲しい。そして、「どっちにしろ『何か新しいもの』が Windows と入れ替わるなら、それも作ってみたい」と思う私は思いっきり欲張りかもしれない。
meigaraです。
私の父は建築士でした。サラリーマンとして企業に属し、プールの設計をずっとやっていました。(建築家ってなにか独立した事務所をかまえている方のことを言うような気がしてあえて建築士としておきます。)
プールの設計ですからある意味全国に作品が残っているのだとは思いますが、Satoshiさんのブログを読むまではその中の数個しか知らないことに気が付きました。
来週は「父の日」ですよね。実家で彼の作品群について聞いてみようと思います。
Posted by: meigara | 2005.06.11 at 06:43
ドンマイ♪
Posted by: よーへー(息子) | 2005.06.13 at 00:10