101回目の開眼
2005.07.23
今日、一つ「開眼」したことがある。開眼とは言っても、「宮元武蔵が二刀流に開眼した」ような大それたものではなく、ゴルファーなら誰でも一生に何度も経験する例の「開眼」である。
goo 辞書には、開眼の意味として、
(1)目が見えるようになること。また、見えるようにすること。
用例:「開眼手術」
(2)物事の道理や真理がはっきりわかるようになること。また、物事のこつをつかむこと。
用例:「俳優として開眼する」
の二つが挙げられているが、これでは不十分である。ゴルファーのことを考えて、
(3)アマチュア・ゴルファーが人や教本などからちょっとしたヒントを得たすぐ後にたまたまうまくプレーできた時に、「これで格段にゴルフがうまくなった」と思い込んでしまうこと。
用例:「今年になって、これで5回目の開眼だ」
を3番目の意味として付け加えるべきだ。
今日の開眼は、「全てのクラブを9番アイアンだと思って振ると良い」である。プレー中に同伴者に言われて早速試してみたところ、後半のスコアが前半のスコアより10も良くなり、9ホールでの新記録(39)が出てしまったのだ。今までも、100回ぐらいこの手の「開眼」をしているので、そのたびに少しづつ上達しているとすれば、今頃とっくにシングル・プレーヤーになっているはずである。にも関わらず相変わらず90を切るか切らないかのあたりで停滞しているのは、今までの「開眼」が、(2)の意味の開眼ではなく、(3)の意味の開眼だったということだ。それでも、「出来れば、この『101回目の開眼』こそ本物であって欲しい」と、性懲りも無く夢を見ている武田鉄也のような私である。
[追伸] アマゾンで、「開眼」という言葉が付くゴルフの教本をサーチした所、14冊も見つかった。それにしても、ゴルフ教本の題名ってなんだか恥ずかしい。「たかがゴルフに『われ本日ゴルフに開眼す』は無いだろう」とツッコミを入れたくなってしまう。
私はゴルフをやったこと無いし、これからもその予定がないのでみんながはまっている理由が分かりませんが、今回のように「開眼した!」と思えるような出来事があるから辞められないんでしょうね…。これからも沢山の「開眼」を体験されることを応援してます。
それにしても派手なフラッグですねぇ…
Posted by: kazuyon | 2005.07.26 at 06:23
「われ本日ゴルフに開眼す」は,教本じゃなくて作家が書いたゴルフ・エッセイですから,そんなツッコミを入れるほうが無粋かと。いわば,このエントリのタイトルみたいなもんです。
Posted by: northCountry | 2005.07.27 at 20:40
kazuyonさん、ご指摘の通り、この「開眼した!」というのがゴルフの楽しみの大切な要素の一つだと思います。
northCountryさん、ゴルフ・エッセイでしたか。てっきり教本かと思いました…
Posted by: satoshi | 2005.07.27 at 22:54