米国政府の「年次改革要望書」を読む
2005.08.28
今回の選挙は、日本の「今後の政治のありかたを決める」とても重要な選挙であるが、どの政党を支持するか決めるのはとても難しい。私自身、小泉首相のめざす「小さな政府」構想には大賛成なのだが、なかなな進まない構造改革や増え続ける財政赤字を見ると、「小泉首相に日本を任せてしまって大丈夫か?」という不安も募る。
しかし、日本のテレビや新聞を読んでいても、「小泉首相の刺客作戦」、「衆院解散は予定通りの行動」などといった、「政治活動」にばかり焦点を置いた記事ばかりで、「なぜ郵政の民営化が必要か?」、「小さな政府と福祉は両立するのか?」などの本質的な「政策」の議論がほとんどされていないので、あまり役に立たない。
そこで早起きした日曜日の午前中を利用して少し勉強しようと、去年の秋に米国政府から提出された「年次改革要望書」を読むことにした。「年次改革要望書」は、日米双方の政府が、毎年、それぞれの国の企業が相手の国でビジネスをする場合の障壁になっている問題点を指摘し合い、相互に「市場開放」を進めようというために交換される文書である。米国から日本への要望書は、米国政府のサイトで原文が翻訳と共にが公開されている。
- Annual Reform Recommendation from the Goverment of the United States to ghe Government of Japan(原文)
- 日本国政府への米国政府要望書(翻訳)
この中で特に今回の選挙と関係があるは、「Privatization (民営化)」のセクションで、そこには郵政の民営化に関して、アメリカ政府としての要望がはっきりと書かれている。ここを読むと、アメリカ政府がどんなことを日本政府に要求しているのか、そしてなぜそんな要求をしてくるのかがはっきりと見えてくる。例えば、
II-A-1-a. 郵便保険と郵便貯金事業に、民間企業と同様の法律、規制、納税条件、責任準備金条件、基準、および規制監督を適用すること。
II-A-1-b. 特に郵便保険と郵便貯金事業の政府保有株式の完全売却が完了するまでの間、新規の郵便保険と郵便貯金商品に暗黙の政府保証があるかのような認識が国民に生じないよう、十分な方策を取る。
を読むと、米国政府は米国資本の銀行や証券会社から、「郵便局の貯金業務が法律や税制の面で優遇を受けすぎており、かつ、日本国民が『郵便貯金は政府がバックにいるから100%安全だ』と思っているため公平な競争が阻害されている、なんとかしてくれ」というリクエストを受けていることが分かる。米国政府としては日本政府に郵政を民営化してもらうことにより、郵便貯金として眠っている莫大なお金を、米国資本の銀行に預金したり、米国資本の証券会社の販売する株式ファンドなどに投資して欲しいと考えているのである。
郵便業務に関しての要望は、
II-B. 宅配便サービス 日本郵政公社と宅配便業者間の公正な競争を促進するため、米国政府は日本国政府に対して、下記の方策を取ることを要望する。
II-B-1. 独立した規制機関 郵便業務に関する規制当局は日本郵政公社から完全に切り離されかつ独立した機関であることを確実にし、日本郵政公社あるいは公社の管轄下にあるどのような組織であれ、非競争的な方法で事業を展開しないことを確保するための十分な権限を持てるようにする。
II-B-2. 非差別的な処遇 税金や他の料金免除など競争条件を変更するような特別な便益や、物品の運送に関して政府機関による特別な取り扱いや、関税業務にかかるコストの免除などが、政府政策により競争サービスのあるひとつの提供者のみに与えられないことを必要に応じて確実にする。
であるが、これも「宅配便」という日本語訳が原文では「Express Delivery Carriers」となっていることに注目すれば、主にビジネス向けの速配サービスを提供している Federal Express と DHL が、「税金・制度面で優遇され、かつ郵便貯金業務により資金面で立場が不当なまでに有利な郵便局の郵便業務があるために自由競争が阻害され、自分達の日本でのビジネスが思うように展開できていない」、と感じているのだということが分かる。郵便業務がきちんとした形で民営化されれば、全国各地の郵便局で Federal Express の窓口業務をしてもらう、だとか、海外郵便のビジネスはリストラさせて全て DHL にアウトソースしてしてもらう、など可能性もゼロでは無くなる。
市場開放という観点から見れば米国政府の言っていることはもっともな『正論』であり、小泉首相のめざす「小さな政府」構想ともピッタリと一致する。しかし、ここまで詳細に渡って書かれた要望書を見てしまうと、「内政干渉だ」とか、「小泉首相は米国の手先だ」と怒る人の気持ちも分かる。
こう考えて見ると、問題の本質は、「米国が全世界で行おうとしている『グローバリゼーション』の波に乗り、日本の市場を開放することにより日本の企業を世界に通用する企業に育てる」という市場開放戦略を採るか、「米国の言う『グローバリゼーション』の波には安易に乗らずに、国内の企業を外資系の企業から保護しつつ、『日本なりの資本主義』の正しいありかたを見つける」という保護主義戦略を採るか、の二択にあるように私には思える。
前者は短期的にははげしい痛み(倒産、失業、外資系企業の日本市場での躍進)を伴うが、米国を中心とした自由主義経済圏で通用しないビジネスの仕方をしている日本の企業をいち早く淘汰し、世界に通用する日本の企業を育てる、という意味では近道である。絡み合う利権でがんじがらめになってしまった日本の行政を建て直す特効薬になる可能性もある。後者は、経済的に自立した国の政府の方針としては一つの選択肢としては十分ありうるものだが、米国経済に「おんぶにだっこ」状態の日本に、米国の勧めるグローバリゼーションとは真っ向から対立するようなことはそもそもできない。つまり、後者は、「米国の顔色をうかがいながら、『建前は市場開放、実質は保護主義』という日本的な中途半端な状態を続けて行きつつ、財政を建て直す方法を模索してみる」というごく日本的な中庸路線とならざる終えない。
この辺りのことを全て踏まえた上で、思い切った『市場開放戦略』を採用し、同時にそれをショック療法として利用して『利権の壁』をぶち壊して『小さな政府』を実現することにより財政赤字を立て直す、という戦略をとるしかない、という結論に小泉首相が至っているのだとしたら、それはそれとして筋の通った戦略ではある。ただし、それには大きな痛みも伴うし、外資系の企業に日本の経済を一気に牛耳られてしまうかも知れない、という大きなリスクも伴うので、その戦略を指示するもしないも、国民の自由である。今まで通りの、「米国の顔色をうかがいながら、『建前は市場開放、実質は保護主義』」という日本的な中途半端な状態を続けて行きつつ、「米国で激しく怒ったらそこだけはちょっと開放する」という戦略を指示するのも、もちろん自由である。
我々有権者としては、小泉首相が刺客として魅力的な『客寄せパンダ』を連れて来たかどうかで投票先を決めるのではなく、小泉首相が主張する「小さな政府」の意味や、「米国の推し進めるグローバリゼーションの波に乗ること」のメリットとデメリットを良く理解した上で、彼の戦略を指示するかしないかで、投票先を決めるべきである。
[追記] これだけだと片手落ちなので、続編として小泉首相が何を目指しているの私なりの解釈を書きましたので、そちらもご覧下さい。
[追記2] ちなみに、この「年次改革要望書」の存在を知ったのは、少し前に読んだ「拒否できない日本」という本のおかげ。良く見かける何でもかんでもアメリカ人の陰謀にしてしまういいかげんなゴシップ本とは一線を引く良書である。
関岡英之先生がメディアに御登場です。何ともビックリいたしました。番組プレビューがありますよ。
http://www.videonews.com/on-demand/251260/000382.php
Posted by: tron | 2007.05.12 at 07:41