先日、「理科系人間にも分かる『小泉改革の本質』」を書いてから、コメントなりトラックバックの形で沢山の方々からフィードバックをいただいた。おかげで、今まで目を通していなかったさまざまな資料を読むことができ、とても良い勉強になった。政治音痴の私が、ブログを通して「自分なりの解釈」を発表するだけで、これだけの有意義な情報が集まるのだから、すばらしい時代になったものだ。一昔前までは、(マスコミから消費者へと)一つの方向にしか流れていなかった情報が、ブログのおかげでさまざまな方向に流れ始めたゆえのメリットをこんな形で実感すると、本当にワクワクしてしまう。「ブログという道具が人類のライフスタイルに与えるインパクトは、電気、電話、テレビ、に匹敵するインパクトを持つのでは」と本気で思ってしまう私である。
そこで、ここ数日間で新たに学んだもののうち、特に重要と思える「郵便貯金の問題点」に焦点を当てて、私なりの解釈を書いてみようと思う。前回と同じく、「細かな部分を除いて究極まで絞り込むことにより、問題の本質を浮き彫りにする」という、理科系の私ならではのアプローチである。
(郵政の民営化賛成派によれば)郵便貯金の一番の問題点は、「日本の経済を大きくゆがめている」点にある。その「ゆがみ」のために、政府や特殊法人の無駄使いや利己的な資金運用がいつまでたってもなくならないのである。
我々日本人の貴重な財産のうち、320兆円という巨額なお金が郵便貯金という形で郵便局に預けられている。なぜ多くの人々が郵便貯金を選ぶかというと、(1)出し入れが自由なわりに金利は低くない、(2)「政府が保障してくれる」という安心感がある、からである。「安心で、便利で、金利も悪くない」のであれば当然である。
なぜ、「出し入れが自由なわりに金利は低くない」なんていう魔法のようなことが出来るかというと、郵便局には、一般の銀行に課せられたさまざまな義務(税金、保証金、従業員のための年金の負担など)から免除されているからである。一般の銀行や証券会社から見れば、それだけでも郵便局は「不当に有利な」競争をしているわけで、それに「政府の保証」という安心感がついているため、鬼に金棒である。しかし、「いざ危なくなれば税金で補填してもらえる」という護送船団状態の日本の銀行も他人のことは言えないので、文句を言うのは外資系の銀行と米国政府ばかり、となるのである(参照)。
これだけでも、既にかなり日本の金融システムをゆがめているのだが、それに加えてもっとゆがみを大きくしているのが、この郵貯の形で集めた大量の資金の運用の仕方である。
民間の金融機関であれば、その資金の運用先は、市場に星の数ほどある株や債権などの投資物件から、クレジットリスクと金利の両方を吟味した結果、運用先を選ぶことになる。その際、リスクが低い割りに金利の高い商品があれば、多くの人が買うために値段が上がり、結果として金利が低くなる。逆に、リスクが高いわりに金利の低い商品があれば、誰も買いたがらないために値段が下がり、結果として金利が高くなる。これが市場原理である。
しかし、政府の機関である郵便貯金は、市場原理を無視して国債、地方債、財投、財投機関債、などの政府自身、もしくは政府が作った特殊法人の発行する債券を買う、という形で運用されてきたのだ。この市場原理を無視した郵便貯金の運用のために、政府や特殊法人が経営努力をろくにしなくとも、不当に低い金利で資金を調達できる、という状態が長年続いて来たのである。(追記、この資金の流れは表向き2000年に止まったことになっているが、実際は財投債という形の国債の購入に使われ、そのお金を政府が特殊法人に貸し付けているため、実質的にはあまり変化はない。)
米国でベンチャー企業を立ち上げて、運営資金の調達のために投資家たちにビジネスプランのプレゼンをして全米を駆けずり回った経験を持つ私としては、そんな状態がいかに異常なものか身にしみて分かる。市場原理がフルに機能している米国で資金を集めるには、ものすごくしっかりとしたビジネスプランと説得力のある差別要因を持っていなければならず、その段階での「ふるい落とし」に生き残ったわずかな企業だけ(ある統計によると1000社のうち6社)が資金調達を許されるのだ。
この「経営努力をろくにしなくても、不当に低い金利で資金を調達できる」という異常な状態を長年放置しておいたために出来てしまったのが、道路公団に代表される「天下りと利権の温床である特殊法人とその関連団体」なのである。
これだけでも、とても先進国で起こっている話とは信じ難い話だが、もっと恐ろしいのは、この「経営努力をろくにしていない特殊法人に低金利で貸し出しているお金」のどのくらいが既に不良債権化してしまっているか(=特殊法人の事業が経営破綻状態にあり、借金を返せる状態に無いか)を誰もきちんと把握出来ていない、と言う状況である。郵政を民営化して、郵貯の運用先をきちんと把握して不良債権を処理したら、実は100兆円が焦げ付いていた(つまり、100兆円を税金で補填しなければならない)、という可能性も十分ありうるのである。
分かりやすく言えば、郵貯の運用状況というのは、開けると大変なものが出てくるかも知れない巨大なパンドラの箱なのである。開けるとたぶんものすごいものが出てきて痛みを伴うが、空けずにほっておくと将来もっとすごいことになってしまう可能性があるから、パンドラの箱を開けるのは今しかない、と主張しているのが小泉首相である。
以上が、郵政民営化賛成陣営の主張を私なりにまとめたものであるが、私は経済の専門家でも政治の専門家でもないので、残念ながら以上のロジックが全て正しいデータに基づいて作られたものかどうかを検証する道具を持ち合わせていない。しかし、もしこれが本当に正しいデータに基づくものであるならば、例え痛みを伴うとしても、今のうちにパンドラの箱を開けて不良債権を処理し、構造改革により無駄遣いをなくすのが、我々の責任であると思う。小手先の景気対策だけをして問題を先送りして、我々の子供や孫の世代に莫大な借金を背負わせたまま逃げ切る権利は我々にはない。
[参考文献]
ぐっちーさんの金持ちまっしぐら:再び郵政民営化について
山崎拓 Blog、郵政民営化解散総選挙施行へ
マーケットの馬車馬: 郵貯:改革の理由(3) 世界最大のデタラメ商品
マーケットの馬車馬: 郵貯:改革の理由(2) 収益源のタイムリミット