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「書くように生きる」ことのススメ

Egg_plant 久々の良書に当たった。とても儲けた気分だ。

 会社を経営するようになってから、沢山のビジネス書や啓蒙書を読むように努めているが、大半は読んでも得るところのない本である。本当に中身のない本の場合もあるし、難しすぎたり次元が違いすぎて全然頭に入って来ない場合もある。だから、たまに良書に出会うと、本当に儲けた気分になる。

 私にとっての良書とは、今までボンヤリとしか把握できなかった事柄を、「目からウロコが落ちたように」はっきりと見せてくれる書物である。ドラゴンボールで、ナメック星の最長老がクリリンの頭に手を置いて、眠っている潜在能力を呼び覚ましてくれるシーンがあったが、まさにそんな感じである。

 今回の「目からウロコ本」(もしくは「ナメック星の最長老本」)は、轡田隆史氏の「頭の良くなる、短い短い文章術」。ブログを書いている人、ブログを始めたが何を書いたら良いか悩んでいる人、に特にお勧めである。

 感動した点は複数あるが、何よりも「書くように生きる」という筆者の人生観に感銘を受けた。筆者は、良い文章を書く上で一番大切なことは、普段からボンヤリせずに、周りで起こるいろいろな事柄を、批評の精神を持って見て生きることだ、と言っているのだが、これには本当に「目からウロコが落ちる」思いをした。これこそが、私がブログを書き始めてから、漠然と感じていた自分の内面に起こりつつある変化を、的確に説明する言葉だ。

 ブログを書き始めてから、今までだったら軽く見過ごしていたような事柄に関しても、興味を持つ様になった。「郵政民営化が今度の選挙の争点になっているみたいだけど、どんな意味があるんだろう?」、「ソシアルブックマークというのが流行っているらしいが、一体何だろう?」などの疑問が浮かんだ時に、昔だったら「まあいいか、知らなくても不自由しないし」と簡単に見過ごしていたのに、最近は、「少し掘り下げたらブログのネタになるかも」とついつい思ってしまうのである(「理科系人間にもわかる小泉改革の本質」「恋はブックマーク」参照)。

 それに加え、何かに気がついたり感じたりした時に、「ブログのネタとして使うことを前提に、自分の考えを頭の中で文章化してみて、書く価値があるかどうか判断する」習慣が付いたのである。まさに、この筆者の勧める「書くように生きる」を実践しているのである。そのお陰で、色々な事柄がよりはっきりと理解できるようになったし、より多くのものを楽しめるようになった。少々の失敗だって、「ブログのネタ」になると思えば辛くない(「Queenのライブコンサート?」、「井上揚水のパジャマがない」参照)。

 この本は、表面上は「どうやったら上手な文章が書けるか」という内容ではあるのだが、筆者自身が「書くように生きる」人生を明らかに楽しんでいることがにじみ出ているため、結果として「書くように生きることのススメ」になっている部分がすごい。


スティーブジョブスがケンシロウなら…

Nano_shock  つい数日前に、「アップルはnanoでキャズムを超えるか」という記事を書いたばかりだが、BCNランキングの売れ筋速報を見て、さらに確信が深まった。これは本物だ。

 米国では携帯型音楽端末でトップシェアを既に誇っているアップルだが、日本においては、フラッシュメモリー型の端末でソニーに首位を奪われていたアップルである。しかし、iPod nano の投入で一気に抜き返した。

 私もこの業界で色々と見てきたが、ここまで一気にシェアを抜き返した例は記憶にない。ソニーもつい最近新製品を発表したばかりだが、このグラフを見る限り、「ソニーの新製品を見てから」という買い控えは一切起こっていない。多くの人が、私と同じように、待ってましたとばかりに nano を買い求めたようだ。

 スティーブジョブスがケンシロウなら、「お前はもう死んでいる」と言う所だろう。


不惑のさんま定食

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 ずいぶん遠回りをしたけれど

 やっと気がついた

 捜し求めていたものが

 こんなに近くにあるなんて

 最近、迷うことなく、「フランス料理のフルコースよりも、最高の神戸牛ステーキよりも、さんま定食が好き」と言えるようになったが、こういうのを「四十にして惑わず」と呼ぶのだろうか。


アフィリエイト型公衆無線LANサービス、『元気玉』

050915_063523  ヤフーがADSLモデムを無料で配布して通信業界に殴りこみをかけた当時のことは読者の記憶にも新しいと思うが、その当時業界の一部の人たちの間で、「ヤフーはあのモデムにWiFiのアンテナを密かに仕込んでいるにらしい」と噂されていたことはあまり知られていない。加入者の数がある程度増えた時点で、サーバー側から無線のスイッチを入れてモデムを「公衆無線LANの基地局」としてしまえば、あっという間に日本全国をカバーする無線通信網が出来てしまう、というワクワクするような秘密大作戦である。

 このアイデアが本当にヤフー内で議論されたのか、ただの噂だったのかは確認のしようが無いが、当時の技術(801.11b)では、電波の届かない所が多すぎて、都心部ですら「電波の穴」だらけになってうまくいかなかっただろう。今の技術(801.11a/g)を使えば、少しはエリアを広げられるが、まだまだである。やるなら、WiMaxが最適だ。

 ライブドアが公衆無線LANサービス「D-Cubic」を発表したのは、今年の6月のことだが、私にはどうもピンと来ない。そういった「通信事業者が自分のお金で基地局を設置する」形のビジネスモデルは、今から立ち上げるビジネスのやりかたとしては「あまり賢くない」と私には思えるのだ。

 私自身がもしこれから無線通信事業に乗り出すのであれば、迷うことなく、上で述べたような加入者の無線ルーターを基地局として使う、「インフラの不要なビジネスモデル」を採用する。とは言っても、駅でADSLを無料で配布するような資金力は無いし、いまさらそんなことをする時代でもないので、よりユーザーの力を借りた「元気玉的」なビジネスモデルがベターだ。

 そんなことを考えていたら、頭の中に投資家向けのプレゼン資料が出来てしまったので、ここで公開する。

1.ユーザーに対しては、「あなたの家に公衆無線LANの基地局を立てて、副収入を稼ぎませんか?」と宣伝する。「無線LANアフィリエイト」と呼べば分かりやすいだろう。

2.「アフィリエイト会員」には、あらかじめサーバーからコントロール可能な形に設定した無線ルーター(2万円程度)を購入してもらい、自分の家に引いたブロードバンドに接続してもらう。それがこのサービスの「基地局」となる。今なら 801.11a/g/b を使うしかないが、WiMaxも実用化されしだいすぐに採用する。電波の出力は電波法で許される限り最大にしておき、会員には「出来るだけ見通しの良い窓ぎわ」に設置するようにお願いする。(もちろん、出力を違法なレベルまで上げるような改造は法律違反であり、こちらは一切責任を持たないことを、虫眼鏡が必要なぐらい小さなフォントで印刷した「会員規定」で警告しておくことは忘れてはいけない。)

3.「アフィリエイト会員」は自分の家に設置した無線LANに自分のパソコンを繋ぐことが出来るのはもちろんだが、自分の家から離れた場合でも、他の「アフィリエイト会員」の無線LANの届く範囲であれば、ゲストとして無料で利用できる。自分の家に引くブロードバンド料金と、会員用の専用モデム以外、一切お金はかからないと点が特徴だ。自宅に設置した専用無線ルーター(基地局)がブロードバンドに繋がれている限り、「アフィリエイト会員」としてこのネットワーク網にアクセス可能なのである。

4.「アフィリエイト会員」の数がある程度増えた段階で(首都圏に数千人いればたぶん十分)、「一般会員」の募集を開始する。「一般会員」は、自分の家にブロードバンドを引く必要もなければ、専用ルーターを購入する必要もないが、500円(+消費税)の月額使用料を払ってもらう。宣伝の方法は色々とあるが、アフィリエイト会員にポスターを配り、窓の外に張ってもらうという古典的な方法も悪くはない、認証なしのオープンな無線LANにしておいて、繋げた非会員を申し込みのページに誘導するのもありだ。

5.サーバー側では、一般会員がどの基地局を主に利用するかをユーザー認証を利用して判断し、月額使用料の半分(250円)をアフィリエイト会員に還元する。つまり、平均して10人の一般会員がアクセスしてくる基地局を設置しているアフィリエイト会員には月々2500円が還元されるのである。つまり、モデムが2万円とすれば、8ヶ月で元が取れる。今の無線LANの技術では、高々10人ぐらいの一般会員がが限度だろうが、WiMaxの時代になれば、100人以上の一般会員を抱えて年間に数百万円の収入を得ることも可能だ。

 題して、「アフィリエイト型公衆無線LANサービス、『元気玉』」だ。最近上昇してきた「アフィリエイトによる副収入」の認知度をうまく利用すれば、人口密集地域に「アフィリエイト会員」を数千人規模で集めることがそれほど難しくないはずだ。もし、このエントリーに触発された人がいたらなら、このアイデアをどんどん実のビジネスに応用していただいて結構だ。私は常々、「ビジネスアイデアをオープンソース化したらもっと世界は面白くなる」と考えているので、自ら実践だ。

 ちなみに、この作戦には一つだけ「大きな落とし穴」があるのだが、読者の方々は気が付いただろうか。賢い投資家はまず気が付くので、投資家へのプレゼン前にそこをどうするかを良く考えておく必要がある。そこさえクリア出来れば、このビジネスは大成功間違いないのだが…


アップルはnanoでキャズムを超えるか?

Nano   「作る側」の人間としては「飽きっぽくて新しい物好き」な私だが、一消費者としては、結構慎重な私である。ITマーケティングの良書「キャズム」で使われている用語で言えば、私は新しいものには何でも飛びつくアーリー・アダプターではなく、新しいものがある程度市場に受け入れられた段階で購入に踏み切るアーリー・マジョリティなのである。その私が、ついに購入に踏み切ったのが iPod nano

 初代のiPodが出た時からものすごく気になってはいたのだが、どうも使う気にはなれなかった。iPod miniが出た時にも「そろそろかな」とは思ったが、まだ少しギャップを感じた。そして今回のiPod nano、製品発表と同時に「今だ」と感じた。大きさといい、デザインといい、値段設定と言い、文句の付けようがない。

 何よりも感心したのが、アップルの「本気度」である。発表前から、ウォールストリートでは「アップルはSamsungのNAND型フラッシュメモリーのラインの40%を押えたらしい」と話題になっていたが、Samsungが世界のNAND型フラッシュメモリー市場の55%を生産していることを考えれば、この数字はすごい。つまり、アップルは世界のNAND型フラッシュメモリーの22%をiPod nanoだけのために確保したのである。

 ちなみに、アップルは今年の4-6月期に620万台のiPodを出荷したが、SamsungのNAND型フラッシュメモリーの四半期ごとの生産能力は約1100万個であることを考えれば、その40%(つまり440万個)を押えたのも十分うなずける。アップルがフラッシュメモリーを1チップ幾らでSamsungから仕入れているかは公表されていないが、かなりの量をコミットすることにより、通常の価格よりもかなり安い価格で仕入れることに成功した、との見方が一般的である。

 このアップルの絶妙な一手により、フラッシュ型の携帯音楽端末の市場がキャズム(=アーリー・アダプターとアーリー・マジョリティの間にある狭間)を超えて一気に立ち上がる可能性はとても高く、そうなれば、フラッシュメモリーの供給不足や一時的な価格高騰が起こる可能性も十分あり、フラッシュメモリーの安定的な供給ラインを確保出来ない中小メーカーが淘汰されて寡占化が進むこともほぼ確実である。この市場でやっと巻き返しをかけ始めたソニーですらかなり苦しい戦いを強いられることになるだろう。

 ちなみに、今日は、iPod nano を満喫するために徒歩で会社に行った。残暑の中、40分ほどの徒歩通勤だが、好きな音楽を楽しみながらなら、あっという間である。そこで発見したのだが、宮崎アニメファンの私には、ユーミンの「ルージュの伝言」が徒歩通勤には最適だ。妙に足取りが軽くなる。

【参考文献】
Analysts: Apple to Buy 40% of Samsung's Flash Chips

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小泉首相のアンディ・ウォーホール風似顔絵

Koizumi Okada

 日本行きの飛行機の中は、メールも入って来ないし、インターネットをついつい散策してしまう心配もない。ある意味で外界から隔離された王様空間。普段の仕事のリズムではなかなか出来ないツールの習得などに絶好の時間だ。そこで、今回はPhotoshopの機能で今までどうしても使えこなせなかったPathの機能を重点的に学ぶために、写真のベクトルデータ化を試みることにした。

 機内に持ち込んだ小泉首相と岡田(元)代表の写真をまずは「Cutout」の機能を使って限られた色数のポスター風の画像に変換する。この作業が最終的な画像の質を決めるので、大切な作業である。色数はできるだけ少なく、ポリゴンはできるだけ単純にしたいが、あまり単純化しすぎては誰だか分からなくなってしまうし、単純化が足りないとイラストっぽくならない。ちょうど良い具合なポリゴン化が出来るまでに、明度やコントラストを変更したり、元の画像にぼかしを入れたりしながら試行錯誤したので、かなりの時間を費やしてしまった。

 この作業が終わったら、同じ色のポリゴンを集めてPathを作り、それを元にFill Layerを作る。Pathの概念を全然理解せずに始めたために、始めはずいぶん手間取ってしまったが、3つ4つ作っているうちに慣れてきた。この時に注意すべきは、Pathを作る時に切り紙を重ねていくイメージで作ることである。その時に、ポリゴンを手作業でさらに少し単純化すると、よりイラストっぽくなる。そして、さらに似顔絵っぽくするために、その人の特徴を強調する。小泉首相の場合は鼻の幅広さを若干強調し、岡田元代表の場合は白目を強調した。

 そうやって作ったのが、バックグラウンドもあわせてそれぞれ9個、12個のベクターレイヤーから出来ている小泉首相と岡田(元)代表の似顔絵。最後に味付けとして髪と背広の色をサイケデリックなものに変えて、テキスチャーを追加して完成。アンディー・ウォーホール風の似顔絵の出来上がりだ。仕上がりを見ると、やはり後から作った岡田(元)代表の方が似顔絵風に仕上がっている。ポリゴン化の段階での思い切った単純化が良かったようだ。


Queen のライブコンサート?!

050910_114859_1 久しぶりに「目が点」になる思いをした。

 カナダでツアー中の「Queen」が急遽シアトルでコンサートを開くことになった、と言う情報を手に入れたのがわずか数週間前のことである。「まだ活動していたのか」という驚きもあったが、ローリングストーンズもまだ現役バリバリで活動していることだし、クイーンだって活動していてもおかしくない。キムタクの「プライド」で I was born to love you が主題歌として使われて以来の「にわかクイーンファン」としては、このチャンスを逃がすことは出来ないと早速チケットを入手。以外とあっさりと手に入る。

 コンサートの日が近づいた先週になって、知り合いにコンサートのことを話すと、「え、クイーンってもう活動していないんじゃなかったっけ」との返事が返ってくる。以外とこのコンサートのことは知られていないらしい。

 そのうち一人は「フレディ・マーキュリーって死んだんじゃなかったっけ」と言う。その時点で少し不安になる。そんな時にローカルニュースでこのコンサートのことを報道しているのを途中から見たのだが、アナウンサーが「新しいボーカルでよりクイーンらしくなり、うんぬん」と言っている。「そうか、フレディ・マーキュリーはやはり死んでしまっていて、新しいボーカルを見つけて復活したのか」と納得する。

 コンサートの当日、コンサートホールに入って驚いた、前から15番目でセンターのすばらしい席なのだ。こんな席でクイーンのライブが見れるなんて、なんというラッキーだ。シアトルに住んでいて本当に良かった。席について、入り口でもらったチラシに目を何気なく通す。このコンサートのチラシも混ざっている。ボーカルの写真が正面に載っているが、確かにフレディではない。やはり新しいボーカルなのだ。しかし、どうも変だ。妙にフレディに似ているのだ。「妙だな?」と思ってチラシをひっくり返すと、ショッキングな文字が目に入る。

As good as real Queen! (本物のクイーンと同じぐらいすばらしい!)

 「え、これって Queen のものまねバンド!?」とこの時点でやっと気がつき、となりの妻と目を合わせる。まさに、「目が点になる」瞬間である。「これって、他の人たちはみんなものまねだって知っているんだよね」、「どうりでこんな良い席のチケットが簡単に手に入るはずだよ」、「でも、楽しむしかないよね」とショックを隠し切れない二人。

 幕があがると、フレディ・マーキュリーのそっくりさんが完全にフレディになりきってコンサートが始まる。顔も声も振りも全てがそっくりで、歌も演奏もプロ級の、「プロのそっくりさん」である。お客の方も大ノリで、全員総立ちでロック&ロール。コンサートも終わりに近づくに連れ、ホール内の温度も上昇し、we are the champion では全員でこぶしを振り上げ、we will rock you は大合唱して幕を閉じる。

 完全に勘違いして行ってしまった私達も、結局は思いっきり一緒に楽しんでしまった、という「クイーンそっくりさん」のライブコンサートであった。


dukulele 入手!

050909_142304  一月ほど前に、「あなたに会えただけでもう獣」というエントリーを書いたが、その時の誤変換の元になった、「Kさんに会えただけでも、もう獣儲けものです。」という文章に出てくるKさんとは、実は Looking Glass の生みの親である川原英哉氏(参照1参照2)。その川原氏から、限定生産の dukulele (Java のマスコットキャラクターの Duke の色と形をしたウクレレ)を入手したので、記念撮影をパチリ。

 川原氏には、7月にシリコンバレーに出張した際に、バレー在住の今野氏に紹介してもらったのだが、最初に会ったときから、「今野さん、例のウクレレ、今晩もって行きますから」、などと二人で楽しそうに話しているので、何の話だろうと気になってはいた。そして、夜になって川原氏が持ってきたのがこの dukulele。一目で欲しくなってしまった。「限定生産の最後の一個」を辛うじて確保してもらったのがその時で、今週になってやっと手元に届いたのだ。

 せっかく入手したことだし、流暢に「弾き語り」をする川原氏にも刺激をされたので、「四十の手習い」で練習してみることにした。思えば、使える楽器と言えば親からもらった「声帯」しかない私に手に負えるものかどうかはまだ分からないが、中学生の時に少し試して挫折したギターよりも弦の数が少ないし、基本的に和音だけを引く楽器なので、ひょっとしたら私にも「弾き語り」なんかが出来るようになるのでは、という甘い考えである。

 曲の練習を始める前に、まず始めたのが「調弦」。ウクレレで音楽したいなどの初心者用サイトをネットで探しだして調弦を始めるが、調律用の笛を持ち合わせていないので、なかなかうまく行かない。そこで思いついたのが、だいぶ前にインストールして放置しておいた、テキスト音楽「サクラ」。音符をテキストで入力するだけで、MIDI ファイルを生成してくれる優れものだ。

 さっそく作ったのが、私の最初のMIDI作品「ウクレレ調律MIDI(クリックすると音が鳴るので注意)」。これを使ってやっと調弦することができたが、そんなこんなしているうちに家族が寝る時間になってしまったので、今日はこれで終わり。演奏の練習は、今週末にでもゆっくりとすることにしよう。


理科系人間にも分かる郵便貯金の問題点

050908_003856 先日、「理科系人間にも分かる『小泉改革の本質』」を書いてから、コメントなりトラックバックの形で沢山の方々からフィードバックをいただいた。おかげで、今まで目を通していなかったさまざまな資料を読むことができ、とても良い勉強になった。政治音痴の私が、ブログを通して「自分なりの解釈」を発表するだけで、これだけの有意義な情報が集まるのだから、すばらしい時代になったものだ。一昔前までは、(マスコミから消費者へと)一つの方向にしか流れていなかった情報が、ブログのおかげでさまざまな方向に流れ始めたゆえのメリットをこんな形で実感すると、本当にワクワクしてしまう。「ブログという道具が人類のライフスタイルに与えるインパクトは、電気、電話、テレビ、に匹敵するインパクトを持つのでは」と本気で思ってしまう私である。

 そこで、ここ数日間で新たに学んだもののうち、特に重要と思える「郵便貯金の問題点」に焦点を当てて、私なりの解釈を書いてみようと思う。前回と同じく、「細かな部分を除いて究極まで絞り込むことにより、問題の本質を浮き彫りにする」という、理科系の私ならではのアプローチである。

 (郵政の民営化賛成派によれば)郵便貯金の一番の問題点は、「日本の経済を大きくゆがめている」点にある。その「ゆがみ」のために、政府や特殊法人の無駄使いや利己的な資金運用がいつまでたってもなくならないのである。

 我々日本人の貴重な財産のうち、320兆円という巨額なお金が郵便貯金という形で郵便局に預けられている。なぜ多くの人々が郵便貯金を選ぶかというと、(1)出し入れが自由なわりに金利は低くない、(2)「政府が保障してくれる」という安心感がある、からである。「安心で、便利で、金利も悪くない」のであれば当然である。

 なぜ、「出し入れが自由なわりに金利は低くない」なんていう魔法のようなことが出来るかというと、郵便局には、一般の銀行に課せられたさまざまな義務(税金、保証金、従業員のための年金の負担など)から免除されているからである。一般の銀行や証券会社から見れば、それだけでも郵便局は「不当に有利な」競争をしているわけで、それに「政府の保証」という安心感がついているため、鬼に金棒である。しかし、「いざ危なくなれば税金で補填してもらえる」という護送船団状態の日本の銀行も他人のことは言えないので、文句を言うのは外資系の銀行と米国政府ばかり、となるのである(参照)。

 これだけでも、既にかなり日本の金融システムをゆがめているのだが、それに加えてもっとゆがみを大きくしているのが、この郵貯の形で集めた大量の資金の運用の仕方である。

 民間の金融機関であれば、その資金の運用先は、市場に星の数ほどある株や債権などの投資物件から、クレジットリスクと金利の両方を吟味した結果、運用先を選ぶことになる。その際、リスクが低い割りに金利の高い商品があれば、多くの人が買うために値段が上がり、結果として金利が低くなる。逆に、リスクが高いわりに金利の低い商品があれば、誰も買いたがらないために値段が下がり、結果として金利が高くなる。これが市場原理である。

 しかし、政府の機関である郵便貯金は、市場原理を無視して国債、地方債、財投、財投機関債、などの政府自身、もしくは政府が作った特殊法人の発行する債券を買う、という形で運用されてきたのだ。この市場原理を無視した郵便貯金の運用のために、政府や特殊法人が経営努力をろくにしなくとも、不当に低い金利で資金を調達できる、という状態が長年続いて来たのである。(追記、この資金の流れは表向き2000年に止まったことになっているが、実際は財投債という形の国債の購入に使われ、そのお金を政府が特殊法人に貸し付けているため、実質的にはあまり変化はない。)

 米国でベンチャー企業を立ち上げて、運営資金の調達のために投資家たちにビジネスプランのプレゼンをして全米を駆けずり回った経験を持つ私としては、そんな状態がいかに異常なものか身にしみて分かる。市場原理がフルに機能している米国で資金を集めるには、ものすごくしっかりとしたビジネスプランと説得力のある差別要因を持っていなければならず、その段階での「ふるい落とし」に生き残ったわずかな企業だけ(ある統計によると1000社のうち6社)が資金調達を許されるのだ。

 この「経営努力をろくにしなくても、不当に低い金利で資金を調達できる」という異常な状態を長年放置しておいたために出来てしまったのが、道路公団に代表される「天下りと利権の温床である特殊法人とその関連団体」なのである。

 これだけでも、とても先進国で起こっている話とは信じ難い話だが、もっと恐ろしいのは、この「経営努力をろくにしていない特殊法人に低金利で貸し出しているお金」のどのくらいが既に不良債権化してしまっているか(=特殊法人の事業が経営破綻状態にあり、借金を返せる状態に無いか)を誰もきちんと把握出来ていない、と言う状況である。郵政を民営化して、郵貯の運用先をきちんと把握して不良債権を処理したら、実は100兆円が焦げ付いていた(つまり、100兆円を税金で補填しなければならない)、という可能性も十分ありうるのである。

 分かりやすく言えば、郵貯の運用状況というのは、開けると大変なものが出てくるかも知れない巨大なパンドラの箱なのである。開けるとたぶんものすごいものが出てきて痛みを伴うが、空けずにほっておくと将来もっとすごいことになってしまう可能性があるから、パンドラの箱を開けるのは今しかない、と主張しているのが小泉首相である。

 以上が、郵政民営化賛成陣営の主張を私なりにまとめたものであるが、私は経済の専門家でも政治の専門家でもないので、残念ながら以上のロジックが全て正しいデータに基づいて作られたものかどうかを検証する道具を持ち合わせていない。しかし、もしこれが本当に正しいデータに基づくものであるならば、例え痛みを伴うとしても、今のうちにパンドラの箱を開けて不良債権を処理し、構造改革により無駄遣いをなくすのが、我々の責任であると思う。小手先の景気対策だけをして問題を先送りして、我々の子供や孫の世代に莫大な借金を背負わせたまま逃げ切る権利は我々にはない。

[参考文献]
ぐっちーさんの金持ちまっしぐら:再び郵政民営化について
山崎拓 Blog、郵政民営化解散総選挙施行へ
マーケットの馬車馬: 郵貯:改革の理由(3) 世界最大のデタラメ商品
マーケットの馬車馬: 郵貯:改革の理由(2) 収益源のタイムリミット


リーダーシップについて思い出したこと

Ichiro_1 アメリカの人口の12%が「貧困層」であり、そう言った人たちは日々の食事も満足に食べることの出来ない生活をしている、などの報道は、米国に住んでいると新聞やニュースでは良く見かける。しかし、中流以上の生活をしている我々にとってみれば、生活圏がほとんど重ならない彼らの生活の実態は、なかなか実感として捉えられず、単なる「統計データ」としてしか頭に入って来ない、というのが正直な所である。

 しかし、今回のハリケーンで、彼らの生活の基盤がいかにもろいものか、そして、その数がものすごいものであることを、映像を通して目の当たりに見させられることになったことにショックを受けている人はとても多いはずだ。

 今回のハリケーンの被害は、政府からの非難命令にも関わらず、逃げるための交通手段も持たず、逃げたところで避難先のホテル代も払うことが出来ない人達が「予想に反して」10万人も市内に残ってしまったために大きくなってしまった。12%が貧困層であるという統計データから考えれば予想できて当然だったのかも知れないが、普段からそういった貧困層の人たちと触れ合わない生活をしている普通のアメリカ人にとっては、予想してみようともしない「想定外」の出来事だったようだ。

 ちなみに、今回の政府側の対応の悪さについて、マスコミも激しく非難しているが、その一つでFema(Federal Emergency Management Agency)のトップがインタビューを受けているニュースを見たのだが、以下のような会話を聞いて、ふとマイクロソフト時代のエピソードを一つ思い出した。

アナウンサー: 今回の被害は10万人もの人々が市内に残ったために被害が大きく広がったのですが、政府としてはどう見ていますか。
Fema(のトップ): 10万人も残るとは全くの予想外でした。
アナウンサー: しかし、貧困層の人達が移動する手段を持っていなかったことは前もって分かっていたんですよね。なぜバスを手配するなどしてあげなかったんですか?
Fema: 私達としても、市にバスを手配するように指示したんですが、市側が十分なバスを手配してくれなかったんです。

 記憶を呼び起こしたのは、この「市にバスを手配するように指示したが、市側が十分なバスを手配してくれなかった」という言い訳である。私が米国のマイクロソフトで働き始めてまだ日が浅い頃、ソフトウェアの開発に関連して似たような言い訳をビルゲイツの前でした人間がいたのだが、その瞬間にビルゲイツは机を叩いて真っ赤になって怒り始めたのだ。この場面にビルゲイツがいたとすれば、こんな感じになる。

ビルゲイツ: (机を激しく叩いて)市側が十分なバスを手配してくれなかっただって?バカなことを言ってるんじゃない。市側が適切な対応をしなかったら、市長の首をねじ上げててもバスを手配させるのがお前の仕事だろう。それでも市が動かなかったら、隣の市からバスを借りて来るなり、軍にトラックを手配させるなりして、何としてでも市民を非難させるんだ。
Fema: しかし、市も軍も私の指揮権の及ぶところではありませんから…
ビルゲイツ: (ますます真っ赤になって怒って)指揮権がなんだっていうんだ。人の命がかかっているんだぞ。軍に要請を出して動いてくれなかったら、大統領に電話して命令を発動してもらうのがお前の仕事だろう。何のためにお前に高い給料を払っていると思ってるんだ。

 このエピソード以来、私の「プロジェクトの責任者の役割」に関しての見方が大きく変わった。プロジェクトの責任者の仕事は、「プロジェクトの成功に必要な作業の手配をする」だけでは終わらず、それらの作業が確実に実行されるようにして結果を出してこそ初めて評価されるものだ、そしてうまく行かないことがあっても決して他人のせいにしてはいけない、という認識である。マイクロソフトでは沢山のことを学んだが、これはそのうちでももっとも貴重なものの一つである。

 例えそういう認識を持っていたとしても、人間というものは自分には甘いので、自分で同じことをしていてもなかなか気がつかないものである。そこでこの報道をキッカケに「他人のふりみて我がふり直せ」と自分のことを振り返って見た私であった。人間、「何としてでも結果を残す、言い訳は絶対しない」という意気込みを持って仕事をすると、ものすごく強くなれる。