先日、SixApartの関社長と食事をしたのだが、その時に「日本人はディベートが得意ではない」という話になった。私も以前から色々と思うことがあったので、ここに書いてみようと思う。ただし、今回のテーマは「どうやったらディベートに勝てるか」とかいうテクニックの話ではなく、それ以前にある「どうやってディベートを楽しくするか」に関しての話なので、誤解しないで欲しい。
関社長に言わせると、日本人には、ネットの世界であれリアルの世界であれ、自分の意見を否定されるとそれを自分の人格を全否定されたと誤解して、怒ってしまったり、しょげてしまう人が多いと言う。確かにその通りだと思う。もちろん、それは受け取る側だけの問題だけではなく、反対意見を表明する場合に問題がある場合が多い。
例えば、一つ前のエントリーで「有名ブログを10分で斜め読みする裏技」という話を書いたが、これに対して、
「ブックマークの数だけでエントリーの良し悪しを判断するはどうかと思う」
「そもそもブログを斜め読みするのって失礼だと思う」
などの意見が寄せられた。こういう形で反対意見を表明していただければ、私としても耳を貸す気になるし、建設的なディベートもできそうだ。しかし、全く同じ意見を、
「ブックマークの数でエントリーの良し悪しを判断するのはバカだけだ」
「ブログの斜め読みを奨励するとは失礼な人だ」
と書かれてしまうと、もう単なる意見の表明ではなく、「私の人格」に対する攻撃となる。こんなコメントが寄せられると、私としてもどう対処して良いか分からない。人によっては怒ってしまったり、しょげてしまったりするだろう。掲示板やブログのコメント欄が荒れる原因のほとんどは、(意見の食い違いではなく)こういった「人格攻撃」が原因だ。
この世の中には色々な人がさまざなな価値観を持って暮らしているのだから、当然色々な意見があってしかるべきである。自分と違う意見を持っている人とディベートをするのは、すごくプラスになり、楽しいことだが、一つだけ気をつけなければならないことがある。「相手の意見」は幾らでも攻撃して良いが、「相手の人格」を否定したり攻撃するのはマナー違反である。そこさえ気を付けていれば、「楽しく意見を戦わせる」ことが可能なはずである。
【追記】 トラックバックなどで「ディベートと論議をごっちゃにしてないか?」との指摘があったので、追記。「ディベート(debate)」という言葉には、米国の学校の授業などで行われる「二つのグループに分かれて一つのテーマについて討論して勝ち負けを決める討論会」という狭義と、「ネットやリアルの世界で交わされる討論・論議」という広義とがある。このエントリーでは、前者ではなく後者の意味でディベートという言葉を使っている。