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「博士の愛した数式」は、「電車男」の作った理科系男のステレオタイプ化を払拭できるか?

051224_190311  普段はビジネス書とミステリーしか読まない私だが、どうもこの本に関して言えば、単行本だったころから題名が気になって仕方がなかった。実際、何度か買おうかと手にとったこともあったのだが、いわゆる純文学は中学生の時に「課題図書」という形で無理やり読まされて以来、どうも不得意なのでなかなか踏み切れなかった。

 しかし、今年は年末を日本で過ごすことになったし、少しは休みがあるので、たまにはこんな本に手を出してみるのも良かろうと、読んでみたのが「博士の愛した数式(小川洋子著)」である。

 結論から言えば、とても楽しめた。中学生のころは「数学者になろう」と思っていた私にとっては、「博士」の数学に対する情熱には、なんとも言えない懐かしさを覚えた。特に「素数」に関する議論が展開される場面では、中学生の時に「素数が無限にあることの証明」(後述)のエレガントさに感動したことをしみじみと思い出してしまった。

 それにしても、理科系の人の情熱みたいなものをここまできちんと捕らえて描いてくれた作者の小川洋子氏はえらい。ぜひとも沢山の人に読んでいただいて、私のような「理科系人間」の理解に役立てて欲しい。

 今年は、「電車男」、「萌」、「メイド喫茶」と、色々な意味で理科系人間に対する偏見とステレオタイプ化が進んだ年だが、30年以上も理科系まっしぐらの私としては、この小説に出てくる博士の方がずっと自分自身を重ね合わせやすい。

【素数が無限にあることの証明】 もし素数が有限個しかないとすると、最大の素数よりも大きい自然数は全て、いずれかの素数の整数倍であるはずである。しかし、(全ての素数の積+1)という数を考えた時、その数はどの素数でも割り切ることが出来ないので、矛盾が生じてしまう。この矛盾は、「もし素数が有限個しかないとすると」という仮定がそもそも間違っていたから生じたので、「素数は無限個」あると結論できる。

Comments

AKTK

いつも楽しく読ませて頂いております。

もし、「萌」と「メイド喫茶」が理科系男のステレオタイプなのであれば、どんな手を使ってでも払拭して欲しいものです。
「素数が無限にあることの証明」は本当に素敵ですね。この手の証明は何度読んでも飽きません。

Baatarism

いわゆるアキバ系が理科系男のステレオタイプになっているというのは本当なのでしょうか?
確かにアキバ系はパソコンやネットとの関連が強いですが、今時「パソコンやネットをやっている奴=理科系」という認識がそれほど強いとも思えないのですが。

棚旗織

素数が有限であることの証明ですが、すごくエレガントですね。
あっ、と感動しました。
このような小さなことに感動できるか否かが、理系か否かの違いだとも思いました。

Sota

自分も理系ですが、何かずれて理解されているなと感じることが時々あります。
これは逆のステレオタイプと言えるかもしれませんが、文系の人は、論理性や物事の因果に少し疎い気がしますがどうでしょう?

ところで秋葉原に関して言えば、実際に秋葉原に行けるエリアに住んでいる人と、それ以外のエリアの人の間にもイメージの違いはあるように思います。実際の風景を見たことがない人は特に偏ったイメージを秋葉原に持っているような気がします。

Satoshi

 確かに「パソコンやネットをやっている奴=理科系」と思われてばかりいるわけではないとは思いますが、やはりあそこまでアキバ系がステレオタイプ化してくると、普通の理科系の人たち、特にネットやパソコン関係の仕事をしている人たちまで影響があります。最大の懸念は、こういったイメージの低下から理科系の学部へ進学する人が減ってしまうことでしょうか。

silvervine

「理系」「文系」という括りはすでに時代遅れで、「自分は理系だから・・・」「自分は文系だから・・・」という言説は、自分ができないことに対する免罪符としてしか通用しないと思います。こういう二項対立的な出発点からでは、可能性の 50% から目を逸らした議論しかできないのではないでしょうか?

satoshi

silvervine さん、なかなか鋭い指摘ですね。「電車男的ステレオタイプ化は困る」、と言いつつ、理系・文系というステレオタイプ化を私自身がしているという指摘ですね。確かに…。私自身、「私か理科系だから」という言葉をある意味での「逃げ」に使っている部分はありますね。うーん、結構難しい問題なので、このコメント欄ではうまくまとめられないので、少し考えてみます。

umiyuki

10年弱前まで理系大学生でしたが、オタク系はむしろ居なかったと思います。
授業で性格検査を行ったときも、極めて非オタク的な結果になって授業をされていた先生も驚いていました。私自身驚きました。
(ただし、最近は大学生協に萌え系の本が山積みされているそうですし、ブログを見てもそういう傾向は感じます。)
電車男は、10分位見ただけでしたが、理系男と言う設定ではなかったと思い込んでいました。

akion

言葉遊びですが、オタクの求めているのは「定義」(様式美)で、いわゆる理系の人が価値を見出すのは「定理」と、微妙に目指しているものが異なっていると思います。ただ、かつては小難しいことをやってる人という意味の理系と、得体の知れないことを喜んでいるオタクという分かれていたグルーピングが曖昧に「変わりもん」で括られたイメージを持つようになったのかもしれませんね。電車男には理系を匂わすようなことってなかったと思いますし。
…もし絶対領域の比率が黄金比に基づいてたりしたら説得力ないですね、定理と定理。
学生のとき、適性検査を受けると決まって機械関係と出ていましたが、湖の周りにnメートルおきに木を植えると何本要るでしょうみたいな問題に、必ず最初と最後の木の関係に自信がなくなって絵を描く私はきっぱり文系宣言していました。それでも理系ミステリィと称される森博嗣さんのような話の詰め方は好きでした、と本の話で〆

bo

素数が無限個である証明ですけど、もう少しシンプルに書けるのでは?

つまり、

素数が有限個だと仮定すると、(全ての素数の積+1)はどの素数でも割り切ることができず、矛盾が生じる。

だけでOKではないでしょうか?

最初の「もし素数が有限個しかないとすると、最大の素数よりも大きい自然数は全て、いずれかの素数の整数倍であるはずである。」の一文の存在意義は?

理科系人間とすれば、証明はシンプルな方が好きなので。

satoshi

 確かに。上手に書かれていれば、短い文章の方が要点が伝わるというのは本当ですね。

kazuyon

皆さんのコメントとは少々ずれるのですが…。
この「博士の愛した数式」が映画になっています。この冬観たい映画の一つなのですが、涙もろい私はかなり迷っています。ぜ~~~ったい、人目も気にせず泣いてしまいそうだからです。
原作の小説がおもしろい(?)場合、映画化されるとその差が気になって、辛口批評になってしまうので、それもまた見に行くか迷っている原因の一つです。
ん~~、迷います。
http://hakase-movie.com/

satoshi

 もう映画化ですか、早いですね。確かに、良かった本の映画って、期待はずれのことが多いのですが、今回はどうでしょうね。

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