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「なぜブログを書くの?」、「もちろん、あなたのためです」

 以前、私のブログのファンだと言う女性から、「中島さんはどうしてブログを書くのですか?」と真面目な顔で聞かれて困ったことがある。今考えてみれば、「もちろん、あなたのためです」とでも受け流しておけばが良かったのだろうが、そんな気の利いた答えをすぐに思いつくキムタクやサンマのような頭は持ち合わせていないので、「え?た、楽しいからかな…」などとだらしない返事をしてしまったのが今でも悔やまれる。

 それ以来、「私がどうしてブログを書くのか」を簡潔に説明してくれる表現を探していたのだが、やっと良いものを見つけた。梅田卓夫氏の「文章表現400字からのレッスン」という本の「よい文章」の定義である。

 よい文章とは、

①自分にしか書けないことを
②だれにでもわかるように書く

ということを実現している文章。(中略)私たちは、日々人間として生きていますが、生きていることの喜びの根底にあるのは自分がこの世にかけがいのないものとして存在するという自覚です。まず本人が自覚する。それから他人にもわかってもらう。そのとき私たちは喜びと充実感をもつことができる。文章表現の意味もここにあるのです。

 結局のところは、私がブログを書くことを「楽しい」と思っている理由はここにあるのだろう。

 しかし、これはこれで上のようなシチュエーションで口に出すには真面目すぎ、場をシラケさせてしまいそうだ。「もちろん、あなたのためです」というナンパな答えの方がずっと適切に感じるのは、私がフェミニストだからだろうか。


UIE Japan は大変な会社になってしまったようだ

Uiej_1  このブログを通して UIE Japan の初期メンバーを集めたことはこのブログの読者であればすでにご存知だとは思う(参照)。ユニークな人材を集め、彼らに出来る限りのクリエイティビティを発揮できるような環境を与えて、今までに誰も作らなかったような新しいサービスを作ってもらおうと言う計画だ。

 今朝になって(日本時間の4月1日)、「UIE Japan のホームページが出来ました。普段の仕事風景も見れます」とリンクが送られてきたので見てみるとなにやら怪しい写真が。いくら社員の労働意欲を高めるのが重要だと言え、これは…。ユニークな人材を集めすぎたのかも知れない^^;

 UIE Japan のホームページ


大規模ソフトウェアプロジェクトの臨界点

060330_003057 ワシントン州レドモンド市のあるスターバックスでの会話

知人:おお、Satoshi、久しぶり!
私:やあ、最近見なかったけどどう?
知人:言わなかったっけ、Microsoftに戻ったんだ。Vistaだよ。
私:Vistaか、大変だろう。
知人:大変なんてもんじゃないよ。

(ここから、彼の愚痴がしばらく続く)

私:そっか、大変だね。がんばってね。
知人:Satoshiは戻って来ないの?
私:だめだめ、OSだけはもう作りたくない。
知人:そうか。でも、気が変わったらいつでも連絡してよ。
私:そっちもまた外の空気が吸いたくなったら連絡しろよ。

 私は常々「プロジェクトの大きさと、エンジニアのプロダクティビティは反比例する。だから、ある程度以上にプロジェクトの規模が大きくなると幾ら人を追加しても全体のプロダクティビティは上昇しなくなる」と言ってきたが、ひょっとするとVistaはその臨界点を超えてしまったのかもしれない。


三日月の絵にツッコミを入れてみる

 少し堅苦しい話題が続いてしまったので、今日は気楽に科学うんちく。今日の標的は「三日月の絵」だ。

 頭が思いっきり理科系な私は、何を見ても科学的に分析してしまうクセが抜けない。例えば、子供の絵本の表紙にこんな絵(引用元へのリンク)を見かけた時。

Mika_1_1  

 間髪を置かずに、「この絵はおかしい。三日月の暗い部分に星が見えるはずがない。」とツッコミを入れたくなってしまうのだ。昔は相手が子供だろうと誰だろうと、いきなりそんな感想を口に出してしまい、変人扱いされていたのだが、最近は少し気をつけて相手を見てから発言するようにしている。特に早く絵本を読んで欲しくて待っている子供にとっては、表紙の絵が科学的に正しいかどうかなどはどうでも良いことだ、ということぐらい私にも分かってきた。だてに二人の息子の父親はしていない。

 そんな私でも、メルヘンを理解しないわけではない。例えば、こんな絵(引用元へのリンク)を見たとき。

Mika_2
 さすがの私でも、「月が水に浮くはずがない。人が上に座れるはずがない。」などとは思わない。これはあくまでメルヘンの世界を描いた「絵の遊び」であり、そこに科学を持ち込む必要はないし、期待されてもいない。
 しかしである。たとえメルヘンの世界の三日月だと分かっていたとしても、どうしても許せないタイプの三日月がある。こんなタイプの三日月である(注:当初のエントリーのものとは絵を差し替えてある。詳しくは追記を参照)。

Mika_5

 人が月に座っているのもかまわないし、向こう側に雲が見えてしまっているのも許す。ただ、どうしても許せないのが、明るい部分が180度以上になってしまっていることだ。三日月の暗い部分は自分自身の影なので、明るい部分が180度を越すことは決してないのだ。 本当の三日月は、こう見える(引用元へのリンク)。

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 絵を描く人からすると、少し誇張して描いた方が構図的にも良いし、座り心地も良さそうだからこうしているのかも知れないが、そもそも百歩譲って座ることを許しているのだから、座り心地が少しぐらい悪いことは我慢していただきたい。

【追記】3番目のイラストに関しては、第三者のものから私がペンで書いたものに差し替えた。例えこんな形のエントリーであったとしても、ツッコミを入れられる側としては愉快ではない場合がある。ユーモアのセンスは人それぞれ異なるので、たとえこちらに悪意がなかろうと相手の気分を害してしまえばこちらの責任である。申し訳ないことをしてしまった。ここでお詫びをする。


「ムーアの法則」とUIEngine

060313_053813  CNET Japan でのブログの連載を始めたのは1月の末からだが、このブログとのバランスをどうするかは結構悩みであった。そこで、CNet側ではある程度テーマを絞り連載コラムの様に書く、という手法を採って来たのだが、その日に思ったことを気楽に書くこのブログと比べると、まだまだ違和感がある。どうにかこうにか、編集者との「週に1~2個のエントリー」という約束をぎりぎりのところで果たしている、とう所である。

 ちなみに、これを引き合いに出したのは、今朝のエントリー「ソフトウェアの肥大化とムーアの法則」に結構私としては重要だと思っていることを表現することが出来たので、このブログの読者にもぜひとも読んでいただこうと思ってのことである。

 言いたいことの要点は、最後の段落、

 それが実現できれば、「ムーアの法則」がもたらすものを「プラットフォームにどんどん機能を詰め込む」という方向性の進化に消費してしまうのではなく、「プラットフォームをより多くのデバイスに広げ、アプリケーションやサービスをより多くのデバイスを通してユーザーに届ける」という方向性の進化に活用できるのではないか、というのが私の考えである。

に集約されている。Microsoftでは、Windows、Internet Explorerという二つのソフトウェア・プラットフォームの開発に関わってきた私だが、どちらのケースでもソフトウェアが手に負えないほど肥大化してしまったのが嫌で仕方がなかったのだ。

 それを反面教師として作ったUIEngine。シンプルさ、小ささ、必要とするCPU能力の低さ、ハードウェアへの移植の容易さ、の4点に関しては世の中のどのソフトウェアプラットフォームよりも優れていることを自負している。ようやく携帯電話、セットトップボックス向けのウェブ・アプリケーションに使われる様になってきたが、もちろんそこで止まるつもりは全然ない。その先にある、テレビ、デジカメ、カーナビ、ゲーム機器などのいわゆるデジタル端末はもちろんのこと、腕時計、リモコン、コピーマシン、冷蔵庫のドア、などの「ウェブ・アプリケーションを走らせることなど誰も想像すらしない」デバイスから、LCD付きのクレジットカード、街角で無料で配っているティッシュペーパーに仕込まれた広告用の電子ペーパー、案内機能付きのディズニーランドのチケット、といったSFチックなデバイスにまで自分たちが作ったソフトウェア使って面白いサービスやアプリケーションを届けたい、という大胆な夢を持っている、それがUIEvolutionという会社である。


トイレタンクの修理に初挑戦

060326_090454  先週の中ごろから、家のトイレのタンクの調子が悪くなった。使っていないのに水がちょろちょろと流れ続けるのだ。水の流れを止めておくゴム詮が劣化したのが原因のようだ。私が「修理を頼まなきゃね」というと、妻が「自分達で修理してみようよ」と言う。

 私は家の小さな故障などを自分で修理するのは好きな方だが、水まわりだけはどうも不安なのだ。失敗した時の被害が尋常ではないからだ。しかし、彼女に「信用できる修理工を探すのが大変だし、頼んだら頼んだで時間通り来ないし、修理中は出かけられないし、自分達でした方が楽よ」と説得されてしまった。

 彼女の言い分は確かに正しい。「Do It Yourself」が基本の米国では、日本と違って「誰かに修理を頼む」方がよっぽど手間がかかるケースが多いのだ。まず第一に、信頼できる業者を探すのが大変だ。だいたいこの手の簡単な修理を頼むこと事態が「何も知らない」と宣言しているようなものなので、足元を見られて必要もないものまで修理する悪徳業者にあたったりすると大変だ。ある程度まともな業者でも、約束の時間に平気で遅れてきたり、途中で「部品が足らないから買ってくる」と出かけてしまってやたら待たされる、などは覚悟しなければならない。

 一方、自分で修理するとなれば、色々なもののインターフェイス(この例では、トイレのタンクに取り付ける詮のサイズ)が標準化されているこの国では、修理用の部品をシロウトが簡単に入手できる。その上、そもそも「自分で修理する」ことを前提にものが設計されているので、やり方さえ間違えなければシロウトでも十分に可能なのだ。

 ということで週末はトイレタンクの修理に初挑戦。ゴム詮以外にも劣化している部品があったので、タンクをトイレから完全にはずして中身を全部入れ替えるという工事になったが、意外と簡単で、部品を買いに行く時間も含めて全部で二時間ぐらいで出来てしまった。これなら確かに業者に頼むよりも楽だ。

 ちなみに、米国では、こういった家のさまざまなものの修理は「お父さんの仕事」と見なされており、それが「男の甲斐性」みたいな文化があるので覚えておくと良い。日本から来た駐在員が初めてアメリカ人を部下に持つと、仕事の真っ最中でも「家で水漏れがあったので」と家に帰ってしまう彼らの気持ちが全く理解できずに「アメリカ人は真面目に仕事をしない」などと誤解してしまうので要注意だ。そのくらいの人の方が責任感があって良い仕事をするタイプだ、という逆の見方も出来るぐらいだ。

 そんなことを考えながらしたタンクの修理も無事終了。水漏れも今のところはしていない。おかげでタンクの構造にも詳しくなったし、妙な満足感も得られた。こんな週末の過ごし方も悪くない。


ゲーム業界のジレンマ

060302_120221 今まで何度か間接的に指摘して来たゲーム業界の抱えるジレンマ、私自身がスクエニの内部事情を知りすぎていることもあり少し遠慮してきたのだが、やっとおおっぴらに話せるネタが発表されたので、今日はそれに関するエントリー。そのネタとは、

 スクエニ、松下電器の「Tナビ」向けにカジュアルゲームなどを提供

 キングタム・ハーツII、ファイナル・ファンタジーXIIなど超大作と比べたら、業界へのインパクトもファンの反応も微々たるものだが、実は「ゲーム業界の抱えるジレンマ」を乗り切るためにこれからスクエニが(そしてたぶん他のゲームメーカーも)着手するリスクヘッジ戦略の一つであるという意味ではとても重要な意味を持つ、「明日のための一手」である。

 ゲーム業界の人であれば誰でも、ゲーム機の世代交代がおこる今年から2008年の前半ぐらいにかけてがゲーム業界にとって正念場であることは知っている。しかし、残念なことに業界の大半の人たちは、相変わらず「次の世代のゲーム端末は、Sony、Microsoft、任天堂のうち誰が握るのか」、「最新のハードウェアの能力をどうやったら極限まで引き出すことができるか」、「ますます高騰するゲーム開発費をどうするのか」などといった的外れなことばかりで悩んでいる。 

 つい先日もGDC(Game Developers Conference)がSan Joseで開かれたが、そういったコンファレンスで基調講演を見たり(ただし、任天堂の岩田社長の基調講演は例外)、今の売れ筋のゲームを研究したり、ゲーム好きの人たちからのフィードバックを聞いたり、そういった一見「正しいマーケットリサーチ」をすればするほど、そっちの方向に行ってしまうのである。まさに、絵に描いたような「イノベーションのジレンマ」である。

 今、ゲーム業界が目を向けるべきところは、次世代ゲーム端末やゲーマーたちではない。本当に目を向けるべきところは、ゲームをしない人たち、ゲーム端末を買うことを考えもしない人たち、テレビ・携帯などのゲーム端末ではない端末である。そういったゲームをしない人たちに対して、今までの「ゲーム端末向けのゲーム」とは違う形で、どんなエンターテイメントを提供すべきか、どんなビジネスを展開すべきかを真剣に考えるべき時代が来ているのである。

 私も一昨年ぐらいからスクエニの若い人たちと会う機会が増えたが、彼らのほとんどが、ゲームが大好きで、ファイナル・ファンタジーやドラゴン・クエストのクリエーターたちにあこがれて入社した人たちである。そんな彼らに向かって「これからはそういった超大作ばかりを作るのではなく、カジュアル・ゲームとか、シリアス・ゲームとか、ゲーム端末以外へのエンターテイメントをWeb2.0の考えを適用してサービスとして提供することを真剣に考えるべき時代だよ」と突然言ったところでなかなか理解してもらえない。「そんな小難しいことはどうでもいいから、早くPS3の開発キットを触らせてよ」というのが当然の反応である。

 しかし、去年の後半になってやっと彼らの反応が少しづつ変わって来た。私が言っていることを理解してくれる人たちが、だんだんと増えてきたのだ。一つは、今までの「ハイリスク・ハイリターンなゲーム作り」がごく一部の超大作を除いてはビジネスとして成り立たなくなってきたことが、彼らの目にも見えるようになってきたこと。もう一つは、低予算で作られた「脳トレ」「ニンテンドッグス」などの成功により、任天堂が「次世代のゲームは必ずしも今のゲームの延長上にあるものではない」ことを売り上げで証明したこと、である。

 もちろん、業界のリーダーであるスクエニが、次世代機に対してコア・ゲーマーが期待するような超大作を作るのを辞める必要は全くない。ただし、リーダーであるが故にこそ、資金的に余裕のある今だからこそ、きちんと時代の変わり目を読み、カジュアルゲーム、シリアスゲーム、非ゲーム端末向けのゲームサービス、といった今までとは大きく異なる方向でのビジネスにおいてもリーダーシップをとって市場を開拓して行く立場を採るべきなのである。そういうことをしない企業は、次の時代のリーダーにはなれない。

 そういった危機感を、私や経営陣だけでなく個々のクリエーターたちが心のそこから理解して日々の行動に反映することこそが、このゲーム業界全体にのしかかっているジレンマを乗り越える鍵である。今回のTナビ向けのゲームサービスは、スクエニの経営陣のそんな思いがやっと通じ始めた証拠であり、私としてはとても歓迎している。

 せっかくなので、ここを借りて、オンデマンドTVも含めたこういったスクエニの「新しい試み」に関わっている人たちに一つお願いしたいことがある。これからしばらくは、「そんな子供だましのゲームを作るためにスクエニに入ったんじゃないだろう」、「ぜんぜん儲からないのに、なぜそんなことをやるんだ」という社内外からの揶揄(やゆ)が聞こえてくるだろうけど、そんなものに決して屈せずに成功するまで頑張り続けて欲しい。スクエニの将来は、そしてゲーム業界の未来は、君たちが作って行くのだという強い意志を持って。


知的労働者には「組織を移る力」がある

060313_102047  前回のエントリーに、Doraさんという方から「次回エントリー『こうすれば日本のSEは救われる!』を楽しみにしております!?」とのコメントをいただき、少し悩んでしまった。日本のSIer(少し前までは「SI屋」だと思っていた)の階層構造の問題を指摘しておきながら、何も提案しないのはあまりにも無責任かも知れない。

 だからと言って、「日本のIT産業はこうあるべきだ」などと部外者である私が本当の意味で影響力のある発言をするのはあまりにも難しい。特に、IT業界に限らず、一旦こういった階層構造が出来てしまうと、業界で力を持つ上位レイヤーの会社や人たちにとって、改革は自己否定にもつながりかねないので良いと分かってはいても自分からわざわざ着手できない、というジレンマがあるのが一層解決を困難にしている。

 では、現時点でIT業界で苦しむSEやプログラマーの人たちは何をしたら良いのだろうか。

 とても難しい問題ではあるが、まず第一に考えるべきは自分のキャリアパスだと思う。5年後、10年後に自分がどんな仕事をしていたいか、どこで勝負をしたいか、どのくらいの価値のある人間になりたいのか、どんなスキルや知識を身につけていたいか、などなどである。

 それが見えてきたら、自分の日々の仕事と、自分の立てたキャリアパスを出来るだけシンクロさせるように努力すべきだ。終身雇用という雇用形態が破壊しつつある今、上司の言うことを何もかも聞く必要はない。「そんなやり方では良いものは作れない」、「そんな仕事ばかりしていては自分の目指す所に行けない」と思うのであれば、どうどうとそう言うべきである。

 下の人たちが「こうした方が良いと思う」と真剣に提案するのに耳を傾けてくれない上司はろくな上司ではない。下の人たちのキャリアパスを全く考えてくれない上司も、やはりろくな上司ではない。そんな上司に付いていっても良いことはない。もし、会社がそんな上司をいつまでものさばらせておくとしたら、そこはろくな会社ではない。その時は、真剣に転職を考えるべきだ。

 ピータードラッカーの「明日を支配するもの(ダイヤモンド社)」にとても意味深い文章がある。

 つまるところ、フルタイムの従業員さえ、これからはボランティアのようにマネジメントしなければならない。彼らは有給ではあるが、彼らには組織を移る力がある。実際に辞められる。知識という生産手段を持っている(第一章3節、23ページ)。

 この言葉の持つ意味をかみ締めて、強く生きて欲しいと思う。知的労働者としての自分の価値を常に高めるという努力さえ惜しまなければ、もの分りの悪い上司の言うことなど聞かなくても、必ず道は開けると信じて。


SEはメニューのないレストランのウェイターか?

060312_105301  一昨日書いた「ソフトウェアの仕様書は料理のレシピに似ている」というエントリーに対して沢山の人からフィードバックをいただいた。このように情報を発信すると、逆により多くの情報が集まり自分にとっても勉強になる、というフィードバックプロセスがあるからブログは楽しくて仕方がない。

 フィードバックの中に「これでSE不要論も再燃か?」などという過激なコメントから、自分自身がSEという立場の方からのものすごく真面目なフィードバックまでが集まったので、これを機会に、ここに私なりに「SE」という職業をどう解釈しているか書いてみようと思う。もちろん、私自身がSEという職業を経験したことがあるわけでなないので、間違っているかも知れないが、その場合は遠慮なく指摘していただきたい。

 私の理解では、SEという職業はレストランに例えればウェイターである。それも、メニューから料理を選んでもらう通常のレストランとは異なり、「客の注文するものなら何でも作る」という個別注文レストランである。

 そんなレストランであるから、客の注文もさまざまである。「豚のしょうが焼き定食」と料理を指定する客もいれば、「今が旬の魚を使った寿司」とか、「ご飯のおかずになるものなら何でもいいけど、コレステロールが気になるから野菜を多くしてね」という漠然とした注文も来る。ウェイターの役目はそれぞれのお客さんに満足してもらうには、何を作るのが一番良いのかを見極めて、キッチンに伝えることである。

 難しいのは、客が必ずしも料理に詳しくはないので、真夏に「生牡蠣が食べたい」などと無理を言って来る客がいることである。そこを相手の自尊心を傷つけずに、「お客様、今は8月なのであいにく生食に適した牡蠣がございません。牡蠣フライではいかがでしょう」などと客を説得しなければならない。そういった仕事をちゃんとせずに、「生牡蠣一人前!」とキッチンに伝えてしまうと、料理人たちからは、「あのウェイターは料理のことが分かっていない」と非難されてしまう。

 優秀なウェイターになると、客の好みや健康状態、季節の食材、キッチンにいる料理人の得意料理、各料理にかかる時間、食材のコスト、などが全て頭に入っているために、客にも喜んでもらえるし、キッチンからは信頼される。そんなレストランの客席はいつも満足げな客で一杯だ。

 これが私の理解する「SEの役目」である。客に満足したソフトウェアを提供するという意味で、SEという職業はものすごく重要ある。ソフトウェアエンジニアとどちらが上か、などということは決してなく、それぞれに「客が何を本当に必要としているのか見つけ出す」、「受けた注文に基づいて作る」というそれぞれに重要な役割を果たすだけのことである。

 ではいったい、日本のIT業界は、どこで階段を踏み外してしまったのだろう?

 ここからは私の仮説である。

 そんな形のレストランも、レストランの数も少ないうちは良かった。しかし、外食をする人の増え、レストランが乱立してくるにつれ、腕の良い料理職人の数が圧倒的に不足してきたのだ(役人たちはこれを「料理危機」と呼んだ^^)。

 その問題を解決するために、いくつかのレストランでは、ウェイターの役目は、客が何を食べたいのかをキッチンに伝えるだけではなく、その料理をどう作ったら良いのか(つまり、レシピ)を書くことまでしなければならないというルールを導入した。そうすれば、料理人の不足を、料理の経験の全くない、バイト君やパートさんで補うことができる、という発想だ。今まで料理を作ったことのないウェイターたちには料理の参考書を与え、これからはウェイターは客からの注文をとるだけではなく、レシピも書かねばならない、と指示を与えたのだ。

 ウェイターたちは与えられた参考書を読んで一生懸命勉強するのだが、やはり実際に自らキッチンに立った経験がないので、どうもおかしなレシピを書いてしまう。そんなレシピを受け取った昔からの料理職人たちは、「こんなシロウトの作ったレシピで料理が作れるか!」と怒ってしまうのだが、ウェイターたちも上からの命令なので「そこを何とか」と頼み込むだけである。そんなことを繰り返しているうちに、腕の良い料理職人たちは怒って次々にやめてしまい、キッチンはレシピ無しでは料理の作れないバイト君とパートさんばかりになってしまう。これは本来なら危機的な事態なのだが、レストランのオーナーは人件費が抑えられると逆に喜んでおり、キッチンで働く人たちは低賃金で長時間労働を強いられているのである。

 少し誇張した書き方になってしまったかもしれないが、これが私なりの解釈である。SEの役目を、本来の「客が何を欲しがっているか、何を作れば喜んでもらえるかをソフトウェアエンジニアに伝える(要求仕様)」ところにとどめておけばよかったのに、ソフトウェアエンジニアの不足を補うために「どうやって作るか(詳細設計仕様)」という所まで踏み込ませてしまったのが間違いの始まりだったのではないだろうか。そのために、ソフトウェアを作ったことのないSEが詳細仕様を書く→ソフトウェアエンジニアが単なるコーダーになり地位と賃金が下がる→労働環境が悪化する→優秀なエンジニアがやめてしまう→やむなくソフトウェアの基礎を身に付けてない人たちを雇う→ますます良いソフトウェアを作るのが難しくなる、という悪循環に陥ってしまったのではないだろうか。


Microsoft のiPodキラーはXbox mobile!?

060307_032913 私の知り合いで昨年までWindows Mobileの開発の中核にいた男がいる。Microsoft の携帯電話用のOSを作ったは彼だ、と言っても良い人物だ。その彼に1月に会ったところ、去年の末ごろにJ Allard(XBoxグループのトップ)にじきじきに声をかけられ、あるプロジェクトの立ち上げを頼まれたためにXBoxグループに移籍したと言うではないか。

 私が「何作るの?」と聞いても、「E3には発表するから待って」とはぐらかす。なぜXBoxグループがWindows Mobileの開発のトップを欲しがったのだろう?

 この疑問がずっと心の片隅に引っかかっていたのだが、今日あるニュースを読んだとき、「これだ」と思った。

 Microsoft working on mobile game device

 San Jose Mercury News の記事によると、「Microsoftは、iPodのように音楽も聞ける携帯型のゲーム端末を開発している」とのこと。ただし、Microsoftからの公式発表ではないらしい。

 Microsoft が「ipodキラー」を出すのでは、という噂は前からあったのだが、最近の組織替えを考えると、XBoxグループがXBox360のコンパニオンとして出してくるのが一番しっくりとくる。そんなデバイスの開発を任せるとしたら、Windows Mobileの開発を担当していた彼に任せるのは当然である。

 ちなみに、この記事を読んで、「すると、そのデバイスの名前は当然『Xbox mobile』だろうな」などと考えながら思い出したのが、今回のソフトバンクによるVodafoneの買収。孫さんは「ブランド名は変更するがまだ公開しない」と言っているらしいが、これもほぼ「Yahoo mobile」に決まりだろう。ブロードバンドとワイアレスの両方を持つことをアピールするブランド戦略を採るのは目に見えているので、「Yahoo BB」「Yahoo Mobile」のセットで宣伝するのは理にかなっている。思い切ってYahoo色を消して「BB Mobile」としてしまう手もあることにはあるが…