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成田空港置き引き事件

060304_131522 最初からやな予感がしていた。スペインから帰ったばかりの知り合いから、スリにあった話を聞いたばかりだったかも知れないが、いつもパスポートを入れておくバッグのポケットが詰め込んだバブ(入浴剤)で一杯だったので、別のポケットにパスポートを入れている時に、なぜか視線を感じて回りを見回したあたりから事件は始まっていたのだ。

 手荷物として機内に持ち込めるように小さめの旅行カバンで飛行機に乗る私だが、例によって日本からシアトルに向かう私の両手は、デパ地下で買ったおみやげの詰まった紙袋で一杯だ。このまま更に買い物すると紙袋が破れそうだったので、チェックインを済ますとまずはトラベルショップに行ってビニールのバッグを買い求める。

 お土産やの前にある椅子に座って、紙袋の中身を買ったばかりのバッグに詰め替え、妻の好きな明太子を買い求める。残念ながら私の大好きな「笹かまぼこ」は売り切れだ。明太子をバッグに入れようと後ろを振り向くと旅行カバンはあるのだが、ビニールのバッグがない!「あれ?」と言って店の中を探し回る私。心配そうに「どうしました?」と声をかける店員。

 「置き引きされたらしい。」

 そう言う私に、「もう一度探してみましょう」とやさしく声をかけてくれる店員。店長も飛んできて、「どこに置きました?」「どんなバッグでしたか」と矢継ぎ早に質問する。その時、ちょうど成田空港のセキュリティの人が通りかかるので、事情を説明すると。「置き引きは私の管轄外です。警察にとどけた方が良いでしょう。」と交番の場所を教えてくれる。

 心配そうな店員に見送られて、交番に向かう私。時計を見ると、私のフライトの出発時刻まで一時間半しかない。これから交番に行って、事情を説明していて、フライトに間に合うだろうか。バッグの中身を聞かれたときにちゃんと答えられるように心の中で準備をする。

 「千枚漬け、桜餅(ああ、楽しみにしてたのに…)、ちりめんじゃこ、ノートブックケース(不幸中の幸いにもパソコンは旅行バッグの中だ)、メモリーカード(変なデータは入っていないかな?)、DoComoのPHSカード(でも、どうせサービスは今年で終わりだ。次はウィルコムだな)、赤外線モジュール(これは買いなおさなきゃ)、…あまり高価なものを入れておかなくて良かった。あ~、でも悔しい。私としたことが…」

 交番のある地下1階に下りるためにエレベーターに乗り込む。下の方にある「B1」のボタンを押そうとすると、肩にかかったカバンがじゃまで押せない。え、肩のカバン?え、ええ~、お前ずっとそこにいたのか?あわててエレベーターのドアを開けて、出発ロビーに戻る。「交番に行く前に気がついて良かった~」と胸をなでおろす私。

 しかし、何であのお土産やの店長は、私が「このくらいの大きさで、緑色のビニールのバッグ」と説明している私の肩にそのバッグがかかっていることに気がつかなかったのだろう。「置き引きされた~」と主張する私に、「ひょっとしたら、その肩のバッグでは?」とは言えなかったのだろうか?

 「おさわがせしました。肩にかかってました~」とお土産やの店長にすなおに謝りに行けない私はまだまだ修行が足りないのかも知れない。


Web2.0を活用する10の方法、その8

060115_152747_1  「Web2.0を活用する10の方法」その8は、"Give Users the Right To Remix"、「ユーザーにリミックスする権利を与えよう」。

 ここでいう「権利」とは、著作権法にのっとった意味で、加工したり別のメディアと組み合わせたりした上で再配布する法的な権利のこと。自社のコンテンツ、もしくは他社からライセンスして来たコンテンツをウェブサービスの形で提供するのは良いが、それをリミックスする権利をユーザーに与えなければだめだよ、ということである。

 リミックスと著作権法に関しては、私も常々考えているのだが、今の世の中の人々が持つ「感覚や行動パターン」と現行の「法律とビジネスモデル」とがこれほど乖離(かいり)している分野は他に無いのではないかと思えるほど、そのギャップは大きい。

 つい先日も、息子達が自分達で撮影したビデオにプロのミュージシャンの音楽をレミックスしたミュージックビデオのクオリティに驚かされたばかりだが、若い人たちの間でそんな創作活動が日常茶飯事になっているにも関わらず、それを合法的にブログなどで公開するのが事実上不可能な(可能ではあるが、莫大なコストと手間がかかる)のはどう考えてもおかしい。

 音楽の楽しみ方がこれだけ変化して来たのだから、それに応じて提供する側のビジネスモデルも変化すべきなのだが、業界で力を持つ既得権者たちの抵抗のためにそこに一時的に大きなギャップが生じているだけの話である。資本主義経済の仕組みがキチンと機能するのであれば、いつかはこの問題は解決されるはずなので、いつかは「リミックスしたものを自由に再配布させてくれる音楽配信サービス」が主流になる、と私は楽観視している。

 ただし、丸山氏の始めた「247music」ですらリミックス作品の再配布は認めていないので(私の誤解かも知れないが、「リミックス作品の再配布OK」という記述はどこにも発見できなかった)、まだまだ時間はかかりそうではある。この問題が解決されるまでの間は、リミックス作品は知り合いの間でこっそりと交換するか、違法を承知で匿名でインターネットに公開して楽しむしかないのだが、それを「近頃の若者は著作権を軽視してけしからん」と一方的に非難しているだけでは問題は解決しない。

 そもそも法律というものは、人々の常識を反映したものであるべきで、もし人々の常識や行動パターンが大きく変わってしまったとすれば、法律を守らない人たちを批判するのではなく、法律の方を変更してしまうというのも一つの解決策ではないか、とちょっと過激なことを言ってみたくなるあまのじゃくな私である。


大切な文字を赤で印刷するのはやめて欲しいバトン

060301_105945  世の中には、「一度こうするのが常識」と決まってしまうと、それが明らかに間違っていることであっても、疑問にも思わずに続けてしまう人が沢山いる。

 その良い例が、左の写真のような「屋外にある機器の注意書きのうち、大切な文字を赤で印刷する」という習慣である。確かに印刷したばかりの時の赤い文字は目立つので良いのだが、赤のインクで印刷された文字は(特に日光に当たる場所に置かれていると)時間とともに薄くなり、しまいには読めなくなってしまうことは誰もが色々なところで見かけて知っているはずである。

 にも関わらず、相変わらず「大切な文字を赤で印刷する」習慣をストップしてくれないのが私としては我慢ができないのだ。

 そこでこのブログを通じて、この悪習を無くすためのキャンペーンの呼びかけをすることにした。題して、「大切な文字を赤で印刷するのはやめて欲しいバトン」である。

 「そうそう、私も見たことがある」、「私はこんな例を見たことがある」というエントリーでも良いし、デジカメや携帯で撮影したものを自分のブログに貼り付けていただいても良い。私自身も、これから実例を見つけるたびに写真に収めてここで公開して行こうかと思う。