本当に生活の一部になると言及されなくなる
2006.04.28
会社にいるときは主にパソコンの前で仕事をしているのに、家に帰ってもついつい、すぐにパソコンに向かってしまう私だが、そんな私に投げかける妻の言葉が、少しづつ変化している。
結婚当時
「ねえ、パソコンばかりいじってないで、私の言うことも聞いてよ」
数年前
「ねえ、インターネットばかりしてないで、私の言うことも聞いてよ」
最近
「ねえ、ブログばかり書いてないで、私の言うことも聞いてよ」
妻には申し訳ないが、これは大変興味深い現象である。確かに最近はブログを書いているケースが多いのだが、ブログを書くにはパソコンもインターネットも必要なのだ。それなのになぜ、もう「パソコンをいじっている」とか、「インターネットをする」と言わなくなって来たのだろう。
私はこれこそ、パソコンやインターネットが、特別なものではなくなり、テレビや電話と同じく我々の生活の一部になった証拠だと思っている。例えば、日曜の朝のこんな会話を想像して欲しい。
「おっはよー」
「朝から元気いいのね」
「今、何してた?」
「『笑っていいとも』見てた」
「そっか。いまから『ダ・ビンチ・コード』見に行かない?」
これが、テレビや映画が特別なものだった昭和40年ごろだと、こうであったはずだ。
「おっはよー」
「朝から元気いいのね」
「今、何してた?」
「テレビ見てた」
「そっか。いまから映画見に行かない?」
デバイスとかサービスが本当の意味で我々の生活の一部になって来ると、逆に言及されなくなるのである。
全く同じ変化が、パソコンやインターネットに関しても起こっているのである。「パソコンをいじる」、「インターネットにアクセスする」といった行動がだんだん特別なものではなくなり、人は「アマゾンで買い物をしていた」とか「ブログを書いていた」というインターネット上での行為そのものを言及するようになってきたのである。
その意味では、妻に「ブログばかり書いていないで…」と言及されてしまうブログは、まだまだ我々の生活の一部になったとは言えない。
ブログが特別なものではなくなった時代には、妻のセリフはどう変化するのだろう?
その頃には「私の言うことも聞いてよ」と云われなくなって、寂しくなる・・・とかならないようにしないといけないですね(笑
Posted by: Tiger | 2006.04.28 at 20:40
>その頃には「私の言うことも聞いてよ」と云われなくなって、寂しくなる・・・とかならないようにしないといけないですね(笑
つまり、彼女にとって特別な人でありつづけなければならないということですね。
Posted by: satoshi | 2006.04.29 at 05:17
なずける事が随所に!、いつも考えるのですが・・
何故頭の良い人は、易しい文書が書けるんでしょうか
??、以前竹中平蔵さんが慶応の教授時代・・講演を聴く機会がありました・・経済の事をとても人懐っこく鮮明に説明・講和してくれました。(今や大臣)
4月26日の古川さんのブログですが、コメント残したら・・シアトルで偶然中島さんにしかも・・超久しぶりにお会いしましたとご返事いただきました。
(感激でございました)
Posted by: 宗ちゃん | 2006.04.29 at 17:07
奥さんにも理解できるレベルの利用法に変化してきたという面は。
Posted by: あるいは | 2006.04.30 at 19:29
本日、ぼーっと眺めていたら、ようやっと写真の意味がわかりました(^^; ドラクエ(とその顔である「スライム」くん)も、ブランドとして完全に定着しましたものね~。
自分などは「ゲームなってやっているヤツは不良」と言われていた時代からゲームをやっていますので、ゲームキャラのぬいぐるみが当たり前となった時代は嬉しいですね~。ホントに一定の市民権を得たなぁ、と思います。
写真を見ながらエントリを見ていると、“時代”の意味など、いろいろと思わされます。
Posted by: 橋本 新義 | 2006.05.04 at 06:42
>本日、ぼーっと眺めていたら、ようやっと写真の意味がわかりました(^^; ドラクエ(とその顔である「スライム」くん)も、ブランドとして完全に定着しましたものね~。
それほど深い意味を持ってつけた写真ではありませんが、最初のころは「ドラクエに出てくるスライム」と呼ばれていたのに、今は単に「スライム」。
Posted by: satoshi | 2006.05.04 at 07:04