「自殺する前に伊吹文科相に手紙を書こう」キャンペーン
技術者にも必要な「もうける決意」

「『いじめられっ子』にならないためにしてきたこと体験談」大募集

Frozen_leaves 昨日のエントリー、「『自殺する前に伊吹文科相に手紙を書こう』キャンペーン」に、私の「いじめられっ子ではないことを証明」した部分の体験談を書いてもらいたい、というコメントが寄せられた。

 コメント欄でも返事をしたのだが、いじめの状況には色々なものがあるので、その対処法もさまざまだと思う。そこで、できるだけ多くの人に体験談を書いていただき、それを集めていじめに悩む子供たちに少しでも役立ててもらおう、というのが今回の企画である。

 ちなみに、私の場合は色々と試みたので、どれが利いたのかははっきりしないが、たぶんこれだと思うのは、不良の親分と小学生のときからの友達で、不良のあしらいが上手だった子(本人は不良ではない)と友達になったこと。友達の友達、ということで、不良たちの矛先から逃れることができたのだと思う。

 体験談は、コメントの形でも、トラックバックの形でも結構。もちろん、ブックマーク・コメントを利用したひとことコメントも歓迎だ。

Comments

topo

私の意志でした来たことは特にないのだが、家庭内で姉と父が恐ろしかったので同級生に何かされた位では何とも無い
いじめ対策は父親が怖いことに限る....と思う..

名無し

中学生のころ、いじめられっ子を助けたら矛先がこっちに。
靴や筆記用具を隠されたり自転車の空気を抜かれたり。
まあ、その程度では気にしない人間なので(周囲に友人もそこそこ居たので)いつも通り適当に過ごしていたら、それが向こうの気に障ったらしく、今度は直接喧嘩を売ってくるようになりました。
で、なんども突っかかってくるいじめっ子を、そのたびに返り討ちにすること数回目、今度は一人対数人(5人くらい?)での乱闘に。教室だったので、途中でクラスメイトが先生を呼んできてくれてその場は収まりましたが、目の回りに青タンが。

相手側も全員無傷ですまなかったので、手を出したら痛い目に遭うということがわかり、めでたく解決?まあ、助けたいじめられっ子には微妙に裏切られましたが、その後はちょっかいを出してこなくなりました。


自分の親も鼻血出したくらいで家に謝ったり謝られたりに行くのはやり過ぎとか思ってるタチなんで少々のやんちゃも大丈夫でしたが。。。
今の風潮じゃ通用しないでしょう。十年もたっていないんですけど。

原始的ですけど、やられたらやりかえすですかね。当然、親切やら友情やらも返すんですけど。

kotak

親の仕事の都合で何度も転勤しているのでその度にいじめられてました。
(そんだけ性格が悪かったんでしょう)

対策としては、
1.やりかえす
2.ひたすら無視
3.時が解決してくれるのを待つ

1.は、自分も相手も小学生くらいの男の子であれば、結構効果があると思います。
いじめっ子グループの一人に狙いを定めて下校途中に後ろから殴りかかるとかしましてましたね。。。
私の受けていたいじめは、殴る蹴るではなくて、上履きを隠すとか陰湿系だったので、いじめられている側もあんまりいじめられると怒るんだよ、ということを示すことが大事みたいです。

2.変な噂を立てられたときは「人の噂も75日」を信じて75日指折り数えながらひたすら耐えました。
不思議なものでそのくらい経つと自然に噂は消えていくらしいです。
相手は、こちらが反応すると面白がってエスカレートするので、「ふーん、だから?」という態度をとってるとそのうち飽きます。

3.は何度も転勤するというのが、逆にいじめ解消に繋がったということですね。
どんなしつこいいじめっ子でも、転勤先にまでは付いてこない。
転勤しない場合でも、小学校は6年間、中学・高校は3年間しかないんですから、
その度に環境が変わるはずです。
環境が変わればいじめも無くなることが多いはず。
実際、いじめ対策の切り札として学校を変えるというのは効くと思います。

↓参考
宋文州「逃げることは、決して負けではない」
http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20061107/113234/

ma

初めましてこんにちは。
実は最近の報道はあまり知らないのですが、個人的に思うところがありましてコメントさせていただきます。主旨に反しましたらご削除ください。

さて体験談ですが、私が小中学生の頃は暴走族やってる先輩とかは武器を携帯していて人数がいて怖かったので反抗とか逆らうことはあまり無かったですが、そのぶん同級生とかは丸腰なので全く怖くありませんでした。それにあんまり目立つ事をすると先輩に手ひどく怒られましたので、相手を自殺に追い込むほどの行為は起こしませんでした。今はそういうの無いのでしょうね。何やっても先生は殴らないし。

という時代の違いを念頭においていただきたいですが、私の場合はそのまま、言葉によるものの時は反対意見をきっちり主張して、暴力には暴力で対抗しました。やっぱり『やられたらやり返す』ヤツはいじめのターゲットにはならなかったです。やられっぱなしの子はターゲットになってました。また、やり返しているとお互いに認め合えて、今度はちょっと近い関係になったりしましたね。基本的には興味がある相手をいじるのでしょうから。

ただ、現代の学校で起きているイジメやイジリ、集団による個人攻撃に対しては、単に対処療法で個別にやり返しても意味がないようにも思われます。集団には集団を組織するのがイチバンですが、それも難しいでしょう…。結局は自分を信じて間違いを間違いとして主張していくことが大事になるのではないでしょうか。

やはり力には力が抑止力になるのだと思います。そして自分の力が弱いならば強い力に頼る。悲しいですが大人の世界でもそうだと思います。それができない人はただ逃げるしかないと思います。できれば死以外の方向で。

死ぬという選択は簡単で甘美で魅力的です。辛いことがあったわけでもなく単に無味乾燥な生活のなかで生きる意味を見失って死を選ぶ子供もいます。それに大人でもばんばん自殺しています。年間で3万人くらい死んでます。いじめられている子供だけの問題でもないと思います。はた目は普通に生活していたのに本当にある日突然、ふっと死を選んでしまうんです。

どうして死んではいけないのか、社会的にその理由をきっちり説明し、自殺に代わる具体的対処法を提示してあげる必要があるのかもしれません。私自身その答えは未だに持っていませんが、少なくともまわりの人には悲しいことです。でも誰かに悲しいと思わせるのが目的の場合もありますし、難題です。

あきらめるな子供たち。声を出せばそれを聞いてくれる人がどこかに必ずいる。それは恥ずかしいことではない。すくなくとも日本では大人と呼ばれる年齢まで生き延びれば、たいていのところで生きていける。たまにでも笑えながら。

km

単純にいじめといっても少なくとも2種類あると思います.

1つは,いじめられっ子が表面的に劣っていて,いじめられるケース.見た目や,体力,家庭関係など.残念ながらこの場合の対処法はよくわからない…

2つ目は,調子にのったり,嘘(笑える嘘じゃない)を言ったり,攻撃的な負けず嫌い,自分の意見を曲げず,人の意見を聞かない,素直じゃない等,嫌われる性格な故,じょじょにいじめられっ子になるケース.

後者の場合は,その性格を直していけば,いじめは収まる可能性が高いです.具体的には,相手に優しく親切になればいい.まずは,「ありがとう」とか「ごめんね」とかそういう言葉を積極的に言う.素直に.

難しいのはいじめられると,いじめるほうに憎しみを感じるわけで,優しくとか親切とかできるどころか,逆にますますいじめを助長するような行動を取ってしまうことです.例えば,「ありがとう」や「ごめんね」って言う場合でも,機械的に言ってしまっては逆効果なわけです.

性格を直して,いじめが収まったケースは何度か経験しています.ただ,いじめが収まるとまた元の性格に戻るケースもあるのですが...

SG-TOM

小学生当時、ひたすらいじめられていた僕。ある日、ついに今で言うところの逆ギレを起こし、初めてそのいじめっ子と大喧嘩しました。
それからというもの、それまでは一方的ないじめが常だった状態に微妙な、しかし確かな変化が生じました。
「あいつを怒らせたらコワイぞ。もうそのへんでやめとけよ」みたいな。一目置かれるようになったとでも言いましょうか。

また、自分も相手も成長することにより、小学校を卒業する頃には、いじめ関係は自然消滅していましたね。

自身の経験から言うと、ひたすら耐え忍んでいる段階での、親からの「やられたらやり返せ」というアドバイスはほとんど意味をもちません。そして臨界点を超えたとき、そこで初めて「自分を生かす」ために「本能的に」反撃に転じました。そこに理性はほとんど介在しません。衝動的だからこそ効果があるのです。なぜならいじめというのは衝動的な行為なので、それの解決に一番効果的なのは、やはり同じく衝動的な反撃です。今あらためて考えてみると、自分は誰から教えられるでもなく、それを実行していたことになります。

状況や性格ももちろんですが、いじめの問題には、何より生命力の強さが深く関わっているというのが僕の持論です。たとえ子供同士の社会でも、現実の世界である以上、そこには「やらなきゃやられる」という、非常にプリミティブな生存競争の原理があるということを、彼ら自身に教え込む必要があると思います。「子供に教えるには難しすぎる」と躊躇していたら、それこそ時代的な要素を(立場上)持ち込みたがっているマスコミと同じになってしまうことでしょう。(それってひどく無責任な態度ですよね?)

Baatarism

僕はいじめを跳ね返せなかったので、結局大学受験が近づいてきていじめどころじゃなくなるまで耐えてましたね。

あと、国際政治学者の櫻田淳氏(雪斎氏)の体験談がブログに書かれてましたが、養護学校から普通高校に進み、いかにもターゲットになりそうだった高校時代の彼がいかにいじめを防いだかという体験談は一見の価値ありですね。国際政治学者らしく、昔から「力」の使い方には長けていたようです。(笑)
http://sessai.cocolog-nifty.com/blog/2006/11/post_7669.html

jetblue

私も小学生のときにいじめられていました。
しかし、いじめっ子よりも少し、頭がよいと思った私は、
その場はしのいで、常に自分が悪いことをしないように
いじめの場は常にしのぎました。
そして、翌日、一部始終を担任に報告、
私が悪くないこと、いじめっ子が私にした事実を
きちんと報告しました。
結果、数度担任が自宅に菓子折りを持って
謝りにきました。

会社でもそうですが、悪いことこそきちんと報告する
システムができれば多少は違うのかなと思った
小学生時代の経験でした。

中学校に入ってからは戦略が自然に変わりました。
いじめっ子にも不足しているポイントがあることに気がつきました。
突っ張っているけども、彼らには段取りが弱いことに
気がついた私は、彼らの秘書役を買って出ました。
そのおかげで、いじめられることは皆無でした。

悪事を働くのがいやだった私は、そんな中学一悪い集団と、
卒業後、卒業旅行に出かけました。
私が、宿の予約から電車の先導までやりました。
おかげで、何一つ問題なく15歳の温泉旅館への旅を
満喫することができました。
(ただ、宿にタバコの焦げを残してしまいましたが。)

今となってはよい思い出です。

不愉快どころか嫌悪感すら感じるこの企画

いじめられっこになりたくてなったわけじゃない。いじめられっこにならない方法があるということをこのようにして広く募集して公開するということは新たないじめの火種にしかならない。いじめられっ子にならない方法があるのにそれを実践していないからいじめられても仕方がないというように受け取られかねないし、事実、いじめられる側に問題があってそれを回避するための方法をしていないからこそいじめられるという理屈が見え隠れする。はっきりいって不愉快極まりない。精神的に追いつめられた末のいわゆる精神的虐待と肉体的虐待が今のいじめの根幹であり、周囲で傍観する人の存在がそれを助長し、歯止めを無くして共犯者と同様のことをさせており、最終的にはクラス全体、あるいは学年全体、時には学校全体で間接殺人が起きているのが今のいじめだ。あなたのしていることは何の解決にもならないし、むしろこういう状況を悪化させているだけだ。むしろやるなら逆だろう、いじめっこにならないためにはどうすればいいのか、だ。

単なる感想ですが。

この問題は技術的問題の解決のようにはいかないのです。
なのに中島さんは割といつも、どんなものごとに対しても、
そのような問題解決の手法を探ろうとされますよね?

ケンヂ

>ななしのお二人さん

いじめられっ子=自殺という安直な図式しか
提示しない今の報道やテレビのコメンテーターの
例のごとく季節ものの批判(靖国問題とかみたいに)に
いらだっていたので、興味深いエントリーだと思いますけどね。

Satoshi

>なのに中島さんは割といつも、どんなものごとに対しても、
>そのような問題解決の手法を探ろうとされますよね?

 確かにご指摘の通りだと思いますが、こういった難しい
問題に関しては、色々な人が、それぞれ得意な方法で解決に
近づく方法を探す、というのは、何もやらなかったり、
ただ文句を言ったりするよりは良いと私は考えています。

 その意味で、このブログを使って私なりの手法で試して
いるわけです。そんな中で、「こんな方法では何の役にも
たたない」という意見を書いてくる方もいるのも仕方がない
とは思っていましたが、さすがに「こういう企画が逆効果」
だと言う意見が出てくるとは思いませんでした。

名無し

お題とは違うけれども余計なことを少々。

反対意見書いてる人もそうだけど、中学生やら高校生はそもそもここを読みにくる?
このブログを読みに来るのは技術屋かそれに準じる人。もしくはブログパーツを使って自分のブログを改造したいって人がほとんどだと思うけれど。

最近のいじめは携帯をよく使うらしいけど、少なくとも自分のブログを改造する程度の知識があれば、相手からのメールのログをとっておいて、ついでに大量のスパムで逆襲するくらいはすぐに思いつくだろうし、そういう発想が出来る人間はそもそもいじめられんでしょ。

いじめる側、いじめられる側双方とも、自分がされて嫌なことは人にもしないって当たり前のことを守ればいじめなんて起きないわけだし。
やられたらやり返すって意見が多いのも、そのまま当てはまるんじゃない?

課長007

昔の『ガキ大将』に対しては「戦う」ことで分かり合えたりもしたものですが、最近の『陰湿な』イジメに対しては「逃げる」(転校で環境ごと変える)しかないのかもしれません。

kotak

> いじめられっこになりたくてなったわけじゃない。
この点が重要なんだと思います。
いじめの理由は、必ずしも何か劣っているからという訳ではなくて、
普通とか世間一般から少し違うということが理由になっていることが多いみたいです。
実際、バスケが上手い、成績がいい、というような奴がいじめの対象になったりします。
(転校生がいじめられやすいというのも、異質な存在だからでしょう)

どんなに誠実に生きていても、目立たないように生きていても、いじめられるときにはいじめられます。
自分の責によらない理不尽な理由で。
ですので、いじめの対象になっても対処できる方法を知る・考えるということが
必要なのではないでしょうか。
基本は、相手が聖人君子であることを期待しないで、自分の身は自分で守る、ということです。

しかし、子供へのいじめの場合には、子供だけでは対処できないこともあるでしょう。
先生がいじめに加担していたときなどは、子供の力だけではどうにもならないと思います。
ですから、周囲の人間、特に親、もいじめへの対処法を知っていることは重要です。
実際、「やられたらやり返せばいいんだ」「75日我慢すれば噂なんて消えるよ」といっても、
それができない子もいるでしょう。
そういう場合は、親が「転校によって解決できるかもしれない」ということを知っておけば、
自殺に追い込まれる前に対処ができるかもしれません。

他者の体験談を知ること、
それについて考えること、
そこから議論すること、
はとても意味のあることだと思います。

※親ができる子供へのいじめ対策としては、
「ゲーム機を買い与える」というのも効果があるかもしれません。
今だったらWiiかな?
新しいゲーム機を買ったとなれば家に来る友達もできるんじゃないかなあ。
(スーファミにつられて友達になった経験あり)

voicehopper

いじめを受けないための策としては、自分に矛先が向かう前に、より弱い人間をいじめる、或いはいじめに加わることでしょう。

多くの人が実践したであろうこのことを、何故、誰も発言しないのかな・・・と不思議に思います。

もっともそれは暗黙の了解であって、その他の策を考えましょう・・・ということなのでしょうか?

みけ

あははぁ~ イジメられっこでした。

(イジメっこ|イジメられっこ)に(なる|ならない)にはどうしたらよいの?
ってのは、対症療法的だと思います。
そういう社会環境におかれたときに、そういうバイアスがかかって、豹変する程、人間は弱い存在であると考えてよいです。
日本も60年前は国家的にこうでしたから……
それが、学校や会社に移っているだけ!

今、私が読んでいる本を紹介しますね。
これを読みつつ、霧が晴れていくような感覚を味わっています。
(まだまだ読書中ですが、感動をおすそ分けしたくって……)

でわでわ。

『いじめの社会理論』
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4760120882/sr=11-1/qid=1162569424/ref=sr_11_1/250-0078908-7660243

【書評】
著者はまず国家レベルでの全体主義ではなく、学校や企業、戦前の隣組のような中間集団における全体主義の危険性を指摘します。
学校のように個人が自由に離脱参入することが困難な中間集団において全体主義に巻き込まれ、こころをその場の「ノリ」に合わせてゆかざるを得ない状況で何が起こるのかをいじめを題材に取り上げます。
この過程でそれまでのいじめに関する議論のあらゆるパターンとその問題点が提示されて行く様は圧巻です。
そして著者は精神科医・中井久雄さんを幼いころいじめていた子供たちが戦争が終わったとたんに別人のように卑屈な人間に生まれ変わったことを希望の論理として受け止め、制度・環境を変更することでいじめを抑止できるのではないかと論を進めて行きます。
そこで行われるいじめの状況分析では著者の複眼的な思考が冴え渡ります。
人は常に同じ秩序を生きるのではなく、複数の秩序がせめぎ合った状況を生きており、その中でも中間集団全体主義を蔓延させる秩序を破壊することで人々は他の秩序が優位になった中で平和に生きることが可能になること、 さまざまないじめのパターンを呼び出す加害者の内面構成と利害関係の結びつきなどが指摘されます。
ここで様々な図式が提示されますが、これらの理論モデルはいずれも有効に思えるので、これを元にして日本だけに限らず世界中で事例の分析やいじめ対策、実証研究が行われることを希望します。
また、著者の指摘どおりこれは学校や職場のいじめだけではなくDVや民族紛争にも適用し得る理論と思われるので今後の研究の発展が大いに期待されます。
ところで本の終盤では人が中間集団全体主義に捕われない、自由な社会と教育のモデルが構想されます。これがなんともグッと来る内容で、この本で本当に伝えたかったのはこの部分ではないかと勝手に思っているのでした。

とおりすがり

いじめの解決策は、voicehopperのような行動をとっている奴を陰湿にいじめることです。そーゆー奴が教室で「ハッと」した顔をするとそいつに矛先が向いていく事が多いです。
小さなリスクも負わないように回避する心がイジメのターゲットだと思います。それで上手くいっていると思っているのは運が良いだけだと、教えるのが良いと思います。

karappo

わたしは皆さんのように武闘派じゃないので、どちらかといえばややこしくなる前に逃げるタイプでした。
徹底的に追いかけてくる場合は別でしょうが(もしそうであればさっさと警察に行った方がいいと思うし)ほとんどの場合は、距離か時間をとることで解決できる問題だと思います。
当たり前ですが、一人でいるならいじめはないですし。
学校ってひとくくりになっていますが、実際には、授業(教室)、課外活動(部活、委員会、など)、保健室、職員室、特別教室、図書館、その他の複合体です。
教室に居づらければ、保健室や、部室や委員会、職員室にいればいいし、どうしてもいやだったら、学校なんていかなくても別にいいと思うし。
無理に居続けると「アイツの顔を見ているだけで腹が立つ」状態になってお互いろくなことにならないと思うし。

実際わたしは、部室と委員会、職員室、とくに図書館を回避するのに利用しました(身体は丈夫だったんで保健室はほとんど利用しなかったな)。そこでなにか仕事を見つけて理由付けができればなお長居できて快適になります。

今の学校はハッピーマンデー(祝祭日を月曜日に集中)、週5日制が前提でコマ数を維持するために7時限授業、行事や特別授業の減少、少子化の影響で教員採用を減らし、人件費の抑制や保安上の問題もあって未使用教室には鍵をかけるなんてこともしています。

正直逃げ場がないよなあと思います。
もう少しすきまや抜け道、さぼる場所があったら、それくらいのゆとりを見て見ぬふりができる(ちゃんと見てる!でも何もいわない<ここ大切!!)おとな達だったら全く違った対処ができると思うんですけど。

yhanawa

近々米国から日本へ帰国する11歳と8歳の父親なので、イジメの問題には非常に興味あります。確かにこのBlogをごらんになっている方々で同じ境遇の人は少ないかも知れませんが、少しでも情報の共有が進むのは大切だと思うので、この企画には大賛成です。

私自身も30年以上前に小学生で米国から帰国、小学校はまだ良かったのですが、中学校はかなり荒れたナンバー校(女性教師が暴行されたり生徒が集団乱闘で重症を負ったり負わせたりという難しい学校でした。でもあのころは「ちゃんと怖い先生」がいてその先生が居ると雰囲気が変わったんですけどね。必要あれば殴っていたし)に進んだので、「やられる前にやる、やられたらやり返す」という気構え+実践が有効だという点には頷けます。ただ、その割り切りが出来るかどうかは子供の性格や体力・体格によるという点は見逃してはいけないと思います。

中島さんが言われるとおりイジメには様々なケースがあって「やられたらやりかえせば良いんだよ」だけでは解決しない、という点を大人が認識しておくことが大切なんだと思います。つまり、ひとつのフォーミュラで「なぜそれが出来ないんだ」と責めることで子供の逃げ場を消すようなことは絶対に避けねば、と我が子を見て思う次第。

自分でもSoul Serchingに近い状況で、何も結論が無くて恐縮なのですが、喧嘩を含めた対処方法は教えるけれども、それだけが手段ではないこと、どこまで行っても親は子供の味方であること、耐えられないことがあったらいつでも親&大人に話して良いし、それが直ちに恥ずかしいことでは無い、ということ等を子供が納得できるように話し合うこと、が今の時点での私なりの「親としての考え」です。

「いじめっこにならないためにはどうすればいいのか」に賛成

「自殺する前に伊吹文科相に手紙を書こう」キャンペーン
「『いじめられっ子』にならないためにしてきたこと体験談」大募集

これを見てものすごい違和感を覚えました。何ていうか軽いんですよね。
本当に死ぬまで悩んでいる人にこの軽さはどう響くのか。
善意でやってるんだろうけど、「キャンペーン」「大募集」まるでスーパーのちらしみたいですね。
いじめられないようにどうしたとか、テクニカルなことじゃなくて、死んだらいけないってことを心に響くように訴えなきゃ効果ないんじゃないですか。
今自殺を考えてる子は「わかってないな~、この人。そんな次元じゃないんだよ」と思ってるんじゃないでしょうか。


「いじめっこにならないためにはどうすればいいのか」
これは鋭いご指摘ですね。
まさにこれなんじゃないでしょうか。
「いじめられないためにどうすればいいか」ということは、いじめる方が許容された状態なんですよね。
つまり、このエントリーを見て私も最初に思ったのは、これじゃ「いじめの対象が変わるだけ」だということです。

もちろんそれでも、今いじめられている子がいじめから逃れられるというメリットはあるんですが、何か違うなと思っていたところにこのご指摘は見事に答えてくれました。
根本的に間違っているのはいじめられる側ばかりクローズアップされて、いじめている加害者が話に全く出てこないことです。

マスコミも加害者が未成年だということで意図的に触れてないと思うのですが、加害者を登場させず被害者だけがクローズアップされる報道では自殺者が増えても仕方ないでしょう。

いじめられる側がいじめられない方法を探さなければいけないのならば、いじめる方は楽なもんだし、そうなるといじめられている子が最後の手段(予告状、遺書で暴露をして)を選ぶのはむしろ自然な帰結となってしまうのではないでしょうか。

あと報道されるのは最悪のケースなんで、未然に防げている学校もあるでしょう。止められる立場の担任、部活の顧問が監督責任を果たしていなかったわけですから。

教育委員会や文科省の問題は自殺の原因をいじめと認めてこなかった点でしょう。
そもそも「いじめがあってはならないもの」としていてはあっても認めない方向に向かってしまうことは、官僚的な人、組織には自然な流れだと思います。(危機管理の視点に欠ける)

ですからいじめをなくしたいならば、いじめはあるということをまず認めて、その上でいじめをしないにはどうすればいいか子供に教えていくべきだと思います。

ブログ上でも同様にいじめをしないことを教えていくべきじゃないでしょうか。人を嘲笑するようなサイトが現に溢れていますから。

Michi

いじめられる原因はいろいろあって、一筋縄ではいかず、むしろいじめる側の方が、話は比較的単純なのではないでしょうか。私は自分の子供たちに、まずは弱いものいじめをしないようになってほしいです。いじめられる側になったら、そのときの状況に応じて考えるしかないですが。他のコメントにもあるように、マスコミでもブログ界隈でも、いじめ問題ではいつもいじめられる側ばかりにスポットが当たるのが、ちょっと違うような気がしていますので、あえて建前論を書かせていただきました。「いじめられたときの対策」は個別にやることであり、国家的キャンペーンとして行うべきことは、「いじめをするな」ということのような気がします。

  

八つ当たりも程々にしろよ…呪うなら己の境遇と頑固さを呪え
信念に従い、自分を曲げずに、自己を犠牲にしてきたんだろ
ならそれでいいだろうが
いじめから逃れるため自分を殺して空気を読んだ者の努力に唾を吐くような真似をするな
自分が出来ない状況にあったからって他の人にそれを求めるなよ、それこそ同調圧力ってもんじゃねえのか
対処療法?原因を直接取り除くだけじゃねえだろう
生まれつき顔が悪けりゃおちゃらけて笑わせてやればいい
親父が人殺しなら自分は親父とは違うと態度で示せばいい
礼拝をからかわれたからってそれ以外の所でいじめを抑止する方法何ざいくらでもあっただろうに
自分の不器用さを他人に転嫁するなよ
自分を曲げたくない?心底反吐が出る
自分で抱えたコンプレックスを自分の全てだと思い込んで
別の可能性を丸投げすることは信念とは呼ばねえよ
逃げられなかったことを馬鹿にされてる、なんて思い込み
いじめっこを抑止する方法をこっそり誰かに期待するようなスタンスじゃあ死ぬまで変わらんだろうがな

別にいじめを容認してるわけじゃない。
いじめられる側が悪い、なんて言うつもりも無い
ただ、いじめられる側に少なからず「理由」はあるだろう
その理由を取り除くことが出来ないからって、それを周囲に忘れさせるほどの自己主張をしてこなかった人間の言葉に説得力は無い

自分と周りの全てと違う物を淘汰する加害者
自分以外の全てが変わることを祈る被害者

どっちもどっちだ

Maki

「教師の成果」とは何だろうか。
「年功序列」「生徒の進学率」「知識の伝授」「こどもの可能性発掘」
「君だけのオンリーワン発見」
「受験テクニック伝授」「道徳」「歴史」「教科指導」「生活指導」・・・・・。
そこで、Wikiを覗いてみると、「教育について」次のように説明している・・・。
『教育(きょういく)とは、社会の維持と発展のため、
"個人のさまざまな能力"を引き出すことであり、
学び(学習)の一助となることをめざして、"教え続ける"ことである』と。
*URL: http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%95%99%E8%82%B2

つまり、「教育」とは、単に、「知識」を教える『場』ではなく、
「社会維持」まで含めた人間形成までもが含まれている・・・・?!

果たして、いまの教育現場における「評価」や「成果」はどのように決まっているのだろうか。
自分としては、『ひと(人)』が大切であると思う。
どんな職業、仕事であったとしても、『デキル・ひと』は自分自身を知っている、
何が得意で、また、何が不得手であるのかを。
知りすぎているが故に、課題に直面したときには、
『デキル・ひと』にまかせる。組織のタスクよりも、問題解決を優先している。
そして、変化に対して柔軟に対応できる。
どこの学校にも、必ず、金八先生に似たひとがいるはず・・・・。
問題とは、どれだけその金八先生に権限委譲、評価されているのか・・・・・・・"現場"では『解決デキルひと』を求めている・・・・。

よまわり

例え「軽く」ても、何かを始めることのほうが大切だと思います。その結果で今より悪くなるわけではないでしょう。小さな動きが少しずつ重みを加えることも充分有り得るし・・・。

わかった風に「どっちもどっち」って決め付けるのもどうなのかなぁと思う。人の意見を高みから判断できるほどあなたは偉いの?って感じるなぁ。

結局多数の人々の共通認識の上でしか問題の対処は出てこないわけで、自分が悟った様な口ぶりで話す人の方が嘘っぽい。大人がワアワアやっているのをしらけた目で見ているかもしれないけれど、この議論が何かの実行につながるなら、それはそれで現実に少しはインパクトがあるわけで、内部で自己完結して悶々としているよりもよっぽど意味があるよね。

「いじめっこにならないためにはどうすればいいのか」に賛成

「いじめられないためにどうすればいいか」ということでは、いじめる側が登場しない点で根本的にマスコミの報道と同じだということです。

ただマスコミの報道がおかしいのは担任、顧問が出てこないことです。管理職や行政よりも彼らが一番の責任者のはずなんですが。
学校の体制というより彼らの資質に問題があったのは明らかでしょう。
結局叩きやすい所だけ叩いて終わるいつものマスコミという感じでしょうか。

いじめた側、止められる立場にありながらそれをしなかった人間が批判されないなら、いじめを止めることはできないでしょうね。

あと新聞でいじめに関する記述がありました。
「いじめの本質は加害者意識の希薄さ」だそうです。
集団心理ということでいじめ以外の問題にも関連してきそうですね。

高間小豆

中学、高校については特にいじめられた経験がないので、小学校について、私の体験談を。

私は生まれが特殊で、かつ引っ越しが多かった事もあり、かなりいじめられ体質でした。
しかし、私が「殴られたら殴り返す」子であったため、いじめられた回数は多いものの、大概はあっという間に終わりました。
いくらいじめられても、意地でも弱みは見せませんでしたし、少しでもいじめられたと認識したら、こちらから難癖付けて襲いかかっていました。そして、どんな手を使ってでも、意地でも勝利しました。
重要なのは、勝った後に、その事で威張らない事だと思います。いじめられる→喧嘩して勝つ、というプロセスを終えた後は、ほとんどの場合でかなり仲の良い友達になれていましたから。あいつに手を出したらただじゃ済まない、だけど手を出さなければ普通に良い奴だ。そういう認識を作りあげて行くわけです。

一度親が学校に口出ししに来た事がありましたが、それは一番良くない行為だと思います。親が来る事で、完全に友好関係を潰された事があるので。
そして、世間では「教師が上手く間を取り持つべきだ」云々言われていますが、これは最も良くない事だと思います。卑怯者扱いされ、それこそクラスで孤立する事になるでしょう。

結局、当人同士で上手くやって、いじめられたらいじめられた本人がどうにかするしかないのではないでしょうか?
そして、大人達がいじめられっ子に出来る事は、いじめっ子を注意する事ではなく、いじめられっ子に反撃の手段を教える事、そして反撃した後もいじめっ子にならないよう教える事ではないでしょうか。
そして、これは親だけが出来る事であり、いじめ問題に関して、教師には出来る事はあまりないです。敢えて言うなら、どんな時も全ての生徒に公平に接する、そういう態度を見せ続ける事でしょうか。

いじめは良く教師が解決すべき問題のように語られますが、小学校という場においては、教師は所詮部外者です。子供ではなく、大人ですから。
そして、教師は人間ですし、担当する子供は大勢いるので、教師に逐一細かい部分見ろなんてのは、望むべくもない事です。
三十、四十いる生徒の一人一人を、一々心情まで考慮して、全員の調停をとりつつ勉強まで教える、なんて事が出来るスーパーマンがもし居るなら、もっと他のすごい事をするべきじゃないでしょうか。

そして、親は教師に責任を転嫁し過ぎです。学校に何か文句を言う前に、自分の教育法を見つめ直すべきではないでしょうか。
個人的には、いじめられっ子って、親の教育が原因である場合が非常に多いと思いますよ。
昨今、教師の能力不足についてああだこうだと議論が巻き起こっていますが、親の教育能力が不足している事について話し合おうとする人があまりいないのには、頭をひねるばかりです。

「いじめっこにならないためにはどうすればいいのか」に賛成

いじめることに関してほとんど触れられずいじめられる側の対処だけ考えることは「今より悪くなる」という表現が適切かどうか分かりませんが、全体的な空気としていじめられる側に問題があるようなものになる可能性も十分あると思いますよ。

一連の事件でいじめられている子の保護者は担任、顧問に相談しています。それなのに何もできなかったことは批判に値するのではないでしょうか?

私が言っているのはいじめっ子を注意するのではなく、いじめをしていることを正しく認識させるということです。いじめている子の保護者もいじめている側として批判されるべきだとは思いますが、問題はいじめている子自身が人を傷付けていることに気付いていないことだと思います。

いじめへの対抗手段よりも、人の痛みを理解させることが教育ではないでしょうか。
また人の痛みを理解することこそが成長だと思います。

ケンヂ

>いじめている子の保護者もいじめている側として批判されるべきだとは思いますが、問題はいじめている子自身が人を傷付けていることに気付いていないことだと思います。

とほほな書き込みですね。人を傷つけているという確信が
あるからいじめているんですから。とりあえず自制・・・自省してください。

たぁ

やり返すというのが有効なのは分かってますが、普通はやり返せない子をターゲットにするものなので、ほとんどの場合無理かと思います。つまり、やり返したら解決したという場合は稀で、いじめっこのターゲティングが単純に間違っていただけでしょう。
私の考えでは、有効な解決方法などはなく、ただ耐えて時間がすぎるのを待つしか手はないと思ってます。

こんなのは?

「もしいじめが発覚した場合には、
屈強なおっさんが現れて、いじめた生徒をボコボコにする」
というのはどうでしょう?

子供にはわかりやすくてよいのでは?


※もちろん前もって生徒達にはそのルールを告知しておく


人間も動物です。
身をもって学ばないとわからないことも多いものです。

心は萌え

趣旨が違うと思いますが、
なぜ、イジメ=暴力なのでしょうか?
シカトのような、精神的なイジメの場合。いわゆる村八分系の方が
日本では多いのではないでしょうか?

イジメに参加しない大多数の人は実は、シカトというイジメをしているのです。
非社交的な子供が、シカトを食らった場合、対応は社交的になる。という事であり
もはや、本人ではどうにもならないレベルかと思います。

例が不良校から始まっているのでイジメ=暴力となっていますが、
日本のイジメはどちらかというと、精神的なシカトが多いために
発見が遅れ問題になっているかと思います。

暴力的なイジメの場合は、発見できれば対処できますし、本人の対処も可能でしょうが
精神的な物の場合、対処ができないし、まわりも対応できないという事が問題であり、

暴力的な方面のみをイジメとして検討することは、一定の危険性をはらんでいると思います。と

シカトを暗いがちなプチ引きこもりの私が言ってみます。

sakuzo

出尽くした感があるのでアレですが、経験上は「見た目を磨け」です。
憧れられれば成功、オトナになっても武器として使えます。
昭和生まれは苦心したでしょうが、これだけインターネットが普及している時代なら、なお簡単でしょう。

日本は国民性上、いじめは加速すると思います。
思いつきですが、自殺加担者には殺人罪に似た前科を着せてしまえば、連帯保証人になりたくない利口な人は尻込みして逃げるのではないかと。
団体性を奪えばいい。

voicehopper

あれれ、「先の私のコメント=私がやったこと」だなんて一言も言っていないのに・・・。まあ、メールアドレスを詐称する人間からの発言なんて気にもとめませんが・・・。

私は、この企画で何らかの結論か方向性みたいなものが得られればと思って、あえてネガティブな一面を言ってみただけです。

たかしっと

私は小学校の低学年の時に、「太っているから」
という理由でいじめに逢った事があります。
毎日泣いたり、悔しい思いをいていましたが、
それ以上に大切なものがあったので、何とかなりました。

私の経験から言わせていただきますと、
コルレオーネ家の家訓にもあるように、
「恩には恩、
 裏切り(いじめ)には恐怖と復讐で報いよ。
 人生は美しい。」
という感じですかね・・・野蛮かもしれませんが。
しかし、暴力はナンセンスですので、
社会的な方法で報いた方がよいと思います。

色んな意味で楽しんでる大人が増えれば、
いじめも、自殺も減るかもしれませんね。
そんな訳で、
世の中を変えよう!と思う前に、
自分を変えようと思う今日この頃です。

タイトルの趣旨とは外れますが、
みなさんは、メディアが騒ぎすぎだと思いませんか?
上の方も書いておられますが、
報道の仕方も一方通行ですし・・・

Jitta

中学の頃、いじめられっ子だったようです。本人、そんな風に考えたこともなかったのですが、卒業間際にラブレターで、「いじめられっ子だから、私が守ってあげたいです」って。。。これが一番のイジメでしたね(^-^;

Satoshi

 こうやって皆さんからのコメントを読んでいると、本当に難しい問題なんだな、と思います。「体験談を語る」ということが、いじめの根絶に繋がるとは当然思いませんが、国家レベル・学校レベルでいじめをおこりにくくする環境を作る努力をするのと同時に、家庭レベルや個人レベルでも出来ることは少なからずあると思います。

 そんな中の一つの試みとしての今回の企画、賛同していただいた方もいれば、企画そのものに反発を抱いた方もいる、という事実そのものが私にとってとても良い勉強になりました。

 しかし、みけさんの「学校の全体主義」という指摘に関しては、深く考えてみる意味があるように感じました。学校側が全員に同じ価値観を押し付けようとするばかりに、逆に、もっとも大切な、「人はそれぞれ違う考えを持って当然であること」「他人の考え方は、たとえ自分と大きくことなるものでも尊重しなければならなっこと」を教えることができていない、というのが現状なのではないでしょうか。そして、それが、異質なものを排除する、クラスのみんなに迎合しない生徒を否定する、という「いじめ文化」に繋がっているようにも思えます。

odin

 はたして、これが苛めだと言えるかどうかは、悩み所なのですが。

 全ての原因となったのは、小学校4年生の時に、朝の朝礼で土下座させられた事です。

 その理由は、その日転校してきた生徒に向けて出会い頭に「デブ」と言った事でした。本人としては、自分がクラスで一番小さく、相手の方が体も遙かに大きく、強そうであった事から、1発殴られる事くらいは覚悟しての、軽い気持ちでの事でした。
 しかし、その子は担任(自分の担任でもあった)に訴え、また、その子が転校生であった事から、事態を重く見たのでしょうか。職員室に呼び出された後、全校生徒の前で担任に頭を無理矢理押さえつけられ、土下座させられる事となりました。

 その後は、転校生に酷い事をした奴として、様々な報復に遭いました。以下はその一例です

・出席確認の際、担任に「いじめっ子の--くん」と呼ばれた際、返事をしないと欠席扱いになる
・クラスメイトから無視される
・嘘のラブレターで呼び出され、転校生とその取り巻きに冷やかされる
・転校生らにマイムマイムのような形で囲まれ、動けなくなるまで蹴られる
・美術の作品や授業の提出物を目の前で破壊される
・始業前にダストボックスに閉じこめられ、昼休み、回収業者に救出される
・集団で押さえつけられて服を脱がされ、同じく服を脱がされた友人と無理矢理抱き合わされ、「ホモ」「変態」とはやされる。
・ホモ・変態事件の噂が担任に届き、からかわれた為、担任を「クズ」呼ばわりする。罰として教師の命令でクラスメイトの前で転校生らにズボンやパンツを脱がされ、晒し者にされる
・転校生を代表に、プロレスごっこの実験台となり、DDT、パイルドライバーなどの投げ技から、プールの中ではトペ、ドロップキックなどを受け、むちうち症などになる。担任の工作や、生徒の口裏合わせなどにより、放課後にジャングルジムから落下して怪我をしたように事実が曲げられるが、これらの工作についても後日、担任の口から直に聞かされる
・女性徒が授業中に目に怪我をした際、犯人にされる。被害者である女子生徒と容疑者である自分は友人であり、自分は既に下校していたため、女子生徒は犯人は違う人物だと証言。しかし、視界外からの行為であった事などから、担任によって一蹴。校長に報告され、担任引率の元、女子生徒の家に謝罪に行った

 はじめに教師陣から「いじめっ子」として示された事が、彼らの免罪符となったのでしょうか。行為は、その後、学年やクラスが変わり、中学校に入ってからも続き、内容はどんどんエスカレートしていきました。

 自分の通った学校は学区によって小・中学校が一貫教育であった為、転校して逃れる事は出来ませんでした。また、どうしてそのような結論に至ったのかは今では定かではありませんが、元々が自分自身の行為が発端である為、両親にまで「お前が悪い」と言われる事をひどく恐れており、また、行われた行為の中には尊厳を著しく傷付ける物があった事や、自分が色々な事をされているのに学校外にこれらの事実が漏れていない事などから、心の方が折れてしまい、周囲に助けを求める事が出来ませんでした。

 その後、それまでの自分の意識を全く塗り替えてしまう事件が起こりました。友人に、カッターで首を切りつけられたのです。傷は首の動脈には至りませんでしたが、「こうしないと、僕が苛められるから」と、にじりよる友人に、自分はかつてない恐怖と、生命の危機を覚え、「もう、誰にも頼れない。誰も味方じゃない。自分はもう一人じゃないと駄目だ」と諦め、また覚悟を決めました。

 次の日、転校生の首を絞めました。
その頃は既に背も伸びており、かつては見上げるほど背の高かった転校生とも、数センチまでの差になっており、殺す気であったため、荒事はずぶの素人である自分にも、柔道部部員である転校生を壁に押しつける事が出来ました。

 当時、転校生は成績も良く、推薦入試での高校受験が決まっていました。自分の行為は、たとえ殺せなくとも、喉を潰し、面接の際のスピーチをも駄目にしてやるつもりでのものでもありました。一方の自分は、中学の担任から「君は模試の結果は申し分ないが、周囲、特に成績優秀な転校生達との折り合いが悪い。君のような子には推薦枠を用意できない」と言われており、心中には「自分をこんな目に遭わせている転校生が学校から推薦を受けるのか」というやるせなさと、実力をきちんと身につけている転校生への嫉妬がありました。

 次の日から、自分は何もされなくなりました。
転校生を代表とする運動部の人間達からは恐れられ、またいじめられっ子達から敬われるようにもなりました。その後は、かつて自分を攻撃した人間に対し、敵対する意志があるか無いかを一人づつ確認し、その意志があると見なした者には、殺されかけた事で自分に屈服した転校生とその仲間をけしかけて、抵抗の意志を失うまで攻撃させました。

 中学校の担任は、自分の全ての行動を事実上、黙認しました。転校生に対して何もしなかったように、自分に対してもまた何もしなかったのです。

 そうしている内に、転校生のグループは崩壊し、その後は、自分の庇護の下で増長するようになった、元・いじめられっ子達のグループにも矛先を向けました。結果、全てのグループはバラバラに分かれて争うようになり、彼らの中には、やりすぎて少年院に行った者も少なからずいました。

 小学校の頃の担任や中学校の担任への復讐も考えました。
しかし、小学校の担任はすでに転出しており、また当時のメンバーでの同窓会が行われる事は一度もなく、出会う機会はありませんでした。また、中学校の担任への報復は、自分が行わずとも荒れた生徒達の方で勝手にやってくれた(車を燃やされたり、バットで殴られるなどし、警察が介入して事件になった)ので、実行に移す事もなく卒業を迎えました。

 ここまでの自分の体験談だけから言えば、やられた時に相手に攻撃の意志が無くなるまでやり返すことが出来れば、確かに、一方的にやられたり、苛められたりはされなくなると思います。

 ですが、少なくとも自分の行った行為は、いかな理由があっても正当化出来るとは思えません。肉体的に弱かった頃の自分は全てを諦めていました。肉体的に強くなってからの自分は、他人を信用せず、全てを一人で解決しようとしました。組織や集団といったものを信用せず、そこに属そうともしていなかったのですから、はみ出し者になるのは当然であったとも思うのです。

 事が大事になる前に反抗する勇気、または、信頼できる人物に迷惑をかけ、協力してあたる覚悟が有れば、もう少し違った結末を迎える事が出来た気がします。

Maki

Satoshiさんのご意見に賛成です。
> 「人はそれぞれ違う考えを持って当然であること」
> 「他人の考え方は、たとえ自分と大きくことなるものでも尊重しなければならなっこと」を教えることができていない

日本、いや、正しい表現をするならば、
世界から求められるスキルや才能とは、
「金太郎飴」のような画一性ではなくして、
君だけの『オンリーワン』ではないか、と思う。
海外で打合せをする時、彼らは僕らのオリジナルな意見を求めている・・・・。そして、彼らの心を打つとき、
『Good Question!』と言葉を返してくれる。お互いの信頼感が深まっていく。
自分自身、小学校、中学校や高校や予備校など、
これらで学んだことは、暗記力、公式や典型的解法の適用力などが中心で、主に「演繹法」としての思考力であった。
ところが、いま、われわれに求められているのは、
「独自な意見を持つ」や「人とコミュニケーションする(発表する)」
「(他人の)意見に耳を傾ける」、そして、「新たな自分を学んでいく」・・・・つまり、「君だけのオンリーワン」へ。
時代は変化している・・・・そして、求められるスキルも変化しているだろう。

鯨鳥

はじめまして。
遅くなりながらも、今回の募集企画に参加したいと思いトラックバックさせていただきました。
しかしながら、どうもうまくいっていないようですので、コメントさせていただきました。

Satoshi

 少し前から、「トラックバックがうまくできない」という声が入ってくるのでおかしいなと思っていたのですが、調べたところTypepadの仕様が変更になり、いただいたトラックバックは私が明示的に「承認」するまで他の人には見えない仕組みになっています。スパム対策だとは思うのですが、「おもてなし」としてはよくありませんね。残念ながら、今の段階では、この仕組みをはずすことはできないので、私が定期的にチェックをしなければならないようです。Six Apartにリクエストを出してみますね。

鯨鳥

Satoshiさん
>調べたところTypepadの仕様が変更になり、
>いただいたトラックバックは私が明示的に
>「承認」するまで他の人には見えない仕組みになっています。
あ、そうなんですね。実はわたし自身Typepadを使っているのですが、知りません(気がつきません)でした。。。すいません。
思いがけず勉強してしまいました。

Verify your Comment

Previewing your Comment

This is only a preview. Your comment has not yet been posted.

Working...
Your comment could not be posted. Error type:
Your comment has been posted. Post another comment

The letters and numbers you entered did not match the image. Please try again.

As a final step before posting your comment, enter the letters and numbers you see in the image below. This prevents automated programs from posting comments.

Having trouble reading this image? View an alternate.

Working...

Post a comment

Your Information

(Name is required. Email address will not be displayed with the comment.)