その「頭がいい人は成功して当然」という発想が甘すぎる
ネット時代の「あがってなんぼ」

「良い町づくり集会」を開いても誰も来ないのに、「けんか・火事」には妙に人が集まってくる

 先日の「その『頭がいい人は成功して当然』という発想が甘すぎる」というエントリー、少し強すぎる表現を使ってしまったために、「個人攻撃」と受け取られてしまい、少し反省している。

 特に反省しているのは、

子供のころから、「東大に入りさえば幸せになれるのよ、○○ちゃん」という母親の一途な価値観だけに踊らされて塾に通い続けた学歴社会の被害者

というくだり。筆者個人ではなく、このブログでも再三批判している学歴偏重社会の問題点を指摘したかったのだから、

「東大に入りさえば幸せになれる」というバブル崩壊前の価値観をあいかわらず子供にまで押し付ける学歴社会の被害者

と書くべきだったのだ。

 「匿名の筆者をあえてステレオタイプ化して問題を浮き彫りにしよう」という試みが個人攻撃に見えたのだとしたら、それは私の文章力不足の証拠。政治家だったら、口を一回滑らせただけで辞任にまで追い込まれたりするのだから、ブロガーだろうと気をつけなければならない。「口は災いの元」ではなくて、「キーボードは災いの元」だ。

 ちなみに、この「ミニ炎上」でこのブログへのトラフィックが激増(下のグラフ参照:オレンジがページビュー、ブルーが訪問者数)。丁寧なエントリーを書いてもなかなかここまでトラフィックが集まらないのに、ちょっとした論争がおこった時の方がはるかにトラフィックを集めるとはなんとも皮肉だ。「良い町づくり集会」を開いても誰も来ないのに、「けんか・火事」には妙に人が集まってくるのと同じなのか(「火事と喧嘩は江戸の華」参照)。このグラフを見ていると、「けんかだ、けんかだァ。みんな集まれ~」という江戸っ子の掛け声が聞こえてくる…。

Enjo

Comments

元記事の作者

了解しました。それでも納得できるとは言い難いですが、論評の範囲と存じますので矛を収めることといたします。
新記事に気付かず、前記事の最後のコメント欄でキレてしまって申し訳ありませんでした。むろん、削除なさっても逆恨みはいたしませんので、どうぞお構いなく。
それでは、失礼いたします。

通りすがり

> 「匿名の筆者をあえてステレオタイプ化して問題を
> 浮き彫りにしよう」という試みが個人攻撃に見えた
> のだとしたら、それは私の文章力不足の証拠

まさにこの通りだと思います。文章力なさすぎますね。ご自分のエントリーをもう一度しっかり読み返した方がよろしいかと。

中島さんのような方がこのようなむちゃくちゃなエントリーを投稿したという事実が僕は無性に許せなくて腹が立ちます。頼むからトラックバック先を間違えたと言って下さい。そうじゃないと本当にありえない。。。。

Maki

「学習」には、大きく二つに分類されるのではないか。
一つ目は法則やルールに従いながら答えを求める
「帰納的なアプローチ」であり、もう一つは、
不特定多数の未知な事象や情報などを収集・分析する
「演繹的なアプローチ」だ。
われわれ日本人が受験や試験で試されてきた能力とは、
大抵の場合、前者の帰納的アプローチであっただろう。
しかし、現在、世界は情報に関して、水平的に、拡くつながっている。この動きは、時間を経ると同時に、おそらく、
かつてわれわれが予想もしなかったほどの
大きなエコノミーへと変化していくものと予想される。
受験時代に、駿台の伊藤先生の基本英文700選を覚えながら、
一方では、京都大学のKJ法に関する書籍をかたっぱしから
読み漁っていた。所謂、濫読・・・・。

大切なことは、情報を収集することの大切さ、また、
情報を束ねることの重要性、さらに、自分の意見を発信し、
ほかの人の考えに耳を傾け、良いものは吸収し、
必要があるならば、敢えて自分の考えを起動修正する・・・・。

そして、自分の意見を積極的に発信していく・・・。
時代は、「Pull」から「Push」へと変化している・・・・。

よみ蛙

冒頭に『ちょっと彼(そのエントリーの作者)の将来が心配になったのでひと言。』から始まっているあたりからして、わたしには完全に個人攻撃というか個人に向けた投稿にだと思います。

「匿名の筆者をあえてステレオタイプ化して問題を浮き彫りにしよう」という試みも感じられませんし、意図せず個人攻撃と受け取られる投稿をし反省したとは言いつつも、意図せず傷つけてしまった相手への謝罪の気持ちは全く見られません。もし本当に個人攻撃と受け取られる可能性がある文章を書いてしまったと自分自身反省するのであれば、現実社会であれネット社会であれ謝罪はするべきだと思います。

中島さは頭がよくてプライドの高い人だと思われますので、全く悪いと思っていないけども一応丸く収めておこうかという落としどころのような感じが出ていて、個人的にこの対応はあまりすきにはなれません。

もう少し邪推をすると、ブログで『ミニ炎上』を起こした場合にとれほどの効果があるのかという実験的な試みのためにわざと人の感情を逆撫でするような投稿をトラックバックまでしておこなって、結果を見てほくそ笑んでいるのではないかという可能性も低くないのではないかと思ってしまいます。

コミュニケーションギャップ

>「東大に入りさえば幸せになれる」というバブル崩壊前の価値観をあいかわらず子供にまで押し付ける学歴社会の被害者

当人は研究者を目指していたのだから学歴社会において勝ち組なわけです。研究者の道からドロップアウトしただけで被害者というのは外しているでしょう。

元記事の「大学院での勉強に対する心構えに関するエントリ」(少なくともマジメに修士をやった人間にはそう読める)への返答としては、文脈を無視して、さらに一部分を拡大解釈して批判を加えたという感が否めません。

もうひとつ。研究職のように、あるていど学歴社会が機能している分野について、野放図に単純な学歴社会批判をしても何の意味もないと思います。

良くある通りすがり

コミュニケーションギャップさん曰く、


>当人は研究者を目指していたのだから学歴社会において勝ち組なわけです。研究者の道からドロップアウトしただけで被害者というのは外しているでしょう。

けど、彼、自分の事を

>ところが、私はこれといった実績も残さず、平凡な院生として研究室を去った。研究者への道は早々に断たれ、現在は平凡な新米サラリーマンでしかない。

と、極めて自虐的に表現している訳です。「平凡なサラリーマン」なんていう見下した感覚を持ってるのって、必死になっている大学院生くらいのものですよ。研究者になってしまえば、そんなこと、考えもしない。だからこそ、彼の記事をみて、「ああ、歪んでるな」と感じる訳ですよ。

あと、蛇足ですが、研究者の世界では、学歴なんて免許証に過ぎません。同じ免許証をもっていながら、研究の質に、埋めきれないほど大きな差がつく。その差は、学歴では説明できない。中島さんは、そのことを分かってて、学歴批判してるんじゃないですかね。

yukichi

http://0xcc.net/blog/archives/000135.html
自転車置場の議論といういい方がありますね。どうでもよくて、突っ込みやすいことほど無駄に盛りあがり、その分、肝心なことほど誰も意見をいわない。

コミュニケーションギャップ

>良くある通りすがりさん
なるほど確かに、「平凡なサラリーマン」という表現は見下しているかもしれません。文脈からいってそう読み取れるのも無理はないです。サラリーマンの人がムッとするのも分かります。これは失礼な表現かもしれません。

しかし、この平凡という表現は、もともと研究者を目指していたが失敗したことの落差によるのではないでしょうか。

研究者を「画家」「ミュージシャン」などの職業に置き換えて考えるとわかりやすいかもしれません。こうした狭き門である職業を追うことの情熱は、とても大きなものだと思います。

その情熱を、「学歴社会の歪み」などと評してしまうのは、やはり、ちょっと言いすぎだと思います。

GB

当然ここだってアクセス記録されてると思うが、、、

あんまりアホをやるとさらに中島さんをニンマリさせることになると思う(笑

良くある通りすがり

コミュニケーションギャップさん

言いたい事は分かりますよ。けど、「目指していた道を断念する」人は、世の中に、山のようにいます。大学院重点化で、大学院生の数が激増したこの10年ほど、博士課程に進めない/研究者になれない人間の数など、下手すれば、アーティストを目指している人より多いかもしれません。

どころが、彼の記事を読むと、「なんかひねくれてるな。どうしてだろう?」と感じる。そして、どの道であろうが、目標を達成できなかった人々の多くは、彼のようなルサンチマンに満ちあふれている訳ではない。なぜ、彼からは、他の人に見られないような「ひねくれた感覚」が垣間見えるのか?

その原因として、ブログ主さんは、「学歴社会云々」と議論するのでしょうね。そこに同意するかどうかはともかく、元の記事に対して奇異な感覚を抱く人々がいるのは、事実だと思いますよ。

sk

yukichi氏の挙げている「自転車置き場の議論」がとても興味深く、その通りだと思います。#私もそれに参加した一人ですが;
反論できないくらい(正しい|難解な)内容なら「その通り」「すごい」の一言で終わってしまいますが、件のエントリは誰の目にも分かる問題が多かったですから(意図はどうあれ「彼の将来が~」の時点で個人批判以外の何者でもないと思った)。
結論を得るために議論するのではなくて、議論それ自体が目的と化しているのだと思います。

hama

匿名エントリなはずなのに、アルファブロガーに叩かれたとたんに
被害者面して乗り込んでくるというのは何なのだろうか、、、

snowbees

<理工系のメーカー離れ>
QUOTEある大学の先生によると、20年ほど前、理工系のメーカー離れに一番危機感を抱き、すぐにエンジニアの待遇を改善したのはトヨタ自動車()だったという。同級生や先輩を見ていても、自動車、機械、化学などではエンジニアを使い捨てにせず、長い目で大切に扱っているように見える。そうした業界の業績が良く、株価も高いのは決して偶然ではないと思う。

 ちなみに、東大の進振りで人気が高いのは、バイオテクノロジーやナノテクノロジーといった化学工学やロボット分野の機械工学なのだという

http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20060417/101387/UNQUOTE
中村修二・教授による「技術者スレーブ論」も定着してきた?

bubububu

元記事は確かに多少ひねくれたものの見方をしているのかもしれない。
でも、そんなのは世の中にある数多の記事の中でもマシなほうだ。
これを仮に-5ポイントの落ち度としよう。
まあ特にコメントを付ける労力を払おうとも思わない程度のものだ。

それに対して例のエントリは元記事を勝手に解釈して、間違った引用法で批判している。
これは-80ポイントくらいの落ち度があると思う。
そして元記事作者がさすがに我慢できなくてコメントした。

すると今度はそれに対して多くの人間が乗っかってきた。
コミュニケーション能力だとか、元記事の-5ポイントの落ち度をやり玉に挙げている。
多分、頭の中には自分が嫌いなタイプの学歴・学力偏重主義の人を思い浮かべているのでは?

そうじゃないでしょ、と。
一番問題なのは例のエントリの-80ポイントの落ち度でしょう。
素直に「間違えました。ごめんなさい」って書いてた方が潔くて好きになれたけどな。>ブログ主

えー・・・

どうも自分が気になったのは他の人とは違うようで。
中島氏は元記事からの引用に反対する形で論点を進めているのですから、当然最初の結論は「お前のものさしで世界は動いてないよ」=「世界にはいろんなものさしがあるよ」となるはずです。

しかしながら後半のプログラマの話では同期氏の発言を引用して「おまえのものさしで世界は動いてないよ」=「バグは出るってのが当然だろ、それ以外のものさしなんて無い」という結論に進んでいると読めます。

私はプログラムはかじった程度ですが、バグが出るのは当然という気持ちは分かりますが、「オレはバグは出さないぜ」という発言から「彼は向上心が無い」だのと決め付けるのはヘンだと思います。まぁ、もちろん中島氏は本人のことをもっと良くご存知だからそういう結論が出てきたのでしょうが。

結局段落の切れ目で態度を180度反転させるダブルスタンダード的な人格攻撃が見受けられ、それが見る人に不愉快さを与えたのではと邪推します。

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