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iPhoneが起こしている小さなひずみ

 モンタナから帰ってきた息子のために携帯電話を買いにAT&Tストアに行ったのだが、そこでiPhoneが起こしている小さな「ひずみ」を発見したのでここで報告。

私:息子のために新しく携帯電話を買ってあげたいんだけど、どうせ貯金をためたら自分でiPhoneを買うだろうから、まずはテキストメッセージができるシンプルな機種が欲しいんだけど。
店員:MotorolaのRazrはどうでしょう。定価は$250ですけど、二年契約していただくと無料になります。
私:でも、二年経つ前にiPhoneに切り替えると思うんだけど。
店員:大丈夫です。いつでもiPhoneに切り替えていただけます。
私:でも、iPhoneを使うには新たな二年契約が必要なんじゃないの?
店員:いえいえ、iPhoneに切り替えた時点から契約を二年延長していただければ大丈夫です。
私:ってことは、来月にでもすぐ切り替えてもオッケーってこと。
店員:はい。
私:でも、普通二年以内に機種変をすると高くつくよね。
店員:だいじょうぶです。普通、機種変を早くすると高くつくのは、新機種の割引率が低くなるからなんです。iPhoneの場合、そもそも割引がないので高くなりようがありません。
私:???


 すでにお気づきの方もいると思うが、これはとても変な話である。二年契約をするからこそ、その契約獲得に帯する報酬として払われる販売奨励金によって本来$250のRazrが無料で手に入るわけで、それを二年以内にiPhoneに機種変されてしまうと、販売奨励金が無駄になってしまうのだ。こんな「ひずみ」が生じているのは、iPhoneという販売奨励金による割引が付帯しないにも関わらず二年契約が必要、という異常な機種が混在して売られているからである。

 まあ、この手の「ひずみ」があると、必ずその隙をついて金儲けをしようとする人が出てくるので、そのうちこれも塞がれてしまうだろうが、販売奨励金が携帯電話の購入者に還元されずにAppleの収入になる、という例外中の例外なビジネスモデルがあるかこそ存在するこの「ひずみ」。日本にiPhoneが上陸するときには、一体どんなビジネスモデルで提供されるのだろうかと今から楽しみだ。その前に、Appleが提示するだろう強引な条件にドコモの人の顔がひずむかも...


テレビの低俗化に関する一考察、補足1

 昨日のエントリー「Life is beautiful: テレビ番組の低俗化に関する一考察」に対してはたくさんのフィードバックやツッコミをいただいた。テレビという身近なものがテーマでもあるし、ツッコミやすい点も多々あったからだろうが(わざとじゃないって)、多くの人が「テレビは昔から低俗だったんじゃないの?」というコメントをくれた。

 もう一度読んでもらえば理解してもらえると思うが、私は「テレビの低俗化はどうしておこるのか」を考察しているのであって、「テレビも昔は高尚だった」と嘆いているのではない。私自身、ドリフターズの「8時だよ全員集合」やコント55号の「野球拳」を見て育ったわけで、あのころのテレビが今より高尚だったなどとは口が裂けても言えない^^;。

 「視聴率稼ぎのための低俗化」は決して最近始まったものではなく、広告収入のビジネスモデルの上に成り立ったテレビ放送が始まって以来のことである。唯一の違いと言えば、昔の低俗番組は「番組そのものの面白さ」のみで視聴率を上げるしかなかったのに、最近は「笑いのツボを字幕で表示する」だとか「コマーシャルの寸前まで種明かしを引っ張ったあげく、種明かしはコマーシャルの後にする」などの(番組そのものの面白さとは関係のない)視聴率を上げるだけのための編集テクニックが多用されるようになった点だろう。これをジャンクフードにたとえれば、体に悪いと知りつつもつい食べてしまうフライドポテト(=低俗番組)に、さらに食いつきが良くなるように人口調味料(=視聴率を上げるための編集テクニック)をたくさん振りかけたものが今の低俗番組だ。

 理解すべきなのは、この状況は決してテレビ局のプロデューサーたちが低俗だったり怠け者だったりするからなっているわけではなく、彼らなりに今の放送免許制度+ビジネスモデルの上で「視聴率を上げて広告収入を最大化するにはどうしたら良いか」と工夫を重ねた上でこうなっている点である。これも営利企業であるマクドナルドが必ずしも健康のためには良くないジャンクフードを売りまくっているのと同じ状況である。

 こうなると批判すべきなのは、テレビ局でもスポンサーでもなく、こんな状況を放置したまま莫大な税金を投入して地デジへのシフトを強制した政府である。まあ、地デジに関してはもう取り返しがつかないところまで来ているので仕方がないとして、同じような税金の無駄使いを「地デジのIP再配信」や「NGN」がらみではしないで欲しいというのが私からのお願いである。ネットのすばらしさは、放送と違って完全にオープンであること。IP放送に「放送免許」のような時代遅れの観念を持ち込まないでいただきたい。せっかくのNet Neutralityを崩すような行政判断だけはしないでいただきたい。 


テレビ番組の低俗化に関する一考察

Images 最近のテレビは面白くない・テレビ番組の低俗化が一層進んでいる・民放は視聴者を馬鹿にしたような番組しか作らない・最近の若い人たちはもうテレビは見ない、などの声は何年も前から聞く。その割になぜテレビ局のビジネスモデルが破綻しないのか、なぜ民放のプロデューサーたちが高給をもらい続けることができるのかが私には不思議でしょうがないが、そこはあまりにも奥が深い話なのでひとまず置いておいて、まずは「(視聴者が必ずしも望んでいないのに)なぜテレビ番組の低俗化が進んでしまうのか?」とう部分にフォーカスを当てて、一つづつ疑問を解消していきたいと思う。

 私は「なぜテレビ番組の低俗化が進んでしまうのか?」という疑問に対する答えは、マクドナルドに代表される「ジャンクフード・ビジネスモデル」にあると思う。「ジャンクフード・ビジネスモデル」とは、慢性的な食料不足にあった原始の時代から人間のDNAに刻み込まれた「とりあえずカロリーがあるものやしょっぱいものは食べられるときに食べておく」という基本的な欲求に直接的に訴えかけることにより、とにかくより多くの利益をあげることを最優先にし、客のリピート率を上げ、客単価を一円でも多くし、フランチャイズ化でマーケティング効率をあげ、マニュアル化と非正社員の活用で利益率を上げることに究極にまで効率化をはかったビジネスモデルのことである。

 これは古き良き「おいしいものをたくさんの人に食べて欲しい。そして、その結果が売り上げや利益の上昇に繋がるのであればもっとうれしい」という考えとは大きくベクトルの違うものであるが、資本主義社会でビジネスを営む限り、当然の結果である(その結果、アメリカでは特に貧困層を中心に肥満が増えるという悲惨な結果になっているが、その話はまた別の機会に)。

 私から見れば、民放の作る「いわゆる低俗バラエティ番組」はまさにジャンクフードである。笑いのツボをわざわざ大きな字幕で表示する・面白いシーンを何度も繰り返す・クイズの答えをコマーシャルの後まで引っ張る・事前の知識や知恵がなくても楽しめる番組ばかり作る・政治家や企業の失言や失敗を鬼の首を取ったように批判する、などのすべては、視聴者の大脳よりは小脳に近い部分に直接訴えかける砂糖や塩のようなものである。誰もが「こんなもの食べても体に良いことはない」と知りつつもついつい食べてしまうジャンクフードと同じく、「こんなものを見ても時間の無駄だ」と知りつつもついつい見てしまうのが今のバラエティ番組である。

 これだけなら、「レストラン業もテレビ放送事業も所詮同じ道を歩んでいるだけ」という話なのだが、一つだけ大きな違いがある。放送事業者にだけ与えられた「限られた電波帯を独占的に使う権利...放送免許」である。

 これがあるために、レストラン業と異なり、十分な競争がおこらず、NHKを除くすべての民放が視聴率稼ぎの低俗番組作りに走り、立ち並ぶレストランのほとんどすべてがジャンクフード屋と化してしまっているのが今の日本のテレビの現状である。レストランを選ぶ時には、「今日はデートだから少しきばってファンシーなレストランで食べよう」とか「少しぐらい高くても、おいしくて健康に良い食事をしよう」という選択枝があるのだが、テレビの場合には「ゴールデンタイムには、NHKか、野球か、ドラマか、低俗バラエティ番組ぐらいしか選べるものがない」という状況がここ何年もの間続いているのだ。これでは、人々のテレビ離れが止められなくても仕方がない。アーリーアダプターたちが、誰もが自由に情報を発信することが許されるネットにより魅力を感じるのは当然である。

 そう考えると、放送のIP化を進める上で最も大切なことは、地デジの再配信なんかではなく、放送のオープン化、つまり光ファイバーを使うことにより「限られた電波帯」の呪縛から逃れ、誰でも自由にどんなコンテンツでも光ファイバーを通して放送できる仕組みを作ることではないだろうか。「放送免許」という過去の遺物をそのまま光ファイバー上の「マルチキャスト帯域の割当」にするような時代に逆行するようなことだけはしてほしくないというのが私から(日本政府への)お願いである。


映画評:Bourne Ultimatum (ボーン・アルティメイタム)

 「公開されたらすぐに見に行く」リストに入っていたにも関わらず、「一作目と二作目をもう一度見てから行った方が良い」との勧めに従ってDVDをレンタルしていたりしたものだから今になってやっと見に行ったJason Bourneシリーズの第三作、Bourne Ultimatum。期待通りの作品であった。「今年のNo.1アクション・ムービー」の筆頭候補だ。

 ここのところ、スパイダーマン3やオーシャンズ13のように、「制作費をかけて作った続編を派手に宣伝さえすれば客は来る」と観客を見下したような連作ものが目立つハリウッドだが、このJason Bourneシリーズはレベルが違う。アクション・ムービーのヒーローとしては、インディアナ・ジョーンズと肩を並べると言っても良いのではないか。

 ちなみに、似た話だとは思っていたがなぜか原作ではないと頭から決めつけていたラドラムの「暗殺者」が、実は第一作Bourne Identifyの原作だと今になってやっと気がついた私である。思えば、この本をきっかけにラドラムファンになったぐらいにインパクトの強い本だったので、映画が楽しめて当然である。

 しかし、アマゾンで調べてみると、肝心の「暗殺者」(新潮文庫)はすでに絶版のようだ(マーケットプレースへの出品はある)。ここは版権を持っている新潮は、日本での11月の公開にあわせて(参照)タイトルを「ボーン・アイデンティティ」と改題してハードブックで再出版するべきではないだろうか。これだけ面白い映画の原作なんだから、1800円ぐらいは平気で出す人はたくさんいるはずだ。(どうでしょう、新潮さん。このブログでも宣伝しますけど^^)。

 Youtubeに予告編がアップロードしてあったので、ここに貼付けておく。


 


iPhoneはモンタナには少しハイテクすぎ!?

Drive

 先日書いたように、今週末はモンタナまで行ってきたのだが、さすがに片道530マイル(約850km)を二泊三日というのは体にきつく、もうしばらくハンドルは握りたくもない気分。

 参考までに850kmというのが日本だとどのくらいかと調べてみると、ちょうど東京から広島ぐらい。道が広くて取り締まりも厳しくないので巡航速度80マイル(時速130キロ弱)で走れるため直接の比較にはならないが、シアトルからこれだけ東に向かって走ってもまだロッキー山脈すら越えられていないというのがこの国のスケール。そのうち機会があったら、一度ぐらい大陸横断を試みるのも悪くないかも知れない。

 ちなみに、笑えたのがモンタナのレストランでiPhoneを手にした私を見たウェイトレスの反応。

 「あ、それiPhoneでしょ。私も欲しいんだけどモンタナじゃ売ってないのよ。AT&Tのカバーするエリアじゃないから」

 日本では考えられない話かも知れないが、NTT DoCoMoに相当するAT&T(元Cingular wireless)がサービスを提供していない地域が米国にはまだまだたくさんあるのだ。家に戻ってネットで確認してみると、こんな記事を見つけた。

 iPhone little too high-tech for Montana (iPhoneはモンタナには少しハイテクすぎ)

  これは、最初に米国政府が携帯電話用の電波帯を割り当てるときに(日本のように)全国レベルでは割り当てずに、地域ごとに割り当てたから、という歴史の名残りである。その後吸収・合併などでかなりの地域携帯電話会社が、AT&Tなどの大手に吸収されたのだが、それでも人口の少ない中西部あたりにはまだまだローカルな携帯電話事業者があるというのが現実である。


ロッキー山脈の山火事が増えているという話

 今週末は私用でモンタナに来ているのだが、そこら中で山火事がおきているので、洲全体が煙に覆われている状態だ。University MontanaがあるMissoula市のローカル雑誌Missoula.comは読者からのニュース写真を募集しているが、そのほとんどが山火事の写真だ(参照、左の写真はそのうちの一つ)。

 モンタナ出身の知り合いに言わせると「毎年のことだよ」とのことだが、少し調べてみると80年代から徐々に増えているとのこと(参照)。ロッキー山脈では温暖化が進んでおり、万年雪が減少し、春が早く来るようになったため、山火事が起こりやすくなっているという。

Forestfire  このサイトに行くと、全米の山火事の状況がリアルタイムで見れるが、それを見ると、確かにロッキー山脈の各地で山火事がおきている(右図で赤い点が今燃えているところ、黒い点は鎮火したところ)。

 これが果たして二酸化炭素による地球温暖化の影響なのか、単なる局地的な気候の変化なのかは簡単に決め付けることはできないが、こうやって毎年のように山火事がいつ自分の所に来るのかを心配しながら煙の中で生きて行くっていうのはどうなんだろうと思った私である。


「2ちゃんねるはなぜ潰れないのか?」は「ウェブ進化論」の格好の解毒剤!?

 遅ればせながら「2ちゃんねるはなぜ潰れないか?」を読んだ。なかなかである。著者のひろゆき氏とはまだ直接会ったことはないが(共通の知り合いはたくさんいる)、この本のおかげで彼に対するイメージが大きく変わったことは否めない。どう変わったのかを一口では説明しにくいが、あえて誤解を恐れずに言えば「ちょっと危なそうな2ちゃんの管理人」から「一度はゆっくりと話してみたい人」に変わったと言うべきだろうか。

 「グーグルのすごさって技術力じゃなくて企画力にある」、「mixiの株価はどうかんがえても高すぎるし、上場すべきではなかった」、「ホリエモンが逮捕されていなかったら日本はもっと面白い国になっていたかも知れない」などは、私も常々思ってきたことなので、本を読みながら何度も心の中で拍手をしてしまった。

 そもそも世の中には「これが正解」なんてものはないことを考えれば、さまざまなベクトルを持った人たちの意見を幅広く吸収することは大切。その意味では、梅田氏の「ウェブ進化論」を読んだ人は、バランスをとるためにもぜひともこの本は読むべきだろう。「ウェブ進化論」は今ネットの世界で何が起こっているのか良く分からない人には良い薬だが、良薬の常でそれなりの副作用もある。その意味では、この「2ちゃんねるはなぜ潰れないか?」は「ウェブ進化論」の副作用の解毒剤としては最適ではないだろうか、というのが今日の結論である。


二重ガラスの謎:解答編

 先日の「アインシュタインの面接試験:二重ガラスの謎」、私なりの解答は「ガラスにコーティングされた金属膜による光の干渉」である。

 私もこの問題のおかげで知ったのだが、最近の二重ガラスは、単にガラスを二重にして断熱効果を高めるだけでなく、特殊金属をコーティングしたlow-Eガラスを使用することにより放射による熱の伝達を減らしてさらに断熱効果を高めている(右の図は旭硝子のウェブページより引用)。

 光の反射は、それぞれの界面(空気とガラス、ガラスと金属膜、金属膜と封入ガス、封入ガスとガラス、ガラスと空気)で起こる。ガラスの厚さは数ミリあるので、その部分は像がぶれて見えるだけであるが、金属膜の部分は非常に薄いのでそれぞれの界面からの像が重なって見える。

 その時に、二つの重なり合った光(金属膜の内側で反射した光と金属膜の外側で反射した光)の経路長の差がちょうど可視光の波長と一致したときに、その波長の色のみが干渉により強調されて見えるのである。見る角度によって色合いが変わるのは、その経路長の差が変わるからである。

 この様な現象を「光の干渉」と呼び、身近なところではシャボン玉、水溜りに浮いた油などで観察されることが知られているが、このたび「コーティングされたガラス」が仲間に加わったことになる。

 ちなみに、私が最初にググッたのは、「ガラス 膜」。角度によって色合いが変わると聞いた時に、ガラスに何らかの薄い膜が作られていることを想像したのだ。しかし、これではあまり役に立つ情報が得られなかったので、「二重ガラス コーティング」でサーチして、「low-Eガラス」という言葉にたどり着いた。最終的には、日本フクソーガラスのページに以下の記述を見つけ、この解答が正しいものであることを確信したのである。

ペアペンLEの金属膜は反射色を持っています。見る角度、光線の当たる角度などによって干渉色が色ムラのように見える場合があります。【日本フクソーガラス株式会社|断熱複層ガラス ペアペンLE高断熱|スタンダードより引用】


インターネットは本当にパンクするのか

 今朝のWall Street Journalの"Video Surge Divides Web Watchers"という記事は、YoutubeをはじめとするビデオやP2Pによるトラフィックの増加の影響に関して、専門家の間でも、「ついにインターネットがパンクする」と主張する一派と、「まだまだ大丈夫」と主張する一派に分かれるという話。

 このあたりの話が難しいのは、そういった「専門家」が企業に属しており、彼らがそれぞれ企業としての思惑を持って話すので、情報がノイズだらけである点。

・ルーターをもっと売りたいCiscoがトラフィックの増加に備えてルーターの増強を訴える。
・「ただの土管」になりたくない通信事業者は、「NGN」をキーワードに政府から(税金面や規制面で)有利な条件を引き出そうとする。
・Net Nutralityを破壊されては困るGoogleやYahooは、懸命のロビー活動をする。
・Joost/SkypeのようなP2Pプロバイダーが思いっきりインフラのただ乗りをしてくる。
・私みたいなブロガーが「NGNなんて本当に必要なの?それより『おもてなし』だよね」と水をかける。

 まさに混沌とした感じだが、それこそが今の時代に生きている醍醐味だったりするからしかたがない。

 ちなみに、インターネットのキャパシティに関してなかなか良く書けた論文を見つけたので紹介しておく。

Never Ending Rush Hour

 興味深いのはNGNのNの字も出てこないこと。