先日の、「安倍総理への提案:『人生のやり直し』に寛容な社会作りをしませんか?」というエントリーに対してたくさんのコメントや質問をいただいたので、あえて私の意見に否定的なものも含めて、いくつか代表的なものに答えてみる。
・日本がダメでアメリカが良くて、という思考はもうやめませんか?
これは大きな誤解。私も「日本がダメでアメリカが良い(もしくはその反対)」という一方的な見方は大きらいである。日本にアメリカにも良いところ悪いところがたくさんある。ここであげた「人生のやり直しやすさ」は、私がアメリカの方が良いと考えているものの一つでしかない。
・見方はいい。ただ、事例がいかにもでどうも。
・レアケースを凡例の様に言い立てるのはなあ……。
レアケースではない。実際にここに挙げた例のようなキャリアを持った人たちがゴロゴロしているのが米国。日本のように「一流大学を卒業して、一流企業に就職し、そのまま一生勤め上げました」という人の方がよっぽどまれ。
・同意だけど、安倍さんに振ってもしょうがない
・それを阿呆ボンに聞いても無駄だろ。
・なぜ安倍さん? 彼が必死になってこの問題に取り組んだところで彼では少しも改善できない。総理が解決できるレベルの話じゃない。
・提案(質問)している相手が間違っている気が・・・
・安倍総理はおぼっちゃまですから何を言っても無駄です。
安倍さんの名前を出したのは、できるできないを抜きにして、一国の長としてこの手の問題点をきちんと国民と議論した上でビジョンを持って国をリードするのが彼の仕事だから。構造改革にしろ、憲法改正にしろ、根底に「日本をこんな国にしたい」「こうやって国力を上げたい」というはっきりとしたビジョンがなければ「改革のための改革」にしかならず、国民の理解も得られなければ、実質的な変化をもたらすことはできない。特に、アメリカのように「機会均等」を強く打ち出した政策にするべきか、日本独自の「結果平等」路線を走るのかには大きな違いがあるのだから、そこははっきりとすべき。
・日本でも同じことができそうに見えるんだが・・・どこが障壁なのかよく分からん。
・失敗した人間、過ちを犯した人間にはやり直して欲しくないって思ってる人もいる気がする/ここで例に挙げられてる人く
らいの能力があれば日本でも割とやり直せてるんじゃないか。
・大企業にこだわなければ、実力さえあればやりなおせるのでは。
・日本でもできる事ばかりじゃないか。日本もクレクレ社会になりつつあるのだろうか。
・ほんとに日本はやり直しずらい国なんだろうか。企業の不合理な新卒偏重採用はプレイヤー全員に不幸をもたらしているとは思うけど、逆にそれくらいしか具体的なケースが思い浮かばない。
日本での「人生のやり直し」をしにくくしている原因はたくさんあるが、一番大きな原因は、企業が採用の際に年齢を採用条件の一つとすることがいまだに合法なこと。よく採用情報に書いてある「35才ぐらいまで」というやつである。これがあると、「自分のキャリアを修正するために大学に戻って勉強しなおしてから再就職する」とか、「子供を育てるためにしばらく休職してから復帰する」などがものすごく難しくなる。一方、米国では採用面接の際に応募者の年齢を尋ねることすら御法度。年齢・性別・宗教・人種・性指向などを理由に採用を断ったりしたら、企業にものすごいペナルティが課せられる。それと比べると、日本の機会均等法は甘すぎる。
・入るのだけ難しい日本の大学に問題があるとは思う
・米国はそもそも大学が専門学校のようなもので仕事に直結することをするっていう背景を無視していないか
これはとてももっともなコメント。日本の大学を「仕事に直結することを学ぶところ」「必死に勉強しなければ卒業できないところ」にしない限り日本の国力は落ちて行く。
・そのかわり解雇やレイオフが頻発するわけだけど、どっちがいいのだろうか。
これもとてもまっとうなコメント。再就職だけを容易にしながら、解雇やレイオフをしにくいままにしておくということはありえない。人材市場にしっかりとした競争原理を取り入れるというアメリカ方式は、「優秀で努力を惜しまない人であれば、誰でも階段をどんどんと登っていける社会」であると同時に、「一度ある職につけたからといってウカウカはしていられない社会」である。「人生のやり直しに寛容な社会」と「既得権を維持しやすい社会」は両立しない。
・日本でも戦後の混乱期から高度経済成長期まではびっくりするほどゆるゆるでイレギュラーが多かったと思うが(というかスタンダードな道なんてなかった)
・アメリカの強さの一つが見えた気がする
これもするどいコメント。日本の高度経済成長期は、夢と野心と才能にあふれたさまざまな経歴を持った人たちによって作り出されて来たことを忘れてはならない。優秀な若者の大半が安定を求めて大企業に入るような社会には、あのころのような成長は期待できない。一攫千金を狙って次々にベンチャー企業を起こす才能にあふれたハングリーな若者、そこに投資をするベンチャー・キャピタル、それこそが米国の強さの秘訣である。
・日本は未だに、良くも悪くもムラ社会的で、レールから外れる事、ムラの掟を乱す事に対しては酷く過敏な反応で排除にかかるよね。そういう世間の構造を変えないと行政が法制で弄るの限界あるよ
・これが実現したらよりよい社会が!とは思うけど、現実にするには日本社会の意識を根底からぶち壊すことになりそうです。
・やり直し可能な社会になると若者に言う事をきかせるのが難しくなる。流動的になると競争が発生するため搾取がしづらくなる。それは老人にとっては都合が悪い。今の日本はやり直しさせないようにシステムが出来ている
・しかし、パイを有限とすると、やり直しがきく→今の受益者のパイを奪う結果になるよ、失敗者以外が望むのだろうか?
根本的には、こういった日本特有の文化があることは否定できないし、「だからこそ米国式の機会均等社会ではなく、日本的な結果平等社会を作るべき。自由競争で社会を混乱させるよりは、既得権者の利権を守って社会を安定させるべき」という考え方があるのも分かる。しかし、そんな考えかたと米国式の資本主義経済がそもそも両立するのかどうかに、私は大きな疑問を持っている。ここまでグローバル経済圏に巻き込まれた経済活動をしておきながら、一部だけ資本主義から大きくはずれたことをするというのはあまりに「ゆがみ」が大きすぎる(そして、その「ゆがみ」のスキをついて、外資系の投資ファンドが濡れ手に粟の暴利をむさぼる)。
【追記】良いコメントを一つスルーしていた、と指摘されたので。
・どの例も能力が豊富そうに見えるやつばっかで、全般的に能力に乏しい人はどうなるんだろう(アメリカでもそういうのは結局ホームレスとかじゃないの
これも良いコメント。アメリカの採用している「機会均等」とは、全員に平等に機会を与えることにより、人種や年齢や性別に関わらず「才能や野心があり、努力を惜しまない人」がどんどん成功できる機会を作ることであり、同時に「才能も野心もなく努力しない人」は浮かばれないし、「既得権にしがみこうとするだけで自分を向上しようとしない人」はどんどんと落ちていく。これが「結果平等」主義との大きな違い。