「今年こそはIPTV元年」って何回言っただろうと思いつつ...
作家佐々木譲氏にコメントをいただいた件について 

「言論の自由」の大切さに関して一言

 民主党は18歳未満の若年者が犯罪に巻き込まれるのを防ぐため、インターネット上の違法・有害サイトの削除をプロバイダーなどに義務付ける法案の国会提出に向け、党内調整を始めた。自殺勧誘や、児童買春の温床とされる出会い系や児童ポルノなどに簡単にアクセスできないようにする狙い。与党との共同提出も視野に入れており、今月召集の通常国会での成立を目指す。 検討中の法案では、サイト開設者やプロバイダーは違法情報を発見し次第、削除しなくてはならないと規定。違法かどうか明確でなくとも、有害な恐れがある場合は児童が閲覧できなくなるような措置を講じるよう義務付ける。罰則を設けることも視野に入れる。

NIKKEI NET(日経ネット):主要ニュース−各分野の重要ニュースを掲載より引用】

 弾さんも指摘していたが、この民主党の発言は先進国の政党としては許しがたい発言。イギリスやアメリカなら法案どころか、それを臭わす発言をしただけで総たたきに会う。日本のマスコミは必要もない政治家の発言のミスを重箱の墨をつつく様に避難するが、これは真っ向から思いっきり避難すべきこと。法案の撤回をするまで徹底的にやるべき。

 政府による「有害サイトの削除」とはすなわち「検閲」であり「言論統制」。児童ポルノのようにあきらかに違法なものは今の法律でも削除命令を出せるわけで、それを「違法かどうか明確でなくとも、有害な恐れがある場合には」とあいまいで、かつ憲法で明確に定義された「言論の自由」と矛盾するような法案を出す民主党はいったい何を考えているのか理解できない。

 「言論の自由」は国民に与えられた基本的人権の一つ。「ホモセクシュアル」であろうと「金正日への崇拝」であろうと、どんなに一般常識で考えて「倒錯」した思想であろうと、思想そのものを持つことには100%の自由が与えられるのが内面的な精神の自由。それを表現する際にもその表現そのものが児童ポルノのように違法でない限りは許される、というのが表現の自由(もしくは外面的な精神の自由)。

 その表現の自由を「有害な恐れがある場合は」という曖昧な表現の法案でないがしろにすることは、その時の為政者の都合による勝手な検閲・言論統制を許す抜け道を作ることになり、とても危険だ。

 政府が「ホモセクシュアルな行動を促す発言は有害」、「金正日を崇拝する発言は有害」、「神仏を侮辱するような発言は有害」と次々に違法サイトに削除命令を出し始めたらどうなるか考えて欲しい。それが許されるなら、次に来るのは「憲法九条の改正に反対する発言は有害」、「日米安保条約を批判する発言は有害」、「自衛隊の軍事行動を批判する発言は有害」だ。そんな言論統制がされている国に住みたいのか?

 私はそろそろ民主党に政権をとらせるのも良いタイミングかと考えていたが、この法案だけは許せない。民主党はすぐに撤回すべき。それができないのであれば、こんな法律の抜け道を作ってしまって、後の政権の横暴をどうやって阻止するつもりなのかを説明して欲しい。

Comments

HODGE

はじめまして。
あなたの趣旨には賛成します。しかしここで、こういった場合に「同性愛」を──あるいは他の「異性愛を含めた」セクシュアリティの中でを「同性愛だけ」を──「金正日」と並べて引き合いに出すのは、パフォーマティブには同性愛は有害だ、という差別的・人権侵害的発言を垂れ流しているように感じます。
通常、「表現の自由」が「人権侵害に抵触する」場合には、「人権」が優先されるのではないでしょうか。欧州でも、親ナチス言動は明確な犯罪です。人種差別発言、性的指向による差別も問題とされます。
「言論の自由」の旗の下に、どんな差別発言も野放しにされることが良いとは、僕は考えません。

むにゅう

>欧州でも、親ナチス言動は明確な犯罪です。

だからといって、それを他国に強制しようというのは人種差別であり、人権侵害。
卍を規制しようとしたように、欧州のローカルルールの押しつけは迷惑なだけです。

差別や人権侵害を無くしたいなら、正面からそれに向かい合うべきであって、発言や表現を規制しても無意味。


民主党は、国民の活動を規制する前に、政治家や官僚の行動を規制する法案を作ればいいのに。

1s

日本では、政治的な暴走がはじまるようですね。アメリカの大統領選挙を機会にでも、日本人を(政治的な)難民として受け入れなんて話になったら面白いのですが。

kl

いつも楽しませて頂いてます。今回も主旨に関して全く同意ですが「ホモセクシュアル」という言葉をもう少し慎重に使って欲しかったのが残念ですね。

Satoshi Nakajima

 「ホモセクシュアル」を「金正日の崇拝」と並べて例としてあげたことに関して差別発言と受け取られるとは想像もしていなかったのですが、誤解であれそれで気分を害した方がおられたとしたら私の責任なので、申し訳ないと謝罪させていただきます。

 この問題の一番の問題は、まさにこの「ホモセクシュアル」のように、数的にマイノリティで、マジョリティの中に差別視する人がいる思想や趣向が、その時の為政者の都合で迫害される恐れがある点。その意味では(「金日成の崇拝」と違って)色々な見方をする人がいる思想・趣向という例としてあげさせていただきました。

 見知らぬ人とのチャットから売春行為まで、単なるセックスを示唆する記述からSMやスカトロまで、どこで線を引くべきかが難しい問題に関して、そこに自由に線を引く権利を為政者に与えてしまって良いのか、というのがこの問題の本質です。「為政者に線を引かせることは思想コントロールにつながるので絶対にさせてなならない」というのがこの「精神の自由・発言の自由」の根底にある発想です。

 その意味では、迫害することが誤りだと多くの人が気づいてくれそうな「ホモセクシュアル」と、一見迫害しても問題はなさそうだけど実はしてはいけない「金正日の崇拝」を並べることに私としては意義があると思ったのですが、誤解を招いてしまったことは遺憾です。

通りすがりの人

「単なるセックスを示唆する記述」が有害?
少子化対策なんて以ての外ですね。

「金正日を崇拝する発言」をするのは表現の自由で守られるべき。
「ホモセクシュアルな行動を促す発言」をするのも表現の自由で守られるべき。
もちろん、それに不快感を持つことを表明する自由も。

「金正日を崇拝することを強制する。」「ホモセクシュアルな行動を強制する。」
「金正日を崇拝することを禁止する。」「ホモセクシュアルな行動を禁止する。」
これが、他者の精神を侵害するから有害。

でいいんじゃない?

shigeki


私は国家による「言論の自由」の制限には賛成です。あなたの言う「言論の自由は国民に与えられた基本的人権の一つ」とは、「国家によって与えられた国民との間の契約の一つにすぎない(権利ではない)」と私は考えています。

誰もが免許を持って自動車を自由に運転することができるからといって、「自己認識低下と他人に危害を及ぼす」恐れのある飲酒運転や集団危険行為を国家が運転者の免許剥奪・停止をする判断を下すことで国民の生命財産を守ることに反対をする者はいないだろう。

国家が有害サイト(自殺勧誘・児童ポルノ)を遮断してどこが違法・言論統制なのか私には分からない。自殺したい者が集まるサイトを閉鎖してイギリスやアメリカから叩かれるとお思いだろうか?自殺・犯罪を防ぐ法案が彼らの国で言論統制と叩かれるとあなたはお思いだろうか?逆に、「日本政府は世界でも高い自殺率に対して何も手を打たないのか?」と彼らは心底笑っているに違いない。自殺して残された家族やレイプの被害者は今後深い傷を負って何十年も人生を送らなければならないのに、政府が有害がどうか決める行為を「政府の抜け道を作ることになり、とても危険だ」なんで歪曲して軽々しく言わないでくれ。情けないったらありゃしないよ。

米国大手メディアの中で「米国政府発表による世界平和を乱すイラク大量破壊兵器の存在」に疑問や批判した会社人物がいただろうか?誰もいないじゃか!!彼らはただ単に、政府発表・リーク情報を新聞にコピーandペーストしただけ。あなたの好きな米国では、メディアは法案など通さずとも政府による検閲・言論統制をとっくの昔に受け入れているんだよ。

hoshino

shigeki様

中島様は「言論の自由は国民に与えられた基本的人権の一つ」を憲法の話と絡めて語られておりそうであるならば当然権利以上のなにものでもありません。なぜなら憲法とは国家が守るべき根本規範であり国民に対して恣意的な権利侵害がおきないようにするために存在するものだからです。少なくとも現状憲法に対する合意とはそのようにあり、「国家によって与えられた国民との間の契約の一つにすぎない(権利ではない)」というのはそうあって欲しい、そうあるべき、或いはそう考えたいというshigeki様の強い意思は感じますが一般の法解釈からすれば異端です。もしそのことに無自覚である上自己解釈を当然のコンセンサスのように語るならばそれこそ「歪曲」でしょう。そもそも成文憲法でわざわざ一つ章を設けて「権利」として「保障」されているものを勝手解釈で捻じ曲げようとしているのは滑稽でさえあります。

hoshino

また運転と言論の問題を一緒にするのも不適当と思います。恐らく例えとしてお出しになられているのでしょうけど今回されている問題提起ではまさに「飲酒運転してもいいじゃないか」という言動をネットですることさえグレーゾーンになりかねないことへの危機感であってそのような厳密さを要求される議論では用いないほうがよいでしょう。「飲酒運転や集団危険行為を国家が運転者の免許剥奪・停止をする判断を下すことで国民の生命財産を守ることに反対をする者はいないだろう」などと随分断定的に仰られていますが、現行の取り締まり法は現実に力関係でそのように機能しているだけでありそれをもってして「反対をする者はいない」とはいえないと思います。少なくとも普段からアルコールを取らない私からすれば酒を方々で堂々と売りながら飲酒運転や未成年の飲酒をなくそうというのは酷い欺瞞であり矛盾を解消できない汚い大人の勝手と考えていますから現行制度への無条件な追認はありえません。これに比べれば飲酒を禁じ日欧米に比べればかなり事故時の車側の責任が軽減されている(歩行者にもある程度の注意義務、危険回避義務を課すというのは「当たりや」などの対策にもなるし実際の事故を減らす上でも一考の余地があるのでは)イスラム諸国はこの点日本よりは筋を通しているといえるでしょう。

更にいえば「運転者の免許剥奪・停止をする判断を下すこと」が本当に「国民の生命財産を守る」ために行われているのかは甚だ疑問です。なにせお上には「酒税」という「利権」がありますし運転者の再講習などを管轄している「団体」等は天下りなどで警察利権と絡んでいますからたとえば上記イスラム国のような体制にしようとしたらそれが本質的に一番「国民の生命財産を守る」ことになっても政府がそのような提案を呑むかは怪しいわけです。

ついでにいえばいくら「生命財産を守」られても飲酒の楽しみがなくなってはたまらないという人たちもいるわけですからどの程度のコスト(規制、取り締まりなどの不自由)を受け入れてもいいかは個人差があるわけでこのような権力を行使する取り締まりで一枚岩になることはまずなく「反対をする者はいないだろう。」などとは「軽々しく言わないでくれ。」と思います。そのような権力を一手に他者(政府)に委ねることに関して危機感が著しく欠如してる言動をされる日本人がいることは仮にも同じ民主主義国家に住むものとして「情けないったらありゃし」ません。

shigeki


「全ての法律(憲法・刑法・民法..)は国家・社会・国民の生命財産文化を守るため豊かにするために存在存続している」と俺は考えている。

例えば、日本国憲法第9条よれば「戦争の放棄・戦力の不保持・交戦権の否認」を唱えているが、自衛隊が潜水艦・戦車・戦闘機を所有しているのを見れば、行政や司法そして議会は憲法を多様に拡大解釈を行える・行っているのが現状である。実際、憲法で保障された「信教の自由」だからと言って、国家がオウム真理教を危険な宗教団体としてセミナーや参加者を監視対象を行いを統制することに対してこれを憲法違反だと唱える人はいないだろう。同じく、共産党員による公務員宿舎におけるビラ配りの迷惑行為を「表現の自由」とするのことに同意する人は少ないであろう。これは最初に述べた考えを社会的合意が形成されていると思っている。


「言論の自由」とは何かと言えば、上記の考えが根底にある限り「言論は自由」であると思っている。「有害な恐れがある場合は」何かと言えば、「上記の考えに反している場合」だ。もしあなたが自殺勧誘や出会い系・児童ポルノを規制することに憲法違反を唱えて、それを「政府による勝手な検閲・言論統制」として誤魔化し議論を抜け道に持って行こうとする方がもっと危険であると思う。

ところで、米国でも戦争前・戦時下・戦争後でも普通に年がら年中言論統制は行われていますよ。それをリークとかプロパガンダとか歪曲・偏見とか別の名の下で。もしかしたら、グーグル最先端最高とかネットに民主主義をなんてのは名称やスローガンを変えれば同じようなことが別のところで何十年何百年にも言われ続けたことだと思います。

ppop

こういう規制の問題の批判の際に、反対するもの賛成するものに当然分かれて、比較的短期間に多数決になる傾向が最近多くなっている。だが、これでは対立は残ったままとなり、不毛な市民レベル含め政治的な紛争、新たな差別の元になる。
大事なのは、単純な規制法案化ではなく、問題は何かを彩度分析し直す事、その上でその問題状況の改善方法の提示していく事、それを繰返していく実験、模索ではないがろうか?
つまり、単に法案への賛否の根拠の議論にとどまるのではなく、両者の問題意識を多岐に展開させて行く事、問題点を深く掘りさげること、そして絞り込んだ社会的問題項目を改善する、よりシンプルな方策を議論する事が必要だと思う。

hoshino

論旨の流れからすると9条違憲の現状を述べそれをもってしてだから憲法なんぞ遵守する必要はないといっているようで恐ろしい。成文で書かれている「権利」を勝手に「契約」などと言ってのけそれでもってだから破ってもよいなどと暗に主張しているのはまさしく「危険」だ。瑣末だが本来もし「契約」であっても守るのが筋であってそれを「言論の自由」の制限に賛成する論拠として援用するのはいかに法の支配を維持する精神が希薄かがわかり興味深い。このことは仮に成文に「国家と国民の契約として」と書かれていたら他の表現を持ち出して否定したであろうことは想像に難くないことを示唆している。また契約の概念からすれば双方の合意により結ばれるそれは立場は対等であるのだから一方が一方に「与える」というのは不適当でその動詞の目的語に相応しいのは「権利」であるのだから権利がある事実を本来認識しつつも故意にそれを「歪曲」し欺網でもって読み手の錯誤を狙っているようにもみえる。それはより悪質で「もっと危険」だろう。契約は結び結ばれるものであり「契約を与える」とはいわない。このような表現を故意に用いる人と”契約してはいけない”ことがよくわかる。

オウムや共産党のビラ配りの例えは上で示したような不適当なものでありオウムについては破防法適用が棄却された経緯があるしビラ配りの裁判も一方通行の判決が出たわけではない。「憲法違反だと唱える人はいない」とか「ビラ配りの迷惑行為を「表現の自由」とするのことに同意する人は少ないであろう」と断じることができるレベルからは程遠いはずだがこのような主張の根底に一貫して流れている多数或いは「公式」の発表に無条件に迎合したがり、思考停止し、そうでない意見への想像力を欠き、かつそれらをはじめからないものとしたいという意向はわかりやすい。

自殺勧誘や児童ポルノについても触れておこう。そもそも自殺を防ぐにはその原因を取り除くのが正道であり「勧誘サイト」等を取り締まることすなわち上辺だけで対処しようとすることは問題を悪化させる可能性が高い。これは自殺する側の立場になって想像してみればよくわかる。自殺などをしようとしている人間が共に死ねる仲間を求めて望みを適える先がなくなったらどうなるだろうか。その後より「悪い」方法で問題解決される可能性が高まるのは必至だ。よくて一人でも自殺、悪ければ道連れを探せない鬱屈から周囲を巻き込む方法を取るかもしれない。だいたい自殺勧誘サイトの存在がなくなれば自殺その他の問題行動を取らなくなるような人ならば最初から自殺などしないのだ。自殺勧誘サイトはそのような自暴自棄、自殺以外の方法で社会に迷惑をかけうるほどに追い詰められている可能性のある人を引き受けてくれている必要悪という捉え方もできるのである。自殺を本気で減らしたければ政府がやるべきことはその要因として上位にあげられている経済問題への対処としての格差是正など他にある。その方が手間も金もかかるから安易な解決をしたいのかもしれないが、ならば何もしない方がマシだ。生きる希望を奪われた状態で更に望む手段での自殺方法を失った人たちがどのような行動を取るか考えたら「もっと危険」なのは明らかではないだろうか。

児童ポルノに関しては中島氏が言うように「今の法律でも削除命令を出せる」のだから言論統制を肯定する理由としては弱いわけで政府に恣意的な判断ができる余地を与える口実として正当化するには不十分である。

もし共感できる部分があるとすれば「イギリスやアメリカならば」とした点は失敗で恐らく英米がユートピアと言いたかったのではなくこのような時反対意見があまり出てこなくてお上の言いなりになりやすいことをとりあえず闊達な議論は展開されやすいそれらと比して日本の現状を心配してのことだと思うが、外国抜きで充分通じる論旨なのだから余計な比較はしないか、するにしても、もっと説明を尽くす、或いは別の国を出した方が良かったように思う。過去の経験則からすれば「アメリカならば」と語ると感情的にも反発を買いやすいのはご存じのはずでそれがなくとも立派に通用する文章を書いておられるのにもったいない限りだ。

さとう

> shigekiさん

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「全ての法律(憲法・刑法・民法..)は国家・社会・国民の生命財産文化を守るため豊かにするために存在存続している」と俺は考えている。
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これは楽観的希望であり、まさに「俺の考え」でしかないと思います。国家は簡単に暴走し、権力の牙をむき出します。だからこそ憲法を作成し、三権分立を行って、常に監視を行う必用があるわけです。日本でそれが上手く機能しているかと言えば疑問ですが。
ところで、「憲法・刑法・民法」というように、憲法を他の法律群とならべ、挙げ句の果てに「法律()」というように憲法を法律のくくりでひとまとめにすることは明確な間違いです。

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「言論の自由は国民に与えられた基本的人権の一つ」とは、「国家によって与えられた国民との間の契約の一つにすぎない(権利ではない)」と私は考えています。
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憲法が国民と国家との契約だとして、そこで権利であると成文化してあると思うのですが・・。


そして、この記事では、その国家が暴走し、憲法という国民との基本契約を破ろうとしているから問題提起をしているのだと思います。


ところで、この記事では別に何でもかんでもやって良いと言っているのではなく、「児童ポルノ等は許されるものではないし、今の法律でも削除命令を出せる」ときちんと書かれています。
shigekiさんはしきりに自殺サイトのことを主張されていますが、そうした立法の過程で児童ポルノのように明らかに有害で、それを削除することにより明確にメリットがあることであるならば、児童ポルノと同様に法律を作り、禁止していけばいいだけのことだと思います。もしかしたら、立法の過程の議論で自殺サイトは検閲対象とすべきではないとの結論が出るかもしれませんが。


この記事で一番問題としているのは「有害サイト」という何にでも解釈できる法律が問題とされているのであって、それが憲法違反であり検閲であるということだと思います。

shigeki

国家のレベルはその国民の知的水準を超えることはない。


「有害サイト」の政府による解釈は、憲法違反であり検閲であると言うのならばあなたでも誰でもいいから訴えればいい。確かに司法の判断は分かれるかもしれないが、政府見解や司法判断はその時代社会を反映して恣意的なものであり、多様で柔軟性があるものである。それをでたらめで危険と見るかはその人自身の人生観国家観であると思う。

原告・被告双方が司法の判断を仰いでいながら、都合が悪くなった当事者が最高裁の司法判決に対し「不当判決」「憲法違反」と垂れ幕を持ってテレビの前に走ってくる姿をあなたに重ね合わせるのは不当であろうか?それとも危険なことであろうか?

Kelsen

有害サイト規制に関しましては、一昨年来、省庁設置委員会などで検討されていました。(その頃からネット上での批判は存在していました。但し、多くのアクティブユーザーの方々は無関心だったようにお見受けします。)

それを受け、昨年12月、総務省から各携帯キャリアにフィルタリングサービスの普及啓蒙のを行い、既に未成年者の出会い系サイトなど有害サイトアクセス制限サービス(18歳未満と確認された者全てが対象。但し、親権者から不要の申告がある場合を除く)が始まっています。

また、自民党・青少年問題に関する特別委員会で議員立法として「有害サイトの規制」に関する法案を提出する模様です。(つまり、今になって急に出てきた議論ではありません。)

「これがイギリスやアメリカなら法案どころか」との中島さんのご指摘につきましては、英米には闊達な国民的議論が展開される政治風土がある、との趣旨と解しますが、現実にアメリカで、通信品位法(Communications Decency Act of 1996)は連邦議会で成立したもののの、連邦最高裁で違憲判決がでました。(判例上、「indecentな表現」は連邦憲法修正第一条の保護範囲であり、「obsceneな表現」であれば、保護対象下にはないとも判決文でnoteしていまして、アメリカでも、言論・表現の自由も当然ながら制約はあり、かつ、法案自体は連邦議会で可決されている(既に、米国社会では1996年時点で問題視されていたことを意味します)という点、ご指摘させて頂きたく思います。

日本国憲法につきまして。
確かに「法の支配」の原則から、権力の暴走を防ぐ意図は含意としてはありますが、①「全国民の代表」である国会議員は「機関委任」されており、それが国民の意思と見做される(憲法規範的には)ことから、必ずしも「ときの民意」の支持とは無関係に法案審議を行いますし、②また、本件で、本当に国民の要請なく権力が暴走しているとも必ずしも断定はできないのではないでしょうか。

従前から、現実の福祉犯罪などから対策の必要を訴える運動も、それを支持する法律家も、存在していた訳ですから、一定の社会的合意がある事項と判断することもあながち不可能ではないと考えます。

憲法上の自由(人権)は憲法第12条の規定により「公の福祉に反しない限り」(通説的には「他の人権に抵触しない限り」との意)保障されるものであって、親権者が権利侵害を受けていると感ずる場合には、制約されることは、憲法解釈上、あり得ることと思います。

中島さんの「憲法で明確に定義される『言論の自由』と矛盾」とのご指摘は、法律文言に関しては、ミスリーディングかと思います。

法律文言は(特に日本国憲法は、どうにも法律文書としては整合性に欠けますので)ある規定だけを見て一意的に解釈が決定されることはありません。

法は必ずしも日常言語で記述されているとは限りませんし(基本的には法的言語で解釈されます)、また日本国憲法が「硬性憲法」である性質上、解釈の余地を残しておくことは、環境・時代の変化に沿っていく意味で、重要になります。

民主党案の「違法かどうか明確でなくとも、有害な恐れがある場合には」は、この法案が可決されれば(政府与党案との調整になるでしょうが)、確かに曖昧さは残るものの、潜脱する業者はいくらでもいそうですし、実効性の点から却って疑問です。

対象が18歳未満であり、かつ、ネットの特性上イタチゴッコでしょうし、事実上ザル法であっても、規範的意味を持たせることで制定することはあり得るのかとも思います。
(現にキャリアは18歳未満の携帯には「検閲」している訳でして、これは憲法上の「検閲」ではないと、現時点では判断されます。)

もちろん、アメリカの通信品位法のように、司法の場で争うことは可能です。

マスコミに期待するのではなくて、個人々が違憲だと思われれば、アクションを起こせば良いことではないでしょうか?

社会契約説の前提は、国民が「自律的個人」として行動することを前提としていますので、自己責任において各位ご判断されることが適切と考えます。

hoshino

「有害サイト規制に関しましては、一昨年来、省庁設置委員会などで検討されていました。」このことはたまたま私は存じていましたけれども中島氏もそうかはわかりませんがこの手の議論でよくあるのに「急に出てきた議論ではありません」といって議論の縮小を図ろうとするものがありますが中島氏の主張はその旨に触れて、だから許せないという論法を用いているわけではないのですからこれまでじっくり煮詰めてきたものであろうと急に出てきたものであろうと氏は同じような危機感を持たれたと思いますから余り意味のないことだと思います。

そして多くの人が無関心であったのはよく公知されていなかった可能性が高く中島氏ほどの情報リテラシーを持つ方がもし知らなかったのであれば尚更その感を強くします。であるならば「急に出てきた」と看做されてもやむを得ないことといえるでしょう。もしこれが許されることになると改正前の金融商品取引法のリスク説明よろしく国民の自由を制限するような広く知られれば必ず物議を醸すような審議、議論ほど形式だけの公知をしできるだけ情報の周知を遅らせるという手段が堂々とまかり通ることになります。

hoshino

次に携帯のフィルタリングとの絡みですが今度の法案が想定している手段は「インターネット上の違法・有害サイトの削除をプロバイダーなどに義務付ける」ですから事実上大人に対しての閲覧も制限されるものです。「罰則を設けることも視野に入れ」ているのならばその強権性は携帯のものとは比較にならないものでありその法的効果を考えれば両者は全くの別物といっていいですから並べて論ずること自体無理があります。フィルタリングを入れなくても親権者は罰則は科されませんし大人の閲覧が制限されるとばっちりもありません。それらの違いが氏に『次に来るのは「憲法九条の改正に反対する発言は有害」、「日米安保条約を批判する発言は有害」、「自衛隊の軍事行動を批判する発言は有害」だ。そんな言論統制がされている国に住みたいのか?』という危機感を抱かせておりこの点には私もまったく同意します。

また憲法についてですが国民の代表である国会議員に機関委任していることとそれを守らねばならないこととはなんら矛盾しません。なぜなら憲法はそれが民意であるならば違反してもよいとして存在しているものではないからです。よってたとえそれが大多数の民意を反映していると思われても議員は憲法を守らねばならないのです。多数の民意が常に往々にして判断を誤ることは世界の歴史的事実からも明らかでしょう。民意ゆえ憲法を蔑ろにしてよいという論理運びは不適当なのです。それと中島氏は多数が「反対しているのに」といった民意や多数を後ろ盾にした議論はしていないのですから、社会的合意のあるなしを持ち出すのも的外れです。寧ろもしこのような規制が現在の日本で大した議論も起こらず社会的合意を得ているのなら大変問題ではないかと警鐘を鳴らていると読むのが筋でしょう。どちらにせよもし強い民意の背景があって憲法に抵触するような法案を通したいのであれば憲法改正の手続きから入らなければならないのが「法の支配」が適正に行われた国でありそれをせずに憲法違反の法案を通そうとすることは「国民の要請」があろうがなかろうが権力の暴走です。加えて親権は民法に規定されているもので憲法上明記されている権利ではありません。よって通説の憲法上の「人権相互の矛盾衝突を調整するための実質的公平の原理」として解釈される公共の福祉との絡みで出てくる話ではありませんし少なくとも「親権者が権利侵害を受けていると感ずる場合」程度で「制約されることは、憲法解釈上、あり得」ないことだと思います。このようにみてくれば『中島さんの「憲法で明確に定義される『言論の自由』と矛盾」とのご指摘』が「ミスリーディング」などではないことは明らかでしょう。

最後に問題が「自律的個人」で各自判断すればいい、「個人々が違憲だと思われれば、アクションを起こせば良い」というようなものではないのは一旦権力に罰則を持たせるような法案が通るとそれを改正もしくは廃止するのは容易ではないからです。まず権力(取り締まり機関)がそれを手放したがらず更に想像してみればわかりますが仮に法案成立後、司法に申し立てたとして最終的な人事を行政に握られている裁判官は国対個人の裁判になった時個人を勝訴に導くことはそうそうありません。特に控訴上告と人事に行政の意向より直接に反映されている上級審になればそれはより顕著になります。裁判官とてサラリーマンですから自身の出世や身の安定を考えれば建前とは裏腹に良心のみに従って判決を書くとは限らず特に国会が成立させた法律に単純に違憲判断を出すことは過去の判例からみても稀で更に弱小個人の原告が勝訴を勝ち取るには訴訟要件を満たせず(訴えの利益がないというやつです)本案で勝てるような事案でも負かされてしまうことが多いのです。もし、運良く裁判所が違憲判断を出したとしてそれがすぐ国会に反映されるとは限りません。憲法が国会を国権の最高機関と定めている以上裁判所は国会に直接の上位権力は持ちませんから実務上はしばらく放置することもできます。もちろんそれでは世論が許さないし国としての体裁も整わなくなりますからいずれ廃止されるでしょうが相当手間がかかるということは確かで適正かどうかわからないような法案は国会へ提出される前に広く議論を喚起すべきなのはこのような理由によります。で、そのようにすればその背景に「国民の要請」や「一定の社会的合意」があるかどうかもわかってくる可能性があることからもそれは有意義なことといえるのではないでしょうか。少なくともマスコミには議論を喚起する使命を与えることは適切であると思います。

maichel

日本の著作権問題をクリアすべく、国内ほとんどの
検索エンジンのサーバが、海外に置かれている現状を
考えると、この法案が仮に施行されても海外サーバや
海外プロバイダのものはすべて、対象外となるのでは
ないでしょうか?
あの有名な2ちゃんねるも、海外に設置されたサーバー
だったような記憶があります。

hg

コメがみんな長文すぎて読む気にならないぜ!
完結に短く書かないと読む人が疲れてしまいますね。

とかく、人間の思想やら宗教ベースのフィルタがだんだん剥がれてくる時代ですね。

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