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ソニーの「イノベーションのジレンマ」について一言

 私の書物「おもてなしの経営学」についてのさまざまなフィードバックはポジティブなものもネガティブなものもとても良い勉強になるので全部読ませていただいているつもりだが、以下の二つに関しては、少し誤解があるようなので一言書いておこうと思う。

 私の本のごく一部、それも梅田氏とのの対談における「ギークとスーツ」の話題の前フリとして「ギークとスーツのすれちがい」「技術と経営の両方が分かる人が少ない」ことの例として語った言葉だけを取り上げて、あたかも私が「ソニーにiPod+iTunes+iTunes storeが作れなかったのはエンジニアが悪い」と決めつけているかのように誤解をされてしまっているのが私としてはとても残念。

 せっかく私の本を読んでいただいたのにそんな誤解をされるようではまだまだ本としてのおもてなしがなってない、ということか。

 とは言っても、紙に印刷された本はブログのように簡単に修正することもできないので、ソニーのエンジニアの人たちにはぜひとももう一度読んでいただきたい一節を本書(40ページ)から抜き出して、下に貼付けておく。 

コンシューマー・エレクトロニクス業界の将来像

 私は少し前に、アップルをもっとも脅威に感じているのはマイクロソフトではなくソニーだとブログに書いた。

なぜアップルにできたことがソニーにはできなかったのか(2007年12月29日)

 アップルがiPod+iTunes+iTunesStoreというハードウェア、ソフトウェア、サービスを巧みに組み合わせてインターネット時代にふさわしいコンシューマー・エレクトロニクス・ビジネスモデルを見せてくれたことに関しては、ここでもさんざん書いて来たが、反面教師として注目すべきなのは、「ソニーになぜそれができなかったのか?」ということ。

 メディア産業を有し、ウォークマンというブランドを持ち、インターネットビジネスに抜群のセンスを持つ出井伸之氏を社長に据えたソニーはアップルよりはるかにいい立場にいたはずだが、なぜこんなことになってしまったのだろうか。

 メディア産業を持つことが逆に足かせになった/ソフトウェア開発力の差/たまたまラッキーだった/天才スティーブ・ジョブズがいなかった/イノベーションのジレンマ……などなど、それぞれの側面から考察を加えることは可能だが、あの時代のソニーに特有の問題としていちばん注目すべきなのは、出井陣営と久夛良木陣営の対立に象徴される「スーツ族とギーク族の軋轢(あつれき)」ではないかと私は考えている。

 結局のところは、出井氏を中心とするスーツ族(ソニー内部では「文官」と呼ばれていたそうである)が久夛良木氏を代表とするギーク族(もしくは「技官」)の心をつかむことができず、せっかく出井氏が持っていたビジョンを実行することができなかった、というのが私なりの解釈である。

 そういう見方をすると、アップルにとってスティーブ・ジョブズの存在がとても重要だったことが逆によく理解できる。『スティーブ・ジョブズ――偶像復活』(東洋経済新報社)にも書かれているとおり、スティーブ・ジョブズはエンジニアではなくマーケティングの天才。その意味ではギーク側の人ではなくスーツ側の人だが、普通のスーツ側の人と大きく異なるのはギークの心をつかむのが天才的にうまいこと。そんなカリスマ性を持つリーダーがはっきりと方向性を示したからこそ、あれだけのことをこれほどの短期間に成し遂げることができたのである。

 テクノロジーの会社が伸びるときというのは、ギーク族の心をつかむのが上手なスーツがリーダーシップをとったとき(ここ数年のアップル)、抜群のビジネスセンスを持ったギークがリーダーシップをとったとき(1990年代のマイクロソフト)、ギークとスーツが絶妙のコンビを組めたとき(昔のソニー)の、いずれかが成り立ったときだけなのかもしれないと思う今日この頃である。

 ではなぜ、当時のソニーのエンジニアたちは出井氏の掲げたビジョンをサポートすることができなかったのだろうか。私はここにこそ、日本のコンシューマー・エレクトロニクス業界の将来を占う鍵が隠されていると思う。ソニーにしろパナソニックにしろ、もともとはハードウェア・エンジニアの集まりである。デバイスがデジタル化し、ソフトウェアの重要性が増したとは言え、彼らのDNAにはアナログ時代からの「設計技術・実装技術・製造技術で勝負」というエンジニア魂が脈々と流れている。そんな彼らにとっては、インターネットを利用したサービス・ビジネス・モデルなどは「スーツ族のたわごと」にしか見えなかったのだろう。

 一方、アップルは「CPU、メモリなどのハードウェア部品は外部から調達。実装・製造はそれが得意な台湾、または中国の会社にアウトソース」というはっきりとした割り切りとともに、ソフトウェア+サービスで徹底的な「おもてなし」を提供することにより差別化をはかってここまでの成功を収めた。iPod nanoの発売に際して、韓国のサムスン電子から大量のフラッシュメモリを破格で調達することで、ソニーよりもはるかに安い値段設定をしたことは記憶に新しいし、iPodやMacBookの製造がQuanta ComputerやAsustek Computerといった台湾のODMにより製造されていることもよく知られている。この勝ち方は、ソニー内部のエンジニアたちにとっては、今までの勝ち方そのものを否定する自己否定にもつながる戦略転換であり、自ら進んでその方向に進むことは決してできなかったのである。 

 この方向性がさらに進むと、ソフトウェアやインターネットに弱い企業がブランド力を保つことはどんどん難しくなるし、時代の変化に俊敏に対応しにくい、部品から最終製品まで何でも作るという垂直統合型総合家電ビジネスを維持することも厳しくなる。 最終的には業界は、アップルのようにソフトウェア+サービス+デザイン+おもてなし+ブランド力で徹底的な差別化をはかりつつ部品と製造は外部に頼る企業と、液晶の製造技術で勝負しているシャープのように特定の部品の実装・製造技術および製造設備への積極的な投資により他社に追従できないまでの品質とコストで勝負をする企業に、二極化していくのではないかと思う。

 私がここで伝えようとしていることは、エンジニアが悪い・経営者が悪い、などという小さな話ではなく、企業のDNAというか存在意義のようなものが問われている、という点である。経営陣は会社として「どこで勝負するのか」をはっきりとしたビジョンで示さなければならないし、エンジニアはそのビジョンに真剣に耳を傾けるべきである。

 「こういう問題は経営者が考えるべき問題で、エンジニアである俺たちには関係ない」という発想は大きな間違い。経営者が語るビジョンに同意出来ないときはちゃんと自分の意見を表明すべきだし、それを聞いてもらえなかったら別の会社に移るべきだ。エンジニアが経営者のメッセージを「机上の空論」と感じるようになったら終わりだ。

 その意味では「テレビを制するものは家電を制す」というパナソニックのビジョン、「HD DVDからは撤退するが半導体で本気で勝負する」と宣言した東芝のビジョンなどは高く評価できる。もちろん、任天堂の「ゲームを誰でも楽しめるものにしたい」というビジョン、アップルの徹底的なまでの「おもてなしへのこだわり」も尊敬すべきビジョンである。

 ポスト出井であったはずの久夛良木さんの「Cellチップを全部の家電に」というビジョンが頓挫してしまった今、求められているのは「ソニーはどこで勝負する企業なのか」をはっきりとさせるビジョンであり、そのビジョンを伝える言葉である。私が見逃しているだけかも知れないが、少なくとも私には届いて来ない。

Comments

Dyun

昨今のSONYからは、β失敗の呪縛からくるものなのか、マイクロFD辺りからの成功体験からくるものなのか「記録メディアへの強いこだわり」ばかりを感じます。個人的には「記録メディアがメモリースティックではなくてMicroSDだったら魅力的」などと感じる製品が多いので、そういったこだわりは捨てて欲しいのですが。

buerrillaichigo

SONYに限らず日本の多くの製造業(特にエレクトロニクス)が直面するのが、かつて強みを発揮したDNA 「製造能力」と「機能・性能の改善能力」がクリステンセンのいうところのイノベーションのジレンマにはまっり、商品の価値が下落するのと同時に別世界からきた連中に追い立てられる状況と思います。(私もそういう業界にいるので他人事ではありません)。 企業のDNAとは究極的には「どうやって人々をHappyにするか」と思いますが、転換期にはDNAを再定義が必要で、エンジニアも自分の技術が顧客をどうHappyにするか株主をどうHappyにするかをおおいに議論しなくちゃいけないと思います。

しびれました

この段落は痺れました!

>その意味では「テレビを制するものは家電を制す」というパナソニックのビジョン、「HD DVDからは撤退するが半導体で本気で勝負する」と宣言した東芝のビジョンなどは高く評価できる。もちろん、任天堂の「ゲームを誰でも楽しめるものにしたい」というビジョン、アップルの徹底的なまでの「おもてなしへのこだわり」も尊敬すべきビジョンである。<

どうなんだろう

かつて出井時代にソニーにいた1エンジニアですが、当時感じていたことと
ここに書かれていたことには乖離を感じずにはいられないですが…
同じ景色も外から見るのと中から見るのでは違って見えるのでしょうね

違和感

>ですからソニーのエンジニアの名誉のために言っておくと、エンジニアは自分たちでiPodにiTunesを作りたかったし、作ろうとした。しかし作らせてもらえなかった、というのが実際のところです。このOpenMGを巡っては、それこそ怒号がとびかってましたよ。

って書いてあるので、エンジニアのひとたちは意見を表明していたのでしょう。

ですので、それを聞いてもらえなかったら別の会社に移るという感じで、優秀な人は出て行ったんじゃないですかね?

[の] のまのしわざさんの文章を読む限り、ギーク側にはビジョンもあったし、やる気もあったけど、スーツ側のビジョンのかけらもない決定に振り回されてiPod陣営に完敗という図式が見えます。

この文章をエンジニアの人たちに読んでもらいたいと書いてますが、エンジニアにこれを読ませてもやはり同じように反発すると思います。
・ビジョンが大事なことくらいわかってる
・それをスーツが邪魔するんだよぅ
と。

まぁ、結論は出て行けってことですかね?

gnety

そもそもMP3プレイヤーの発売を日本のメーカーは控えてましたからねえ
iPod以前は韓国企業の独壇場でしたよ

ken

>iPod以前は韓国企業の独壇場でしたよ

もの凄いニッチなマーケットの独壇場でしたけどね(笑)
あの時点では色々とタケノコのようにポコポコと生えている兆候の一つでしかなかったですね。ただアップルはそこをユーザーが何を求めているからの観点で、洗練させ、一気に他社を置き去りにしたわけです。結果論としては、ソニーがトランスコードなしのMP3対応していたMDプレーヤーをさっさと出していれば消費電気、サイズ、cost/MBの面からそれなりにメジャーになれていた可能性があったと思います。それと同時にHDD,フラッシュメモリベースのラインアップを拡充すれば、世界は結構違った構図になっていたのかも。 ソニー側の見誤りとしては自分達がロイヤリティーを払わなくて良い(かつ音質も良いと自信を持っていた)ATRACを自分達がガンガンデバイスを出せば広められると思ってしまったことですね。MP3も一緒にembraceしていれば。。。


higekuma3

どうなんですかね。

ソニー内のiPodの的は、
ソニー自体でしたね。

HDDウォークマンについては、
96年企画ものですし。

MDウォークマンが、コンペティターでしたね。


ただ、
昨今のiPod訴訟を見ると、
アップルは、確信犯と思われ。


幕の内弁当プロデューサを礼賛しているようなのですが、
そこまで
強引に持って行けるのは、
社長企画だけじゃないでしょうかね。

かめ

出井「インターネットは隕石である!」
エンジニア「まぁそうですね・・で?」
出井「インターネットは隕石である!」
エンジニア「はぁ・・」

こんな感じでしたよ、中は。
ビジョンと呼べるほどのものは何ら示されず。

Maki

「キャズム」を執筆されたジェフリー・ムーア氏は、同氏のブログにおいて、「ソニーとアップルの違い」を指摘しています。技術面を強調することは、サービス・デザインから眺めると静的であり、全体感を逃す可能性ある・・・・?!

*Prewire「キャズムのムーア氏、ソニーとアップルの違いとは・・・・」:
http://prewire.blogspot.com/2008/01/blog-post_28.html

tomo

この路線の本はたくさん読みましたが、この分野の著者の方って、
次にアップルが負けたときに、「アップル敗北の理由」なんていう本を、
すぐ書いちゃうのかなぁ、と思ってしまいます。
「ソニー」ネタで本を書けば、このご時世、ウケがいいのは予想できるわけで・・・。
類似本、たくさんありますよね。

私の定義では、このような、ウケ狙いの為の変わり身の早さを特徴として持つのが「スーツ族」。
だから、「スーツ族」のお話は、ギークな私から見ると迫力が伝わってこない。

ジョブスは、何十年もコンセプトがぶれずにわが道を突き進み、そのために会社を追い出されてまでいるわけで、
その話を聞くギークは、その迫力に突き動かされたんじゃないでしょうか。
「こいつは、その辺のスーツじゃねえぞ。本物だ」って。

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