スティーブ・ジョブズが一度アップルを追い出されてNeXTを作ったからこそ存在するiPhone OS
プラットフォームを選ぶということ

「少年よ大志を抱け!」よりも「若者よどん欲になれ!」の方が良くないか?

 月刊アスキー向けに「仕事を楽しんでしている人に共通するもの」というテーマでコラムを書いているのだが、そこで引用した「Boys, be ambitious(少年よ大志を抱け)!」に含まれたメッセージがどうも気に入らない。

 「少年よ大志を抱け!」という言葉には、「楽して金儲けしたい」、「風呂屋の番台に座ってみたい」、「美人の嫁さんが欲しい」、「一度で良いから女優とデートしたい」、「プール付きの家に住みたい」、「有名になって女子アナと結婚したい」、「一発当てて、後はハワイでのんびり暮らしたい」などの、下世話な欲求を否定するメッセージが含まれている。特に日本語訳の「大志」という言葉には、「志はもっと大きくなければいけない」「金儲けなど考えてはいけない」「私利私欲に走ってはいけない」というメッセージが強くこめられている。

 「最近の若者は覇気がない」などと批判する大人がたくさんいる。そんな人たちに限ってホリエモンのように「金儲けをしたい」ことを包み隠さずに正直に認め、それに基づいて行動する若者が現れると「拝金主義だ」と頭から批判するが、彼らはそこに含まれた矛盾に気がついていない。そんな大人たちから「金儲けみたいな下世話なことは考えずに、志を高く持て」なんて言われ、「そうか、俺もがんばろう」と若い人たちが考えて日本が元気を取り戻す、という金八先生のようなシナリオは、どうもしっくりこない。

 私の知り合い(アメリカ人)が、今年の夏からドバイの会社に転職することになった。理由は「あっちにはオイルマネーがあふれているから。そこで一角千金を当てて、早めに悠々自適の引退をしたい」からだそうだ。下世話である。どん欲である。でも、彼の目はきらきらと輝いている。

 そもそも資本主義というのは、「企業や個人が自己の利益を最大にするためにする経済活動が社会全体に利益をもたらす」ように設計されている。社会主義の国ならいざ知らず、日本が資本主義の国である限り、人々の「利益を追求する」強い欲求があってこそ経済活動がさかんになり、それが国力につながる。「資本主義社会の原動力」である人々の富への欲求を「拝金主義」という言葉を使って頭から否定することは、資本主義そのものを否定することと同じである。

 こんな理由で、私は「少年よ大志を抱け!」という言葉があまり好きではない。現実離れしていて心に響いてこない。もっとストレートな「若ものよ、どん欲になれ!」の方がずっと元気がでると思うんだがどうだろうか?

Comments

Sophie

同感です。「Boys, be ambitious.」は直訳すると「少年よ、野心的であれ」となりますよね。大志以外の野心も含まれると感じます。

sok

「少年よ大志を抱け」はどちらかというとアカデミックな世界から生まれた言葉なんじゃないですか。アカデミックな世界では大志を抱くということは往々にしてあり得る話だと思うんですがその視点を抜きにして無理やり議論を展開するのはどうかなと思います。金なんか一切関係なく本質を捉えた大いなる発見をしたいと思うのは普通の大学院生なら誰しも一度は思うことだと思うんですがどうでしょう。

Ronron

僕も同感です。
動機や目標は、もっと野心的に捉えるべきで、目標達成後に大志を抱けば充分です。

ジュエリービジネスプロデューサー佐藤 善久

まさしく「若ものよ、どん欲になれ!」だと思います。

私自身 どん欲になったらいい感じになってきました。

ただし 貧欲にはならないように気をつけています。

epikt

本当ははこういったらしいですよ
Boys,be ambitious like this oldman

http://www.lib.hokudai.ac.jp/collection/ClarkBibList/ambs.html

愛読者

拝金主義を否定している人達も結局はお金の為に働いているというジレンマを抱えているのが現実ではないでしょうか。
私も小島さんと同じ意見で、若い人にはどん欲であってほしいし、社会全体がそうなってくるともっと活気が出て良いと思います。

そのポジティブスパイラルを止めてはいけないと思うし、
ましてやそれを止める、否定する権利なんて誰にもないと思います。

ken

乱暴な言い方かもしれませんが、日本人はこういうストレート(自然でエネルギッシュであっても)な欲望を出す人を疎んでしまうというか、もしかしたらある種の恐怖感を感じる事が多いと思いますよ。周りも多いですから、そういうコメント。 「あの凄いよね。(マネできないし、したくもない)」みたいな。そこにはどこか「私はそんな『下品』になりたくない」という見下した態度と、「自分が負けてしまうのでは」という気持ちが混じり合ったような複雑な感情なんだと思います。。たとえば東南アジアとか中国の人の活気があるアグレッシブさを目の当たりにして、そう感じる日本人は多いのでは?

知らない

大志だけじゃ、餓死するかも
電気代でも金かかる

セレブって大志を抱く方ですか?

KW

勿論、霞を食っては生きられないけど、単純な拝金主義ではロングランで本当の勝負に勝てない。根っこに、「人や世の中に何か寄与したい。」「もっとクールなものを作りたい。」「人を驚かせる凄い事を実現したい!」...どんな言い方でもかまわないのだけど、そうゆう前向きの志がないと、結局、同じパイを奪い合うゲームの勝者になることのみに執着するつまらん人間になるだけでしょう。ナイーブすぎますか?

最近の覇気のない ホリエモンよりは若者

http://business.nikkeibp.co.jp/article/world/20080417/153435/
こういう現代において 「プール付の家に住みたい」 というのは 許される欲求なんでしょうか?

ken

結局価値観じゃないですか? 「本当の勝負」というのが何なのか分かりませんが、自分が潤い、自分の親や家族、子供が裕福な暮らしができることを頑張って達成するということだって十分なモチベーションなわけです。
世界を救いたいとか変えたいというのは大志であり、それを持ち続けられ、かつ行動に移せるのは素晴らしい事なんですが、じゃあ若き頃のビルゲイツが「高尚」な志があったかは怪しいですよね。勝ち続けることに拘り、結果して、我々のような貧乏人(笑)が1万人束ねられても彼一人の世界への貢献には叶わないという現実もあるわけですよ。

F.Hanada

人から聞いた話なのでソースは提示できないのですが、クラーク博士は借金まみれで逃げるように日本に来たらしいです。
それを考えると、be ambitiousを「大志を抱け」というよりも「野心的であれ」という方がしっくり来るような気がします。

Law

「大志」と「どん欲さ」のどちらが良いか、どちらが先かと言うよりも、抱く思い自体は両方あって良いんじゃないでしょうか?
「大志を成すためにどん欲に活動する」なんて表現も出来ますよん。

小林

どん欲であることは、なによりも前に進む力が強いと思います。

人間の欲はそれほど強い。

どん欲であることと、目的のために手段を選ばない(犯罪等)ことは同じではありません。


下世話な欲を満たすために頑張る! でいいと思います。

自分はできるなら楽してお金欲しいですよ。
プール付きの家なら家族ができても、友人を招いても楽しく過ごせるでしょうし、
風呂屋の番台にだって座ってみたいものです。

toru

燃料としてのどん欲さが必要だ、ということには同意ですが
行動指針としての大志はあったほうがいいと思います。
特に、組織を形成するにあたっては共通の大志という絆が必要かと。

よりよい燃料につられて、いつ明後日の方向に飛ぶともわからない人では
仲間にするには不安ですし、とても背中を預けられません。

通りすがり

結局、「日本人には(欧)米人のアグレッシブさ、どん欲さが全く理解できない」ということだけが良く分かるコメントばかりですね。

拝金主義だろうがなんだろうが、そこから生まれてきたものが、他の人にとって利益となるならば、それで良い。行動の目的なんて、どうでも良いはず。けど、結果よりも目的や手段を重視するのが、日本人だということなんでしょう。

ken

念のために、欧米人がみんな拝金主義、個人の欲望最大化主義で生きているわけではなく、むしろ逆の人も沢山いますよ。その辺りの価値観分布のダイナミックレンジの広さが日本とは違うのかと。 唯一違うのは、そういう人がいても日本みたいに、小さなコミュニティー、マスコミや社会全体が全力で叩き潰そうとしないことです。(批判はいつもあるでしょうが)

ひな

「少年」の間は「大志を抱く」程度で十分です。

金や女は少年が抱くモノじゃないですよ。
もちろん、お書きの通り「若者」はどん欲でいいと思います。それが他人の迷惑にならない程度なら。

shinta

大変違和感をもってテキストを読みました。このエントリーのように自己の欲求ばかりを満たすような主張を善とする大人が多いから日本、世界がおかしくなってきているのだと思います。社会と自分のバランスがどっかにいってしまっているのではないでしょうか。

kazumichi

貪欲に商品・サービスを開発・販売し、そこで得た収益を
寄付や若者、社会・文化・教育への投資へつぎ込む、という生き方を
貫きたいと思います。

Yacht

とりあえず、一“攫”千金で…。

建前であれ拝金主義を厭う風潮は、
結果利益の最大化よりも犠牲的動機・行動をもって善とする、
日本の伝統的な精神文明そのものなのでしょう。
資本主義下での合理性にはそぐわない面もありますが、
そうした襟を正す精神性なしに、明治や戦後の発展はあり得なかったようにも思います。


…なんとなく、ですが(笑)

ku_md_phd

「貪欲」という言葉の意味が小ささを連想させるので、原文どおり「野心」の方が良いと思います。

そもそも大志を抱け、とは野心という翻訳ですと曖昧に解釈されるので、小さくまとまるな、という意味をこめて格調高い日本語にしたものだと思います。

「貪欲」という言葉にはそもそもその「人間の小ささ」が内包されていますし、響きも美しくはありません。

そして「大志」という言葉から、「奉仕」という言葉を連想してしまうことこそが、教育のたまものでしょうか。

久々にコメント欄がにぎわっていますね。

締め切りまであと少し、すごく期待しています!

humu

そもそも元々が誤訳じゃないでしたっけ?

tom

「ambition」と「大志」は語義(字義・原義)の面から見ると、示す発展の仕方においてある意味正反対だと思います。前者が拡散の意を主体とした「go around」を指すのに対して、後者は指向の意を主体とした「go straight」ですので。「ambition」は現代語よりも大和言葉の方が表現に適した言葉を見つけやすいかもしれませんね。きちんと理解するためには、クラーク博士や同時代のニューイングランド地方の文化などを把握する必要がありますが。

にあ

要するに通りすがりさんの意見が妥当だと思います
文化的民族的風土的宗教的による価値観の違いだろうと思われます
日本は特異なところですから

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