ドイツのT-MobileはiPhoneをわずか1ユーロで売るらしい
日経BPが永久機関の話にだまされちゃ困るだろう

自分で考える前にググっていませんか?

 つい先日、興味深い話を聞いた。ある大学の授業で「デジタル・コンテンツ・ビジネス」というテーマで小論文を宿題として書かせたところ、同じような内容の小論文ばかりが集まったという。その原因を調べたところ、「デジタル コンテンツ ビジネス」のキーワードでググると上位に来る私の過去のエントリーの内容がほぼ丸写しにされていたという。

 日本の学生の勉強に対する態度なんてそんなものなのかも知れないが(それはそれで憂うべき話だがその話は別の機会に)、少し心配になるのがどんな気持ちでその手の「コピペ」をしているのか、という点である。確信犯的に「徹底的に手を抜きたいからコピペしているだけ」ならまだ許せる。私が問題視するのは「自分で考える前にまずググる」習慣であり、「ググれば答えが見つかるにちがいない」という錯覚である。

 暗黒時代とも呼ばれる中世ヨーロッパで科学の進歩があんなにも長い間低迷した原因の一つは、あの時代の人たちが聖書に書いてあることすべてを絶対的な真実として受け入れてしまい、自分で考えることをやめてしまったこと。地動説を主張したガリレオが弾圧されたのも、天動説を絶対的な真実として受け入れて思考停止をしてしまった社会のなせるわざだ(このあたりの話に関しては、「古典力学の形成」に詳しく書いてある。ちなみに、この本は理科系の人たちにとってはすばらしいエンターテイメント)。

 問題は、上に書いたように自分で考える前にググって「手っ取り早く答えを見つけてくる」ことを習慣的にやってきた学生が社会に出た時に、ちゃんと自分で考えることができるのだろうか、ということ。自分で考える努力をせず、ネットで見つけた情報を頭から信じて行動することは、聖書に書いてあることを頭から信じ込んで思考停止をしてしまった中世ヨーロッパの人たちの行動と同じだ。

 ということで、今日のメッセージは「宿題を手っ取り早く終わらせるためにググってコピペするのはかまわないが、あくまで確信犯としてやってほしい」ということ。特に仕事でネットを使う時には、ネットにはでたらめな情報・勝手な意見があふれている、ということをキチンと認識した上で使いこなしてほしいということ。

 難しい問題に直面したときに、自分で考える前にまずググって答えを探してしまっていませんか?ネットで見つけた解決方法をろくに考えずもせずに採用してしまっていませんか?

Comments

aenigma

知人の大学教員の話を聞いても、現在の日本の大学では、"勉強"に関しては思考停止、無批判にネット検索、コピペがバレにくいようにする工夫すらしない(確信犯としてではなく、バレる可能性すら考えない)という状況のようです。

ところで、「暗黒時代とも呼ばれる中世ヨーロッパで科学の進歩があんなにも長い間低迷した原因の一つは、あの時代の人たちが聖書に書いてあることを絶対的な真実として受け入れてしまい、自分で考えることをやめてしまったこと」というのは大ウソです。satoshiさんも、文系のことに関しては思考停止、ググることすらしていないのでは? せっかくアメリカの大学にいらっしゃるのですから、たとえばトマス・クーン(Thomas Kuhn) http://en.wikipedia.org/wiki/Thomas_Samuel_Kuhn の名ぐらいは知っておいても損はないと思いますよ。

こじま

中世ヨーロッパの暗黒時代の一因が聖書の盲信だったという説は興味深いですね。この本早速読んでみます。

考える前に「参考のために」ググる、というのはわたしもやってしまっています。そしてそこで見つかった文章に説得力があれば(たとえば中島さんの文章のように)、それに激しく影響されて、その文章のコピーを書いてしまうかもしれません。

ああこれは中世ヨーロッパ暗黒時代の再来か!

と思ったんですが、おそらく10年以内にうまくバランスがとれるんじゃないかと楽観します。

guguru

デジタル・コンテンツ・ビジネス というお題に問題はありませんか?

  デジタル・コンテンツ・ビジネス だけ という 大学の小論文のお題に。


 つまり、教える側の 問題 じゃ ありませんか。 それを見透かしたコピペじゃ?


デジタル・コンテンツ・ビジネスの悲劇 とか 喜劇とか やっぱお題の問題。。

おっと、 自分でデジタル・コンテンツ・ビジネスの悲哀と すればいいのか。
とすれば、管理教育の偏差値・ご都合主義の問題か。 きっと国立大学ですかね。

just a reader

小学生の頃、まともなパソコンどころか電卓も家にはなく、計算は紙に筆算していました。すると電卓やパソコンを使うことと自分の頭を使うこととの境界を認識していられます。が、今の小学生は学校で電卓の授業があります。もちろん紙の上で計算もするでしょうが、その境界はかつての小学生よりも曖昧で、電卓も筆算も同じ計算方法の一手段という認識ではないでしょうか。大人は、グーグルは便利な図書館という感覚を持っていたとしても、若い世代、これから育つ世代は、グーグルは自分の脳の一外部形態として自分の脳とグーグルで検索できる内容に明確な境界をもたなくなるのではないかという空想もします。実際、すでに私達の知覚はかなり延伸していて、新聞がもたらす情報を超えて、情報を入手し、それを当然の事実として思考し、明らかに以前には到達できなかった結果を考えています。その意味で、課題のようにみえても、グーグルで結果を求められてしまうものはもはや課題ではなくなってしまっています。もちろん、実際に進化を起こす人は昔も今も実証主義を持っていて、自分で確かめることで進歩を起こします。しかし、大衆の観点では、18世紀の産業革命で人間や馬の足がエンジンによって進化し、高速にそして遠方に移動できるようになり、自分の足を強化することなく、時間と空間を縮めたとすれば、21世紀のネットもまた50年100年をかけて人間の脳を進化させ、今は未だ想像も及ばない思考力や表現力をもたらし、再び時間と認識を急激に変化させることになるのではないでしょうか。

donchanusagi

今の学生は間違えることに対してものすごく臆病になっています。
検索した結果、間違っていないだろうと思われる意見なり記事を見つけ
それを丸写しすることは間違いから遠ざかる安直な手段です。

これを教師が看過すれば、それは成功体験として学生に記憶されます。
そして、一度成功すれば、その手段は有効であると記憶し
次回から手段選択時の優先的な選択肢となります。

子供のころからこの手段に慣れ親しんでしまうと
当然、考えることから離れていきます。
そして、間違えることに臆病になっていきます→コメントの先頭へ


しかしながら、子供のころに教育する内容というのは
検索結果なのか自分で考えた結果かを判断し難いものが多いので
これを教師に看過するなというのは酷というものでしょう。

となると、今後の子供たちが考える力を無くすのは、
時代の流れであり止むを得ないのではないでしょうか。

大学教員

> デジタル・コンテンツ・ビジネス というお題に問題はありませんか?

私もそう感じました。課題の出し方が手抜です。ちょっと工夫すれば検索しただけでは答えがコピーできない(あるいは大量にいろんな事例を検索しないと論拠が出てこない)課題を与えることもできたのではと思います。
ググってできてしまう課題を出すほう問題というか時代に取り残されてしまっているのでは。

企業人

平川克美さんの「株式会社という病」における「ウエブ進化論」批判と通じるニュアンスを感じ、深く考え込んでしまいました。

とろ

視点を変えて、課題を出す方もコピペされることを予定して出したとすれば、とても現代的な課題であり回答方法ですね。

ケータイと検索機能の普及に伴い、アメリカまで出かけるクイズ番組等が成立しなくなったのも時代の流れでしょうか。
(会場をローミング圏外に限れば可能でしょうが・・・)

kakushinhan

この場合の確信犯って、誤用じゃないですか?
(すいません、揚げ足とりみたいなこといって)

kakushinhan

この場合の確信犯って、誤用じゃないですか?
(すいません、揚げ足とりみたいなこといって)

kakushinhan

この場合の確信犯って、誤用じゃないですか?
(すいません、揚げ足とりみたいなこといって)

nasa

なるほどと思いました。

学生の頃は人のレポートをコピーし、社会人になってからはプログラムのソースコードなどGoogleで検索してコピペして仕事している私は、考えることよりも検索する技術に長けてしまったのだと反省しました。

Tambourine

丸写しするかしないかは別として、まず与えられたキーワードに対してググっておかない学生は失格ですよね、イマドキ。

そこで出た検索結果を概観して、大勢におもねるか、あえて真逆の事を書くか。判断材料は、その授業をどのぐらい大切に考えているかと、その日の気分かもしれません。私は飲み会が入ってたら、丸写すかな。

若い奴もそんなにバカじゃないでしょう。舐められてるんですよ・・・

takahashi

過去の例では、文章だけでなく企業サイトのイラストまで
一緒に印刷して提出した学生がいました。
圧倒的多数ができないこと知らないことを常識と言うわけにも
いきません。やはりキチンと教えないとしょうがないですね。

lets_skeptic

トラックバックが届いていないようなので、コメントから失礼します。エントリを書きました。

「考える前にもっとググっていいんだよ」
http://d.hatena.ne.jp/lets_skeptic/20080619/p1

幸之介

ボクならこんな感じ。

パターンA
1. まずググって世の意見を概観する
2. かぶらない視点を見つけて自分の意見をひねる

パターンB
1. まず何か思いつく
2. キタコレと勢いに乗って記事を書き上げる
3. ググったら既出だったorz

higekuma3

コピペ人は、増えてます。


考えるときに、紙に絵とかチャートとかを書いてみる。
というプロセスをまったく経ないようであります。


新人の台詞「ググればいいので、覚える必要ありません」


メモリー容量も減っている模様です。

xax

逆に「自分で考えるだけで結論を出し、何も調べない人」も増えていますね。
この後の「水からエネルギーを取り出す」話にしても、記事を浅読みし、
自分の知識だけでウソだと決めつける人。盲信する人もダメですが、決めつける
人も大して変わらない。
おっと、荒らし扱いしないでください。気分を害したなら謝りますが、
この件に関してはほとんどの人が決めつけるほどの材料を持っていないはずです。
科学の分野ではある日常識がくつがえることは過去何度も起こっています。
私は、十分な懐疑心+謙虚な態度が必要であると考えます。

おやじポエム

親父ポエムの一説から

「しょせん人からの話だし・・
やっぱ経験だよナ 自身の───
頭の中で組み立てた理屈じゃなく
自分の目で見て自分の体でわかっていく
大事なことは教えられない
経験でしかわかっていけない───」

「手間を省くと得るものも省かれる」

「こうなるであろうと仮説を立てて結果失敗するのと、取りあえずやってみて失敗したのは全然ちがう。わかろうとする努力もせず、取りあえずやる。それはトライ&エラーじゃない、ただの無駄だ。未来図が描けない者ほど無駄が続く。そして、無駄ほど人の気持ちを削ぐものはない」

「聞いたコトは忘れるが見たコトは覚えている そしてやったコトは理解していく 聞こうとしない見ようとしないやろうとしない・・ そりゃわかりっこないって」

あ、これは手打ちしてますよ。

松永英明

この記事に関してブログを書きましたが、トラックバックが通っていないようですのでこちらでお知らせしておきます。基本的に中島さんのご意見に賛同します。

http://www.kotono8.com/2008/06/19googling.html

tss

ショートカット症候群ってやつですね。
http://www.e-ontap.com/internet/nagoya-u/img64.html
「フリーズする脳」って本も怖いです。

私の経験では、「このページをレポートにコピーしてはいけない」という記述までそっくりコピーしてきた学生がいたり、授業の感想文まで他人のものをコピーしてきた学生がいたり、、、

higekuma3

ワードで言うと、
プロパティに
一人の生徒の名前が、
いっぱいあったとか。


でも、
学生で言うと、
昔から、
丸写しする奴は、いたと思うけど。


電卓が発明されて、暗算をしなくなったってのは、ある。


自分でリストアップする努力をしなくなると、
リストアップできる能力が
なくなるということを
知りながら、
ググるのと、
ググりゃいいじゃん、ってのは、
価値が違うけど。

guguru

教授は、ここのコメント数を見て、お題を考えるべきであり、
まさに 考える前にググっていませんか? を情報科学ならではの小論文の お題とすべきですね。


 考える前にググっていませんか?

 考えてググっていますか?

 助成想起でググれてますか?

 お題検索によるプリテンド×(情報勝ち組or情報価値組)+紙提出の閾値=
 評価(未来報酬)への影響度合い

 操ってますか。操られてますか。。。 

樋口 理

こんばんは。
我田引水(引トラフィック、ですね)っぽくて恐縮ですが、ワタシのサイトでも似たようなことが起こってます。
http://www.higuchi.com/item/219

どうやら、全国の中学校で「昔の修理再生業にはどんなものがあったかインターネットで調べましょう」みたいなお題が(たぶん、指導要綱に従って)出されているようで、先生方も「『昔の修理再生業』で検索して出てきたものをまとめろ」というような指導をしているらしく、毎年同じ時期になると「昔の修理再生業」で検索したトラフィックが全国の中学校から集中して、群れをなした中学生の落書きでコメント欄が埋まるんです。

全国の中学生に「ググれ」みたいな指導をしているのだとすると、この国の教育の方針とか精神は、かなーりヤバいところに来ているな、と。中学生の頃からそうだと、大学生になってもそんなもんだろうな、とも思います。
教育される側を責める以前に、教育する側者のみなさんにもインターネットリテラシーが足りてないんじゃなかろうかと怪しんでいるところです。

hip

誰も通ったことのない道を切り開く経営者あるいは創造者の視点に立ったご意見だろうと思います。
与えられる課題の質とそれをより効率的にこなすという話とは別の話です。

さかた

意味不明です!

調べる前に考える事と、調べ終えてから
判断や吟味する事は決して意味がちがいます。

それじゃあ、調べる前にどのように考えているの?
ググる前に仮説でも立ているの?

余目 活字

ググル前に何点かの関連図書をじっくり読め、じっくりと。
本を飛ばしてネットだけで知識(?)を得るという
姿勢は単なる手抜き。 そんなのを大上段に振りかざすと
必ずずっこける。

Verify your Comment

Previewing your Comment

This is only a preview. Your comment has not yet been posted.

Working...
Your comment could not be posted. Error type:
Your comment has been posted. Post another comment

The letters and numbers you entered did not match the image. Please try again.

As a final step before posting your comment, enter the letters and numbers you see in the image below. This prevents automated programs from posting comments.

Having trouble reading this image? View an alternate.

Working...

Post a comment

Your Information

(Name is required. Email address will not be displayed with the comment.)