Previous month:
November 2009
Next month:
January 2010

映画アバター短評(ネタバレなし)

 映画の内容は見てのお楽しみとして、久しぶりに「プロ中のプロの仕事を見た」というのが正直な感想。業界は違えど、これだけの仕事をここまでのクオリティで作るジェームズ・キャメロンには脱帽。タイタニックの時にも感じたが、「映画を見に来る観客が何を期待しているか」をとことん理解しているからここまでのものが作れるのだと思う。観客を一気に世界観に引き込み感情移入させるテクニックは天下一品だ。

 ちなみに、私はIMAX 3Dで鑑賞。やはりIMAXは良い。ちなみに、こちら(米国)では IMAX 3Dでも10〜14ドル(日本円で1000円強)。日本でもこのくらいの値段で上映すればもっと映画人口が増えると思うんだが...。

 


誰にでも分かる「クラウド」

 ここの所、「クラウド」という言葉が一人歩きしているようなので、言葉の定義を明確にして業界関係者間のコミュニケーションをスムーズにすることを試みてみたい。

クラウド・コンピューティング

 もともとは、すべての計算をクライアント側で行う「デスクトップ・コンピューティング」に対して、(しばしば雲の形で図式化される)ネット上のサーバー側で計算してしまうことを表すために生まれた言葉。しかし、後述の「クラウド・サービス」の普及とともに狭義・広義・誤用・バズワード化が進み、今や「ユビキタス」と同じぐらい使っている人によって意味が異なる言葉になりつつあるので要注意。

クラウド・サービス

 アマゾンのec2、GoogleのApp Engineのようにサーバーの能力を従量課金方式で提供するサービスのこと。自社サーバーやレンタルサーバーと比べて、初期投資の面でもスケーラビリティの面でも優れていることが特徴。

クラウド・デバイス

 単なる「ネット端末」のこと。クラウド・コンピューティングがバズワード化するに従い、それに便乗しようと作られた「便乗用語」の一つ。

クラウド・スパコン

 一度は事業仕分けで凍結されそうになった予算をなんとか確保するために役所の人たちがでっち上げた造語。実際は何の意味もない言葉なので「グリッド・コンピューティングとはどう違うの?」などと真面目に突っ込むのは時間の無駄である。ちなみに業界関係者の間では、SMAPの「世界で一つだけの花」のメロディーに乗せて「世界一でなくても良い、世界で最初のクラウド・スパコンになれば良い」とカラオケで歌うのがはやっているらしい。

自治体クラウド

 日本のITゼネコンが、自治体からさらなるIT予算を引き出そうと作り上げた言葉。「これからはクラウドの時代」という合い言葉とともに、自治体から複数年度にまたがるサーバー運営の保守管理契約をせしめよう、というのが本来の狙い。GoogleのApp Engine上で作れば無料Quotaの範囲内で十分に運営できてしまうぐらいのサーバーの運営費がITゼネコンに頼むと年間数百万円、というのは良くある話なので注意が必要。

クラウド冷蔵庫・クラウド洗濯機・クラウドエアコン・クラウドテレビ・クラウドレコーダ

 このクラウドブームに便乗して2010年に日本で発売されると予想されるさまざまな家電製品。数年前の「ファジー家電」「カオス家電」「AI家電」と同じく、最先端のバズワードを使うことにより一見付加価値が高そうな製品というイメージを作り出して消費者の購買意欲をそそろうという家電メーカーの苦肉の策である。


米国空軍がPS3 2500台で380TFLOPSのスパコンを作ることにしたらしい

 日本でスパコン産業支援のための予算が事業仕分けで見送りになった件については、Twitterとかでつぶやいても来たが、そろそろ「産業支援のありかた」を根本的に見直すべき時が来ていると思う。特にIT産業においては、勝負すべきレイヤーが大幅に変化している時期でもあり、過去の産業構造に捕われた支援の仕方をしても税金が無駄になるだけ。

 特に今朝米国で報道された「なぜ米国空軍がPS3を2200台を追加発注したのか」という記事は、この業界の変化を顕著に表すもの。要約すると、

1. 米国空軍はさまざまなシミュレーション(空軍なので、弾道ミサイル、迎撃ミサイル、戦闘機の性能シミュレーションと考えられる)にスパコンを使って来ているが、現時点では、(IntelのチップやGPUよりも)CELLチップで構成したスパコンがもっとも現実的である。

2. ただ、CELLチップを二つ搭載したサーバー(1チップあたり200GFLOPS)は$8,000するがPS3だと二台で$600なので(1チップあたり150GFLOPS)、1ドルあたりのFLOPS値で計算すると PS3 を使うと約10分の1のコストで済む

3. 米国空軍はこれまで336台のPS3を繋げて試験を行って来たが、このたび2200台の追加発注をしたという。

となる。単純計算すれば、150GFLOPS x (336+2200) = 380TFLOPS、と地球シミュレータの10倍の性能のスパコンを、ハードウェアコスト1億円以下で作っていることになる。

 ここで注目すべきは、米国空軍はソニーやIBMのビジネスを支援しようとしてこんなことをしているわけではなく、単に「できるだけ早いスパコンをできるだけ安価に作りたい」という純粋に経済的な理由でPS3をハードとして選択しただけ、という点。

 そして、米国政府の狙いは「国内のスパコン産業を育成する」ことなんかには全くなくて、それよりも「どの国にも勝る軍事技術を持つことにより『強い米国』の地位を維持し続ける」ことにある点も忘れてはならない。

 こんな時代に、「国内のスパコン産業支援のために700億円」という目的も効果もはっきりしない説明でのは国民の理解を得られなくて当然と思う。「日本としてどこで勝負したいのか」という明確なビジョンを示して国をリードして行かないかぎり、国民の指示は得られないし、本当の意味での強い産業は育たない。


丸山ワクチンの過去・現在・未来、自然免疫と癌治療

 今回の訪日中に、ソニーの(音楽・ゲームなどの)エンターテイメント・ビジネスの生みの親でもある丸山茂雄氏とお会いする機会があった。私もつい最近まで知らなかったのだが、丸山氏の父親は「丸山ワクチン」の生みの親である故丸山千里博士。「私自身も丸山ワクチンで癌と戦っている」という丸山氏の言葉に刺激され、丸山ワクチンに関して調査してみたのでここにまとめてみる。

 「丸山ワクチンの効果」に関しては、専門家の意見でも意見が分かれている、というのが現状である。そのため、事実と意見が混在した形でネット上に存在しており、単にググっただけでは玉石混淆の情報に悩まされるだけ。そこで、一歩踏み込んで、新聞・専門書・学術ペーパーなどを読んで事実確認をしながら、まずは確実に事実と言える部分を洗い出してみた。

  • 事実1:丸山ワクチンは、丸山千里博士がもともとは皮膚結核の治療薬として開発したもの(1944年誕生)
  • 事実2:丸山千里博士は日本医科大学のワクチン療法の専門家(癌の専門家ではない)
  • 事実3:丸山ワクチンの主成分は、結核菌から抽出した多糖類
  • 事実4:1964年から癌治療薬としての臨床実験が始まったが癌の治療薬としての認可は下りなかった
  • 事実5:それにもかかわらず「癌の特効薬」として癌患者の間での人気は根強く「有償治験薬」というあいまいな形での投与という形が1972年以来続いており、利用者は30万人を超すとも言われている。
  • 事実6:丸山ワクチンが他の抗がん剤と大きく違うのは、その副作用の少なさ。それゆえに、「何年間」という単位での長期間の投与が可能。

 ここまで調べた段階で、私自身は「40年以上も前の薬で未だに認可が下りていないなら効かないんじゃないか?」「ワラにもすがろうという癌患者の弱みに付け込んだ悪徳商法の一つじゃないのか」と感じた、というのが正直なところである。特に「丸山ワクチン擁護派」の人たちが言う、以下の風説を読んだ時には、その思いはいっそう強くなった。

  • 風説1:丸山ワクチンに認可が下りなかったのは、当時医学会に多大な影響力を持つ阪大の山村雄一博士が「丸山ワクチンつぶし」の働きかけをしたからだ
 「本当は癌の特効薬なのに、医学会の権力争いのために認可が下りなかった『丸山ワクチン』」という陰謀説だ。ドラマのネタとしては面白いかもしれないが、この手の風説を事実確認もせずに頭から信じていては客観的な判断はできない。

 そこでさらに歴史を掘り下げて行くと、なかなか興味深いことが分かって来る。

  • 事実7:1890年代に、コーリーという米国の外科医が感染症にかかった患者の方が癌が縮小するケースが多いことに目をつけ、不活性化した病原菌を癌の治療に応用する「コーリーの毒」という治療法を試み、それなりに成功をおさめた。
  • 事実8:1950年代60年代には、この「コーリーの毒」のコンセプトに基づき、無毒化した結核菌を癌の治療に応用しようという試みが各所で行われた。丸山ワクチンの癌治療への応用もその一つである。
  • 事実9:(先の風説で出て来た)阪大の山村雄一博士も、ほぼ同時期に結核菌から作った癌の治療薬(CWS)を作って臨床実験をしているが、同じく認可はされていない。
  • 事実10:丸山ワクチンもCWSも、同様に「統計上明らかに効果がある、と言えるデータがない」「成分に安定性がない」「なぜ効くのかの理論的説明がない」などの理由で認可が下りていない。
  • 事実11:しかし、「丸山ワクチンは癌の特効薬」という噂が広まり、患者や家族からの圧力により、有償治験薬(医者からの「治験承諾書」を得ることができれば日本医科大学から有償で入手が可能、ただし保険は適用できない薬)」という中途半端な地位を得て今に至る。
  • 事実12:丸山ワクチンと同成分(ただし濃度は10~100倍)の「アンサー20」が放射線療法による白血球減少症の治療薬として、1991年に認可される。
  • 事実13:抗がん剤・放射線治療が癌治療の主役の座を得るにつけ、「コーリーの毒」を応用した癌治療の試みは下火になって行き、しだいに丸山ワクチンも「癌の特効薬」というよりも「がん患者のQulity of Lifeのための代替医療」という見方をされるようになる。

 ここまで調べると「やはり山村博士は丸山博士のライバルだったのか!」と喜ぶ読者もいるかも知れないが、話はここで終わらないから興味深い。ちなみに、丸山ワクチンが「Qulity of Lifeのための代替医療薬」として人気が高いのは、今の癌治療に以下のような問題点があるから。

  • 問題点1:今の癌治療は、手術による癌の摘出・放射線治療・抗がん剤の集中投与、という癌を一気に攻撃する「破壊的」な形のものしかなく、いずれも患者の体に大きな負担を与える
  • 問題点2:そのため癌治療はどうしても「癌をやっつけるのが先か、患者の体が治療に耐えられなくなるのが先か」という「体力勝負」となってしまう。患者の体が治療に耐えられなくなった時点で、医者にできることはなくなってしまう。
  • 問題点3:たとえ癌の退治に成功したとしても、抗がん剤は健康な人に投与するには副作用が多すぎるため「癌の再発防止薬」として長期的に使用することには適していない。
  • 問題点4:そのため、癌の治療後に医者ができることは「再発したかどうかを時々検査する」ことだけである。

 これらの問題点を見ると、丸山ワクチンがなぜ正式に認可されていないにも関わらず、末期がん患者の「最後の切り札」、がん治療後の「再発防止薬」として投与され続けているかが理解できる。

 ところが最近になっていくつかの新しい発見があり、癌治療の専門家たちの間に再び「丸山ワクチンに代表される免疫治療」を見直そうと言う動きが出ている。ここで重要な役割を果たすのが、皮肉にも(丸山ワクチンの認可を妨害したと噂される)山村雄一博士の孫弟子にあたる審良静男博士である。

 審良博士は、ショウジョウバエの免疫に重要な役目を果たすTollという遺伝子に注目し、人間の体においても同じような役目を果たすいくつかのTLR(Toll-like Receptors)の役割を次々に解明し、これまではあまり役に立っていなかったと誤解されていた自然免疫のメカニズムを解明したのだ(それにより審良博士はノーベル賞候補にまでなっている)。

  • 発見1:人間の体には、自然免疫と獲得免疫という二つの免疫の仕組みがある(今までは、獲得免疫のみが役に立つと思われていた)。
  • 発見2:TLRは自然免疫のメカニズムのおけるセンサーの役目を果たし、外部から侵入して来た細菌やウィルスの多糖類やDNAを検知している
  • 発見3:人間の体はTLRからのシグナルを受けて、炎症を起こす・熱を出す・インターフェロンを出すなどして外敵を攻撃する

 ここで注目すべきは、「TLRが細菌の多糖類を検知し、その結果、抗がん剤にも使われているインターフェロンなどを人間の体が作りはじめる」という部分である。これによって初めて、なぜ感染症にかかった患者の癌が縮小するケースが見られたのか、「コーリーの毒」や「丸山ワクチン」になぜ癌を縮小させる効果が見られるのか、の説明がついたことになる。

 この発見以来、この自然免疫の仕組みを利用した癌治療の研究がさかんに行われるようになった。丸山ワクチンに関しても、正式な癌の治療薬としての認可に向けて、数年前から再び臨床実験が行われているそうだ。いずれにせよ、今までの抗がん剤とは違う、副作用が少なくて長期間投与可能な「癌再発防止薬」は、一度癌になった人たちの延命のためにもQuality of Lifeのためにも必須である。「有償治験薬」という曖昧な形ではなく、正式に認可された丸山ワクチン(もしくはそれに近い何か)が幅広く投与されるようになる日も近いかもしれない。

【追記】「30万人もの人が使ったのなら十分にデータは集まっているんじゃないの」というコメントが寄せられたが、残念ながらそれでは「丸山ワクチンが本当に効くのかどうか」を検証するデータとしてはノイズが多すぎて使えない(たとえば「丸山ワクチンを投与していたら20年癌が再発しなかった人」のデータだけあっても、再発しなかったのが「丸山ワクチン」の投与のためなのか、別の原因なのかが特定できないと役に立たない)。統計的に意味のあるデータを得るためには、同じような癌から回復した人を100人集め、50人には丸山ワクチンを、残りの50人には比較対象になるもの(たとえた生理的食塩水)を二日おきに何年間か注射しし続け(ただし、どちらのグループの人たちも自分たちが何を投与されているかは知らされない)、二つのグループの間に癌の再発率や生存率に違いが出るかを調べる、というとても手間もコストもかかる臨床実験をしなければならないのだ。


GoogleはなぜAndroidやChrome OSを無料で配布するのか?

 先週「Androidと家電」というタイトルで講演をさせていただいた私だが、そのプレゼンのキーポイントは、「なぜGoogleはAndroidを無料で配布するのか?」。それを私なりに説明するための資料として作ったスライドが以下の二枚。

Android-1    まずこれは、MicrosoftとIntelがパソコン・ビジネスを育てるためにした「コモディティ戦略」を図式化したもの。IntelとMicrosoftで協力してCPUとOSを部品化・規格化することにより、誰でもパソコンを作れる様にしたのがそれ。これにより、パソコン・ビジネスへの参入障壁が減り、パソコン・メーカーが乱立。差別化がしにくい部分(つまりIntelとMicrosoftがほぼ独占的に提供するCPUとOS以外の部分)で激しいコスト競争が起こり、パソコンのコモディティ化が一気に進んだのは皆さんの記憶にも新しいはず。

 特筆すべきなのは、MicrosoftもIntelも、「CPUやOSを開発するのには金がかかるが、粗利益率は高い」というビジネスである点。そのため、パソコン市場が大きくなることが直接利益率の増加につながり、あれだけの企業価値を生み出した。

Android-2

 ところがネットブックやスマートフォンのような「ネット端末ビジネス」の場合には、それに通信事業者、ウェブ・サービス事業者、コンテンツ提供者が加わるため、パソコンビジネスとはパワーバランスが大きく異なって来る。

 ウェブ・サービス事業者であるGoogleとしては、できるだけ他の部分をコモディティ化してネットにアクセスしやすくすることにより自分たちのビジネスを大きくしたいのは当然。

 その結果、Googleが選んだ戦略は、(1)Android・Chrome OSを無料で提供することによりOSをコモディティ化すること、(2)それらのOSがさまざまなCPUで動くようにすることによりCPUをコモディティ化すること、(3)政府にネットのオープン化を迫ることにより通信事業をコモディティ化すること、の三つである。

 今年後半になってAndroidケータイが増えて来たのはまさにその結果だし、2010年にはChrome OSのためにネットブック・ビジネスへの参入障壁が下がり、競争原理によりもっと値段が下がる。それどころか、Chrome OSのために、ネットブックにおけるIntelアーキテクチャの牙城がくずれ、ARMベースのネットブックが売れ始める可能性さえある(参照)。100ドル・パソコンの時代は目前だ。


アップルの30年ロードマップ

 昨日、日経BP主催のAndroidに関するセミナーで講演+パネルディスカッションをしたのだが、パネルディスカッションを一緒にさせていただいた、日本通信の福田尚久氏との話(特に、楽屋に戻ってからの非公開の話)が興味深かった。

 福田氏は、スティーブ・ジョブズがAppleに戻り、Microsoftからの資金調達、iPodのリリース、アップル直営店の展開、という今のAppleの成功の基盤となる「奇跡の復活」を遂げた時期にジョブズの側近として活躍した人。

 彼に言わせると、今のAppleのビジネス戦略は、倒産寸前だった97年当時に作った「30年ロードマップ」に書かれた通りのシナリオを描いているという。

 もちろん、具体的な内容は企業秘密でもあるので直接聞き出すことはできなかったが、ここ12年の間にアップルが出して来たもの(iPod, iTunes, iPhone, Apple TV, Safari, OS-X, iLife, Final Cut) と、彼の話を繋げれば、そのロードマップの姿は自ずと見えて来る。

 ひとくちで言えば、「映像・画像・音楽・書籍・ゲームなどのあらゆるコンテンツがデジタル化され、同時に通信コストが急激に下がる中、その手のコンテンツを制作・流通・消費するシーンで使われるデバイスやツールは、従来のアナログなものとは全く異なるソフトウェア技術を駆使したデジタルなものになる。アップルはそこに必要なIP・ソフトウェア・デバイス・サービス・ソリューションを提供するデジタル時代の覇者となる」である。

 そう考えると、iPodの成功にはiTunes+iTunes Storeが必須だったことが分かるし、2007年・2008年のMacWorldがiPhone一辺倒だったことも納得できる。それに加えて、Final Cutが着実に画像編集ツールとしてのプロフェッショナルの間でのデファクトの地位を取りつつある部分だとか、WebKitがスマート・フォン向けブラウザーのデファクトになるつつあるなど、とても戦略的に思える。

 さらに、この見地から考えると「これから10〜15年の間にアップルが何をしてくるか」が自然に見えて来るから面白い。

 まずひとつ確実に言えることは、Apple TVは「ひょっとしたら売れるかも知れない」などの軽い気持ちで作ったデバイスではなく、「アップルがリビングルームにネットを通して映像が提供される時代の覇者になるための最初の一歩」であること。日本でも米国でも光ファイバーを通した映像の配信はまだまだビジネスとして立ち上がっていないが、いつかはそんな時代が来ることだけは確実\。Apple TVはそんな時代に向けた先行投資であり、いつかはApple TVをリビングルームのiPhoneのような存在にしようと企んでいることは明白である。

 次に言えるのは、ある時点でAppleが書籍・雑誌のデジタル配信ビジネスに本気で出て来ることがほぼ確実なこと。ちまたでは、AppleがタブレットPCを出すかどうかが毎年の様に話題になるが、このロードマップを考えれば、Appleがタブレット型のパソコンを「タブレットPC」として出すとは考えられない。そうではなくて、「デジタルで配信された書籍・雑誌を読むのに最適なデバイスは何か?」と考え、それに最適なデバイスをハードもソフトもサービスも含めて設計し、コンテンツ流通の仕組みと一緒に提供するのがAppleである。

 次に忘れてならないのはゲーム市場。最近のiPhone/iPod touchのアプリの宣伝の仕方でも分かる通り、Appleはすでに「ゲームを遊ぶ」をその二つのデバイスの主要なユーザー・シナリオの一つと位置づけている。わずか2年あまりの間に、iPhone/iPod touchは既にSony PSP、Nintendo DSに十分対抗しうる携帯ゲーム・プラットフォームに成長したのだ。

 そしてApple社内でもそろそろ真剣に検討しはじめていると容易に想像できるのが、PS3/Wii/Xbox360に対抗する据え置き型のゲーム市場。何年後になるかはわからないが、次の世代のApple TVがOS-Xを搭載し、iTunes storeからゲームをダウンロードして遊べるようになる、という可能性は十分にある。もちろん簡単な話ではないので、単にゲーム機能をApple TVに追加しただけでは話にはならないが、「映像を見る」というテレビ本来の役割に革命をもたらす形でApple TVを普及させることに成功すれば、そこに「ゲームを遊ぶ」というシナリオを追加することはそれほど難しくない。

 なんとも皮肉なのは、このロードマップが、出井さんの時代にソニーが掲げていたビジョンと酷似している点。Appleが苦しんでいる時期に、冗談まじりに「ソニーは今のうちにAppleを買収すべき」と言って来た私だが、まさかここまでAppleがコンシューマ・エレクトロニクスの市場に進出するとは正直言って想像もしていなかった。97年の時点でそこまでのロードマップが書けており、かつそれをこれだけ長い間ブレずに着実に実行して来ているという点が、まさに今のAppleの戦略の強さの源流だと思う今日この頃である。