ある日本の家電メーカーでの会話。まずは副社長室での会話から。
技術部長:副社長、来年度の予算の件はどうなりましたか
副社長:大丈夫だと言っただろう。台湾・中国からの追い上げは相変わらず激しいが、テレビは家電ビジネスの要だ、経営陣としてもここだけは手を抜けない。来年も君たちにがんばってもらわなければならない。
技術部長:もちろんです。そのあたりは現場のエンジニアたちも強く感じてると思います。ちなみに、メールに書いてあった「戦略の変更」って何ですか?
副社長:そのことなんだが、経営会議でも持ち上がったんだが、台湾勢と戦うには、我が社にしかできない「差別化要因」が必要だ。価格競争では彼らにかなわない、消費者にとって目に見える価値を提供して、台湾製品よりも3割・4割増の値段でも喜んで買ってもらえるテレビを作らなければならない。私は、キーワードは「クラウド」だと思っている。
技術部長:え?「ク、クラウド」ですか。
副社長:そうだ。GoogleやAmazonがやっているクラウドだ。「あちら側」の話だ。
技術部長:「あちら側」って?
副社長:「あちら側」のことも知らんのか。少しは外に目を向けなきゃだめだよ。後で何冊か本を送るから、今週末にでも読んでおくといい。
技術部長:もうしわけありません、ここのところ家にも帰ってなくて。それよりクラウドとテレビとがどう関係するんですか?アクトビラのことなら、先日も「あれはだめだ」っておっしゃってたじゃないですか?
副社長:アクトビラのことじゃない。これはもっと大きな戦略的な、プラットフォームの話だ。
技術部長:プラットフォームですか
副社長:まだ分からんのか、Androidだよ。うちのテレビにAndroidを載せて、我が社のテレビを「クラウド化」するんだ。「クラウド・テレビ」の時代のリーダーシップを取るんだ。
技術部長:「クラウド・テレビ」ですか。それとAndroidとどう関連するんですか?
副社長:「Androidを載せて実際になにをするのか」という具体的な商品開発の部分は君たちに任せるが、私が確信していることは、ここで「クラウド化」に乗り遅れたらうちのテレビは時代に取り残されてしまう、ということだ。台湾勢はAndroidを使うことにより、スマートフォンの開発期間をわずか6ヶ月に短縮したそうだ。その流れはテレビにも必ずやってくる。彼らよりもすばやく柔軟に市場のニーズに会わせた商品開発をするためにも、うちのテレビにAndroidを載せることが必須なんだ。
技術部長:6ヶ月でテレビを開発しろと言ったら、うちの連中は死にますよ。今のペースでも深夜帰宅の連続なんですから。Androidを搭載したからと言って、とつぜん開発コストが下がるとはとは思いませんが。
副社長:そんな簡単な話じゃないことは私も分かっているつもりだ。でもやるしかないんだ。世界の流れに乗り遅れるわけにはいかない。タイミングとしては、2011年の春モデルを考えている。次のCESで我が社の「クラウド戦略」を大々的に発表して、春に発売だ。
技術部長:しかし、もともとは2011年の春モデルって、その次の大幅なモデルチェンジまでのつなぎの予定だったはずですが。うちの主要なメンバーは、今そっちの方の設計にかかりきりで大忙しです。ご存知のように、チップから起こしているので...
副社長:そんな悠長なことは言っていられなくなったんだ。次期モデルのことは多少先送りになってもかまわない。今はこの春モデルに全力投球すべきタイミングだ。最高のメンバーを投入して、「クラウドテレビ」を実現して欲しい。
技術部長:分かりました。メンバーの編成も含めて開発計画を立てててみます。ちなみに、次期モデル用のチップの開発をしてくれている半導体部門にはどう説明しましょうか。
副社長:そこは私がなんとかしておく。君のところには春モデルに力を集中してほしい。
20分後、技術部長のデスクにて。
技術部長:ということで、まずは春モデルを「クラウドテレビ」としてCESでデモできるところまで持って行くことを最優先にして、部全体を再編成することになった。
開発主任:しかし、それじゃあ次期モデルの開発は丸1年以上遅れてしまいます。来週には試作チップもできあがるんですよ。
技術部長:確かにそうかも知れないが、テレビのクラウド化戦略の話は社長にも伝わっているし、テレビ事業部の死活問題でもあるんだ。次期モデルの開発は、いったん研究所に引き取ってもらって、君にはAndroidを搭載した春モデルの開発に集中して欲しい。
開発主任:分かりました。ところで、Androidを載せてそれで何をするんですか。
技術部長:それは私にもまだ分からないんだ。CES向けには、何かAndroidが載っていることが一目で分かるような何かをデモしたいんだが、そのあたりも君のところで考えておいて欲しい。
開発主任:「Androidが載っていることが一目で分かるような何か」ですか。ウィジェットぐらいしか思いつきませんけど。
技術部長:例のYahooがデモしていたやつだね。そのあたりの細かいところは君たちに任せるから、ぜひともよろしく頼む。
その25分後、今度はネットに詳しい若手エンジニアの席で。
開発主任:確か君は、前にAndroidをやってみたいと言っていたな。
若手:はい。大学の研究室ではLinuxでいろいろなデバイスを作っていましたし、Javaのプログラムも得意なんです。
開発主任:そうか、それは良かった。今度の春モデルにAndroidを載せることになったんだが、ぜひとも君に担当してほしいんだ。
若手:ありがとうございます。がんばります。ちなみに、ハードは現行のものをベースにってことですね。
開発主任:そうだ。メモリぐらいなら必要に応じて多少増やしても良いけど、次世代チップへの移行はその次の世代になる。
若手:ってことは、そこでまたゼロからAndroidを載せかえなきゃならないってことですね。
開発主任:そういうことになるが何か?
若手:いえ、結構大変だな、と思って。ドライバとかも全部作り直しになるし。
開発主任:次世代のことは心配しなくて大丈夫だよ。とりあえず春モデルに集中してほしい。ちなみに、君はテレビは見るかね。
若手:いえ、そもそもテレビ持っていないんで。アニメとかは、ネットでも見れるし、後はニコ動とかYoutubeですね。最近はそれも減って、Twitterばかりしてますけど。
開発主任:今の若い人はそんなもんかね。でもよろしく頼むよ。ところで、君はウィジェットには詳しいかね。
若手:自宅のパソコンがMacBookなんで、ウィジェットは使ってますけど。
開発主任:そうか。CESでのデモ向けに、ウィジェットがいくつか欲しいんだが...
若手:ウィジェットならHTMLなんで簡単に作れます。天気予報とか時計ウィジェットならサンプルもたくさんあるし。
開発主任:それは助かる。やはり君に来てもらって良かった。
さらに1時間後、再び技術部長の席で。
開発主任:ということで、簡単なウィジェットのデモまでなら、CESまでなんとかなりそうです。
技術部長:それは良かった。これで副社長にも顔が立つよ。
開発主任:でも、これで台湾からのテレビに対抗できるんでしょうか?
技術部長:そこからはマーケティング部門しだいだな。「Android搭載、クラウドテレビ。ボタン一つでウィジェットが飛び出す」とかいうコマーシャルで大々的に宣伝してくれるだろう。
開発主任:うまく行くといいんですが。
技術部長:ちなみに、君の家ではテレビは見るかね。
開発主任:私はそもそも家に帰っていませんから、でも家内はドラマとかは見てるみたいですけど。
技術部長:ウィジェットとかに興味は持ってくれるだろうか。
開発主任:うーん、難しいと思います。そもそも今でさえリモコンのボタンが多すぎるって文句を言ってるぐらいですから。「また、ボタンが増えるの!」ってしかられそうです。
技術部長:うちの家内も同じだよ。しかし、今回のプロジェクト、うちの部署の死活問題なんだ。ぜひともよろしく頼むよ。
開発主任:了解です。
(ここに書いてあることは、すべてフィクションである。万が一同じような会話が実際の現場で行われていたとしても、それは単なる偶然の一致なのでそこはご了承いただきたい。)