「候補者のエネルギー政策を知りたい有権者の会」を見ると、さまざまな候補者のある意味で優等生的な答えが見られるが、今、問われているのは、「脱原発とクリーン・エナジーのどちらを選ぶか」なんて小手先の話ではなくて、「日本をどんな国にしたいか」というもっともっと大きな話だと思う。
戦後、日本は欧米に追いつけ追い越せと国民全員が一眼となって勤勉に学び・働き、世界2位のGNPを持つ国にまで成長したのだが、80年代終わりのバブルの崩壊後は「失われた20年」に突入し、2011年に入った時点ですでに、財政赤字、少子化、地方の過疎化、高い失業率、正社員・派遣社員の二極化、などのさまざまな問題を抱えていた。
3月11日の大地震と巨大津波は、まさに天変地異ではあったのだが、それに続く福島第一原発でのスリーマイルを超える原発事故は、「過疎化で苦しむ地方に金と雇用というエサで危険な原発をおしつけた結果得られる、豊富で安価な電気に支えられた首都圏ビジネスとライフスタイル」という醜い現実を浮き彫りにしてしまった。今まで原発問題を「地方の問題」として見て見ぬフリをし、原発反対運動を政府のやることになら何でも反対する非現実的な左翼運動の一つとして他人事のように静観してきた、私を含めた多くの日本人の目を覚まさせ、反省させる事となった。
上のサイトへの返事を見ると、基本的には(1)Bを選んだ脱原発・理想路線と(2)非A・非Bの慎重・現実路線であるが、私から見ると、(1)の人たちは現実を無視した優等生的な理想論を言っているようにしか見えないし、(2)の人たちは「今のライフスタイルを維持するためには原発しかないよね」という原発容認の現状維持派にしか見えない。
実際、今まで日本が歩んで来た経済成長優先路線を維持しようとする限り、日本の経済を支える首都圏が必要とする莫大なエネルギーを提供するためには、(どんなに安全に作ろうともゼロにはならない)リスクのある原発を地方に押し付けて首都圏が必要な電気を確保しつづけるしかない、というのが現実的な答えだと思う。
別の言い方をすれば、たとえ今の勢いに乗ってクリーン・エナジー派が政権を握ろうと、今までの首都圏集中型の経済成長を続けようとするかぎり、なかなかうまく行かず、結局は危険を承知で原発路線を維持せざるを得ないというのが現実だと思う。
つまり、今、私たちが問われているのは、単に「原発かクリーン・エナジーか」という単なるエネルギー政策の話ではなく、「日本という国はどこを目指すべきか」「私たちはどんなライフスタイルを持ちたいのか」「今の首都圏集中型の成長戦略が本当に日本人を幸せにしているのか」という日本の方向性への根本的な疑問だと思う。
戦後の65年間で、私たちの生活レベルは大きく向上したが、失われたものも沢山ある。
- 子供の遊ぶ時間・子供が自然と戯れる時間
- 自分の食べるものは自分で収穫する・料理するという自給自足能力
- 日が昇ったら目を覚まし、暗くなったら寝るという自然と調和したライフスタイル
- 大家族・親子の対話・近所付き合い
- 自然そのもの・自然を楽しむ時間や心のゆとり
- 地方の町や村が自立して行く力
などなどである。そしてその根底には、
- 「結婚して子供をたくさん作ることが一番の幸せ」という価値観
- 「親の職業を継ぐ、老いた親の面倒を見るのが親孝行」という価値観
- 「自分が生まれ育った場所を大切にしてそこで生きて行くのが幸せ」という価値観
- 「農業・漁業などにたずさわる人たちがいるから私たちは食べて行ける」という感謝の気持ち
- 「健全な子供を育てるのは親だけじゃなくて、コミュニティ全体の役目」という責任感
などのそれまで日本人が大切にして来た価値観の喪失がある。
誰もが「大学を出て、都会の会社に勤めるのが一番の幸せ」という、たった一つの作られた価値観に縛られて、多くの人たちが首都圏に移動してサラリーマンになろうとした結果が、「遊ぶ時間もなく塾に通う子供たち」であり、「地方の過疎化」であり、「跡継ぎのいない自営業」であり、「一度大学に入ったら勉強もせずに3年生で内定をもらう大学生」であり、「結婚しない若者たち」であり、「コンビニで買った弁当を子供に毎日食べさせる親」であり、「地方に押し付けられた原発」なのである。
そういう価値観の部分にまで一歩も二歩も踏み込んだ上で、「これからの日本はどうあるべきか」を考えない限り、原発問題は解決しないと思う。
その意味で、政治家の人たちには、もっとそのあたりまで踏み込んだ大きなビジョンを見せて欲しい。「リスクのある原発を地方に押しつけながらも首都圏集中型の成長戦略を取る」のがもはや正しくないのであれば、どんな方向に日本を持って行くべきなのかを、何を捨てて何を守るべきなのかを、日本人の価値観まで含めて考え直す時期がきているのだと思う。