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官僚は日本の手足であり頭脳でもある。では政治家は?

「原子力損害賠償支援機構法案」に関して、経産省(もしくは財務省)が政治家向けに書いたとされる「名無しの文書」がリークされた(参照)。「この部分の修正に応じたら、東電は債務超過になって(破綻させざるをえなくなって)しまうので、徹底的に抵抗するように」と東電救済派の議員を手取り足取りで理論武装するための文書である。

本来ならば、政治家が日本の頭脳となって政策を決め、それを手足となって実行するのが官僚。しかし日本の場合、法案の作成能力などの頭脳が官僚側に集中してしまっているため、「電力の安定供給と、国民の安全のどちらを重視するか」「東電を破綻させて国民の負担を最小にするか、それとも東電を救済して銀行や保険会社への影響を最小限にするか」などの重要な政策判断が、政治家たちに上がって来る前にすでに官僚側でされてしまっているのだ。

そして、その「官僚が選んだ政策」が「日本のために(もしくは政権維持のために)最適の選択だ」と与党の議員を説得するのも官僚、実際の法案に落とし込むのも官僚、そしてその政策をあたかも自分が立案したように国会で答弁できるように与党の政治家を理論武装をするのも官僚である。

自民党政権があまりに長い間この枠組みに乗って政権を維持して来たために、民主党がいくら「政治主導」と叫んでも簡単には実現しないのが悲しい現実だ。

その意味では、(国民にとってはどんなに唐突でも)海江田大臣の「原発安全宣言」は今までの枠組みに従った(つまり自民党時代から引き継がれた「永田町のルール」に従った)行動であり、逆に、「経産省が決めた原発の再稼働」に逆らった菅首相の「ストレステスト宣言」は、永田町のルールでいえば「とんでもないおきて破り」だったのである。

官僚が国家の手足であり、かつ頭脳だとすれば、政治家は感情をつかさどどる「扁桃体」のようなもの(大脳辺縁系にあるアーモンド大の神経の集まり)。原発事故というストレスのために、「扁桃体」の一部が悲鳴を上げて「脱原発ホルモン」を出しているのだが、理性をつかさどる大脳が懸命になだめすかし、「原発の再稼働と東電の救済」という大脳が選んだ政策を観念して受け入れる様に説得している、というのが今の日本の現状だ。

 


311とパーソナルメディア

小出裕章氏の有名な言葉、「3月11日を境に、世界は変わったのです」というのは「福島第一原発での事故でこれだけの放射性物質がばらまかれてしまった以上、ある程度の被曝を容認しながら生きて行かねばならない世の中になってしまった」という意味。

長年、反原発運動を続けていながら、福島第一の事故を食い止めることができなかった小出さんの無念さが伝わって来る。それもこれも、私も含めた大部分の日本人が彼らの主張にろくに耳を貸してこなかったことに原因があり、私自身とても反省している。

そして、それと同時に大きく変わったものがもう一つある。国民のメディアに対する考え方である。

ひと言で言えば「政府公報と大手マスコミの信頼度が地に堕ち、今までテレビや新聞を主要な情報源としていた人たちまでが、マイナー・メディアとパーソナル・メディアからの情報に真剣に耳を傾けるようになった」である。

私のブログも、より多くの幅広い層の読者に読まれるようになった。テクノロジーのことだけでなく、原発のことも書きはじめたというのも理由の一つだとは思うが、原発の抱える問題の、分かりやすくて客観的な解説を求めている人が増えている事はこのブログへのトラフィックを見ていると良く分かる。

私自身、以前よりもより幅広い情報源にアクセスするようになった。上で引用した小出裕章氏の言葉には「たねまきジャーナル」のおかげで触れることが出来る様になったし、神保哲生氏のビデオジャーナルも震災後にアクセスしはじめたメディアの一つだ。

下村健一氏の「今後の市民メディアは生命の進化と同様、なだらかに進むというよりは偶発的な出来事を弾みとして段階的に拡大していく(参照)」と言うセリフのまさに「偶発的な出来事」が3月11日の巨大地震であり、原発事故だったのである。


「空気が読める日本人」と「言論の不自由」と

今朝の私のエントリーに対して、池田信夫氏がTwitterで二回つぶやいた。最初のものがこれ。

首相がブログ読んで素人に「脱原発」の知恵を借りるって末期症状だな・・・

典型的な「菅おろし」発言。まるで読売新聞のようだ。原発に関して色々と書いているブロガーと意見交換しただけなのに、なぜ「知恵を借りる」という表現を使ってわざわざこき下ろすか私には理解できない。オバマが同じことをしてもこんな風に解釈するのか?それとも、オバマだったら「国民の声を聞く、開かれた政府」と褒めたたたえるのか。

そして次がこれ。

私も彼のソフトウェアについての洞察には敬服しているので、おそまつな床屋談義はやめてほしい。

つまり「素人は黙っていろ」という意味だ。池田氏のうらみを買うようなことを言った覚えはないのだが、なぜここまで侮辱されなければならないのかまったく理解できない。「原発のことは原発の専門家に任せておけば大丈夫」と多くの国民が放置していたからこそ起こった今回の原発事故。素人だからこそ、原発の利害関係者ではないからこそ、何のためらいもなく脱原発と東電の破綻処理を語れるのだ。

ちなみに私は「空気を読め」とか「素人は黙っていろ」という発言を見るたびに悲しくなる。加藤喜一氏の言うところの「見えないタブー」(参照)が言論の自由を日本人自身から奪っているからだ。

経産省の中にも、東電の中にも、東大の原子力学者の中にも心の底では「もう原発は辞めた方が良い」「原発は決して安くなんかない」と思っている人は沢山いるはずだ。しかし「空気が読める」日本人は滅多なことでは自分の属する組織を否定するような発言はしないしできない。それでもたまには古賀茂明氏(参照)や小出裕章氏(参照)のような人たちが現れるから日本もまだ捨てたものではないが。

 


「ネット新党」構想

先のエントリーで述べた新党構想。頭の中を整理するためにも、漠然と考えていることを書いてみる。

 

・バックグラウンド

今の日本は、「誰が政治家になっても結局のところは国を動かしているのは官僚」というのが状態で、なかなか民意が反映されにくく、財政は悪化する一方である。今回の福島第一での事故を生み出した原因の一つもここにあり、この状態を根本的に直さない限り、国民の政治不信は消えないし、国の発展もありえない。

ビジョン

政治家が「民意を反映した政策」を作り、官僚は政治化の手足となりその政策を実行する、という国民主権の国を作る。

・ミッション

「民意を反映した国の運営」とはどうあるべきかを、党としての「活動資金の調達」、「政策の決定」のプロセスから根本的に作り直し、政党の在るべき姿を身をもって示す。

・設立のプロセス

自民党・民主党、およびすべての野党からこのビジョンに賛同していただける政治家を引き抜くことにより作る。党員が十分に集まり、選挙で十分な数が取れると判断できた段階で、菅首相にこの党が菅政権を引き継ぐことが国民にとってベストであることを納得してもらい、衆議院を解散してもらう。

・活動資金

党の活動資金は、ネットからの寄付(1年間1000円以上)および各党員が毎週発行する有料メルマガからの収入でまかない、企業献金は一切受け付けない。

・民意の反映

ネットから寄付をした日本国民は誰でも会員になることができ、重要案件に対して票を投じることができる。党内での政策議論は、会員に議事録もしくはustreamの形で公開し、重要案件はすべて会員全員のネット投票によって多数決で決める。

・党員の義務

政治活動をする党員は、ブログおよびメルマガを通じて、常に会員と対話し、個々の案件に関して自分の立ち位置を明らかにし続けなければならない。

・比例代表

比例代表選挙における席次は、有料メルマガからの収入に応じて決める。

 

まだまだ考えなければいけないことは沢山あるが、今のところ漠然とこんなことを妄想している。未完成ながらも自分の考えを表明することにより、色々な人からの意見を集めてより良いもの、より現実的なものにするのにはブログは最適なので、フィードバックは大歓迎である。ちなみに、私自身は政治家として立候補するつもりは全くないので、誤解のなきように。政治家や官僚が国民のことを第一に考えて働かざるをえない仕組みを設計(アーキテクト)しようと試みているだけである。


脱原発・脱官僚新党を作りませんか?

7月28日の夜、菅首相に会って来た。原発問題に関して書いて来た私のブログが菅首相の目に止まり、「この男に会いたい」ということになったそうである。私自身も、海江田大臣の原発安全宣言から菅首相のストレステスト宣言に至る台所事情を知りたかったこともあるし、色々とお願いしたいことも会ったので、喜んで参上した、というしだいである。

具体的にどんな話をしたかは8月から開始するメルマガ(参照)の方に詳しくレポートする予定だが、私が菅首相にどうしても伝えたかったのは、東電を経済原理にのっとって破綻処理しなければ国民は納得しない、という点。「私は民意を反映した政策を打ち出し続ける限り、菅さんを支持し続けますが、万が一東電を救済するようなことになれば、その時点で支持を打ち切ります」と伝えて来た。

マスコミの「菅たたき」が激化し、支持率も低迷する中、私のように菅首相の発言や行動を純粋に政策面のみで評価する人はごく少数というのも事実である(下村健一氏に言わせると、私は「隠れキリシタン」のような存在だそうである)。しかし私としては、菅直人という人物が総理大臣の椅子に座っている限り、不必要な裏読みなどをせずに、政策そのものを評価するというのが、この時点で私にできる最善のことだと信じている。

経産省+東電の反対を押し切って脱原発や発送電の分離を実現するのは簡単ではない。菅首相にそれが実現出来るかどうかはまだ分からないが、総理大臣を毎年のように交代させていては、何も変わらないことだけは今までの自民党政権が証明している。

ちなみに、私が菅首相に提案したのは、以下のようなもの。

  • 被災者の補償を優先し、政府が東電に変わって賠償金の立て替え払いを前倒しで進める。
  • 国の「立て替え払い」で地下遮蔽壁の建設に速やかに着工する。
  • 高汚染地域の土地の買い取りなども含めて賠償額の概算を政府が行う。
  • その賠償額(数〜十数兆円)を元に東電の債務超過の認定をする。
  • 100%減資、取締役の解任、年金カット、借金カットをする(国からの資金注入の条件)
  • 新株を発行し、国が資金注入し株主となる(一時国有化)
  • 送電会社、発電会社(原子力以外)、原発会社、の三つに分割する
  • 送電会社は国策会社として運営するが、後に上場する可能性も検討しておく。
  • 発電会社は、速やかな売却もしくは上場により民営化する。
  • 電力債の返済責任は、送電会社と発電会社が引き取る。
  • 原発会社は、福島第一の事故処理、被災者の補償、他の原発の運営・廃炉を担当する。
  • 原発会社の運営の原資は、送電会社からの営業収入、送電会社の売却益、使用済燃料再処理等積立金を当て、それでも足りない場合にだけ税金で補填する。
  • 東京電力以外の電力会社の原発、六ヶ所村の再処理工場もこの原発会社で引き取る。

東電・経産省・財務省・銀行・生命保険会社の猛反対が避けられないプランだが、資本主義経済の原則に忠実に、国民の負担を最小にし、かつ、被災者の救済を速やかに行うには、この方法しかないと私は考えている。

菅首相が私の主張を受け入れてこんな方向に国を動かしてくれるかどうか、動かせるのかどうか、はまだ分からないが、その方向に向けた努力をし続けてくれる限り私はサポートする。

もし途中で菅首相が途中で退陣せざるを得なくなってしまった場合の事も考えておかねばならないが、民主党の誰が新しいリーダーになればこんな政策を押し進めることができるのか私には見えてこない。かと行って、谷垣さんが総裁をしている自民党にこんなことができるとも思えない。政策的にもっとも「まとも」なことを言っている河野太郎(参照)が自民党の総裁になってくれれば、自民党を支持しても良いとは考えているが、どうも現実的とは思えない。

いっそのこと、自民党・民主党だけでなく、共産党までも含めたすべての野党から「良識のある政治家だけ」を集めた、脱原発依存・脱官僚依存を党の方針とした新しい党を作るというのはどうだろう→菅さん、河野さん。


原発は経済活動にとってのドーピング

福島第一原発の事故で原発の安全神話が崩壊して以来、多くの日本国民が「原発はなくせるものならなくしたい」と感じている。問題はこの「なくせるものなら」という部分。特に読売新聞や産經新聞などの「親原発メディア」が、「原発なしでは来年の夏は乗り切れない」「再生可能エネルギーだけでは日本の経済の発展はありえない」などのメッセージを送り続けているため、「そうは言っても原発なしでは無理なのかも」と感じはじめている人たちも少なくはない。

そんな中での、菅首相の「脱原発依存宣言」は、私たち自身に「日本をどんな国にしたいのか」「私たち国民にとって何が大切なのか」を考える絶好の機会を与えてくれたと言える。「延命のための人気とりだ」「退陣を表明した総理が何を言っても意味がない」などと本質的ではない批判をする前に、「脱原発依存」とは私たちの将来にとってどんな意味を持つのかをしっかりと理解した上で、「脱原発依存」という政策そのものに関する議論を戦わせるべきである。

そこで、原発依存の抱える問題点と、いきなり再生可能エネルギーにシフトするリスクを一人でも多くの人に理解してもらうために、簡単な「たとえ話」を作ってみた。

◇ ◇ ◇

簡単に言えば、原発は日本の経済活動にとってのドーピングのようなものである。活発な経済活動をするには元気(=エネルギー)が必要だが、元気の元となる肉(=化石燃料)は日本にはあまりない。しかたがないので、多少の副作用を承知でドーピング(=原発)に手を出したのが戦後の日本なのである。

ドーピング(=原発)により記録(=GNP)を延ばし、一時はアメリカに次ぐ世界第二位の地位を得た日本だが、薬物依存(=原発依存)のために体(=国土、国民の健康)が少しづつ蝕まれて行った。福島第一での事故の前も、たびたび小さな病気(=原発事故)は起こしていたが、大きな病気(=シビアアクシデント)にはなるわけがないという過信(=安全神話)のために、十分な健康管理(=安全対策)をして来なかったのである。

その結果、かかってしまったのが今回の大病(=シビアアクシデント)。体の一部(=高汚染地域)が二度と使えなくなってしまうほどの大病で、後遺症(=被曝による晩発性の癌や白血病)も避けられないが、ここまで薬物依存(=原発依存)が進んでしまった今、ドーピングなしでスポーツ(=経済活動)ができるかどうかの自信がない。脳の一部(=経産省)がドーピング(=原発)の安全宣言をしたのも、足(=経団連)がドーピングの再開を促すのも、薬物依存症の一症状だ。

とりあえず輸入した肉(=化石燃料)を食べて基礎体力だけは維持しているが、今後輸入にたよらずに記録を延ばしていくためには何か肉に変わる元気の元(=エネルギー)を手に入れる必要がある。

ベジタリアン(再生可能エネルギー推進派)たちはドーピングも肉もやめて野菜(=再生可能エネルギー)だけを食えというが、野菜を食べただけでは簡単には元気は出ないし、そのためには相当な量の野菜を食べなければならず、現実的ではない。

一流のスポーツ選手(=先進国)としての地位を維持するためには、短期的にはドーピング(=原発)、もしくは肉(=化石燃料)で現在の体力を維持し、もっと野菜(=再生可能エネルギー)を効率良く摂取する方法が見つかるまでなんとかしのぐしかない、というのが今の日本の状況である。

◇ ◇ ◇

ちなみに、この「たとえ話」を元にした童話もしくはビデオを作るのが良いのではないかと思う。経産省が作った「プルトニウムは飲んでも安心」みたいなデタラメなビデオを子供たちに見せるよりもずっと有意義だ。

 


iモードふたたび

先日、NTTドコモは「今冬にはiモード課金コンテンツをスマートフォンでも利用できるようにする」計画を発表した(参照)。iPhoneやAndroid端末に既に親しんで意いる人たちから見れば「今さらiモード?」という感覚だろうが、実は日本のモバイル・コンテンツ・ビジネスにとっては死活問題が絡んだとても重要な話だ。

というのも、年間7500億円もある「ガラケー」向けのコンテンツ・ビジネスがスマートフォンへの切り替えとともに消滅の危機にあるからだ。

ご存知の通り、日本のモバイル・コンテンツ・ビジネスは「一度申し込んだら、使っても使わなくても電話料金と一緒にコンテンツ・サービス料が引き落とされる」という「月額課金」に支えられて来た。

しかし、去年あたりから、急激に「解約率」が増えはじめたのだ。一番の原因が、「スマートフォンへの切り替え」である。従来型のガラケー間の乗り換えの場合は、月額課金サービスは「自動更新」されなんの問題もなかったのだが、スマートフォンへの乗り換えが起こったとたんに「同等のサービスがない」理由で自動的に解約されてしまうのだ。

この状態に危機感を持ったコンテンツ・プロバイダーも、iPhoneアプリやAndroidアプリを出してはみたものの、ガラケー向けのサービスをそのまま引き継げるわけもなく、かつ、参入障壁が実質ゼロのアプリ市場でグローバルな消耗戦を戦う体力はない。

その状況を何とか打開し、ユーザーのスマートフォンへの切り替えにより年間7500億円のモバイル・コンテンツ・ビジネスが消滅してしまわないようにしようというのが、今回の「スマートフォン向けiモードサービス」の本当の狙いである。

ちなみに、この機会に大きくビジネスを延ばしているのが、スマートフォン向けのコンテンツ・サービスの構築プラットフォームをPAAS(Platform as a Service)の形で提供しているエンターモーション。先日もオフィスに遊びに行って来たのだが、「ものすごい勢いでビジネスが伸びているけど、エンジニアが足りない!」とうれしい悲鳴を上げていた。スマートフォン向けアプリやソシアルゲーム・バブルに踊らされているB2Cスタイルのモバイル・ベンチャーが多いなか、B2Bでしっかりと地に足がついたビジネスをしているエンターモーションは注目に値する。経験者の中途採用は常に受け付けているそうなので(参照)、腕に自信のあるエンジニアは一度見学に行ってみると良いと思う。


やくざから罰金を取ると「みかじめ料」が増えるという総括原価方式の不思議

福島第1原発事故の被害者への東京電力の賠償を国が支援する「原子力損害賠償支援機構法案」が民主、自民、公明党などの賛成多数で衆議院通過の見通しとなった。法案を読むと東電の存続を前提として書かれたと読み取れる文言も多く、「東電を救済し、国民の負担を増やす悪法」という見方があるのも当然だ(参照)。

一縷(いちる)の望みは、河野太郎(自民党)の以下の発言。

「財務省主導の東電救済スキームは、巨額の報酬を得ている東電の経営陣には責任を取らせず、株主は保護し、金融機関の責任も追及しないのに、全国レベルで国民には値上げした電力料金を負担させるというとんでもない利権保護策だ。当初、このプランに乗っていた経産省が、日和見をはじめた。当初は、財務省プランでスタートするが、折を見て、東電を破綻処理させますという経産省プランを持って、経産官僚が議員会館を回り始めた。」(東電は後から破綻処理させます

「純資産が1兆6千億円程度だから、そうなれば債務超過は早晩、避けられない。それに伴い、今回のスキームそのものをなるべく早く見直すということが盛り込まれる。我々が当初主張していた即時法的破綻処理ではなく、二段階方式ではあるが、東電を破綻処理して出直しをさせる、つまり、長期間債務の返済だけをやるゾンビ企業にはしないということが確認された。」(東電処理への大きな一歩

実際に修正案を読むと(参照)、付則の第6条に、

政府はこの法律の施行後早期に、...当該資金援助を受ける原子力事業者の株主その他の利害関係者の負担の在り方等を含め、国民負担を最小化する観点から、この法律の施行状況について検討を加え、その結果に基づき、必要な措置を講ずるものとする。

とあり、これが河野太郎の言う「二段階方式」を意味すると解釈できる。

なんともまどろっかしい話だが、そもそもが、大株主である保険会社と債権者である銀行の責任を追求したくない財務省の官僚に法案を作らせたりするからこんなことになるわけで、票集めと派閥あらそいにばかりエネルギーをそそいで、実際の国の運営を官僚に長年まかせてきた日本の政治家の弱さがここに来て一気に浮き彫りになった感がある。

そもそも「東電を今の形のまま存続させると、たとえ賠償責任を100%東電に負わせたとしても、結局は総括原価方式のために電気料金の値上げという形で国民に跳ね返って来る」という「やくざから罰金を取ると『みかじめ料』が増える」ような構図がものを分かりにくくしており、「東電を破綻させると電気が止まる」「東電を破綻させると被災者の補償が滞る」などの大きな誤解(もしくはデマ)が混乱を招いている。

繰り返しになるが、国民の負担を最小限にする唯一の方法は、資本主義の原則にのっとった東電の破綻処理(参照)。破綻処理により、まずは、東電の株主、経営者、企業年金受給者、債権者に今回の事故の責任をとってもらう。それでもどうしても足りない場合に、税金の投入や電気料金の値上げという形で国民に負担をお願いするのが、当然のプロセス。

 


なぜ福島第一では緊急冷却装置を手動で停止する必要があったのか

先月の中頃に東電が、地震の15分後に1号機の緊急冷却装置を手動で停止していたことを発表した。「実はオペレーターの操作ミスがあったのでは」との誤解をした人も多かったようだが、東電は「原子炉の圧力が急激に変化したために、炉の破損を避けるために緊急冷却装置を手動で停止した」と説明。原子力安全保安院も「マニュアル通りに停止しただけで、オペレーターのミスではない」と説明し、一件落着した感がある。

「マニュアル通りに操作したから問題なし」とはいかにもお役所的な答えだが、こんな答えで満足していては「理科系うんちく」を語ることはできない。そこで色々と調べたところ、以下の事実が明らかになった。

  • 原子炉は運転中は300度近くで安定して動作しているが、炉の中の核燃料は緊急停止(スクラム)後もしばらくは熱を発生しつづける。万が一、その途中で水が蒸発してしまうと炉心溶融(メルトダウン)を起こしてしまうので、冷却装置を使ってすみやかに100度以下に冷却する必要がある。
  • 1号機で使われているGEのMarkI型原子炉には、蒸気圧のみで動く(つまり外部電源なしに動く)緊急冷却装置がついていて、万が一の全電源喪失の際にも、原子炉を冷やして炉心溶融を避ける仕組みがついている。
  • 3月11日の地震でも、原子炉の緊急停止時、この装置がちゃんと作動した。
  • その結果、炉の温度が一気に100度下降した。
  • しかし、炉の温度を一気に下げると、炉に大きな負荷がかかり、熱いコップを冷たい水に入れた時のように、炉が破損してしまう危険がある。
  • そんな炉の破損を避けるために、原子炉のマニュアル(手順書)には、「原子炉の緊急停止時に炉の温度が短期間に大幅に下がった場合(1時間に55度以上)、緊急冷却装置を手動で停止して、炉の破損を避けなければならない」と書いてある。
  • 福島第一のオペレーターが地震の15分後に緊急冷却装置を手動で停止したのはこれが理由。
  • しかし、そのまま停止させておいたのでは、再び炉の温度が上昇して炉心溶融を起こしてしまう。そこで、オペレーターは、温度計と圧力計をにらみながら「炉を壊さない様にゆっくりと、でも炉心溶融を起こさないようにすみやかに」冷却すべく、緊急冷却装置のオン・オフを繰り返していたのである。
  • この手の「綱渡り的」なオペレーションは、福島第一原発以外の原発でも、地震によるスクラムがあるたびにしばしば行われていた(参考)。
  • 原子炉は鉄で出来ているが、炉の運転で発生する中性子により鉄が年々劣化し、急激な圧力の変化に耐えられなくなる温度(脆性遷移温度)がしだいに高くなる。そのため、古い原子炉ほど「炉を壊さない様に冷やす」ことが難しくなる(参照)。
  • 井野博満・東大名誉教授らが「玄海原発はもっとも危険な原発」と警告を鳴らすのはこれが理由(参照)。

「原発の運転って、こんなに難しかったのか」というのが正直な感想だが、そんなギリギリのオペレーションをしている福島第一を襲った津波による全電源喪失。やはり、福島第一での事故は「起こるべくして起こった」のである。

点検中の原子炉の再稼働の条件となるストレステストには、ぜひともこの「地震によるスクラム後に緊急冷却する際に、炉の破損を避けながらも炉を安全なレベルにまで緊急冷却するオペレーション」のエラーマージンがどのくらいあるかをしっかりとシミュレーションしていただきたい。


原発は進化の遅い恐竜、小規模分散発電は進化の速い哺乳類

原発の経済性に関して、とても有用な資料を見つけたので、ここで紹介する。

POLICY CHALLENGES OF NUCLEAR REACTOR CONSTRUCTION, COST ESCALATION AND CROWDING OUT ALTERNATIVES

というタイトルの論文で、主に米国とヨーロッパの原発の経済性を解析しているものだが、日本にも通じる話が多く、とても参考になる。

要点は以下のとおりである。

1.原発の建設コストは、物価の上昇分を差し引いても、上昇を続けている。

1kwあたりの建設コストを見ると、1970年代に今の物価に換算して1200ドルだったのが今は4000ドル〜6000ドルになっている。原因は色々とあるが、事故があるたびに安全基準が厳しくなること、大量生産や標準化によるコストダウンが効かないこと、失敗が出来ないから学習効果が薄いこと、大規模化してコストを下げようとすると工事期間が長くなり投資効率が悪くなること、などがあげられている。

2.原発の建設コストは常に当初の予想を大きく上回るし、工事期間も長くなる

原発の建設は、どの国でも国策として進められるため、政策の策定時には「代替エネルギーよりも安い」というイメージを作り出すために、どうしても見積もりを甘くしてしまう傾向がある。それに加え、原子力発電自体がまだ技術として成熟していないため、建設中の設計変更は日常茶飯事で、それもコスト増の原因となる。

3.原発を推進する国では代替エネルギーに対する投資が抑制される

原発は、政策上どうしても再生可能エネルギーなどの代替エネルギーと対立関係になってしまうため、原発に力を入れている国ほど、再生可能エネルギーへの投資が抑制され、他の国に比べて遅れる、という傾向がある。


イノベーションのジレンマにも繋がる話だが、一機あたりの規模が大きく、工事期間の長い原発は、小規模分散型の他の発電方法に、進化のスピードで太刀打ち出来ない。なので原発ばかりに力を入れる国は再生可能エネルギーの開発競争で出遅れてしまう、という話である。たとえ福島第一での事故がなかったとしても、使用済み核燃料の問題がなくとも、純粋に経済的に見て割に合わないのが原発なのである。

もちろん日本の場合、発送電を分離して発電事業者にコストを意識した経営をしてもらわなければ話にならない。なので、すべては債務超過状態の東電を破綻処理してから分社化する(参照)、というプロセスを経てからの話。この後におよんで東電を救済しようという不埒な政治家と官僚が幅を効かせている限り、そんなごく普通の経済原則にのっとったことも簡単にはできないのが今の日本だが。