官僚は日本の手足であり頭脳でもある。では政治家は?
2011.07.31
「原子力損害賠償支援機構法案」に関して、経産省(もしくは財務省)が政治家向けに書いたとされる「名無しの文書」がリークされた(参照)。「この部分の修正に応じたら、東電は債務超過になって(破綻させざるをえなくなって)しまうので、徹底的に抵抗するように」と東電救済派の議員を手取り足取りで理論武装するための文書である。
本来ならば、政治家が日本の頭脳となって政策を決め、それを手足となって実行するのが官僚。しかし日本の場合、法案の作成能力などの頭脳が官僚側に集中してしまっているため、「電力の安定供給と、国民の安全のどちらを重視するか」「東電を破綻させて国民の負担を最小にするか、それとも東電を救済して銀行や保険会社への影響を最小限にするか」などの重要な政策判断が、政治家たちに上がって来る前にすでに官僚側でされてしまっているのだ。
そして、その「官僚が選んだ政策」が「日本のために(もしくは政権維持のために)最適の選択だ」と与党の議員を説得するのも官僚、実際の法案に落とし込むのも官僚、そしてその政策をあたかも自分が立案したように国会で答弁できるように与党の政治家を理論武装をするのも官僚である。
自民党政権があまりに長い間この枠組みに乗って政権を維持して来たために、民主党がいくら「政治主導」と叫んでも簡単には実現しないのが悲しい現実だ。
その意味では、(国民にとってはどんなに唐突でも)海江田大臣の「原発安全宣言」は今までの枠組みに従った(つまり自民党時代から引き継がれた「永田町のルール」に従った)行動であり、逆に、「経産省が決めた原発の再稼働」に逆らった菅首相の「ストレステスト宣言」は、永田町のルールでいえば「とんでもないおきて破り」だったのである。
官僚が国家の手足であり、かつ頭脳だとすれば、政治家は感情をつかさどどる「扁桃体」のようなもの(大脳辺縁系にあるアーモンド大の神経の集まり)。原発事故というストレスのために、「扁桃体」の一部が悲鳴を上げて「脱原発ホルモン」を出しているのだが、理性をつかさどる大脳が懸命になだめすかし、「原発の再稼働と東電の救済」という大脳が選んだ政策を観念して受け入れる様に説得している、というのが今の日本の現状だ。