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東電を破綻処理せずに救済すると、国民の負担は約10兆円増える

「原発賠償支援法案に関して、民主・自民・公明の3党が合意、早ければ来週26日に衆議院で可決される見通し」との報道がされているが、ここで国民が一番注目すべきは、国民の負担を最小にするために、東電を破綻させるスキームになっているかどうか。法案はここに公開されているが、政府からの資金援助のことも書かれており(第5章 第三節)、やはり東電の救済を前提とした法律と読み取れる。報道を見ても、「東京電力に対し、経営責任の明確化や徹底したリストラなどを求める」など、政治家の間では東電救済を前提とした話し合いがされているようで、とても心配だ。

まず誤解してはいけないのは、東電を経営破綻させても電気は決して止まったりしないということ。JALを破綻処理しても飛行機が飛び続けたのと同じ様に、電力の供給は安定して続けながら破綻処理することは普通に可能である。

もう一つ誤解してはいけないのは、東電を経営破綻させても、被災者に対する補償はちゃんとできるということ。実際には東電をまず破綻処理し、一時的に国有化した上で国が被災者の補償を100%する、というのがもっとも速やかに被災者を救済する方法である。

そしてもっとも大切なことは、東電を経営破綻させることが、資本主義の原則から見てもっとも公平で、かつ、国民の負担を最小にする方法だということ。

原発事故の被災者をちゃんと補償するのには少なくとも数兆円が必要だし、福島第一原発を廃炉処理するにも相当なお金がかかる。問題はそのお金を誰が負担すべきか、ということである。

もちろん、どうしても足らない場合は、国が負担したり(これは国民の税金が財源)、電気料金を値上げしたりするしかないのだが、それをする前にできることは沢山ある。

国民に負担を頼むよりも前に、まず、すべきなのは、

  1. 株主責任の追求 ー 100%減資し、一時的に国有化する
  2. 経営者責任の追求 ー 経営者の解雇、彼らの退職金カット
  3. 債務カット ー 年金のカット、銀行からの借金のカット
  4. 使用済燃料再処理等積立金の取崩し

の四つである。これで、約10兆円ほど国民の負担が減らせる(参照)。

そして、東電の抱える莫大な負の資産(被災者への補償、福島第一原発の廃炉処理の責任、電力債、カットし切れなかった負債)を国が引き取る代わりに、東電の持つ財産(発電所、送電網など)をすべて取得する。

これにより、責任の所在を明確にし、被災者の救済を国の責任で速やかに行う。その後、金のなる木である(原発以外の)発電所や送電網を民間企業に売却したり別会社として上場せることにより、被災者の救済費用や福島第一の廃炉費用にあてる。このプロセスで、発送電の分離を実現し、発電の競争原理を導入することにより、将来の電気代を安くすることも可能だ(例:阪神大震災の復興プロジェクトの一つとして作られた神戸製鋼の火力発電所の建設コストは、東京電力の同じ規模の火力発電所の約半分)。

もう一度繰り返すが、東電を救済するのと破綻処理するのでは、国民の負担が約10兆円違う。その違いが、税金の投入額、および、将来の電気料金の値上げという形で、直接国民に降り掛かって来る。

政治家が国民のことを第一に考えて行動しているのであれば、国民の負担を最小限にする東電の破綻処理を選ぶのが当然なのに、東電の救済に声を上げて反対している民主・自民・公明の3党の中の政治家は、河野太郎しかいない(参照)、というのが今の日本の政治のなんとも情けない状況である。

菅首相には、ぜひともここで「東電は破綻処理させる。そうしなければ国民を納得させることはできない」と宣言していただきたい。「ストレステスト宣言」で玄海原発の再稼働をストップしたのと同じように、「東電の破綻処理宣言」で、国民の負担を10兆円も増やす「東電の救済」をなんとしてでもストップしていただきたい。


福島第一の「冷温停止」について

太郎:先生、今日は原子炉の「冷温停止」について説明していただけますか?

先生:もちろんだよ。でも同じ「冷温停止」でも言う人によって色々な意味があって、簡単じゃあないんだよ。

太郎:そうなんですか。

先生:もともとはね、「冷温停止」とは「制御棒を挿入して核反応を止めた後、冷却水を循環させて原子炉の温度を安定的に100度以下に保つ事」の意味なんだけどね、福島第一の場合はそうはいかないんだ。

太郎:メルトダウンしてしまっているからですね。

先生:そうなんだ、核燃料は本来なら燃料棒という形で原子炉の中に整然と並んでいるはずなんだが、福島第一の場合、それが熱で溶けて流れ落ちてしまった上に、その熱で原子炉にも、その外側にある格納容器にも穴が空いてしまっているんだ。

太郎:じゃあ、いったいどうやってそれを安定して冷却するんですか?

先生:それがとっても大変なんだよ。分かりやすくするために、トイレに例えてみよう。君のうちには水洗トイレがあるよね。

太郎:もちろんです。ウォシュレットだって付いてます。

先生:君のうちにあるトイレみたいに、使った後にはちゃんと汚いものを流してくれるトイレを「安定したトイレ」と呼ぶことにしよう。

太郎:はい。

先生:福島第一のトイレは、まず水を流すためのタンクがこわれちゃっているんだ。

太郎:あの、トイレの上についている四角いタンクですね。

先生:福島第一の場合、あのタンクが壊れているんで、仕方がなく洗面台からホースで水を引っ張って来て流しているんだ。

太郎:ずいぶん不便ですね。

先生:でも、問題はそれだけじゃなくて、便器も壊れて穴が空いちゃっているんだ。

太郎:ええ、それじゃあ、トイレの床が水びたしじゃないですか。

先生:そうだよ。それも水だけじゃなくて、便とか尿とかも穴から漏れているんだ。

太郎:それはひどいですね。

先生:それから、トイレの床にも穴が空いていて、床下に汚水がどんどんと溜まっていって、今にも家中にあふれそうなんだ。

太郎:それは悲惨ですね。

先生:あふれたら大変なんで、臨時のポンプで汚水を汲み上げて、それを上から流す仕組みを作ったんだ。でも、汚水があまりに汚くて、しょっちゅうフィルターが詰まっちゃうんだよ。

太郎:いろいろと苦労しているんですね。

先生:その上においがすごくて、人が近づけないんだ。

太郎:だから修理もなかなかはかどらないんですね。

先生:そうだよ。そして、それがまさに今の福島第一の状態なんだ。

太郎:それで、どうして「安定して冷却できている」なんて言えるんですか?

先生:原子炉の温度を測定すると、常に100度以下で安定しているからだそうだよ。

太郎:でも、核燃料はもう溶けて、下に流れ落ちゃっているんですよね?

先生:そうだよ。私が予想するに、燃料の大部分は格納容器の底も溶かして、溶岩のようにその下にあるコンクリートをじわじわと溶かしているんだよ。

太郎:ほとんど燃料の残っていない原子炉の温度が100度以下になっても意味がないじゃないですか。

先生:そうだけど、実際にどのくらい原子炉の中に核燃料が残っているかは、まだ東電の技術者にも分からないんだ。

太郎:危険で近づけないから調べ様がないんですね。しかし、それで「安定して冷却出来ている」って、でまかせじゃあないですか?

先生:まあ、そう怒らずに。政府としても、あまり国民に心配をかけたくないから仕方がないんだ。

太郎:いつもそうじゃないですか。メルトダウンのことだって隠してきたし。ちなみに、溶け落ちた核燃料は溶岩のようにとっても熱くてドロドロしていて、格納容器の下のコンクリートも溶かして地中に潜り込んで行こうとしているってことですね。チャイナシンドロームですね。

先生:あれは映画だけのことで、実際はゆっくりとしか落ちて行かないんだよ。

太郎:じゃあ安心なんですか?

先生:とんでもないよ。このまま放置しておくと、地下水に到達して、地下水や海を大量に汚染することになる。

太郎:なんとかする方法はないんですか?

先生:もうメルトスルーまでしているので、完全に閉じ込めることも安定して冷却することももうできないというのが、正直なところだ。唯一できることは、原発の施設をぐるっと取り囲む地下遮蔽壁と呼ばれる地下の壁を作って地下水の汚染を止めることなんだけど、その工事はまだ始まってもいないんだ。

太郎:なぜ始めないんですか?

先生:とても大規模な工事なんで、お金が1000億円ぐらいかかるんだよ。

太郎:でも、どうしてもしなければならないんでしょ?なぜすぐにでも工事を始めないんですか?

先生:そのことは東電自身も認識しているんだけど、その工事が必要なことを認めてしまうと、決算の時に将来の負債として計上しなければならないからいやなんだよ。債務超過だと思われたくないからね。

太郎:決算書と地下水のどっちが大切なんですか!

先生:君が怒るのももっともだよ。

太郎:で、実際には工事はいつごろ始まりそうなんですか?

先生:政府も早く始めさせようとしているんだけど、東電がワガママを言っているんだ。遮蔽壁の建設コストは、それを「国家プロジェクト」として国が負担して欲しい、それができないなら工事をすぐには始められない、と言っているんだ。

太郎:それはひどいですね。被災者の補償も政府に肩代わりさせようとしている上に、地下水を人質にとって、1000億円もの遮蔽壁の設置コストを国民に負担させようってことですか!

先生:話がそれてしまったが、これが今の福島第一の状況なんだ。

太郎:冷温停止どころか、僕の頭が煮えてきましたよ!

 

【参考資料】「福島第1原発:東電が政府側に渡した文書の全文」毎日新聞 6月20日

「地下バウンダリ」プレスについて
(1)地下水の遮へい対策は、馬淵補佐官のご指導の下、『中長期対策チーム』にて検討を進めてきているが、「地下バウンダリ(発電所の周りに壁を構築し遮水するもの)」は現在、最も有力な対策と位置づけ。ただし、対策費用は現状不確定であるものの、今後の設計次第では1000億円レベルとなる可能性もある。
(2)今回の検討の過程で、政府側から国プロジェクト化の示唆(当初は国交省予算)があり、その前提で、設計着手と工事着工の前倒し案が浮上。ただし、現状では、担当府省がどこになるかも含め、国プロ予算の具体化に目途が立っているわけではなく、経産省(原子力政策課)でも最近になり検討を始められたとの認識。
(3)こうした中で、速やかにプレス発表をすべきとの馬淵補佐官のご意向を踏まえ、14日の実施に向け準備中であるが、工事の実施を前提とするプレス発表をした場合は、その費用の概算および当社負債の計上の必要性についてマスコミから詰問される可能性が高い。
(4)また、現在、22年度の有価証券報告書の監査期間中であり、会計監査人から、当該費用の見積もりが可能な場合は、その記載を求められる虞(おそれ)が高い。しかし、極めて厳しい財務状況にある現下で、仮に1000億円レベルの更なる債務計上を余儀なくされることになれば、市場から債務超過に一歩近づいた、あるいはその方向に進んでいる、との厳しい評価を受ける可能性が大きい。これは是非回避したい。
(5)したがって、馬淵補佐官のご意向を踏まえ14日にプレス発表とする際には、次のスタンスで臨むことについてご理解をいただきたい。
(1)今回は「実現可能性調査」としての設計着手であり、着工時期や費用は今後の調査・設計次第にて不明であること。
(2)費用負担のあり方(国プロ化)は、令後の検討の中で別途判断されていくものであること。

 


エンジニアの役割

技術評論社の WEB+DB PRESS に連載中のコラムが新しくウェブで公開されたので、ぜひとも読んでいただきたい。

エンジニアの魔法の手〜面白いプロジェクトの関るには

このコラムで一番注目していただきたい部分は、以下の一節。

自分が関わっているプロジェクトの方向性がおかしいと思ったら,自分がどんな立場にいようと強く主張すべきだ。会社はそんなエンジニアを必要としているし,本当に会社のためになるのであれば必ず耳を傾けてもらえるはずだ。「そうは言っても,難しいんだよ」などと逃げを決める上司は怒鳴りつけてやればよい。

会社にとって最悪なのは,「こんなものを作っても誰も使わないんじゃないか,会社の価値を上げることにつながらないんじゃないか」と思いながらも黙々と仕事をするエンジニアだ。そんなエンジニアばかり集まっている会社は絶対に市場で成功しない。プロジェクトに関わるエンジニア全員が,「自分たちがどんな価値を提供しようとしているのか」を常に意識しながら仕事をしている会社だけが成功できるのだ。

私が「こいつと仕事をしてて良かった」と心底思えるエンジニアは、私が進めようとしている方向性に納得できない時に、ちゃんと自分の意見を主張し、お互いが納得できるまで議論を戦わせてくれる人。

マイクロソフトにいた時には、プロジェクトの方向性に関して上司にイチャモンを付けたことはなんどもあるし、副社長にまで直談判して上司のクビをすげかえたこともある。将来性のないプロジェクトから飛び出して競合するプロジェクトを作ったことすらある。常にそういう態度でいたからこそ、 Windows 95 だとか、Internet Explorer などの面白いプロジェクトに関ることができたんだと信じている。

エンジニアという職を選んだ限り、上司に言われた通りのことを黙々とやるだけの「サラリーマン」になってはいけない。世の中の役に立つもの、使った人に喜んでもらえるもの、会社に利益をもたらすものを作るのが「エンジニア」の役割だ。


脱原発への具体的な道筋

脱原発の話をすると、すぐに「脱原発派には具体的なプランがない」「再生可能エネルギーは高すぎて、補助金なしでは成り立たない」「狭い日本では、再生可能エネルギーは無理」「再生可能エネルギーでやっていけるという詳細な試算はあるのか」「CO2が増えてもいいのか」「大停電が起こる」「日本経済が失速する」などのヒステリックな答えが返ってくる。逆に、脱原発を主張する人の中には「危険な原発はすぐにすべてを止めて、それを太陽エネルギーで不足分はまかなう」などと極端なことを言う人もいるが、問題はそんなに簡単ではない。原発を止めるにしろ続けるにしろ、もっと冷静に、日本の将来を考えた議論をする必要がある。

現時点で最も大切なことは「現実的な脱原発」とは何かを良く考え抜いた上で、「簡単ではないが十分に達成可能なゴール」を設定し、「実行可能なプラン」を建てること。

そのためには、単に原発をヒステリックに止めるのではなく、「原発への依存度を減らしながら、どうやってここ数年間の電力需要をどうまかなうか」という短期的な問題を解決する現実的なプランと、「20年後、30年後の日本はどうあるべきか」という長期的なビジョンの両方を持つ事が必要である。そして「そのビジョンの実現に向けて、今何をしなければいけないか」を真剣に考え、かつ実行して行く必要がある。

(1)原発への依存度を減らしながら、どうやってここ数年間の電力需要をどうまかなうか

これに関しては、「安全が確認された原発を再稼働させながらも、原発を段階的に減らし、その不足分を天然ガスによる火力発電所の増設などで補う」というのが最も現実的な答えである。もちろん、原発を一切使わずに来年の冬と夏を乗り越えることができるのであれば、その方が好ましいが、それが現実的に可能かどうかは微妙なところである。

短期的にはCO2の排出量は増えてしまうしが、そこに関しては緊急事態ということで国際社会の理解を得るように努力するしかない。

ちなみに、原発の安全確認(ストレステスト)は、今の原子力安全保安院に任せていては全くだめである。来年の4月などと悠長なことを言わずに、すぐにでも経産省から切り離した形の新しい組織を作り、そこで「国民の安全」を最優先し、現存する原発すべての安全性を徹底的に検証する必要がある。老朽化したもの、福島第一と同じようなシビアアクシデントを起こす可能性があるものは容赦せず廃炉し、本当の意味で「安全」と確認できたものだけを火力発電による補充が整うまでのつなぎとして運転して行く。今までのように「必要だから安全」という詭弁はもう通じない。

火力発電所はゼロから作ったとしても、3年程度で本格稼働が可能になるので(参照)、長くても5年以内に(2016年末までに)、国内の原発のすべてを止めることは十分可能だ。

(2)20年後、30年後の日本はどうあるべきか

これに関しては、日本の将来を決めるとても大切なことなので、多くの議論を戦わせる必要があるが、「たたき台」として私が提案したいビジョンはこれ。

  •  太陽光、風力、地熱、小規模水力などの自然・再生可能エネルギーに積極的に投資し、10〜15年後(2021年〜2026年)までにそれらの発電コストが「火力発電よりも安い」「政府の補助金なしでも経済的に成り立つ」状態になんとしでも持って行く。これの実現可能性に関してはさまざまな意見があるが、今のペースで技術が進歩して行けば2013年〜2025年には達成できると多くの研究者が予想しており(参照参照)、「簡単ではないが十分に達成可能なゴール」としては設定するには適切なレベルである。また、そういう進化圧を与えることにより、コスト削減に必要な知恵や技術を知的所有権として蓄積し、将来の国力とする。
  • 利権が中央に集中しないように、太陽光、風力、地熱、水力などの自然のエネルギーを使う「自然エネルギー利用権」を、農業・林業・漁業などの第一次産業、および観光業などを営む人たちに分散して与える。目指すは「沿岸の漁業権を持つ漁協が風力を利用した洋上発電ビジネスを行い、温泉宿の経営者たちが共同で地熱発電所を経営する」などにより地方が潤い、地域格差や過疎化が解消される世の中だ。
  • 原発をすべて止めた2016年以降、エネルギーの自給率は必ず毎年、少なくとも2%上昇させる。 これを毎年着実に達成できれば、2050年には自給率は70%を超える。
  • 自然エネルギーの利用に必要な発電・送電・蓄電技術を21世紀の日本の輸出産業の中核に置き、研究投資を政府としても積極的に行い、民間からの投資も積極的に行われるような仕組みを作る。

(3)そのビジョンの実現に向けて、今何をしなければいけないか

まだまだ詰めなければならないことは沢山あるが、当面すぐにでも実行しなければならないのは、以下のようなもの。

  • 原子力安全保安院の経産省からの切り離し
  • 東電の破綻処理、発送電ビジネスの分離
  • 短中期の需要を補うための火力発電所の増設(ガス会社の発電ビジネスへの本格参入)
  • 今まで原子力に集中して投資して来た国の予算(年間約4000億円)を100%再生可能エネルギーへの投資に変更
  • 自然エネルギーの利用コストを下げるために必要なさまざまな法律の改正

 とにかく大切な事は「自然エネルギーの利用コスト」を1円でも安くするために、日本中の知恵を結集し、さまざまな投資を積極的にすること。政府からの補助金や固定価格買い取り制度は、永遠にあるものではなく「需要を人為的に増やして大量生産によりコストを下げる」ための道具にすぎないことを忘れてはならない。自然エネルギーの利用コストを下げてエネルギーの自給率を上げる事、そしてコストを下げるのに必要な技術を開発し知的所有権を蓄積することが、日本の国防上、そして国際競争力を高めるという面でとても重要である。


私が事故後、脱原発派に転向した一番の理由

先日のエントリーに、「論理的に考える力のない人が、 『放射能は危険』→『原発は不要』→『脱原発』 となっているのは理解できます。 普通に論理的に考える力のある人は、 『脱原発したときのリスク』を考え、 脱原発をしないほうがよいのでは?という意見の方が多いと感じています。 中島さんのような方が、なぜ、脱原発一直線なのかが理解できません。 脱原発について書かれるのはよいのですが、 一度、なぜ脱原発を訴えているのか?についても、この場に書いていただけないでしょうか?」というコメントをいただいたので、今回はその質問に答えてみる。

実は、福島第一原発での事故の第一報を聞いた時に最初に私の頭に浮かんだことは、「この事故は、日本だけでなく、世界全体の原子力技術の発展に大きなブレーキをかける事になる。1000年に一度の津波のためにたまたま起こった事故のために、日本のエネルギー政策を変更したり、原子力発電をヒステリックに止めてしまうのは間違いだ」という意見である。

ヒステリックになっている人たちを沈めるためにもブログのエントリーを書こうと思い、説得力のあるものを書くために、原発に関する科学的・経済的資料をかき集め、徹底的な勉強を始めた。しかし、その結果、私が今まで認識していなかったいくつかの「事実」が明らかになった。

  • 原発には原子炉を停止した後も冷却機能が失われると暴走するという致命的な欠陥がある。
  • 原子炉だけでなく、使用済み燃料も同じような危険を抱えている。
  • 使用済み燃料の最終処理方法はまだ確立しておらず、毎年増え続けている。
  • 「核のリサイクル」は、高速増殖炉の実用化が現実的ではない今、リサイクルでもなんでもない。
  • ブルサーマルは問題を先延ばしにするための「詭弁」に過ぎない。
  • 電力会社の地域独占が日本の発電ビジネスのイノベーションの足かせとなっている。
  • 原子力は決して安くない。実質ベースでも経産省の当初の試算よりもずっとに高く、これに事故のリスクと使用済み燃料の処理コストを追加すれば、他の発電方法よりもはるかに高くなる。
  • 国防上最も有利なのは、原子力ではなく、自然エネルギーによる自給である。
  • 日本政府は根本的な過疎地対策を怠り、補助金をエサに過疎地に原発を押し付けている。
  • 日本のこれまでの政策は、あまりにも原子力偏重で、政府による自然エネルギーへの支援・投資が欧米諸国と比べて極端に少ない。特に米国は、数多くの発電方法にバランス良く積極的な投資をしており、リスクヘッジの面でも、日本のエネルギー政策は(フランスを除く)欧米諸国と比べて大きく遅れている。
  • 原子力から自然エネルギーへのシフトは、短期的には一時的な痛み(節電の必要性、コストの上昇、CO2の上昇など)を伴うが、中長期的に見れば(1)エネルギー自給率の上昇、(2)競争原理による電気料金の値下げ、(3)CO2の削減、(4)内需拡大、(5)輸出産業の創出、などのメリットが多い。

事故前から原発に反対していた人たちには「こんなことも知らなかったのか」と怒られそうだが、「原発反対運動は政府のやることになんでも反対する人たちのたわごと」と彼らの主張を軽視し、彼らの指摘している原発の問題点に真剣に目を向けていなかった、というのが正直なところである。この点に関しては、私自身多いに反省しており、その過ちを償う一番の方法は、原発や日本のエネルギー政策に関する正確な情報をこのブログを通じてより多くの人たちに伝えることだと感じている。

ちなみに、以上の事実の「発見」だけでも、私を脱原発に転向させるのに十分だったのだが、とどめを刺したのは、この日本のエネルギー政策を硬直的化させている「原発利権」の存在である。残念なことに利権はどこの世界にも存在するが、原発は「事故はめったに起こらないが、万が一起こった時の影響ははかりしれないほど巨大」という他のものにない特徴を持つ。そのため、「コストカットのために安全を少しだけ犠牲にする」「電力会社と経産省が癒着して監視体制が甘くなる」「天下り先の確保のために経産省がいろいろな法人を作って無駄が増える」「関係者の数が多すぎて責任者が曖昧になる」などの人間の弱さゆえに作られる弊害が、致命的なものになるのだ。

経産省の試算では「日本では100万年に一度しか起こらない」とされてきたはずの原発事故が、実際に福島第一で起こってしまったのは、決して「その100万年に一度しか起こらないことがたまたま2011年の3月11日に起こってしまった」のではなく、起こるべくして起こったのである。

実際のところは、上に書いた原発利権・人間の弱さの弊害のために、「本来ならば震度7まで耐えられるようにしておくべき耐震基準を甘くしてしまう」「学者が巨大津波の危険を何度も指摘していたのにも関らずそれを無視しづづける」「全電源喪失はありえないとう前提のもとに安全指針マニュアルを作る」などの「安全よりも原子力ビジネスの維持そのものを優先する」行動が長年に渡って続けられ、結果として、実際には100万年に一度どころか「地震国の日本でしょっちゅう起こる地震や津波が原発を直撃すれば、かなりの高い確立で炉心溶融が起こる」状況にあったのである。

つまり、原子力からエネルギーを取り出すというアイデアそのものはすばらしいものだが、それを原子力発電という形のビジネスとして人間が運用するかぎり、過信、癒着、甘え、手抜き、無責任、部分最適化、官僚主義、金銭・地位・権力への欲望、などの人間が持つさまざまな弱さが弊害となり、福島第一で起こったような事故のリスクを十分に減らすことは非情に難しく、かつ、莫大になコストがかかってしまうのである。

これこそが班目原子力安全委員長自身が「原発は人災」「原発を100%安全にしようとしたらコスト的に見合わない」と認める理由であり、東京電力が「発送電を分離して競争原理を導入したら、原子力発電はなりたたない」と主張する理由である。

ここまでの情報を集め、私なりに論理的に考えた結果到達したのが、「日本はエネルギー政策を大幅に見直し、今まで原発にかけて来たさまざまな予算を、自然エネルギーに振り分けるべき」という結論である。理論武装は十分にしているので、反論がある人はどんどんと意見をいただきたい。ただし、「中島さん感情的になっていませんか?」「お前はバカか?」などの非論理的なコメントには一切耳を傾けないのでご了承いただきたい。私は「意見を戦わせること」には幾らでも時間を使うつもりだが、人格攻撃に耳を貸している時間はない。


政治ドラマはどうでも良いから政策そのものに目を向けよう

先日も書いた通り、多くのマスコミはこれほど重要な政策の変更を首相がぶち上げたにもかかわらず、その議論をそっちのけで政局(政治ドラマ)ばかりを報道している。そんなマスコミに踊らされて数ヶ月おきに首相をひっかえとっかえしているから、日本の国際政治の舞台での存在感が薄くなってしまうのだ。

今、われわれ国民が注目すべきは、そんな政治ドラマではなく、日本の将来をきめるエネルギー政策そのものである。脱原発の是非、東電の破綻処理、被災者の補償、福島の子供たちの被曝問題、原発の安全管理組織のありかた、原発に変わるエネルギーをどう確保するか、などの個々の具体的な政策に関して、国民一人一人が理解し、議論を戦わせ、できるかぎり民意を反映した形での政策運営を政府がするように働きかけることが大切だ。

ちなみに、エネルギー政策に関して、原発事故後に菅首相の打ち出した政策を時系列順に列挙すると以下のようになる。

  • 従来の原発中心のエネルギー政策の白紙撤回
  • ストレステストを停止中の原発の再稼働の条件にする
  • 原発に依存しない国を作るという「脱原発宣言」
  • 原子力安全保安院の経産省からの切り離し
  • 東電が拒否しつづけている遮蔽壁の早期着工指示

日本の首相が、ここまではっきりと国民の意思を代表して、国民の利益のために既得権者からの権利を奪おうと政策転換をはかることは日本の歴史上きわめてまれな行動である。今この段階で、われわれ国民が菅首相をサポートせずに「民意を反映した政策の大転換」はありえない。私自身、決して民主党支持者でも左翼でもないが、今回のエネルギー政策に限っては菅首相をサポートすべきと考えたのは、これが理由である。

ちなみに、せっかくここまで菅首相を持ち上げたのだから、ワガママを言わせていただく。この勢いで、以下のような政策を打ち出していただきたくようお願いする。

  • 東電の破綻処理(100%減資、債務・年金・退職金カット、一次国有化、経営陣の一新)
  • 被災者の補償責任の東電から政府への移行
  • 経産省次官、原子力安全保安院院長、原子力安全委員会会長の解任
  • 東電の分社化、発送電の分離、発電ビジネスへの競争原理の導入
  • 火力発電への段階的なCO2課税の導入
  • 高速増殖炉プロジェクトの白紙撤回

特に東電の破綻処理は、被災者に対する早急な補償という面でも、発送電の分離を実現するためにも、早急に実現すべき。今のままの東電を救済したら、被災者の補償はますます遅くなるし、発送電の分離など不可能になってしまう。東電が、決算書に1000億の建設費用を将来の負債として乗せたくないだけの理由で(本来なら地下水の汚染を避けるために1日でも早く作るべき)遮蔽壁を工程表に乗せずに先延ばしにしているのも、何とか政府にコストを負担してもらおう、今の会社の形を維持したまま救済してもらおう、という「甘え」である。ここは財務省がどんなに反対しようと、破綻処理をして国民の負担を最小にすべきである。

こんなことを言い出せば、大手マスコミの「菅おろし」の声はますます高まるだろうが、そんなものは無視すれば良いと思う。民意を反映した、本当に日本の将来のことを考えた政策を出し続ける限り、国民はついてくる。


Brookhaven National Labの被曝モデルを福島に適用してみた

原発事故による健康被害(=放射線被曝の結果増える癌や白血病による死者の数)の予測に関して、読んでいた論文から引用されていた"A safety and regulatory assessment of generic BWR and PWR permanently shutdown nuclear power plants (Travis, R.J. ; Davis, R.E. ; Grove, E.J. ; Azarm, M.A. [Brookhaven National Lab., Upton, NY)" という論文に目を通してみた。この論文そのものは、停止した後に原子炉建屋内の使用済み核燃料プールに事故が起こった場合の影響をさまざまな条件に基づいて予測しているが、そこで使っているモデルは福島第一のように原子炉そのものにメルトダウンが起こった場合にもそのまま適用できる。

この論文では、被害者の数を予想する際に "Social Dose (単位は person-rem)" という値を使っているのだが、これは人件費を人月で計算するのと同じく、被曝量に人数をかけたもの。1rem=10 mSvなので、10 mSvの被曝をした人が100人いれば、Social Dose は 100 person-remとなる。

Person

論文中の表4.2には、福島第一の4号機のように、まだ停止してからまもない「熱い」燃料で一杯のプールの使用済み燃料が事故ですべて外部に放出された場合のSocial Doseは 327x1,000,000 person-rem、被害者の数は 13万8千人と予想している。他の数字を見ていただいても分かるが、ここで使っているのは Social Doseに被害者の数が比例するというリニアなモデル。1,000,000 person-remあたり422人の被害者というモデルだ(米国のDepartment of Energyもほぼ同じモデルを使っている)。

日本政府が「健康には影響がない」と主張する年間の外部被曝20mSvを福島県に住む200万人全員が10年間受け続けたと仮定すると Social Dose が計算できる(実際にはそこに住み続けるかぎり被曝はし続けるが、被曝量は毎年少しづつ減少するので、それも考慮して10年とした)。

10年 x 20mSv/年 x 2,000,000person = 400,000 Sv-person = 40,000,000 person-rem

となる。これに上記のモデルを当てはめれば、16880人が被曝による癌や白血病で死亡するという計算になる。

実際には、政府の計算には入っていない内部被曝もあるし、20mSv以上の被曝をすでにしてしまった人も、それ以下で免れる人もいる。汚染地域から避難する人がどのくらいいるかによっても結果が大きく変わり、Social-Doseの正確な計算は簡単ではない。

さらに難しいのは、この数字をどう判断するかという点。今回の事故による放射線被曝をたとえしなくても、200万人のうち今後10〜20年の間に癌や白血病に人は数万人から数十万人はいるだろうから、それと比べてリスクがどのくらい上昇しているか、という話になる。

高齢者にとって見れば、今後20年間に癌になる確率がたとえ10%増えたとしても住み慣れた町は離れたくない、というのももっともな話だし、逆に(通常だったら癌などには滅多にならない)お子さんを抱える家庭にとっては、とんでもなく恐ろしい話だ。

ちなみに、原子力安全保安院や原子力安全委員会がちゃんと仕事をしていると過程すれば、この手の論文はすでに読んでいるはずだし、今回の事故によるSocial-Doseの概算も被害者数の予測も既にしているはず。そういう解析結果をちゃんと公開した上で、「政府としては20mSvでも安全と判断した」としていだきたい(もし、このブログを読んだ人で政府と東電の合同記者会見に行く人がいたら、保安院に今回の事故による Social-Dose の概算はすでに試みたかどうか確認していただきたい)。


Visionaries Summit 2011:ライトニングトーク発表者募集

私が基調講演をするVisionaries Summit 2011で、ライトニングトークの発表者を公募しているのでぜひともふるってご応募いただきたい(参照)。

ライトニングトークとは、5分程度の短い時間で、次々に発表者が壇上に上がり、プレゼンをすること。プレゼンに慣れていない人に30分とかのプレゼン枠を与えると、文字の一杯詰まったパワポのスライドを読むばかりで何を言いたいのか全く伝わって来ない場合が多いが、ライトニングトークだと話す方も「何とか5分で伝えなきゃ」とそれなりの工夫をしてくるため、聞く方も飽きないし、お互いに時間が有効に使えるというもの。

「経験や実績は問いません。Web、ソーシャル、モバイル、クラウドなどのテクノロジーによるビジネスのアイデア、サービス、アプリケーションの開発、企画に関するプレゼンテーションを5分でおこなっていただく方を、10組募集いたします。」とのことなので、自分の開発しているウェブサービスやモバイルアプリを宣伝したい人、自分が公開しているオープンソース・ライブラリをできるだけ多くの人たちに使って欲しいと思っているようなエンジニアには絶好の機会だ。

ちなみに、10人の枠に選ばれた人には以下の推薦図書五冊が進呈されるとのこと。

 


本格的なストレステストは福島第一での事故原因をちゃんと解明してからしかできないはず

せっかく菅首相がストレステストの必要性を訴え、かつ「経産省の下に原子力安全保安院を置いたままでは今の体制では国民の安全を最優先にした安全基準は作れない」と明言したにもかかわらず、あいかわらず経産省の傘下にある保安院がストレステストの定義をすることになっているらしい。これではなんだか汚職警官に「汚職防止マニュアル」を作らせているようなもので、本末転倒だ。

そもそも、本格的なストレステスト(稼働中の原発にも行う2段階目のテスト)は、福島第一での事故原因をちゃんと解明してからしかできないというのが、私のような理科系頭にとってはごく当然のことのように思えるのだが、こと原子力の世界ではそんな常識が通じないようである。

東電は、今回の原発事故の原因を「想定外の津波によりディーゼル発電機が水没してしまったから」と主張しているが、地震直後の津波が来る前に原子炉の圧力が急激に変化し非常用冷却装置を手動で止めなければならない状況にあったし、すでに放射能漏れが検出されていたという記録もあるし(参照)、まだまだ調べなければいけない問題は沢山ある。

特にちゃんと調査・検証すべきなのは、炉心溶融(メルトダウン)に繋がる状況が「ディーゼル発電機の水没」というたった一つの弱点により起こったのか、それとももしディーゼル発電機が水没しなくとも他の要因で放射能漏れや炉心溶融が起こったのかどうか、という点である。

たとえば、原子炉建屋やタービン建屋より海側に置かれ、津波の直撃を受けた海水ポンプ。原子炉を冷やすための冷却水から熱を除くには、この海水ポンプが正常に働くことが必須なはずだが、東電が公表した写真を見る限り、ものの見事に破壊されているように見える(参照 14ページ目)。海水ポンプがここまで壊れてしまっていては、たとえディーゼル発電機が水没していなくとも原子炉の冷却が不能になり、どのみち炉心溶融は避けられなかったのではないかと予想できるのだがどうなのだろう。

そう考えると、当然、日本各地の原発のストレステストの項目として、「高さ15メートルを越すような巨大津波が来た場合に、海水ポンプは破壊されるか?」「万が一海水ポンプが破壊されて、冷却水からの序熱が不可能になった場合、どのくらいの時間で炉心溶融に至るのか?」などがあるべき(実際、今回の津波で、茨城県の東海第二原子力発電所の海水ポンプも若干被害を受け、「あと70センチ津波が高かったらすべての海水ポンプが水没して、福島第一原発と同じような状況になっていた可能性がある」とされている【4月20日、朝日新聞】)。

しかし、経産省の傘下にあり、国民の安全よりも電力の安定供給を優先する保安院が、そんな電力会社にとって面倒な項目をストレステストに入れるとは考えにくい。ストレステストの項目作りや原発の再稼働よりも、まずは経産省から切り離した形の「国民の安全を第一に考える専門家組織」を作ることを最優先すべきだと思う。


neu.Notes+ アップデートと実質値下げのお知らせ

Icon~iPad 数多くのユーザーにお使いいただいているneu.Notesに、一度描いたものを移動したり修正したり、グループ化して複製したり、などの編集機能を追加した neu.Notes+。最初のアップデート(Version 1.1)として、neu.Notesと同じ「ホワイトアウト」ペン、バックアップ・リストア、neu.Notesからのデータの移行、PDFとしてのエクスポートなどの機能を追加したのでご報告させていただく。

ちなみに、例によってアップルの気まぐれで、日本での販売価格が突然600円から450円に変更された。米国に本社を置く弊社としては、価格は米国向けを基軸に$4.99に設定しているのだが、これまでは、それに日本ではアップルが3年前に設定した為替レートが適用されて、日本では600円で売られていた。しかし、今回のアップルによる為替レートの改訂で、日本での価格が450円に下げられることとなったのだ。

こちらは米国でビジネスをしているので、為替リスクは最初から理解しているが、600円でお買い上げいただいた日本のユーザーの方になんだか申し訳ないような話である。かと言って、日本だけ600円に据え置くようなきめの細かな設定はできない仕組みになっているのでご了承いただきたい。

ということで、実質的に600円から450円への値下げなので、これを機会にぜひとも購入を検討いただけるとありがたい。