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iPadアプリ開発日誌:計算アプリ(その3)

開発中のiPad/iPhone向けの計算アプリだが、「計算式と結果をメールで送りたい」という相棒の要望に答えて実装した。各行のラベル・計算式・結果からHTMLのテーブルを作りそれをメーラーに渡すだけ。

"1+1"の計算をした結果をメールで送ると、こんなテーブルが作られる。

M1 1 + 1 2.00

"M1"は一行目に自動的に付けられるラベル(行の名前)である。その結果にさらに "+2"を足した場合、こうなる。

M1 1 + 1 2.00
M2 M1 + 2 4.00

二行目が一行目の結果(M1)を参照していることが分かると思う。ラベルは自由に書き換えることができるので、それを応用して以下のような表を簡単に作る事ができる。

放射線強度 3.8 3.80
屋外活動時間 8 8.00
屋内被曝率 40 % 0.40
終日被曝量 放射線強度 × (屋外活動時間 + (24 − 屋外活動時間) × 屋内被曝率) 54.72
年間被曝量 終日被曝量 × 365 19,972.80

だいぶ形になって来た。来週ぐらいにはアップルの審査に提出できると思うので、乞うご期待!


なぜ日本では「市民運動」が格好ワルイいのか?

原発事故以来、色々なことを考えているのだが、その一つが「なぜ日本では民意がなかなか反映されないのだろう」ということ。泊原発の再稼働容認が典型的な例。これだけ多くの人が反対しているのにも関らず(参照参照)、必要だったはずのストレステストもなく、原子力安全委員会の形だけの二重チェック(参照)で北海道知事の再稼働容認となった。

「政治家が票集めで忙しくて実際に国を運営しているのは官僚」「官僚の業界への天下りが官民の癒着を生み出している」「マスコミはスポンサーに不利になることは報じない」などの政府やマスコミにも大きな問題があるが、国民側にも若干問題があると思う。うまく表現するのは難しいのだが、

  • 政府は「お上」であり、市民運動とは「お上にたてつくこと」に相当する

という江戸時代から続いているメンタリティが根っこのどこかにあるのではないかと思う。それが「市民運動=左翼活動」というイメージを固定化させてしまい、「酒の場で政治を熱く語るのは空気の読めないヤツ」という空気を作ってしまっているのではないかと思う。

私は20年ほど(右翼の国)米国で暮らしているが、この国の国民ほど政治を語るのが好きな国民はいないんじゃないかと思うぐらい皆それぞれの意見を持っているし、市民運動はとても盛んである。

今日も近所の市役所で開かれた会議を傍聴してきたのだが、その理由は知り合いから「市が州の環境オタクの言いなりになって、不必要に建築基準法を厳しくしようとしているから、それを阻止するためにも傍聴席から発言して彼らの暴挙を阻止しよう」という連絡が来たからだ。

こんな会議での米国市民の発言はものすごい。「州の環境オタクの言いなりになんかなってんじゃないよ。君たち役人は僕らに雇われているんだってことを忘れてはいけないよ。市民の権利を守るために州の役人と精一杯交渉するのが君たちの役目。それができないなら君をクビにして別の人を雇ってもいいんだよ」という剣幕。

結果としては、市側が住民の声を聞いて折れ、より市民側の権利を尊重した法案を作り、それを州に提出することになった。一件落着である。

ちなみに米国の場合、選挙で選ばれる市長や市会議員は基本的に薄給のボランティア(ただしロスみたいな大きな市は別格)。市民の代表として、市の職員に適切な人を雇い、彼らが市民のために働くように監督・指導するのが彼らの役割。

そんな関係だからこそ「市民のための仕事が出来ないなら君をクビにして別の人を雇ってもいいんだよ」という「上から目線」のセリフが一般市民から役人に向けて発せられるのだ。

日本で市民と役人がこんな関係を持つのは簡単ではないとは思うが、少なくとも「市民運動」「政策論議」を左翼だとか格好ワルイとか決めつけず、より多くの国民が政治(それも政局ではなく、政策に)に興味を持ち、市民運動に参加するようになれば日本を少しづつだが良い方向に持って行くことは十分に可能だと思うがいかがだろうか。


$100PCならぬ$80スマフォがケニアでバカ売れ

ここでも何度も述べている様に、Androidを搭載したスマートフォンでiPhoneと真っ向から対抗しようというビジネスが利益を生むとはどうしても思えないのだが、Androidだからこそ可能になるビジネスというものもしっかりとある。典型的なのがこれ。

$80 Android Phone Sells Like Hotcakes in Kenya, the World Next?

中国のHuaweiが作った「80ドルスマートフォン」がケニアでバカ売れだそうである。搭載するメモリもカメラの解像度も最低限ものに抑え、徹底的に低コスト化したスマートフォンを開発途上国に売るという戦略である。

この価格帯にはAppleもMicrosoftのOEM先も入って来ないことは確実。今まではSeries40を開発途上国で売りまくっていたNokiaも足元がかなり揺らいでいるので、今がチャンスというわけだ。

戦後の高度成長期には、こういうチャンスにがむしゃらに飛び込んで行くのは日本のメーカーだったわけだが、その役目はすっかり中国や台湾に奪われてしまったようだ。

高付加価値・高収益マーケットはAppleに抑えられ、低価格・大量生産マーケットは中国・台湾勢に取られ、横からはSamsnugとHTCが迫って来る。Motorolaを見習って、携帯機器部門を丸ごと売却、というのが日本のメーカーにとってたぶんベストの選択肢だろう。


班目委員長に学ぶリーダーシップのありかた

泊原発の再稼働に関する会議が原子力安全委員会で開かれたが、これがその様子。

班目委員長は、「国が定めている安全基準が守られているかどうかを調べるのは原子力安全保安院の役目。その保安院が良いと言っているから原子力安全委員会としては再稼働を容認する」と結論づけている。これを受けて、北海道の高橋はるみ知事は「(原子力安全委員会の)二重チェックは評価できる」と県としても再稼働を容認した(参照)。

ソフトウェアの世界では「二重チェック」とはあえて別の人が別の方法で独自のチェックすることを指すが、原子力の世界では「二重チェック」とは、「一つ目のチェックが規則通り行われた」ことを口頭で確認すれば十分なようである。まあ、ソフトウェアの場合はバグがあるものを出荷してしまうと多くの人に迷惑をかけてしまうから二重にも三重にもチェックをするのだが、原発の場合は万が一メルトダウンが起こっても誰かがすぐ死ぬわけでもないし、付近の住民の健康にもすぐには影響が出ないので、これで良いと考えているのかも知れない。

冗談はさておき、これを見て思ったのは、やはり班目委員長は国民の安全を守る組織の長としは全くふさわしくなく、この人がトップであるかぎり、保安院を経産省から切り離して委員会と一緒に環境省の下に置いても何も変わらない、ということ。

今さら指摘する必要もないが「国が定めている安全基準」が十分でなかったことは福島第一の事故で十二分に証明されたわけで、事故原因の徹底解析とそれに基づいた安全基準の根本からの見直しが必要なことは明白。それを指摘し、指導するのが原子力安全委員会の役目。それが今の段階でできない組織は不要だ。

それに加え、経産省の下にある保安院は安全よりもエネルギーの安定供給を優先してしまう、という矛盾を抱えたまま定期検査を終了するというのもおかしな話で、それに関しても班目委員長は何も言うつもりもないようだ。

「従来の規則通りに今まで通りにことを運ぶ」ことならば誰でもできる。リーダーシップを取るということは、常に色々なことに疑問を投げかけ、前例だとか慣習だとかに捕われず、必要な時には痛みを伴う変革を起こしながら自分の責務を果たすこと。

その意味では、班目委員長は反面教師として最高の人材。ぜひとも上のビデオを見て学んでいただきたい。


Google+Motorola: Microsoftは「当て馬」だった

先週、「MotorolaがWindows Phone陣営に乗り換える可能性を示唆」というエントリーに書いた通り、あの手のアナウンスメントにはだいたい何か裏の事情がある。

そして今日、GoogleがMotorolaの携帯電話部門を買収することがアナウンスされ(参照)、その裏事情が何であったかが明らかになった。あれは、MicrosoftとGoogleを競争させて価格をつり上げるための牽制球だったのだ。

Microsoftが実際どの程度Motorolaとの話をしていたかは不明だが、1ドルでも高く売りたいMotorola側としてはGoogleから買収の話が来た時点でわざわざMicrosoftを「当て馬」として引きづり出して競争させようとするのは当然。あのアナウンスメントは、Microsoftに向けたラブコールでもあり、Googleに対する「早く良い条件で結婚を申し込んでくれなきゃ、他の人と浮気しちゃうわよ」メッセージでもあったのだ。

ちなみに、GoogleがMotorolaを買収した一番の理由は携帯電話関連の特許(参照)。これで、Appleとクロスライセンスに持ち込むに十分な「持ち玉」が出来た。逆に、Motorolaの株主から見れば絶妙なタイミングでの「売り抜け」。じり貧になる前に高値で売り抜けることができたMotorolaの株主は大喜びだ。

それにしても、はしごを外された形になったのはAndroidを採用した他のスマートフォン・メーカー。全く異なるビジネスモデルを持つGoogleは、これで文字通り「破壊的な価格」で携帯電話を販売することが十分に可能になったわけで、これでAndroidスマートフォン・ビジネスは「デバイス単体では利益が出せないビジネス」になることはほぼ確実である。ソニエリの経営陣は、パテントに関しては喜んでいるかも知れないが(参照)、収益という点に関しては頭を抱えているに違いない。

【追記】この件に関しては、色々と言いたいこともあるので、より詳しい解説をメルマガ向けに書いています(「週刊 Life is Beautiful」の8月23日号に掲載予定)。


小論文募集「私のキャリアパス」

メルマガ「週刊 Life is Beautiful」を始めることにしたことは先日書いたが(参照)、このメルマガをどんなものにしたいのか/するべきかをここ2〜3週間ほどずっと考えて来た。

ブログを補足する形で、単にブログに書きにくいこと/書けないことを書く、というのも一つの方向だが、それだけで「有料メルマガ」のおもてなしとするのは、どうも間違っているような気がするのだ。もちろん、マイクロソフト時代の社内での争いの話とか、PhotoShareがなぜビジネスとして成功しなかったか、などの「ここでしか書けない話」というのは読者を引きつけるという面では効果的かも知れないが、それだけに頼った紙面作りでは「ゴシップ紙」のようになってしまう。

やはり「私にしか書けない」もので、かつ「読者にとってお金を払ってでも読む価値のあるもの」を書いていかなければ、継続して読んでいただく事はできないし、ビジネスとしても成り立たないと思う。

そこで、自分自身にとことん問いかけた結果たどりついた答えが「エンジニアのための経営学ゼミ」である。

ここでも何度も書いて来たが、日本のエンジニアの境遇は米国のそれと比べて悪すぎる。新3K(「きつい」「帰れない」「給料が安い」)と揶揄されるIT産業。ITゼネコンの下で苦しむ下請け企業や派遣労働者。プログラムを自分で書かずに仕様書ばかり書いているエンジニア。

簡単に解決できる問題ではないが、まずは当事者である若いエンジニアの人たちに、今の状況を作り出している日本の会社経営のさまざまな問題点をちゃんと理解してもらい、その上で「今の会社を一歩出たら使い物にならない会社人間」にならずに、自分のキャリアパスを描けるようになるには今何をすべきか、ということを考える機会を持ってもらいたいと思う。

それも、日本の大学での授業のように私が一方的に話すのではなく、読者から何らかの形でインプットをいただき、それを最大限に活用した「対話形式のゼミ」にして行きたいと思う。経済学部の教授の授業とはひと味もふた味も違うものにできると思う。

そこで、いきなりで申し訳ないが、メルマガの読者を対象に小論文を募集する。「私のキャリアパス」というタイトルで、自分が将来のキャリアとして考えていること、期待していること、悩み、困っている事、質問、などを400字〜800字程度で書いていただきたい。8月16日(火曜日)にはメルマガの第一号がとどくと思うので、そのメールアドレスに返信する形でお願いする(添付ではなく、メールの本文として書いていただきたい)。締め切りは8月末。

ちなみに、提出していただいた小論文だが、その一部をメルマガやブログで私のコメントを添えて引用する予定なのでご了承いただきたい。個人が特定できるような部分の引用は避けるようにするつもりだが、どうしても心配な場合は「引用されても大丈夫」なように書くことをお勧めする。


AmazonがCloud Readerを出して来たが...

AmazonがKindle Cloud Readerをリリースした。私のCloudReadersとがっぷり重なる名前で困ったものだと思っていると、やはり同じように考えた人もいるようで、Twitterに "I wonder if #Cloudreaders http://bit.ly/ayahtC (iPad app) will sue #Amazon Cloud Reader for trademark infringement?" (Cloudreadersの作者はAmazonを商標侵害で訴えるか?)というコメントが入って来た(参照)。

Amazonのように大きな会社が、個人が出しているアプリとほとんど同じ名前のものを、「iOS向けのネイティブアプリ」と「ウェブアプリ」という違いはあれ、iPad向けのeBookリーダーというほぼ同じマーケットに後から出してくるのはちょっと迷惑。

さあどうしようか。弁護士にでも相談するべきか(米国の場合、金のにおいを嗅ぎ付けた禿鷹のような弁護士が近寄って来そうで、それはそれでやな予感はするが)。とりあえずTechCrunchの記事にコメントでもしてみるか、と。


メルマガ「週刊 Life is Beautiful」発刊のお知らせ

少し前から予告していたが、メルマガを発刊することにした。タイトルは「週刊 Life is Beautiful」。8月16日から開始で、毎週火曜日の発行となる。メルマガの内容に関しては、発行者である「まぐまぐ」の人がインタビュー記事を用意してくれたので、そちらをご覧いただきたい。

このブログでも何度か指摘してきたが、従来型の紙の書籍を単に電子化しただけの電子書籍は、来たるべき「出版革命」の「はじめの一歩」に過ぎないと強く感じている。紙の媒体では出来なかったこと、逆に言えば、電子化されているからこそ、常時接続デバイス向けだからこそ、インターネットが双方向のコミュニケーションの道具であるからこそ可能になることを最大限に活用して、初めて電子書籍の意味がある。

実際、私のところにも出版社からいくつか電子出版の話が来ているが、基本的には、「筆者が原稿を書いて、それを出版社が編集・レイアウトし、取次に相当する所(たとえば、電子書籍アプリを配布している会社)を通して、iTunesストアなどで小売りする」という昔ながらのビジネスモデル。

せっかく電子化したにもかからわず、原稿は一気に書かねばならないし、やたらと中間業者は多いし、読者との双方向コミュニケーションがあるわけでもないし、読者からのフィードバックに応じて内容を膨らませていくことなど到底できない。

そんな「電子出版業界」につくづく失望していたところに舞い込んで来た「メルマガ執筆」の話。最初は「今さらメルマガ?」と懐疑的だった私だが、実際に話を聞いてみると、ビジネスモデルはとてもシンプルだし、私が欲しかった「双方向コミュニケーション」があるし(メルマガなので、読者はメールに返事を書く事により、筆者に質問したり、リクエストをすることが可能)、書籍のように原稿を一気に書く必要もない。書籍というよりはブログに近い感覚で、私の執筆スタイルにマッチしている。

「それならばやってみましょう」ということになり、発行することになったのが「週刊 Life is Beautiful」である。私としても初めての試みなので、多少手探りの部分もあるが、そこは読者の方々からのフィードバックを最大限に活用して、良いものを作って行きたいと考えている。特に、具体的な質問やリクエストは大歓迎なのでよろしくお願いする。


neu.Notesのデータをneu.Notes+に移行する方法

前回のアップデートで、neu.Notesのデータをneu.Notes+に一括で渡す仕組みを追加したので、簡単に解説する。

1. neu.Notes側で"Backup"コマンドを実行する。

Neu.Notes

2. iPad/iPhoneをPC/Macに接続する

3. PC/Mac上でiTunesを走らせ、iPad/iPhoneを左コラムで選択し、右でAppsを選択し、スクロールダウンして、neu.Notesを選択する(注:このステップが分かりにくいとのフィードバックを良くいただくが、iTunesの一部なのでどうしても回避ができない。どのアプリでも共通の操作なので、慣れていただくしかないのが現状である)。

Itunes

4. するとneu.Notes.neubackというファイルが見えるので、これを適当な場所(デスクトップなど)にドラッグドロップしてコピーを作っておく。

5. 次に、同じくiTunes上でneu.Notes+を選択し、上でコピーしておいたneu.Notes.neubackというファイルをドラッグドロップしてneu.Notes+に渡す。

6. iPad/iPhone上でneu.Notes+を走らせ、"Restore"コマンドを選択する。

こうすることにより、今まで neu.Notes で書いて来たメモを neu.Notes+ に渡し、+版だけにある編集機能を使って既存のメモに変更を加えるなどが可能になる。


すべてがクラウドになるとファイルという概念さえなくなる

私が漠然と感じていたことを上手に表現してくれているブログエントリーを見つけたので紹介する。

There Will Be No Files In The Cloud

すべてが本当の意味でクラウドに移動した時には、ファイルという観念が不要になるのでは、という話。Dropboxの提供しているような「クラウド型ストレージサービス」というのはデスクトップからクラウドへシフトする段階での過渡的なものでしかなく、行き着く先はGoogle Docsのようの形だ、というのが筆者の主張。

デスクトップ・アプリというものがあるからこそ、ファイルという概念が必要であり、アプリケーションすらクラウド上のウェブアプリケーションになれば、ドキュメントの共有はリンクを渡すだけで良いのでファイルは不要だという話。

確かに、この「ブログ・エントリー」も実体は「ファイル」ではなく、データベース上のレコードでしかないわけで、それよりもユーザーから見て一つの「エントリー」であることだけに意味がある。時代は明らかにそんな方向に進んでいる。