Previous month:
July 2011
Next month:
September 2011

パーソナルメディアとキュレーションと

私がブログを本格的に書きはじめたのは2004年からだが、当時はブログに代表されるパーソナル・メディア(もしくはソシアル・メディア)がこれほどの影響力を持つ物に成長するとは想像もしていなかった。エジプトやリビアでの革命はまさにそれを象徴する出来事であり、「独裁政権が情報のコントロールにより政権を維持する」ことはもはや不可能に近いと言える。

そんな中で私が注目しているのは、まぐまぐBLOGOSである。

まぐまぐの方は私自身がメルマガを始めたこともあり(参照)、別途その意味するところを詳しく書いてみたいと思うが、メルマガというある意味で「枯れたテクノロジー」がパーソナル・メディア時代のコミュニケーション・ツールとして再浮上して来た、というのは非情に興味深いと思う。

BLOGOSのホームページには、「200万人が読む、ウェブ上の論壇紙」と書いてあ。実際に見てみると、原発事故、円高、政局、などのホットなテーマに関するさまざまな人の意見が並べられている。論評そのものを職業とする「評論家」から、私のような特定の専門職を持つ「ブロガー」まで幅広い分野の人たちが、「その人なりの意見」を表明している。新聞の「署名入り社説」を集まりのようでもあり、それなりの人たちが集まった「床屋談義」のようでもある。

BLOGOSには、私自身が書いた論説も乗っているが、実際には私のブログのエントリーの転載である。ここで注目すべきなのは、私のブログからどのエントリーをBLOGOSに転送するのかを決めるのは私自身ではなく、BLOGOSの編集者である、という点である。

BLOGOSの編集部がしていることを要約すると、こんな感じである。

  • ある一定の基準を満たしたブログを書いているブロガーにコンタクトし、転送の許可をもらう。
  • ブログに投稿されたエントリーのうち、BLOGOSの読者にとって「読む価値がある」と編集部が判断したものだけを転載する。
  • 転載した記事のうち、特に注目すべきものを、トップページに配置する

つまり、星の数ほどあるブログのうち、編集者が特定のブロガーを選び、さらにその人たちのブログから編集部が特定のエントリーだけを抜き出して紙面を構成しているのだ。

読者としては、読む価値のあるエントリーを簡単に見つけることができるし、筆者としては、今までにリーチできなかった読者に自分の意見を読んでもらえるという利点がある。まさに、佐々木 俊尚氏の言うところのキュレーション(参照「キュレーションの時代」)をしているのである。

BLOGOSに代表されるキュレーション・ジャーナリズムによって、パーソナルメディアは「情報量は爆発的に増えたが、一方では情報過多という問題を抱える」という第一フェーズから、「キュレーターたちによって、情報過多の問題が徐々に解決され始める」という第二フェーズに移ったと感じる今日この頃である。


計算言語 neu

先日も述べた様に iPad 用の計算アプリを作っているのだが、「電卓のように手軽に使えるけど、Excelで普通の人がすることの80%は出来てしまう」という目標をを達成するために、色々な工夫をしている。その一つが、計算言語の定義だ。特に名前は付けていないが、仮の名前として neu と呼ぼう。

ご存知のように、電卓に

1 + 2 = 

と打てば、3という答えが出て来る。

1.5 sin =

と打てば、sin(1.5)を計算してくれる。厳密な意味での「プログラミング言語」とは呼べないかも知れないが、「あるシンタックスに従ってキー入力すれば、何らかの計算をしてくれる」という点では、広い意味での「言語」とも読んでもバチは当たらないだろう。

では、さっそく計算言語 neu の定義をしてみる。

  • "+"の様に右と左に置かれた二つの数値にから一つの数値を導き出すものをオペレータと呼ぶ。"-"、"x"、"÷"、"y^x"、"x√y" などもオペレータである。
  • "sin"の様に左に置かれた数値から別の数値を導きだすものをファンクションと呼ぶことにする。"cos"、"tan"、"1/x"、"log"、"!" などもファンクションである。
  • ファンクションは常にオペレータよりも先に実行される(2 + 1.5 sin は、先にsin(1.5) を計算してから、それを2に加える)。
  • 複数のファンクションが連続する場合は、常に左から右に順番に実行される。オペレータも基本的には左から右に順番に実行されるが、"+"と"-"だけは例外的に他のオペレータよりも後から実行される。
  • ファンクションやオペレータの実行順をコントロールしたい場合は括弧を使う。

これだけだと今までの電卓と変わらず、表計算のようなことはできない。表計算に近いことをするために、「リスト」というコンセプトを導入する。

  • リストは、数値の1次元配列(数列)である。
  • リストは、数値もしくはリストを "," オペレータで接続することにより定義する

すなわち、

    1, 2 =

とすれば、リスト [1, 2]が返される。

    1, 2, (3, 4 + 5) =

とすれば、リスト [1, 2, 3, 9]が返される。

多くのオペレーターや関数は、リストをそのまま扱うことができる。

    (1, 2, 3) + 5 =

とすれば、リスト [6, 7, 8] が返される。

    (1, 2, 3) + (10, 20, 30) =

とすれば、リスト [11, 22, 33] が返される。

さらに、リスト専用のオペレータや関数も導入が可能になる。例えば、

    (10, 20, 30) avr =

とすると、三つの値の平均(20)が返される。

    (10, 20, 30) stdev =

とすると、三つの値の標準偏差(8.16)が返される。

    (30, 20, 10) sort =

とすると、順番に並び替えて、リスト[10, 20, 30]を返す。

数値からリストを作る関数もある。たとえば、

    10 [...x-1] =

とすると、リスト[0, 1, 2, 3, 4, 5, 6, 7, 8, 9]が作られる。

これを応用して、

    (10 [...x-1]) x (10 [...x-1] + 1) =

とすることにより、n*(n+1) の数列(ただし、n は 0から9まで)などが簡単に生成できる。

◇ ◇ ◇ 

なぜこんなことをアプリのリリース前に書いたかというと、「これぐらいの説明をざっと読んだだけでどのくらいの人たちに、この言語のポテンシャルを理解してもらるか」を知りたいからである。上の説明を読んだだけで、「これはすごい、ぜひとも使いたい」と言っていただけるのであれば良いが、「これを読んだだけでは、どこが良いのかさっぱり分からない」という意見が多いのであれば少し考え直さなければならない。


まもなく「米国で最も時価総額の高い会社」になろうとしているアッップル

私が「Appleの時価総額がついにMicrosoftを抜くかも知れないという話」というエントリーを書いたのは去年の3月、あの後あっさりとMicrosoftを抜き去っただけでなく、今や「米国で最も時価総額の高い会社」の地位をExxonから奪おうとしている(本日の取引中に一度は抜いたそうだ)。

それも株価は決してバブリーなものではなく、ちゃんとした利益に裏付けされた株価。PE Ratio(株価を一株あたりの利益で割った値)がわずか15しかないのがその証拠(PE Ratioが低いのはキャッシュを持ちすぎているからという説もあるが、そのことに関しては別の機会の書く予定)。

それにしてもすごいのは、2000年以来、iPod、iPhone、iPadと次々にヒット商品を生み出し、それぞれの製品ラインがソニーの株価総額に相当するぐらいの株主価値を生み出しているという点。

Visionaries Summitの基調講演でも熱くなって語ってしまったテーマだが、株の持ち合いでコーポレート・ガバナンスがまったく機能しておらず、いったい誰のために存在するのかが分からなくなっている日本の大企業との差は開くばかりだ。あれだけの事故を起こした経営陣に白紙委任状を渡した東電の大株主たち、まさに日本株式会社のコーポレート・ガバナンスの欠如を象徴する出来事であった。


MotorolaがWindows Phone陣営に乗り換える可能性を示唆

今朝、ちょっと気になったのは下のニュース。

Motorola's Jha open to using Windows Phone OS

要約すれば「Motorolaとしては、今のところAndroidだけに集中投資しているけど、もしMicrosoftがMotorolaにもNokiaと同等の条件を提示してくれれば、Windows Phoneを作ってもいいよ」とMotorolaがアナウンスしたという話。

水面下での交渉が順調に進んでいればこういう話を表に出す理由はないわけで、何らかの理由があるのでは、と思ってしまうが考えすぎか。

MicrosoftとしてはNokiaに続いてMotorolaのフルコミットメントが取れれば、勢力地図を大きく塗り替えるチャンスが出て来る。Motorolaとしても、このままSamsungやHTCとの(Android陣営内の)消耗線を戦ったとしても勝ち目があるわけではなく、もしMicrosoftから好条件が引き出せれば乗り換えても良いというのは本気だろう。

MicrosoftとNokiaとの関係に関しては、MicrosoftからNokiaへ10億ドルのキャッシュが動いたという話もあるし(参照)、前回のアナウンスメントは除幕に過ぎず、MicrosoftがNokiaの携帯部門を丸ごと買収するという噂まである(参照)。

そもそもMotorolaが携帯部門を売却したがっているという話は何年も前からあり、こうなると「MicrosoftがNokiaとMotorolaの携帯電話部門を買収合併して新会社を設立」という大技を繰り出すという可能性も必ずしも否定できないのが今の携帯業界の面白いところだ。


iPad向けの計算アプリを開発中

少し前からiPad向けの「計算アプリ」を開発中だが、ようやく形になってきた。iPad向けの電卓アプリはすでに数多くあるが、基本的にはどれも従来型の電卓を「アプリ化」したものである。ちょっとした計算にはそれで十分だが、少し複雑なことをしようとすると、やはりExcelやNumbersなどの表計算アプリが必要、というのが現状である。

しかし、表計算アプリを使いこなすのは電卓と比べてかなり敷居が高いし、モバイル環境で"Quick-and-Dirty"な計算をするには"Overkill"である(Quick-and-DirtyもOverkillも米国のプログラマーが良く使うスラングなので覚えておいた方が良い。"Quick-and-Dirty"は「その場しのぎの」「やっつけ仕事の」ぐらいの意味。"Overkill"は「巨大すぎて・機能が多すぎて、かえって使いにくい・使えない」の意味)。

それならば、「Excel並みの機能を備えながら、電卓のように手軽に使える」アプリを作ることができれば、多くの人たちに使ってもらえるのでは、と始めたのがこのプロジェクト。実際にExcelと同等の機能をすべて詰め込む事は現実的でないとしても、普通の人がExcelを使ってやることの8割がカバーできれば十分だろう。

計算ロジックの実装は順調に進んでいるのだが、UI/UEの最後の詰めがななかな難しい。せっかくの機能もユーザーに使ってもらうことが出来なければ、ないのも同じだ。

ちなみに、今日は、最終出力の部分の実装をしている。下はその出力例。年間の累積被曝量を20ミリシーベルトに抑えるためには、空間の放射線強度を毎時3.8マイクロシーベルト以下に抑えるべき、という文科省が出した数字を検証している。

Neu.Notes+ (1)

計算結果は Copy&Paste でneu.Notes+に渡して、後から注釈を加えたりなどができるように作っている。まずはシンプルな無料版からリリースする予定なので乞うご期待。


「汎用タブレット市場」はそもそも存在するのか?

今朝、私の目を引いたのは、「iPad Sales May Lead to Huge Missteps by Competitors」という記事。AppleのiPadが飛ぶ様に売れている事に目を付け、Samsung、Motorola、Research In Motionなどが続々とタブレット市場に進出しているが、ユーザーが欲しているのは単なるタブレットではなくてiPadであり、需要がないところに無理矢理商品を押し込んだところで在庫が増えるだけだ、という警告。

確かに考えてみると、私の回りにiPadを持っている人はたくさんいるが、iPad以外のタブレットを持っている人は見た事がない(唯一の例外はUIEジャパンが開発用に購入したGalaxy Tab)。

パソコンやテレビの場合、消費者はまず最初に「そろそろパソコン/テレビを買おう/買い替えよう」と思い、次に「パソコン/テレビならどのメーカーのものを買おうか」と考える。iPhoneが強いスマートフォン市場でも、やはり「スマートフォンが欲しいけど、どれが良いんだろう」と考える人は多いと思う。

しかし、タブレット市場に関して言えば、最初に「そろそろタブレットを買おう」と思う人は皆無に近く、いきなり「そろそろiPadを買おう」となってしまっているのだ。実際、先日も知り合いの弁護士が「私の仕事仲間はみんなiPadを持っていてね、私もそろそろ買おうかと思うんだ」と言っていたがこれが良い例だ。

そういう意味では、現時点では「汎用タブレット市場」というものは存在しないに等しく、単に「iPad市場」があるだけだ。以前、ここでも「Androidタブレットはヨドバシカメラの『Androidタブレットコーナー』に横並びにされた時点で負けだ」と書いたが、そもそも汎用デバイスとしての「タブレット」の需要がないのでは勝負にならない。

ちなみに、以前、日本の某メーカーにタブレット戦略の相談をされたことがあったのだが、その時には「ヨドバシカメラに並ぶようなものを作ってもアップルには勝てないし、まず利益は出ないと思います。どうしても出したいというのであれば、いっそのこと、東急ハンズで文具として売ってもらえるように文具メーカーと共同開発するとか、医者と看護婦が日常の医療現場で使う医療システムのアクセス端末として一括で導入するとか、特定の市場・用途に特化したものを作るのはいかがでしょう?」と答えておいたのだが、そのメーカーからはまだ何も市場には出ていないようだ。


東京新聞に見るジャーナリズムのあるべき姿

今回の原発事故に関して、政府や東電からの発表が信用できないだけでなく、テレビ・新聞などの大手マスメディアの記事にもかなりバイアスがかかっていることが明らかになって来た。特に読売と産経の「経産省より、経団連より」のバイアスは目にあまるものがある。

こんな状況だから、今回の事故ではブログやYoutubeなどのパーソナル・メディアが情報源として多いに役に立ったと感じている人も多いとは思うが、これはこれであいかわらず玉石混淆であり、その中から信頼できる情報や意見を選び出すことは簡単ではない。

先日も、「福島第一原発の敷地。敷地内の土地のあちらこちらにヒビ割れが生じていて、そこから高温のどす黒い湯気が噴き出しているそうです。」というデマが流れていたが、パーソナル・メディアのみに頼るとこの手のデマに惑わされる危険があるのが難点である。

となるとやはり一時情報として頼りたくなるのはマスメディアだが、その中で私がもっとも信頼しているのが東京新聞。バイアスのかかっていない質の高い記事を書いているからだ。例えば、今回の経産省のトップ3人の更迭の件。8月4日から5日にかけて、2つの記事と1つの社説が書かれているので順番に紹介する。

原発3首脳更迭 問われる政治の責任(8月4日夕刊)

「松永氏は二〇一〇年七月に就任。わずか一年での交代は、よくある、不祥事の責任を取らせるための更迭にみせかけた定期異動ではなく、明らかな更迭であり、重い処分だ。」とこの更迭をきちんと評価した上で、「更迭によって官僚側だけを処分し、首相が辞めないのであれば、国民には今回の更迭が『トカゲのしっぽ』切りにしか映らないだろう。」と首相の責任もきちんと追求している。

経産3首脳更迭 与野党 退陣圧力に利用(8月5日朝刊)

冒頭の「海江田万里経済産業相が同省の松永和夫事務次官ら幹部三人を更迭する方針を表明したことを受けて、与野党から四日、『辞めるべきは菅直人首相だ』との声が相次いだ。依然退陣時期を明示しない首相を早く辞めさせようと、今回の更迭問題を辞任圧力に利用している格好だ。」が主旨だが、記者自身はあくまで第三者の立場から、政局を語っている点が高く評価できる。

経産首脳人事 これでは改革が進まぬ(8月5日 社説)

ここでは「海江田万里経済産業相が松永和夫事務次官を更迭し、後任に安達健祐経済産業政策局長を起用した。これでは旧来路線の踏襲が明らかだ。菅直人政権は原発・エネルギー政策を見直せるのか。」と後任人事が旧来路線の踏襲になってしまっていることを批判している。そして、「ところが、海江田経産相は省内の筆頭局長である安達氏の次官昇格を決めた。まさに年功序列の順送り人事である。本来なら、改革派官僚を抜てきするくらいの覚悟で臨むべきだったのに結局、省内秩序を優先してしまった。政官業が一体となって『原子力村』を構成している原発・エネルギー分野は既得権益の塊でもある。利権構造を打ち破るには相当な力業がいる。にもかかわらず、過去の政策立案に深くかかわってきた局長の昇格をすんなり認めるようでは、政策の見直しが進むとは到底思えない。」と的確な指摘をしている。

「原子力村 vs. 菅内閣」「菅おろしをしたくて仕方がない与野党」という構図の中で、どちらの側にも立たずに、きちんと事実関係を捉えて記事・社説を書いている東京新聞こそジャーナリズムのあるべき姿だ。

 


官僚は日本を救うのか日本を潰すのか

海江田大臣が経産省幹部の更迭を発表したことに関して、野党は例によって「通常の人事異動を更迭と呼んだだけのパフォーマンス」などの批判をしているが、少なくとも「更迭」という言葉を使って責任の所在を明らかにしたことは評価して良いと思う。

菅首相にしろ海江田大臣にしろ、今のままの状態で辞任してしまう方がよっぽど無責任だ。総辞職するにしろ解散するにしろ、ちゃんとけじめをつけてからやるべき。今回の事故の原因の根本は、電力の安定供給を国民の安全よりも重視する経産省が無理矢理作り出した「原発の安全神話」にあるわけで、そこにしっかりとメスを入れる責任は現政権にある。

注目すべきは、次の人事。原子力安全保安院を経産省から切り離すだけでなく、古賀茂明氏を経産省のトップに置く、資源エネルギー庁を解体する、ぐらいの抜本的な改革が出来れば良いが、下から同じような人が順繰りに上がってくるだけでは何も変わらない。

ちなみに、本屋のベストセラーコーナーには古賀茂明氏の「官僚の責任」が並んでいるが、ぜひともこれと読み比べて欲しいのが「ミスター円」と呼ばれた元大蔵省財務官の榊原英資氏が書いた「公務員が日本を救う」。何事にも「明と暗」「長所と欠点」があるが、この二つの本は「選挙で選ばれてもいない官僚たちが実際には日本を運営しており、三権分立が機能していない」という事実(これはどちらの本も肯定している)を、その弊害と利点の両方から掘り下げている点が、まるで「ディベート」を聞いているようで、とても興味深い。

特に「公務員が日本を救う」の方は、「エリートなくして国立たず」などの言葉に代表される「エリート意識」にあふれた書物であり、官僚自身が自分たちを日本にとってどんな存在だと考えているか、どうして自分たちが政治家に代わって国を運営してしまって良いと考えているか(つまり古賀茂明氏の指摘する弊害がなぜ生じているか)が、良くわかる超一級のエンターテイメントだ。


「強制避難区域」はどこまで広げるべきか?

Fukushima2 文科省が放射線等分布マップというのを公開しているが、別紙6の地図を見ると、汚染地域がかなりの広域に広がっているのが良く分かる(30キロ圏を超え、皮肉にも米国が事故当日に避難勧告をした80キロ圏まで広がっている)。

ピンク色の線で囲まれた地域が空間線量3.8μSv/h (年間20mSv)を超える「計画的非難区域」だが、これだけでは全く安心できないというのが実情だ。

チェルノブイリでは年間5mSvの地域が強制退去になったこと、日本の法律でも年間5.2mSv以上の場所は「放射線管理区域」に指定され、放射線を扱う専門家およびその施設で働く人のみが立ち入ることが許されている領域だということは、多くの人が知るところ。地図で緑色のドットの地域がそれにあたる。

子供を持つ人たちが「国はそんな危ない地域で子供を育てろというのか」と怒るのももっともだ。

福島でボランティア活動をしている知り合いによると、そんな地域では「やむをえず、子供たちを自費で租界させる」人たちが増えているそうだが、そんなことができる余裕があるのは一部の人たちだけだ。自費で避難する金銭的余裕のない人たち、なんらかの事情で避難できない人たちの中には「いっそのこと強制避難区域にして欲しい」と嘆く人たちも多いそうだ。

何とも悲しい話だが、だからと言ってやたらと強制避難区域を増やせば良いわけでもないのが難しい。

「任意避難区域」のような緩衝地帯をもうけて、そこからの避難は自主判断でしてもらうが、その費用と当面の生活費は国が東電に代わって立て替える、などの措置も必要かも知れない。しかし、そんな地域がしだいにゴーストタウン化してきた時に、残った住民に生活インフラをどう提供し続けるかなどの問題もあり、簡単な話ではない。


311が終止符を打った「反原発=左翼」の図式

日本では、3月11日を境に色々なものが大きく変わったが、そのうちの一つが「反原発=感情的な共産主義」「原発推進=理性的・合理的な経済発展重視主義」という図式。

そもそもなぜそんな図式ができてしまったのかというだけで一冊の本が書けそうな話だが、冷戦時代の「反核=反米=新ソ=共産主義」という図式が根底にあることは確か。それゆえに「反原発派」の人たちの発言に真剣に耳を傾けて来なかった私のような人間がいるのも事実。

しかし、3月11日を境にちゃんと勉強してみると、「理性的・合理的」だったはずの原発中心のエネルギー政策が、実は欠陥だらけだったことが次第に明らかになり、「理性的・合理的に考えれば考えるほど原発には賛成できない」となったわけである(参照)。

その意味では、3月11日以前から自民党の中で使用済み核燃料の問題を正しく指摘していた河野太郎は高く評価している(参照)。6月15日の東洋経済にインタビュー記事が出ているので、一読をお勧めする(参照)。

河野太郎の指摘する通り、核のリサイクルはすでに現実的ではなく、ウランもどのみち70〜80年で使い切ってしまう。そう考えれば、化石燃料がまだ十分にある今のうちに再生可能エネルギーに積極的に投資をし、30年〜40年かかっても良いから原子力や化石燃料に頼らずにやっていける技術力とインフラを整えることが日本の中長期的な経済発展にとってベストなのは明らか。

世の中には、福島第一での事故を見た後でも「再生可能エネルギーのコストが十分に下がるまでどうせ俺は生きてはいない。リスクのある原発は補助金を付けて過疎地に押しつけ、使用済み核燃料の問題は後の世代に任せて、とりあえずは電気をふんだんに使いたい」と考える逃げ切りメンタリティの人がまだいるようだが、膨大な量の使用済み核燃料と放射能汚染された土地を押し付けられる次の世代にとってはとんだ迷惑だ。