パーソナルメディアとキュレーションと
2011.08.10
私がブログを本格的に書きはじめたのは2004年からだが、当時はブログに代表されるパーソナル・メディア(もしくはソシアル・メディア)がこれほどの影響力を持つ物に成長するとは想像もしていなかった。エジプトやリビアでの革命はまさにそれを象徴する出来事であり、「独裁政権が情報のコントロールにより政権を維持する」ことはもはや不可能に近いと言える。
そんな中で私が注目しているのは、まぐまぐとBLOGOSである。
まぐまぐの方は私自身がメルマガを始めたこともあり(参照)、別途その意味するところを詳しく書いてみたいと思うが、メルマガというある意味で「枯れたテクノロジー」がパーソナル・メディア時代のコミュニケーション・ツールとして再浮上して来た、というのは非情に興味深いと思う。
BLOGOSのホームページには、「200万人が読む、ウェブ上の論壇紙」と書いてあ。実際に見てみると、原発事故、円高、政局、などのホットなテーマに関するさまざまな人の意見が並べられている。論評そのものを職業とする「評論家」から、私のような特定の専門職を持つ「ブロガー」まで幅広い分野の人たちが、「その人なりの意見」を表明している。新聞の「署名入り社説」を集まりのようでもあり、それなりの人たちが集まった「床屋談義」のようでもある。
BLOGOSには、私自身が書いた論説も乗っているが、実際には私のブログのエントリーの転載である。ここで注目すべきなのは、私のブログからどのエントリーをBLOGOSに転送するのかを決めるのは私自身ではなく、BLOGOSの編集者である、という点である。
BLOGOSの編集部がしていることを要約すると、こんな感じである。
- ある一定の基準を満たしたブログを書いているブロガーにコンタクトし、転送の許可をもらう。
- ブログに投稿されたエントリーのうち、BLOGOSの読者にとって「読む価値がある」と編集部が判断したものだけを転載する。
- 転載した記事のうち、特に注目すべきものを、トップページに配置する
つまり、星の数ほどあるブログのうち、編集者が特定のブロガーを選び、さらにその人たちのブログから編集部が特定のエントリーだけを抜き出して紙面を構成しているのだ。
読者としては、読む価値のあるエントリーを簡単に見つけることができるし、筆者としては、今までにリーチできなかった読者に自分の意見を読んでもらえるという利点がある。まさに、佐々木 俊尚氏の言うところのキュレーション(参照「キュレーションの時代」)をしているのである。
BLOGOSに代表されるキュレーション・ジャーナリズムによって、パーソナルメディアは「情報量は爆発的に増えたが、一方では情報過多という問題を抱える」という第一フェーズから、「キュレーターたちによって、情報過多の問題が徐々に解決され始める」という第二フェーズに移ったと感じる今日この頃である。
なるほど~
キュレーション・ジャーナリズムなのね! お蔭で、原発や放射能について
みんながどんな風に考えているのかが分かって、この数カ月、随分救われました。
「床屋談義」的な面があるので、みんなに分かるし楽しいのね。
(床屋?・・・美容院にしか行かない人は?・笑)
Posted by: Mary-Jane | 2011.08.10 at 18:50
最近、政治ネタ以外にもポストされ、うれしいかぎりです。
床屋談義認めちゃいましたね。(冗談ですが)。池田さんを揶揄してるのは間違いないですね。
Posted by: 理系ネタないの? | 2011.08.11 at 00:28
キュレーターにより情報過多の問題が解決され始めているとのことですが、キュレーターにより意思が存在することもまた問題ではないでしょうか?
抽出する時点で自分が読ませたいと思わせるモノを抽出するわけで例えば自分にとって不利になるような話はやはり出てこないのではないかと思います。
Posted by: you | 2011.08.11 at 16:27
キュレーション・ジャーナリズムが更に発展すれば、サイトによって傾向が出てくると思います。
それを比べたり、選んだりするのも楽しみになるのではないでしょうか?
いかに優秀なキュレーターを集めるかが勝負になるでしょう。
色んな立場の人を引きつける多様で、質の高い旬の記事を選べることが名門の条件になるでしょう。
Posted by: Mary-Jane | 2011.08.12 at 07:24