経済原理を考えれば、営利企業に原発を安全第一で運営させるのは所詮無理
2012.06.01
New York Times に「Risk From Spent Nuclear Reactor Fuel Is Greater in U.S. Than in Japan, Study Says(使用済み核燃料のリスクは日本よりも米国の方が高い)」という記事が出ている。原子力発電所が「トイレなきマンション」であることは、どの国でも同じだ。それどころか、使用済み燃料プールがテロリストの標的になれば、最悪の場合、チェルノブイリ以上の事故を米国内で引き起こされてしまう危険すらある、というレポートすらあるという(参照)。
つくづく思うのは、たとえ100歩譲って、十分に安全な原発の運転が「技術的には可能」だと仮定したところで、営利企業が運営する限りは、原発特有の「色々な問題は先送りした方が経済的に有利」という強いインセンティブが働くため、どうしても安全よりも経済性を優先してしまうし、経済性に関しても「負の資産」を増やしながら「目先の利益」を追う、という行動に経営者を走らせる。
・古い原発は、技術も古いし、脆弱性遷移温度も高くなって壊れやすいし、さまざまな設備ももろくなっている→安全のためには早めに廃炉にした方が良い→しかし一度作ってしまった原発は、稼働し続ける限り利益を生み出すが、稼働を辞めて廃炉にするとなったとたんに巨額の負の資産に変わる→少々のリスクは覚悟で1年でも長く稼働し続けた方がはるかに経済的
・原子炉の燃料プールは、本来は稼働により熱を帯びた仕様済み核燃料を1時的に冷やしておく場所→安全のためには、まずは空冷式のドライキャスクに移し、その後最終処理場に埋めるべき→最終処理場はいつまでたっても決まらないし、ドライキャスクを作るにはお金がかかる→そこで、使用済み燃料プールを中間貯蔵施設として流用→しかしそれも満杯になってしまう→リラッキングという詰め替えで臨界限度ギリギリまで詰め込むのが経済的
・火力発電所であれば、万が一の事故の際には電力会社が責任を追わなければならない→保険に入る→しかし事故を起こすと保険料が上がる→安全第一で運転した方が経済的→原発の場合、万が一の事故の被害が大きすぎて保険会社が引き受けてくれない→万が一の際には国が税金で補償する→安全性にお金をかけるより、地元には金を配って「理解」してもらい、保安院には天下り先を提供して仲良くした方がずっと経済的
こういう現実を目の前にしながら、それに目をつぶって「日本の発展のためには原発が必要」と主張することはとても無責任で近視眼的だ。「福島第一の事故は天災ではなく人災」であったこと、それもたまたま誰か特定の人が手を抜いたとか誤操作をしたとかではなく、もっともっと根の深い構造的な問題点が原発を開始した時から存在したことに注目しなければいけない。
原子力安全保安院が経産省の下にあるとか、保安院や経産省の役人が電力業界に天下りすることが許されているとか、家庭用の電力の供給に競争原理が働いていないとか、地元の「理解」は札束で買われているとか、これだけの事故を起こしたにも関わらず検察が東電にも保安院にも捜査に入っていないとか、そういう根本的な問題を解決せずに、原発の稼働を続けて行くことは、それこそ薄氷の上のアイススケートだ。
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