今週の週刊 Life is Beautiful:9月4日号
政府が「将来の原発比率は0%」と宣言できない本当の理由

霞ヶ関にとって、政治家は「愚民の代表」でしかないのか?

「原発ゼロにすると電気代が高くなる」という政府の試算に対しては東京新聞が社説でとても適切なコメントを書いているので、そこを参照していただきたい。

使用済み核燃料の最終処理問題を先送りし続け、危険な原子炉を暫定的な安全基準で使い続けてお金のかかる廃炉を先送りにし、たまりにたまったプルトニウムと劣化ウランを「いつかは燃料として使える資産」として計上すれば、脱原発路線と比べて安いのはあたりまえ。しかし、それは安全神話の継続と問題の先送りでしかない。そんな状態を国民は望んでいないし、そことコスト比較をしても意味はない。

本当に意味のあるコスト比較をしたいのであれば、原発を稼働し続けることによりこれから増える使用済み核燃料をきちんと負の資産として計上し、より厳しくなる安全基準により再稼働が不可能になる原発が少なくとも4割程度はあり(国会事故調による報告書参照)、かつ、稼働可能なものの運営コストも大幅に上昇する、という前提でコスト計算すべきである。それに加え、万が一同じような事故を起こした時のためのお金を政府と電力会社で毎年積み立てておくことも必要だし、避難経路の確保のためのインフラ投資コストも無視できない。

安全神話から脱却し、問題の先送りを辞めれば、脱原発をしてもしなくても電気代は高くなる。そこをちゃんと説明せず、一方的に脱原発のコスト増だけを政府の試算として発表するのは世論操作以外の何物でもない。

本来ならば「政治家が頭脳、官僚は手足」であるはずなのに、大脳の大半の機能まで官僚に任せてしまっている日本の政治家は、ある意味で国民の感情を間接的に反映する小脳+脊髄の役割しかしていない。たとえ小脳が(国民の意思を反映して)脱原発に舵を切ろうとしても、大脳が「それは理性的に考えれば無理。脱原発などしたら電気代が上がります」と言えば、それに反論もできなければ第三者に試算を頼む根性も持ち合わせていないのが今の政治家だ(それも民主党に限った話ではない)。

そう考えれば、なぜ SPEEDI の情報を官僚たちが公表したがらなかったのかも説明できる。理性的な行動を取れない国民に情報を与えても、脊髄反射でパニックを起こすだけだからだ。霞ヶ関が国民を愚民扱いし、政治家を愚民の代表としか見ていないから、こんな一方的な試算が政府の公式見解として発表されてしまうのだ。

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