アウトプットにおいて「プロデューサー魂」を持つことの大切さ
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ファンがいれば、炎上なんてこわくない

9月22日発売の「結局、人生はアウトプットで決まる 自分の価値を最大化する武器としての勉強術」からの引用です。

◉ファンとの交流が継続の最高のモチベーション(285ページ)

インターネットの特徴の一つに双方向性があります。従来のマスメディアのように、一方的に発信するのではなく、受け手側からも発信が可能になりました。読者やユーザーとのコミュニケーションも行いやすくなっています。

アウトプットしている人間にとって、読者からの反応というのは非常に嬉しいものです。ツイッターでもいいね! やリツイートをされたら嬉しいと感じる人が多いでしょうし、リアクションは気になるもの。その証拠に、ツイッターの通知が来たからとワクワクしながら確認してみたら、スパムっぽいアカウントからのリアクションで、ガッカリしてしまうこともあるはずです。

読者やユーザーからのリアクションというものは、モチベーションを上げてくれる最高の方法の一つです。

私の場合、ブログをもともと家族通信として始めたこともあり、その日に食べた料理などを載せていました。始めたばかりの頃に投稿した記事に「男の料理 鳥と野菜のシチュー」があります。これは、私流のシチューの作り方を載せたもので、写真やレシピと一緒に、「上の写真は、たった今、作っているシチュー(というかスープと、どこが違うんだろう? とろみのあるのがシチューかな、それとも具がたくさん入っているのがシチューかな?)である」と、ふとした疑問も書いていました(http://satoshi.blogs.com/life/2004/01/post_5.html)。

すると、ある主婦の方がコメントをくれました。たまたま通りがかった人がコメントを残してくれたわけですが、とても嬉しかったのを覚えています。

ページビューの増加もモチベーションを上げてくれます。私のブログでいえば「日本語とオブジェクト指向」という記事がバズって、爆発的なページビューを獲得しましたが、ブログを続けることへの意欲が一段と高くなったのは、言うまでもありません。

私はブログやメルマガ内で日本企業の問題点について触れることが多くあります。外から見えてきた問題点を鋭く指摘しているのですが、そうやってアウトプットを続けていると、「中島さんのブログを読んで就職先を変えました」とか「この記事の内容を使って上司を説得してみます」といったコメントをよくもらいます。ある意味、人の人生を左右するほどの影響力を持つことができたわけですから、モチベーションが上がらないわけがありません。

この話を「中島さんだからできたんだ」と諦めてしまえば、そこで「試合終了」です。たとえば、テニスについてアウトプットしているなら、あなたがすすめたラケットを読者が買ってくれることはありうるでしょう。あなた流のスマッシュのコツを読者が実際に試してくれるかもしれません。あなたのブログをきっかけにしてテニス好きが集い、リアルで練習や試合をすることだって十分ありえるのです。

 

◉炎上との正しいつき合い方(291ページ)

インターネット上での発言に対し、批判が殺到して収拾がつかなくなる「炎上」。アウトプットは、少なからず炎上のリスクをはらんでいます(よほどその世界であなたの名前が知られていたり、話題性の高いトピックでないかぎり、あまり心配しなくて大丈夫です)。多くの場合、失言や不祥事の発覚によって最初の火種が生まれます。しかし、中には正しいと思って発言したことで、思わぬ炎上の原因になることもあります。

実は私自身、「炎上」を起こした経験は何度もあります。最初に炎上したのは2007年、「鳥取砂丘に名古屋大学の学生がいたずら書きをした」というニュースへのコメントがきっかけでした。

学生たちが、砂丘に、サークル名の一部「HUCK」という文字を書き、問題になっていました。「天然記念物になんてことをするんだ」と批判が殺到していたのですが、私は「この程度のいたずらで騒ぐ方がおかしい」と思ったのです。

この記事を見て、私は小学生時代の出来事を思い出しました。雪が積もった日の朝のこと。住んでいたマンションの向かいにあった学校の校庭に、大きくいたずら書きをしたのです。マンションの住民全員に見えるように、校庭いっぱいにバカボンのパパを描きました。

学生たちが行ったいたずらも、私のいたずらも五十歩百歩。砂丘に致命的なダメージを与えたわけでもなく、風が吹けば消えてしまう話。しかも、まだ若い学生がやってしまったことであり、目くじらをたてずに大目に見るべきレベルです。まあ、仮に何らかの罰を与えるとしても「サークルのメンバー全員で砂丘のゴミ拾い」程度が適切でしょう。少なくとも、大人たちが寄ってたかって批判するほどのことではありません。

と、そんなことを書いたところ、これが大炎上。

世の中にはやってはいけないことがあるのは事実。しかし、このいたずらは小さなもの。以前、朝日新聞のカメラマンが、珊瑚に「K・Y」と落書きしたのとは次元が違います。

いたずらが法律違反かどうかという以前に、この程度のいたずらに対して、もっと世の中が寛容であるべきだと私は思うし、そんな意見を表明した私を攻撃する方がよっぽど住みにくい世の中を作り出していると思ったのです。

コメント欄には、さまざまな意見が飛びかいました。中でも目立ったのが、見慣れないユーザーからの猛烈な批判コメントです。批判されるのは気分の悪いものですが、一方で、こうやって通りすがりで他人のことを批判する人のほとんどは、日常生活のうっぷんを晴らすためにやっているのだ、と確信するに至りました。

つまり、日常生活は不満ばかり。正論や自分なりの正義を振りかざし、他人を批判することによってでしか心のスキマを埋められない、寂しい人たちなのです。

というわけで、批判は殺到しましたが、私は撤回も謝罪もしませんでした。自分が正しいと考えて発言したことには責任を持つべきですが、だからこそ、他人にあれこれ言われたからといって、撤回したり、発言を辞めてしまう必要はまったくないのです。

炎上といえば、東日本大震災の直後、日本の原発政策を猛烈に批判したブログ記事にも批判が殺到しました。私は、原発事故が起こるまでは政府や電力会社のやっていることは合理的に違いないと信じ切っていましたし、原発反対派の人たちの声に耳を傾けていませんでした。原発政策の不合理性にまったく気づいていなかったのです。そんな反省もあり、事故後には猛烈に勉強したうえで、批判する内容をブログに書き綴っていました。当然、実名で責任を持って発言していたのです。

ところが、脱原発の話となると、とたんに「脱原発派には具体的なプランがない」「再生可能エネルギーは高すぎて、補助金なしでは成り立たない」「狭い日本では、再生可能エネルギーは無理」「再生可能エネルギーでやっていけるという詳細な試算があるのか」「CO2が増えてもいいのか」「大停電が起きる」「日本経済が失速する」などのヒステリックな反応ばかり返ってきます。

寄せられたコメントを読んでみると、ネガティブなものに限って論理的ではありませんでした。しかも、私の意見にではなく、私自身を攻撃しに来ているものばかり。批判コメントの中には、読む価値のあるものもありましたが、その割合は1%程度。コメントから何かを得ようとしても、逆に失うものの方が多いありさまでした。

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