極上のインプットはアウトプットの化学反応から生まれる
2018.09.24
9月22日発売の「結局、人生はアウトプットで決まる 自分の価値を最大化する武器としての勉強術」からの引用です。
◉人に話すことが最高のインプットになる(198ページ)
一般的に、「話すこと=アウトプット」というイメージがあります。私はこれまで何度も講演で話してきましたが、多くの観客に私の話を聞いてもらうわけですから、この行為はアウトプットの最たるものと言えると思います。反対に、講演に参加している側からすれば、「一流と呼ばれる人たちの話を聞くこと=最上のインプット」となるでしょう。
しかし、先日、この逆転現象が起きたのです。
2018年の5月、青山学院大学で、「シンギュラリティと自動運転車」というテーマで講演を行いました。以下、講演の要点を列挙します。
飛躍的な進歩を遂げている、AI(人工知能)技術。この進歩は、世の中にさまざまな変化をもたらします。
その中でも、自動運転車は人々のライフスタイルや街の姿を大きく変えるという意味でとても重要な役割を果たします。それは、90年代の中頃に普及し始めたインターネットによる世の中の変化が、2007年の iPhoneの登場によって大きく加速したのと似ています。
自動運転技術は、もっとも進化しているテスラがようやく現在レベル3と言われる「条件つき自動運転」に達したところです。技術的には2020年ごろにレベル4「高度自動運転」、レベル5「完全自動運転」が実現されると予想されています。しかし、実際にそれが、インターネットにとっての iPhoneのように一般に普及し始めるのは、さらに先でしょう。
自動運転が一番難しいのは、一般道での中速運転(時速25キロから60キロ)で、歩行者や自転車による飛び出しなどに対処するのはまだまだ簡単ではありません。
さらに、Uberやテスラが起こした事故に対するメディアの否定的な反応は凄まじいものでした。こういった半ばヒステリックな反応を見てわかる通り、自動運転車は単に「人が運転するよりも安全」なレベルでは不十分。「人が運転するよりもはるかに安全」なレベルを実現しないかぎり、社会に受け入れられないでしょう。
その意味で、当面は街の一部に自動運転車用の専用車道や特区を設け、そこでは自動運転車のみ、つまり人、自転車、人間が運転する自動車とは交わらない形で導入していくのが理にかなっているし、現実的だと言えます。
ちなみに、「自動運転社会」とは、単に自動運転機能を持つ個々の車がバラバラに走っている社会ではなく、無数の自動運転車をインターネット上のAIが「群れ」として認識し、最適な配車サービスを行う社会です。その意味では、統制のとられた集団生活を行う「アリ」や「ハチ」の行動に似ています。
そんな自動運転サービスの普及により、事故は減り、渋滞がなくなり、街から駐車場スペースが消え、人々は移動中の時間に「運転」以外のより有意義なことを行うことができるようになります。
そういった時代の自動車は、当然ですが、「所有するもの」から「必要に応じて呼び出して、目的地へ届けてもらい、乗り捨てるもの」に変わります。ロボットタクシーや、自動運転 Uberがそれにあたるでしょう。
ちなみに、人々が持つさまざまな移動手段のうち、タクシーが占めているのは(距離で換算して)わずか0・8%しかありません。市場規模にすると、約2兆円です。それに対して、自家用車による移動は60%。
自動運転サービスが置き換えるのは、0・8%のタクシー市場だけではなく、60%の自家用車市場なのです。そこを意識しないと、自動運転車が社会に与える実質的なインパクトの大きさは理解できません。
そんな時代になると、「自動車」というハードウェアはコモディティ化し、利益を上げることができるのは、顧客との直接のつながりを持つ「自動運転サービス」を提供する会社だけということになります。
つまり、既存の自動車メーカーにとっての最大のライバルはUberであり、グーグルから分社化した自動車メーカーのWaymoなのです。
このとてつもない変化は、これから20年くらいかけて着実に起こっていきますが、既存の自動車メーカーの経営陣は、「既存のビジネスからのキャッシュフローを維持しながら、来るべき変化に備え、(その既存のビジネスを破壊する)新しいビジネスに向けて積極的な先行投資をする」という非常に難しいかじ取りをしなければなりません。まさにクレイトン・クリステンセン氏の言う「イノベーションのジレンマ」です。
そんな自動運転サービスをスムーズに導入するためには、専用道路や専用ゾーンを作るなどの大規模なインフラ整備が必要で、東京のような大都市に導入するにはコストがかかりすぎます。
その意味では、いきなり都市部でサービスをスタートするよりも、はっきりとしたニーズがある場所(たとえば、老人が移動手段をなくしつつある日本の過疎地)に向けた小規模なサービス(最初は人が運転するバスでも良いと思います)を丁寧に立ち上げ、そこでノウハウを溜め込みながら、少しずつ市場を(自ら)切り崩していくのが賢い選択のように私には思えます。
この変化は、その大きさゆえに20年くらいかけてゆっくりと起こるでしょう。そのゆったりとしたスピードゆえに、既存の自動車メーカーは「ゆでガエル」状態に陥りやすいので注意が必要です。トップが常に危機感を持ち、明確なビジョンに向け、たゆまずメッセージをアウトプットする必要があります。
また、過去のインフラを抱える東京のような大都市も、その変化について行けずに、中国共産党の独断で作られたまったく新しいメガシティなどに大きな遅れをとってしまう可能性が高いと思います。遷都も含めた、大胆な政治決断が必要な時期が来ているように思えます。
講演の内容は以上でした。その後、質疑応答コーナーに移ったのですが、その際にとても活発なディスカッションができたのです。
私が講演のなかで、日本の過疎地向けの配車サービスについて話したときのことです。新たな配車サービスは、既存の路線バスのように、決められた停留所を回る方法ではなく、「乗りたい」と思った人のもとへ向かう方法が良いと思いました。
ただし、そこには大きな懸念があります。それは、「乗客がどうやって自動運転車を呼び出すのか」ということです。スマホアプリという選択肢がすぐに思い浮かびますが、このサービスのメインユーザーは、自動車を運転しなくなった年配の方々。つまり、アプリで呼び出してもらうのは何かとハードルが高いのです。
私も、その最適解が見つからないままでした。講演の中でも、「スマホのインターフェイスが課題」だと指摘していたのですが、質疑応答コーナーで、ある参加者さんから「アマゾンダッシュボタンのようなデバイスを使って、ボタン一つで病院にまで連れて行ってくれるようにすれば良いのでは?」というアイデアが出たのです。
アマゾンダッシュボタンとは、左ページにある、アマゾンが提供するボタンつき専用デバイスのこと。日本であれば洗剤の「アタック」にはアタックの、「南アルプスの天然水」には南アルプスの天然水専用のアマゾンダッシュボタンがあり、注文したくなったら、ワンプッシュで注文が完了するデバイスです。高齢者向けに需要があるのは、「病院・スーパー・役所・健康センター」などでしょうから、それぞれのアマゾンダッシュボタンのようなデバイスを用意すれば、懸念は解決します。この提案はとても秀逸だと思いました。
講演後に、懇親会にも参加したのですが、「福井県の鯖江市は、市長が高齢化に危機感を持ち、先進的なアイデアに耳を傾けてくれる。そんなサービスの実証実験をするには良いかもしれない」という意見もいただき、実際に鯖江市まで行って提案してみるのも悪くないと感じました。
このように、私の中で明確な答えが出ていなかったことも、講演会という公のアウトプットをしてみることで、思わぬ最適解、つまりインプットを得ることができたのです。私にとって、とても印象的な出来事となりました。
懇親会といえば、その後に行われる二次会には基本的に参加しません。これが懇親会ではなく、名刺交換会や何らかのパーティーでも同じですが、二次会へ行っても、大して得るものはないからです。代わりに、懇親会で話してみて、もうちょっとじっくりと深い話をしたいなと思ったり、その人と組んで何かプロジェクトを進めたいと思った人がいたら、声をかけてサシで二軒目に向かうようにしています。これならば、単にお酒が入って楽しいだけだったり、なかなか深い関係を築けない二次会よりもよっぽど有益なのです。
◉興味のある分野が同じ人との会話が思考のイノベーションを生む(206ページ)
人に話してみる(アウトプットする)ことで、思わぬインプットを得ることができる。もう一つ、その例をお話ししたいと思います。
以前、ホリエモンこと堀江貴文さんと対談したときのことです。
私自身が自動車メーカーをクライアントにして仕事をしていることもあり、「自動車業界に訪れている大変化」だとか「自動運転が実現されたときの社会のあり方」などは常日頃から考えていますし、メルマガなどを通じてもアウトプットしています。
「自動車メーカーが単なるメーカーのままでいては、コモディティ化してしまう」など、すでに明らかになってきたこともありますが、なかなかはっきりとした答えが見つからずに、モヤモヤとしている問題もあります。
その中の一つが、「シェアリング・エコノミーとパーソナルスペース」の両立でした。
人が自分の自家用車(ひと昔前の言い方をすれば、マイカー)を持つ理由はいろいろありますが、大きく分けると、次の4つになります。
・財産になる
・ステータスシンボルになる
・いつでも好きなときに使える
・パーソナルスペースを持てる
1番めの「財産になる」ですが、自動運転+シェアリング・エコノミーの時代になると、まったく意味をなさなくなることはおわかりいただけると思います。車の稼働率がケタ違いに高くなるため、シェアした方が一乗車あたりのコストは圧倒的に安くなるからです。そもそも、車検代や保険料、駐車場代や税金などを考えると今現在ですら財産と呼べるか怪しいものですが。
2番めの「ステータスシンボルになる」は人間の根源的な欲求に根ざしたものなので、ある程度は残ると思いますが、最終的には、現在でいう「競争馬を持てるくらいリッチだ」といった、象徴的なものになると思います。
3番めの「いつでも好きなときに使える」は便利さについての話ですが、すでにカーシェアリングサービスや(人間が運転する)Uberでさえ、自家用車よりも多くのシチュエーションにおいて便利なことが証明されています。自動運転+クラウド配車の時代になれば、便利さにおいてもシェアした方が上回ることは明らかなのです。
私がモヤモヤしていたのは、4番めの「パーソナルスペースを持てる」についてでした。一人で自動運転車に乗ればプライバシーの問題は解決できるし、インフォテインメント(音楽やカーナビ)も技術でなんとかできます。しかし、みんなでシェアする以上、「不特定多数の人が座った、汚れていたりする可能性のあるシートに座らなければならない」という問題だけは解決しようがありません。私は、この答えをずっと探していたのです。
しかし、堀江さんが対談中にこう言いました。
「でも、もし自動運転車が普及していけば、でっかいバスみたいなのを作って、今のお年寄りとか障害者の優先席みたいな場所を作って、ワイヤレス充電のスポットみたいにして、そこにガチャンとパーソナルモビリティ(以降、PM)がつながるようにして……」
そう聞いたとたん、私の中でそれまでバラバラだったパズルが、一気に組み合わさったような感覚に包まれました。そして、私は「ひょっとしたら、PMが普及したら、バスの中には椅子はいらないですよね。みんなが持ってるわけだからね」と続けることができたのです。
堀江さんはとても頭の回転が良いので、すぐに私が言っていることを理解してくれて、そのまま話が発展しましたが、実はここで、先述の「自動車のシェアリングにおけるパーソナルスペース問題」を解決するイノベーションのタネが生まれた、と私は感じました。
わかりやすく言えば、堀江さんの頭の中には「電気自動車の充電問題は、電気自動車の『入れ子』で解決できる」というアイデアがあり、それが私の頭の中にあった「自動車のシェアリングにおけるパーソナルスペース問題を解決したい」というモヤモヤ感と化学反応を起こして、「全員が(低速の)PMで移動するようになり、そのままシェアリング自動車に乗り込めばパーソナル空間を提供できる」というイノベーションに結びついたのです。
ちなみに、ここで言うPMとは、低速で動く軽量の電動車椅子のようなもので、ホンダの「UNI-CUB」やアイシンの「ILY-A」のようなものをイメージしてもらえば良いと思います(もちろん、もっと車椅子っぽいものでも良いし、健康のために人力が必要なものもあって良いと思います)。
誰もがこんなPMを持っていて、かつ、それが自動運転車のシェアリング・ネットワークとつながっていれば、PMに行き先を入れるだけで、近いところであればPM自身が自動運転で連れて行ってくれるし、中距離以上であれば、より大きな自動運転車を呼び出してくれ、それにPMごと乗り込んで行き先(もしくは行き先の近く)まで連れて行ってくれるというわけです。
行き先を指定する際に、時間優先、値段優先、プライバシー優先などの指定ができるため、自分だけのプライベート空間がほしい人は「プライバシー優先」を指定すれば、一人乗りの小型の自動運転車を呼び出してくれて、自家用車と同じような「個人の空間」を持つことができるのです。
「全員がPMで移動する世界」というのはちょっと想像しづらいと思いますが、携帯電話が発明される前に「あらゆる人がポケットに電話を入れて歩く時代」が想像できなかったのと同じで、あまりにも斬新なアイデアは、今の社会やライフスタイルと違いすぎて、簡単には受け入れられないものです。
もちろん、この手の斬新なアイデアを実現するためには、数多くの障害を乗り越える必要があります。「そんなものは必要ない」「そんなものはSFの世界だ」「そんな先の問題よりも、当面の問題を解決すべき」というネガティブな反応をする人が大半のなか、資金を集め、人を集め、協力してくれる企業や自治体を見つけ、技術的・法的・経済的問題を一つずつ解決していかなければならないのです。
私にとって日常のアウトプットの延長であった対談でしたが、堀江さんからの思わぬインプットによって、モヤモヤしていた部分が一気に晴れ、さらに思考を深めることができました。堀江さんはとても想像力豊かな方ですが、かといって「ホリエモンが相手だったから」というわけではないはずです。たまたま彼と私の興味のある分野が共通していたことが大きいと考えています。自分の中でモヤモヤとしているものを人に話してみると、意外なインプットが得られる可能性は十二分にあるのです。
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