先日、たまたまティーンエージャー(13~19才)の子供を持つ親のための講習会に出る機会があったのだが、そこで『二つのWhy』という話を聞いた。日本語にも若干通じる部分があるので、今日はそれに関する英語うんちく。
その講師は、親はティーンエージャーの「Why」には二種類あるので注意すべき、と主張する。一つは単なる質問の「Why」で、この場合は普通に答えて良い。もう一つが、こどもが自分が何かを拒否したい気持ちを伝えたくて「Why」と言っている場合。この場合に、その気持ちを理解しておきながら、理屈だけで納得させようとすると泥沼にはまってしまう、と指摘するのだ。
良い例が登校拒否のこども。親が「学校に行きなさい」というと「なぜ学校にいかなければいけないの?」と言い返してくる。そこで親としてはつい「ちゃんと学校を卒業しなければ、ちゃんとした会社に就職できないんだよ」などと答えて説得を試みたくなるのだが、そうすると「どうしてちゃんとした会社に入らなければならないの」とさらにつっかかってくるのがその年頃の子供である。そんな彼らのペースに乗せられていると、いつの間にか本題から大きくはずれた「人間の幸せとは何か」みたいな禅問答になってしまうのだ。
その講師に言わせると、そんな時には「そうか、学校に行きたくないのか。なぜ行きたくないんだい?」と、まずは子供が本当に訴えたかった点をこちらがちゃんと理解していることを示してあげた上で、会話を続けることが大切なのだそうだ。
この話を聞いていて思い出したのが、アメリカ人の上司を初めて持った時に"Why don't you ~?"という言葉を文字通りの質問と誤解してしまってかなり無駄に不愉快な思いをしてしまったこと。
私「週末ぶっとうしで働いてきて、頭がフラフラだよ。」
上司「Why don't you take a break?」
これを、「どうして一息入れないんだい?」(take a break = 一息入れる)と文字通りの質問として受け取ってしまった私は、「仕事がたくさんあるから週末働いていたことぐらい知ってるだろう。くだらない質問するな!」と心の中で怒りまくっていたのだが、しだいに英語に慣れてくるにつれ、「Why don't you ~?」はどちらかというと「~したらどう?」ぐらいの意味だということがだんだん分かってきた。つまり、上の会話は、
私「週末ぶっとうしで働いてきて、頭がフラフラだよ。」
上司「少し一息入れた方がいいんじゃない?」
というごくごく普通の会話なのだ。
こう考えてみると、同じWhyでも色々とあることが分かる。
Why do I have to go to school? (拒否のWhy)
Why don't you take a break? (提案のWhy)
Why are you Romeo? (感嘆のWhy、by シェークスピア)
Why is this car so f***ing slow? (悪口のWhy)
ちなみに、外交ベタの日本人の中でピカイチの交渉力を見せた白州次郎は、何かにつけて"Why?"とアメリカ人に食い下がり、"Mr. Why"と異名をとったらしいが、そんなWhyを使いこなせる人が今の政治家や官僚にいるのかいささか心配である。
「なぜアメリカ軍の基地の移転費を日本が三兆円も負担(参照)しなければならないんだ?」とブッシュに食い下がる根性のある人がなぜ日本にはいないのだろう?