今日のジョーク: ブランド好きの男の話

 仕入れたばかりのジョークを一つ。ちょっとブラック・ジョークなので、要注意。

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 事故でぐしゃぐしゃに潰れたBMWから、血まみれの男が出てくる。

 通行人が心配して駆け寄ると、

 「俺のBMWが...。俺のBMWが...。買ったばかりの新車なのに!」

と嘆いている。

 駆け寄った女の人が、

 「それどころじゃないわよ。道のあっち側を見なさいよ。あれ、あなたの左手じゃないの!」

と指をさす。

 さされた指の先を見た男が言う。

 「俺のローレックスが...。俺のローレックスが...。」


映画「ゲド戦記」を見てあらためて認識した宮崎駿のすごさ

 思いっきり周回遅れでやっと映画「ゲド戦記」を見たわけだが、感想は多くの人と同じ。これではジブリ作品の将来があやぶまれる。今まで、ナウシカ・トトロ・宅急便・ラピュタなどの超一流作品を宮崎駿監督の指揮のもとに出して来たスタジオジブリ。優秀なスタッフを抱えていても、監督が違うだけでこんなにも出来が違うとは。結局は監督なんだな、と。

 「ゲド戦記」を見てあらためて認識したのは、宮崎駿が作る「世界観」の説得力のすごさ。子供にしか見えないネコバス、毒をまき散らす腐海、飛行石、神様たちの銭湯ーそんな、本来ありえないものを題材にしながら、わずか最初の五分間で彼が作り出した世界が妙に納得できてしまい、あとはワクワクドキドキしながらストーリーを楽しむだけ。それが宮崎マジックである。

 映画「ゲド戦記」の一番の問題は、この「観客に映画の中の世界観を瞬時に納得させる力」の欠如である。あんなに「入って行けない」映画は久しぶりであった。映画が作り出す世界観が納得できないままでは、主人公の気持ちも伝わって来ないし、ワクワクドキドキもしない。Wikipediaのスタジオジブリの項目に書かれている「宮崎(駿)と高畑の2人が引退したらジブリも終わる」という言葉も納得できる。少し寂しい気もするが、これだけ映画が産業として成熟しているにも関わらず、良い作品を作る力が一個人に属しているというのは、なんだかそれはそれでうれしいような気もする。


映画評:Bourne Ultimatum (ボーン・アルティメイタム)

 「公開されたらすぐに見に行く」リストに入っていたにも関わらず、「一作目と二作目をもう一度見てから行った方が良い」との勧めに従ってDVDをレンタルしていたりしたものだから今になってやっと見に行ったJason Bourneシリーズの第三作、Bourne Ultimatum。期待通りの作品であった。「今年のNo.1アクション・ムービー」の筆頭候補だ。

 ここのところ、スパイダーマン3やオーシャンズ13のように、「制作費をかけて作った続編を派手に宣伝さえすれば客は来る」と観客を見下したような連作ものが目立つハリウッドだが、このJason Bourneシリーズはレベルが違う。アクション・ムービーのヒーローとしては、インディアナ・ジョーンズと肩を並べると言っても良いのではないか。

 ちなみに、似た話だとは思っていたがなぜか原作ではないと頭から決めつけていたラドラムの「暗殺者」が、実は第一作Bourne Identifyの原作だと今になってやっと気がついた私である。思えば、この本をきっかけにラドラムファンになったぐらいにインパクトの強い本だったので、映画が楽しめて当然である。

 しかし、アマゾンで調べてみると、肝心の「暗殺者」(新潮文庫)はすでに絶版のようだ(マーケットプレースへの出品はある)。ここは版権を持っている新潮は、日本での11月の公開にあわせて(参照)タイトルを「ボーン・アイデンティティ」と改題してハードブックで再出版するべきではないだろうか。これだけ面白い映画の原作なんだから、1800円ぐらいは平気で出す人はたくさんいるはずだ。(どうでしょう、新潮さん。このブログでも宣伝しますけど^^)。

 Youtubeに予告編がアップロードしてあったので、ここに貼付けておく。


 


ブログと第一印象の話

Dance

 今回の日本出張も、いつもの出張と同じく人と会ってばかりいたのだが、その半分ぐらいの人が「タイル、大変ですね」と同情してくれる。出張寸前にあのエントリーを書いたのは良いのだが、忙しくて更新できず、この出張の間一週間、あのエントリーがこのブログの顔として(つまり私の第一印象として)君臨していたことになる。

 知り合いと久しぶりに会うときや、初対面の人と会うときには、相手方のブログに軽く目を通しておき、ミーティングの冒頭に話題として引き合いにして親近感を高める、ようなことは私も時々使うテクニックだが、その意味ではあのエントリーは格好のネタになってしまったようだ。

 最初は、「次はもう少しカッコいいエントリーを書いてから出張に来よう」と思ったりしたのだが、良く考えてみると結果としては、話題にしやすいという意味では、ああいうエントリーも悪くなかったのかも知れないとも思える。

 「明日は中島っていうITブロガーに会うから読んでおくように」と上司に指示されたエンジニアが私のブログを開いてあのエントリーを見て「どうしてこれがITブログなの?」と肩すかしを食らう姿を想像するのも楽しかったりする私である。


高速道路を走るのが楽しいか、道なき道を走るのが楽しいか

 MBAの授業がらみで心理テストを受けることになったのだが、そのテストの質問項目の一つで目を引いたのがこれ。

In doing something that many other people do, does it appeal to you more to do it in the accepted way, or invent a way of your own?

他の人もたくさんしている「あること」をあなたもすることになったとき、一般に良く認められた方法でやるのと、自分独自のやりかたを発明するのとどちらに魅力を感じますか?

 もちろんケース・バイ・ケースではあるのだが、ほとんど必ずと言って良いほど、まずは「自分なりのオリジナルな手法は生み出せないだろうか」と考えをめぐらせるのが私。どうしてもオリジナルな方法が見つからなかったり、それがあまりにも効率が悪い場合のみ「一般に良く認められた方法」を仕方がなく使う。

 将棋とか囲碁のようにすでに膨大な数の「定跡(囲碁の場合は定石)」が解明されてしまっているものがどうも魅力的に思えないのは、強くなるための近道が「まずは定跡を覚える」ことであり、「自分なりのオリジナルな指し方を作る」ことではない点。面白くもない高速道路を突っ走った挙句に渋滞に巻き込まれるなんて苦痛は私には耐えられない。

 その点、「数独」にはまだ確立された定跡もないので、思う存分にクリエイティビティが発揮できる。将棋とか囲碁も定跡が確立されていないころはとても楽しかったのに違いない。


風呂場のタイルの修理を自分ですることにしたのだが…

Tile2

 悩んだあげく自分で修理をすることに決めたタイル。Home Depotで事情を説明すると、「そんなの簡単だよ」と丁寧に説明してくれる。そこで必要な道具を買い込み(約50ドル=約6000円)、さっそく家に帰って説明通りに実行する。

 手順は以下の通りだ。

・特殊な道具を使い、タイルの間の目地(grout)を削り取る。
・ノミとハンマーでタイルを割り、削り取る
・さらにその下にある接着剤を削り取る
・新たな接着剤を塗る
・新しいタイルを張る
・目地を特殊な道具を使って埋める
・目地に防水加工をする

 そこでまずは問題のタイルの回りの目地を丁寧に削り取り、タイルを割って削る作業に取り掛かる。タイルがとても硬いので、ハンマーでガンガンたたいても時間がかかる。そうやってもう少しで問題のタイルがすべて削り取れそうになったときに、隣のタイルにもヒビが入っていることに気がつく。

 「あ、こっちのタイルにもヒビが」と私。
 「ひょっとして、振動でわれちゃったんじゃ。」と心配そうな妻。
 「きっとこっちにももともとヒビが入っていたんだよ。こっちのタイルも一緒に一緒に取り替えよう」と楽観的な私。
 「大丈夫かなァ」と心配そうな妻。

 二つ目のタイルをノミとハンマーで削り取っているとき、今度ははっきりと「パリッ」と音がして、そのまた隣のタイルにヒビが入る。

 「あ、まただ」と手を止める私。
 「もうやめた方がいいよ」とストップをかける妻。

 ということで、結局は業者を呼ばなければならなくなってしまった我が家。落ち込む私に、「こうなったら風呂桶ごと取り替えちゃおうか」と全然なぐさめにならない言葉をかける妻。


「ギークの格言」ベストスリー

Flower1  diggで見つけた"The best geek Quotes, Sayings and Phrases"というエントリー。そのうち、私の笑いの琴線に触れた三つを紹介する。

・There are 10 types of people in the world: those who understand binary, and those who don't.
→この世の中には10種類の人間がいる。二進数が分かる人間と、分からない人間だ。

・I would love to change the world, but they won't give me the source code.
→僕は喜んで世界を変えてみせるつもりなんだけど、奴らったらソースコードを僕に渡してくれないんだ。

・The glass is neither half-full nor half-empty: it's twice as big as it needs to be.
→コップは、「水が半分入っている」のでも「半分空っぽ」なのでもなくて、コップが本来あるべき大きさの二倍の大きさを持っているだけなんだ。

 その中でも最も気に入ったのが、三番目のコップに関する格言(何のパロディだか分からない人はここを参照)。「愛すべき理科系人間たち」で紹介したジョークに通じる笑いだ。


映画評: Hairspray

 ジョン・トラボルタが太った女性(主人公の母親)を演じるミュージカル・コメディ映画「Hairspray」が公開されたので早速行ってきた。まだ白人と黒人が別々の教室で授業を受けていた1962年のBaltimoreを舞台にした、ダンス好きの小太りの女の子Tracyを主人公にした、とにかく笑えて元気の出る映画。

 私もこちらに暮らすようになって知ったのだが、こちらではわずか四十数年前まで国や公立学校でどうどうと人種差別が行われていたのだ(参考:wikipedia, racial segregation)。そんな中で、それまでの「常識」に疑問を投げかけ、「未来のために」と立ち上がるTracyは「正のオーラ」のかたまりだ。

 ちなみに、となりに初老の白人女性が二人座っていたのだが、自分たちの青春時代が懐かしいのか、激しい盛り上がりをして大笑いをしていた。最初はどうしようかと思っていたのだが、あそこまで徹底的に楽しんでいる人たちがとなりに座っているとこちらまで一緒にもりあがってしまうから不思議なものだ。帰りがけに、「good movieだったね」と声をかけると、「great movieよ」と返された。こんな風に知らない人と気楽に会話ができるここ(シアトル)の文化が妙に肌になじんできた今日このごろである。

 日本での公開はいつかは知らないが10月の中旬らしいが、とりあえずYoutubeにアップロードされていた予告編を貼り付けておいたので、興味のある人はどうぞ。


詩「山道と犬」

山道を一人で歩いていると
 前から犬が一匹で歩いてくる
 とぼとぼと一匹で歩いてくる

飼い主はどうしたのかな
 迷子になっちゃのかな
 それとも「のら犬」かな

のら犬だったらやだな
 へんな病気を持っているかも知れない
 突然襲いかかってくるかも知れない

そうだ、首輪をチェックしよう
 首輪をしていれば飼い犬だ
 首輪をしていなければ「のら犬」だ

見てみると、首輪をしているじゃないか
 これなら安心だ
 誰かの飼い犬なら安心だ

でももっと良く目を凝らしてみると
 ネクタイをしたサラリーマンだった
 ああ、これならもっと安心だ

【追記】こちらのトーク番組で、「ネクタイは必要か」「なぜ人はネクタイをするのか」という話題にインスパイアされて書いた詩。ネクタイを犬の首輪にたとえた人はいままでもたくさんいるし、「男はなぜネクタイを結ぶのか」に書いてあるとおり、ネクタイをする=私はちゃんと社会のルールに従う人ですよ、というメッセージであることは否定しがたい。それを逆手にとって、ネクタイをしない=私はクリエーティブな人ですよ、というメッセージになっている点が興味深い。Appleの「Mac vs. PC」の広告(参照)がその代表的な例だ。私の場合は、単にあの「首が締め付けられる苦しさ」が耐えられないからしないだけのことであるが…。

【追記2】「男はなぜネクタイを結ぶのか」のアマゾンの書評に、こんな文章を発見。こんな見方もあるのか…

 この本の最後の方に、「ネクタイは首輪のようなもの」ということが書いてある。首輪のない犬が野良犬と見なされるように、スーツとネクタイは一人前の男のシンボルに違いない。「世間的」には人気があった堀江貴文被告が、大人の社会からはじかれてしまったのも、彼の服装が、野良犬的野蛮さ、世間を知らないガキと見られたのに一因があるのではないだろうか。