エンジニアにも分かる「アベノミクス」
2013.03.18
(理科系の友人が多い)Facebook の方で「アベノミクスの正体を誰か解説してくれ」という話題が盛り上がっていたので、私なりに「エンジニア向け」の解説をしてみる。まずは基礎知識から。
1. 経済学と数学・物理学との違い
経済学が相手にしているのは「人間の行動」であり、数学・物理学のように、基本的な「定理」を積み上げて現象を予測することが不可能だ。基本的には「経験則」に基づいて人々の行動を「予測」するしかない点が、学問として物理学とは大きく違う。
2. 景気にかかる「正のフィードバック」
経済学が対象とするものの一つに「景気」がある。景気の尺度には、GNP、物価、株価、失業率など色々とあるが、常に「正のフィードバック」がかかる性質を持っており、これが色々な問題を引き起こす。
「不動産価格」が一番分かりやすい例だが、不動産の価格は、より多くの人が「将来は不動産の価格が上がる」と思うとそれを先取りして値段が上昇する傾向がある。「今年3000万円で買ったマンションが、来年になれば4000万円で売れる」と分かっていれば、1年で1000万円の利益を上げることが出来るからだ。しかし、実際には、来年の不動産価格がどうなっているかを「知っている」人はいない。そこで多くの人が「最近の価格の動きから将来の価格を予想する」という行動を取る。「2月の不動産価格が平均2%も上昇した」という情報から、「不動産価格が上昇に転じた、今が買い時だ」と判断し、不動産の購入に走るのだ。多くの人が不動産を買えば、当然価格が上がり、それがさらに人々の購買意欲をそそって不動産価格が一気に上昇する。これが典型的な「不動産バブル」だ。
実際には、物価だけでなく、さまざまなものが相互作用しあって景気が作られるが、基本的には「景気が良くなったと人々が感じると、購買意欲・投資意欲が増大し、さらに景気が良くなる」「景気が悪くなったと人々が感じると、購買意欲・投資意欲が減退し、さらに景気が悪くなる」という正のフィードバックが働いている。
そのため、政府や中央銀行が何もしなければ、景気は何年〜何十年のサイクルで乱高下する。正のフィードバックが効いた電気回路が「発振」してしまうのと同じだ。「景気が良い」という感覚に踊らされた人々が借金をしてまで物や不動産や株を買い、物価も株価も上昇仕切ったところで、何らかのキッカケで人々が「この好景気は加熱し過ぎた」と気がついたところで、風船が一気に萎むように景気が後退する。これを繰り返すのだ。
3. 中央銀行の役割
各国の中央銀行(日本の場合は日銀)の役目は、この景気の乱高下を避けるために、人為的な負のフィードバックを与えることにある。景気が過熱してくると、市場から現金を引き上げる(保有している国債を売る)ことにより金融を引き締め、景気が後退してくると、市場に流れる現金を増やす(市場から国債を買う)ことにより金融を緩和する。かまどの火を調整するために、砂をかけたり空気を送り込んだりするのと同じだ。
4. デフレの罠(流動性の罠)
しかし、中央銀行の市場介入には限度がある。景気があまりにも冷え込んで、短期国債の金利がゼロになると、いくら市場に流れる現金を増やしても景気は良くならないのだ。「不動産価格がこれからも下がり続ける」と誰もが思っている時には、たとえ金利がゼロでも、借金してまで不動産を買う人がいないのは当然だ。
つまり、短期国債の金利がゼロになった状態とは、かまどの火が消えてしまった状態に等しく、いくら空気を送り込んでも景気は良くならないのだ。
一度はまってしまうと、中央銀行の金融政策だけでは決して脱却できないため、経済学者たちはこれを「流動性の罠」と呼んでいる。これがまさに日本がバブル崩壊後に陥った状況だ。
5. デフレの脱却に必要なもの
デフレを脱却するには、基本的に二つの方法がある。一つは、戦争や産業革命のように、実際の需要や生産性の向上をもたらす「何か」で、これはエンジニアにも分かりやすい。しかし、今の時代、景気回復のために戦争を始めることなど出来ないし、突然の生産性の向上にも期待できない。
もう一つは、「これから景気が良くなるに違いない、物価が上がるに違いない」という人々の期待である。ここがエンジニアには一番分かりにくい部分だが、上に書いた「経済学と数学・物理学の違い」を思い出して欲しい。経済学が相手にしているのは「人間の行動」であり「人々の気分」なのだ。
何らかのキッカケで、十分な数の人が「これから景気が良くなるに違いない」と思えば、最初に株価が上がり、次に不動産価格が上がる。するとその「景気指数」の上昇を見たより多くの人が「これは本当に景気が良くなるに違いない」と思い、さらに株価と不動産価格が上がる。すると、含み資産が増えた人々が安心してものを買う様になり、企業の業績も上がり、それが結果として賃金の上昇や失業率の低下につながる。上に書いた「正のフィードバック」が始まるのだ。
6. アベノミクスの正体
ここまで読んでいただければ、「安倍さんはまだ何もしていないのになぜ株価が上がり始めたのか」が理解していただけると思う。アベノミクスの正体は、「政府が毅然とした態度で景気回復を約束することにより人々に『これから景気は良くなる』と思ってもらい、それを起爆剤として正のフィードバックを作り出して実際に景気を良くする」ことにあるのだ。
その意味では、アベノミクスは既に始まっているのだ。安倍さんが「日銀法を改正してでもインフレ2%を達成する」と毅然とした態度で景気回復を約束したことが、「アベノミクス効果を先取りして儲けよう」という人達の「株の購入」「円売りドル買い」を呼び、それが株高・円安を招いているのだ。
そして、今回の株高・円安が、「アベノミクスに乗り遅れまい」とする人達のさらなる「株の購入」「円売りドル買い」そして「不動産購入」を呼べば、それが実質的な「含み資産の増大」に繋がり、輸出型企業の利益増大に繋がる。
つまりアベノミクスとは、「アベノミクスにより景気が良くなるかも知れないという気持ちを人々の心に与えることにより、実際に景気を良くしてしまう」という心理作戦なのである。
このエントリーを読んで「アベノミクスはまやかしだ、騙されてはいけない」と感じる人もいるとは思うが、「騙される人が十分にいれば実際に景気が良くなってしまう」点が重要だ。とりあえず、ここまでの結果を見れば、実際に株価は上がっているし、円安も進み、輸出型企業の利益は上昇している。まやかしであろうとなかろうと、より多くの人が「アベノミクスに乗り遅れてなるものか」とさらに株と不動産を買いあされば、日本はあっさりとデフレから脱却してしまうのだ(もちろん、その後にはバブルとバブルの崩壊が待ち受けているだろうが、その時には安倍さんは総理大臣はしていない)。
経済学は数学・物理学と大きく違うのである。