昨日のエントリーで、「人は一つの仕事を処理するときには、それを小さな仕事に分割して、順番に処理する」と書いたが、「パンを焼く」という仕事を例に取れば、こんな風になる。
1.イーストを30℃のお湯と一つまみの砂糖とまぜて15分間予備発酵させる
2.ボールに強力粉、予備発酵させたイースト、砂糖、塩を入れて良く混ぜる
3.こね板の上で生地をこねる
4.ボールにラップをして室温で1時間発酵させる(一次発酵)
5.適当な大きさに生地を分割し、丸めて形を作る
6.オーブンに入れ、30分発酵させる(二次発酵)
7.オーブンの温度を200度にして18分焼く
これは、ソフトウェアで言えば「手続き型のプログラム」であり、人間が一連の作業を把握するのに最も適した記述の仕方である(その証拠に、実際のどのレシピブックを見ても、レシピは必ず「手続き型」で書かれている)。
興味深いのは、このレシピにおける、「15分予備発酵させる」だとか「18分焼く」などの待ち時間を含むステップだ。
ブクブクとあわ立ってくる予備発酵中のイーストを15分間じっと見続けていたり、パンが焼け上がるまでオーブンの前に座り込んでいるのは、初めての「パンを焼き」にチャレンジしている日曜日のお父さんぐらいで、いつもたくさんの仕事を同時に抱えた普通の主婦(もしくは主夫)は、そういった待ち時間を利用して、洗濯をしたり、夕ご飯のおかずを作ったり、韓国ドラマを見たり、子供を幼稚園に迎えにいったり、家計簿をつけたりしているものだ。
そんな複数の仕事を同時にこなしている彼女たちにしてみると、自分がそれぞれの仕事のどのステップにいるか(つまりcontext)を常に完璧に把握しておくことは不可能に近い。手続き型のレシピのままで作業をしようとすると、それぞれの仕事において自分が何をしておくのかを把握しておくだけで頭がパンパンになってしまうし(memory overflow)、頭の切り替え(context switch)にやたらと時間がかかって作業効率が落ちてしまうからだ。
そこで、パンの発酵中にはタイマーをしかけておき、タイマーが鳴ったところで「あ、キッチンでタイマーが鳴ってる。えっと、何のタイマーだっけ。そうだ、そうだ、パンの二次発酵中だったんだ。じゃ、次はオーブンの温度を上げてと…」というイベント・ドリブンな仕事の仕方をしているのだ。
言い換えれば、彼女たちの頭の中では、上の「手続き型のレシピ」が、以下のような「イベントに応じた作業(event handler)」の集まりである「イベント・ドリブン型のレシピ」に変換されて実行されているのだ。
【スタート】
1.イーストを30℃のお湯と一つまみの砂糖とまぜてタイマーを15分間にセットする(予備発酵)
2.他の仕事に移る
【予備発酵終了のタイマーが鳴る】
1.ボールに強力粉、予備発酵させたイースト、砂糖、塩を入れて良く混ぜる
2.こね板の上で生地をこねる
3.ボールにラップをし、タイマーを1時間後にセットする(一次発酵)。
4.他の仕事に移る
【一次発酵終了のタイマーが鳴る】
1.適当な大きさに生地を分割し、丸めて形を作る
2.オーブンに入れ、タイマーを30分後にセットする(二次発酵)
3.他の仕事に移る
【二次発酵のタイマーが鳴る】
1.オーブンの温度を200度にしてタイマーを18分後にセットする
2.他の作業に移る
【焼き上がりのタイマーが鳴る】
1.焼きあがったパンをオーブンから取り出す。(パン焼き終了)
2.他の作業に移る
実際には、これに加えて、他のさまざまな仕事から派生した「イベントに応じた作業」が記述されたプログラムの断片が、彼女たちの頭の中にはぎっしりと詰まっているのだ。例えば以下のようなもの。
【洗濯終了のタイマーが鳴る】
1.洗濯機の中のものを乾燥機に移してタイマーをセットする
2.他の作業に移る
【赤ん坊が泣き始める】
1.おなかが空いている時間ならミルクをあげる。そうでないならば、オシメが濡れてないかチェックする。濡れていれば交換する。
2.他の作業に移る。
イベント・ドリブン型の利点は、それぞれの「イベントに応じた作業」が規格化・単純化されてているため、仕事の量がどんどん増えて行ったとしても、仕事の量に応じて忙しくなるだけの話で、それ以外のオーバーヘッドがとても少ない点だ(=linear scalability)。それぞれの「イベントに応じた作業」さえキチンと書かれていれば、その集まりには順番も秩序も必要がないので、色々な仕事のための「イベントに応じた作業」がごちゃごちゃに頭の中で混ざり合っていても何とかなってしまう点(system stability)もこの方法の利点である。
つまり、これがソフトウェアで言うところの、「手続き型のプログラミング」と「イベント・ドリブン型のプログラミング」の違いである。手続き型は一連の作業の流れを把握するという意味ではとても分かりやすい記述の仕方だが、同時にいつくもの仕事を抱えてこなして行く時には、イベント・ドリブン型で処理した方が効率が良かったり、システムとしての安定度が高まるケースがある、という点が注目すべき点である。