風が吹くと原発が止まる

昨日も「市場原理と環境保護という二つの力が、米国を脱原発へと向かわせている」という記事を書いたが、安全コストと環境問題で窮地に追いつめられる原発産業と比べ、再生可能エネルギー派の人たちにとって追い風なのは、Obama 大統領による再生エネルギー事業に対する税金優遇政策だ。

大統領選で Obama と戦う共和党の Romney は、「再生可能エネルギーは非現実的」と Obama の政策には反対を唱えているが、現に Obama 政権になってから 風力が 50 GW、太陽光が 5 GW の発電量を持つまでに至ったことの評価は高い(参照)。50 GW あればそれだけで原発11個分に相当し、1300万世帯(太陽発電と合わせれば1500万世帯)に既に電力を提供している(参照)。「非現実的」と呼べない規模になってきた。

Obama が大統領選に勝ってさらに4年間の税金優遇政策が続けば、米国内での再生可能エネルギー事業への投資はさらに膨らむ。規模の経済でさらにコストが下がれば、火力も含めた本当の意味での「grid parity(電力会社から買う価格よりも安い価格で発電すること)」を実現する日も遠くない。

日本の原子力ムラがどんなに抵抗しようが、この世界的な流れはもう止められない。今どき、津波対策のために原発の周りに堤防を築くなんて無駄な設備投資をしているのは日本だけだ。


市場原理と環境保護という二つの力が、米国を脱原発へと向かわせている

一時期は、nuclear renaissance(原発ルネッサンス)という言葉で、スリーマイル島での事故以来低迷していた原発業界が復権を取り戻しつつあった米国。福島第一での事故以来、安全基準はより厳しくなってコストは上がる一方だし、「地球にやさしい」はずだった原発が、フロントエンド(ウランの採掘)でもバックエンド(使用済み核燃料)でも環境に全くやさしくないことが明確になって来ており、旗色は悪くなる一方だ。

コストに関しては、ジェネラル・エレクトリックのCEO、Jeff Immet が「原発のコストは他の発電コストと比べてあまりに高くなりすぎ、やる理由をもう正当化できない」(参照)と事実上の敗北宣言をしたのが象徴的だ。

事故を起こすたびに規制が厳しくなりコストが上昇する原発と比べ、規模の経済が上手に働く太陽発電や風力発電のコストが毎年のように下がっている。原発業界は、厳しくなる安全基準と、毎年安くなる自然エネルギーとの価格競争との間に板挟みになっている(参照)。

これだけでも十分に米国を脱原発に向かわせる理由になるが、さらにそれに追い打ちをかけるのが先週決まった NRC による原発ライセンスの新規発行と更新の停止だ(参照)。使用済み核燃料の最終処理問題を規制当局ぐるみで先送りにして来たことに関して、裁判所が環境破壊行為であることを認め、問題を先送りしたままで原発ライセンスを発行することに制限をかけたのだ。

日本では、この判決に関してはあまり報道されていないようだが、私はこれがターニングポイントになって米国は脱原発に向かうと見ている。高レベル放射性廃棄物の最終処理場問題は、あまりにも問題が大きく、オバマ大統領としては大統領選前には触れたくない問題だ。たとえ選挙に勝ったとしても、先送りし続けたい問題であることには代わりがない。

そして、米国政府が最終処理場問題を先送りし続ける限り、新規の原発はもちろんのこと、既存の原発も40年稼働してライセンスが切れたものから廃炉にせざるをえなくなる。日本のように大騒ぎをしなくとも、ゆっくりと、しかし着実に脱原発へと向かうのだ。

すでに大半の米国の投資家から見れば、「エネルギーのベストミックスは風力+太陽光+天然ガス」であることが明らかだ。市場原理と環境保護という二つの力が、米国を脱原発へと向かわせている。


高速増殖炉「もんじゅ」に関するジャイアンとのび太の会話

米エネルギー副長官のポネマン氏が日本を訪問したそうである(参照)。このタイミングで来ることにはとても重要な意味がある。二国間の会話を、ジャイアンとのび太の間の会話に例えると、こんな感じになる。

ジャイアン:のび太、お前まさか、もんじゅを諦めようなんて考えていないよな。
のび太:そ、そんなことないよ。 
ジャイアン:それならよし。もんじゅは、二国間の共同プロジェクトなんだから、勝手に辞めてもらってはこまるんだ。
のび太:分かってるよ。でも、福島の事故以来、みんな核アレルギーになっちゃって、もんじゅのことも、とても怖がっているんだ。
ジャイアン:そりゃそうだよ。今から高速増殖炉を米国内で作ろうとしたら猛反対を受けるさ。だからこそ、もんじゅが大切なんだよ。
のび太: でも、それって...
ジャイアン:ずるいっていうのか。お前、誰が北朝鮮や中国からの脅威から守ってやっていると思っているんだ。
のび太:分かってるけど...
ジャイアン:じゃあ、ごたごた言わずに、もんじゅを続けるんだ。国民の核アレルギーだって、10年もすれば収まるさ。
のび太:ちなみに、シェールガスの件もよろしく頼むよ。
ジャイアン:そのことは日本のエネルギー政策が決まってから話そう。まずは日本が、日米関係をどのくらい大切にしているかをちゃんと態度で示してくれなければ困る。
のび太:分かってるよ。何とか世論を誘導して、原発15%で手を打つ様に最善の努力をしているところなんだ。
ジャイアン:よろしく頼むぜ。日本が同盟国として、核の技術を持ち続けることは米国にとってもとても大切なんだ。ちなみに、この件に関しては、谷垣君にも会って、ちゃんと言い含めおいた。自民党も賛成してくれる手はずになっているから大丈夫だ。
のび太:ありがとう。本当に助かったよ。

 


ソフトウェア・エンジニアから見た原発事故

私はこれまでこのブログで、今回の原発事故が「想定外の津波によって起こされた天災」ではなく、「本来想定すべき天災に対する対処を先送りして来たことによる人災」であったこと、そして、形だけの津波対策や地震対策をしたところで、「規制機関が電力業界と癒着して利権構造を作っている」という根本的・構造的な問題を抱えている限りは、同じような事故が必ずまた起こることを指摘してきた。

こんな私の指摘に対しては、「原子力の専門家でもない、シアトルに住むソフトウェア・エンジニアの戯言(たわごと)に過ぎない」と言う指摘もしばしばいただいたが、エンジニアに不可欠な「システマティックにものを見る能力」のある人であれば、原子力の専門家でなくとも、これぐらいのことは言える。

別の言い方をすれば、事故に関して公開されている限られた情報だけで、その根本の原因がどこにあったのか、そして、このまま原発を再稼働することがどのくらい危険なのかが指摘できないようでは、良いソフトウェア・エンジニアにはなれないということである。

良いソフトウェアを作るためには、良いアーキテクチャが必須だ。アーキテクチャが根本的に間違っていては、どんなにコーディングに労力を使っても良いソフトウェアはできない。これは原発も同じだ。

福島原発での事故は、単なる局所的なバグ(=不十分な津波への対処)により生じたものではなく、根本的なアーキテクチャの欠陥(=原子力安全保安院と電力会社との癒着・優越関係の逆転、電力会社の地域独占・総括原価方式)に起因するのだ。これだけ根本的な問題を抱えているにも関わらず、パッチだけあてて(電源車を配備する、防波堤を高くする、など)再稼働しようとすることは、明らかな間違いだ。こんなことを続けていては、かならずまた暴走する(=過酷事故を起こす)。

参考までに、事故調の報告書の一部を引用させていただく(参照)。

当委員会の調査によれば、東電は、新たな知見に基づく規制が導入されると、既設炉の稼働率に深刻な影響が生ずるほか、安全性に関する過去の主張を維持できず、訴訟などで不利になるといった恐れを抱いており、それを回避したいという動機から、安全対策の規制化に強く反対し、電気事業連合会(以下「電事連」という)を介して規制当局に働きかけていた。

このような事業者側の姿勢に対し、本来国民の安全を 守る立場から毅然とした対応をすべき規制当局も、専門性において事業者に劣後していたこと、過去に自ら安全 と認めた原子力発電所に対する訴訟リスクを回避することを重視したこと、また、保安院が原子力推進官庁である経産省の組織の一部であったこと等から、安全について積極的に制度化していくことに否定的であった。

事業者が、規制当局を骨抜きにすることに成功する中で、「原発はもともと安全が確保されている」という大前提が共有され、既設炉の安全性、過去の規制の正当性を 否定するような意見や知見、それを反映した規制、指針 の施行が回避、緩和、先送りされるように落としどころを 探り合っていた。

これを構造的に見れば、以下のように整理できる。本来原子力安全規制の対象となるべきであった東電は、市場原理が働かない中で、情報の優位性を武器に電事連等 を通じて歴代の規制当局に規制の先送りあるいは基準の軟化等に向け強く圧力をかけてきた。この圧力の源泉は、 電力事業の監督官庁でもある原子力政策推進の経産省と の密接な関係であり、経産省の一部である保安院との関係はその大きな枠組みの中で位置付けられていた。規制 当局は、事業者への情報の偏在、自身の組織優先の姿勢等から、事業者の主張する「既設炉の稼働の維持」「訴訟対応で求められる無謬性」を後押しすることになった。 このように歴代の規制当局と東電との関係においては、 規制する立場とされる立場の「逆転関係」が起き、規制当局は電力事業者の「虜(とりこ)」となっていた。その 結果、原子力安全についての監視・監督機能が崩壊していたと見ることができる。

当委員会は、本事故の根源的原因は歴代の規制当局と東電との関係について、「規制する立場とされる立場 が『逆転関係』となることによる原子力安全についての監視・監督機能の崩壊が起きた点に求められる。」と認識する。 何度も事前に対策を立てるチャンスがあったことに鑑みれば、 今回の事故は「自然災害」ではなくあきらかに「人災」で ある。


野田総理の言う「電気がもたらした豊かで人間らしい暮らし」のイメージを作ってみた

野田総理の原発再稼働へ向けた会見には違和感を覚えた人も多いと思うが、私がもっとも違和感を感じたのは「私たちは、大都市における、豊かで、人間らしい暮らしを電力供給地に頼って支えて来ました」という一節。

野田総理が(実際にはその後ろにいる経産省が)言うところの「大都市における豊かで人間らしい暮らし」とは何を指すのだろうか?すぐに頭に浮かぶのは、オール電化のマンション、クーラー、電気ポット、食洗機、24時間営業のコンビニエンスストア、50インチの液晶テレビ、パチンコ屋、ゲームセンター、ネオン街などだ。

イメージにしてみるとこうなる。

Neu.Draw (8)

一方、原発事故が福島県の人々から奪ったのは、一生かけて育んで来た畑であり、安心して食べられる地元の食材であり、校庭で泥まみれになって遊ぶ子供たちの笑顔である。

Neu.Draw (9)

どちらを「人間らしい豊かな暮らし」と呼ぶべきか、どんな国を私たちの子孫に残したいのか。今一度考え直すべき時が来ていると思う。


経済原理を考えれば、営利企業に原発を安全第一で運営させるのは所詮無理

New York Times に「Risk From Spent Nuclear Reactor Fuel Is Greater in U.S. Than in Japan, Study Says(使用済み核燃料のリスクは日本よりも米国の方が高い)」という記事が出ている。原子力発電所が「トイレなきマンション」であることは、どの国でも同じだ。それどころか、使用済み燃料プールがテロリストの標的になれば、最悪の場合、チェルノブイリ以上の事故を米国内で引き起こされてしまう危険すらある、というレポートすらあるという(参照)。

つくづく思うのは、たとえ100歩譲って、十分に安全な原発の運転が「技術的には可能」だと仮定したところで、営利企業が運営する限りは、原発特有の「色々な問題は先送りした方が経済的に有利」という強いインセンティブが働くため、どうしても安全よりも経済性を優先してしまうし、経済性に関しても「負の資産」を増やしながら「目先の利益」を追う、という行動に経営者を走らせる。

・古い原発は、技術も古いし、脆弱性遷移温度も高くなって壊れやすいし、さまざまな設備ももろくなっている→安全のためには早めに廃炉にした方が良い→しかし一度作ってしまった原発は、稼働し続ける限り利益を生み出すが、稼働を辞めて廃炉にするとなったとたんに巨額の負の資産に変わる→少々のリスクは覚悟で1年でも長く稼働し続けた方がはるかに経済的

・原子炉の燃料プールは、本来は稼働により熱を帯びた仕様済み核燃料を1時的に冷やしておく場所→安全のためには、まずは空冷式のドライキャスクに移し、その後最終処理場に埋めるべき→最終処理場はいつまでたっても決まらないし、ドライキャスクを作るにはお金がかかる→そこで、使用済み燃料プールを中間貯蔵施設として流用→しかしそれも満杯になってしまう→リラッキングという詰め替えで臨界限度ギリギリまで詰め込むのが経済的

 ・火力発電所であれば、万が一の事故の際には電力会社が責任を追わなければならない→保険に入る→しかし事故を起こすと保険料が上がる→安全第一で運転した方が経済的→原発の場合、万が一の事故の被害が大きすぎて保険会社が引き受けてくれない→万が一の際には国が税金で補償する→安全性にお金をかけるより、地元には金を配って「理解」してもらい、保安院には天下り先を提供して仲良くした方がずっと経済的

こういう現実を目の前にしながら、それに目をつぶって「日本の発展のためには原発が必要」と主張することはとても無責任で近視眼的だ。「福島第一の事故は天災ではなく人災」であったこと、それもたまたま誰か特定の人が手を抜いたとか誤操作をしたとかではなく、もっともっと根の深い構造的な問題点が原発を開始した時から存在したことに注目しなければいけない。

原子力安全保安院が経産省の下にあるとか、保安院や経産省の役人が電力業界に天下りすることが許されているとか、家庭用の電力の供給に競争原理が働いていないとか、地元の「理解」は札束で買われているとか、これだけの事故を起こしたにも関わらず検察が東電にも保安院にも捜査に入っていないとか、そういう根本的な問題を解決せずに、原発の稼働を続けて行くことは、それこそ薄氷の上のアイススケートだ。


マヨネーズの瓶と2杯のコーヒーと原発事故と

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前にも一度、読んだことがあるのだが、"The Mayonnaise Jar and Two Cups of Coffee" という文章がFacebook経由で再び回って来た。とても良い文章なので、翻訳してみる。

ある大学教授が哲学の授業に何やら色々なものを用意してやって来ました。授業が始まると、まずは空っぽの大きなマヨネーズの瓶を机の上に取り出して、中にゴルフボールを詰めはじめます。ゴルフボールが一杯になると、「この瓶はもう満杯だと思いますか?」と生徒たちに質問します。生徒たちはそろって「満杯です」と答えます。

次に教授は小石が入った袋を取り出すと、その瓶の中に入れはじめます。瓶を時々揺らすと、小石はゴルフボールの間に入って行きます。瓶がゴルフボールと小石で一杯になると、教授は「この瓶は満杯だと思いますか?」と再び質問します。生徒たち全員がうなずきます。

次に教授は砂が入った袋を取り出すと、その瓶の中に入れはじめます。砂は小石の隙間をサラサラと流れ、瓶はゴルフボールと小石と砂で一杯になります。教授は、もう一度「この瓶は満杯だと思いますか?」と質問します。生徒たちは、「はい、満杯です」と答えます。

次に教授は、コーヒーカップに入った2杯のコーヒーを取り出すと、瓶の中に注ぎ込みます。コーヒーは瓶の中の砂に吸い込まれるように入って行きます。生徒たちはとうとう笑い始めます。

笑いが落ち着くと、教授が言いました。「この瓶は皆さんの人生を表しています。ゴルフボールは、大切なものを表しています。家族、子供、健康、友達、情熱などです。もし他の全てのものを無くしたとしても、そういった大切なものさえ持っていれば、あなたの人生は充実したものと言えます。

小石は、それほど重要でないけれど、人生にとって意味のあるものです。仕事、家、車などです。

砂は、その他の些細なものです。もし、先に砂を瓶の中に入れてしまうと、小石やゴルフボールを入れる場所がなくなってしまいますよね。それと同じで、些細でどうでも良いものに人生の貴重な時間やエネルギーを費やしてしまうと、あなたにとって大切なものの場所がなくなってしまいます。

あなたの幸せにとって本当に大切なことに注意を払ってください。自分の子供たちとはできるだけ多くの時間を過ごしてください。健康診断は毎年受けてください。奥さんをディナーに連れて行ってあげてください。ゴルフをもう一ラウンド楽しんでください。家を掃除したり、壊れたものを直す時間は後でもあります。あなたの人生にとって大切なものを常に優先してください。他のものは単なる砂に過ぎないのです。」

生徒の一人が手を上げて、コーヒーは何を表しているのかと質問します。

「良い質問ですね。人生がいかに満ち足りたものであったとしても、常に友達とコーヒーを楽しむ余裕ぐらいはある、という意味です。」

原発事故が福島県の人々から奪った「土にまみれて遊ぶ子供の笑顔」、「自分の庭で育てた野菜で作った夕ご飯」、「祖父の時代から改良に改良を重ねて育んで来た畑の土」は、まさに福島に暮らす人々とって何よりも大切なもの(ゴルフボール)。確かに電気ポットやオール家電は便利だけど、そんな些細なもの(砂)のために地方の人たちを危険にさらしてまで原子力発電を稼働させる必要が本当にあるのかどうか、もう一度考えす必要があるとつくづく思う。

【追記】ちなみに、日本中の電気ポットを昔ながらの魔法瓶に取り替えるだけで、原発三基分の電力が節約できる。真夏の電力ピーク時に日本中のテレビを消せば、原発十基分の電力が節約できる(参照)。電気ポットを捨て、真夏の一番暑い時間帯にはテレビを消す。たったそれだけの小さな努力で、日本の原発への依存度を大きく減らすことができる。


原発を止めてもリラッキングされた使用済み燃料プールの危険はなくならない

Arnie Gunderson 博士は以前から3号機での爆発は水素爆発ではなく、使用済み燃料プールの燃料が臨界を起こした臨界爆発(prompt critical explosion)だったと主張している。彼の主張は下のビデオを見ていただくのが一番良いが、その中で彼は「去年の3月に NRC Reactor Safety Team によって書かれたレポートには、使用済み燃料プールから爆発により飛び出して来たと思われる核燃料が1マイルも離れたところで発見された、と書かれている」と述べている。

その資料は、本来は非公開情報だが、すでにリークされており(参照)、誰でも読むことができる(読みやすいコピーをここに置いておく)。注目すべきは、10ページ目の以下の記述。

Fuel pool is heating up but is adequately cooled, and fuel may have been ejected from the pool (based on information from TEPCO of neutron sources found up to 1 mile from the units, and very high dose rate material that had to be bulldozed over between Units 3 and 4. It is also possible that the material could have come from Unit 4). [RST Assessment of Fukushima Daiichi Units. 3/26/2011]

使用済み燃料プールの核燃料が飛び散ったとすれば、それは単なる水素爆発ではなく、プールの中の核燃料が再臨界を起こしたとしか考えられない、というのが Gunderson 博士の主張だ。

ちなみに、このビデオでもっと気になったのは、Gunderson博士が「最近はどこでも使用済み燃料プールには臨界ギリギリにまで使用済み燃料を詰め込んでおり、万が一地震などでプールが損傷することがあれば、再臨界を起こす可能性が十分にある」と述べている部分。

日本でも、数年前から中間貯蔵場所の不足を補うために、全国の原子力発電所で「リラッキング」と呼ばれる燃料の詰め込みが行われている。2010年にも、関西電力が高浜1・2号機の使用済み燃料プールに実行増倍率 0.977 という臨界ギリギリのところまで(増倍率が1を超えると臨界暴走してしまう)使用済み燃料を詰め込んでいることの危険性が指摘されている(参照)。国際的には5パーセントの安全マージンが必要とされているのに、「しまう場所がないから」と言うだけの理由で2パーセントまで安全マージンを引き下げることを許容してしまったのだ。

たとえ原子炉を止めたところで、全国の原子力発電所のプールに詰め込まれた使用済み燃料プールがある限り、地震によりプール(もしくはプールの冷却施設)が破損し、使用済み核燃料が再臨界を起こして放射性物質をまき散らすという可能性はなくならないのだ。使用済み核燃料の最終処理をこれ以上先送りしてはいけない。これほどまでに危険な「負の遺産」をこのままの形で次の世代に残すことは許されない。

 


日本が50以上の原発と大量のプルトニウムを抱え込んでしまった本当の理由

日本の原子力の歴史を網羅的に記述した文章が米国のPEC(Public Education Center)により公開された。 

United States Circumvented Laws To Help Japan Accumulate Tons of Plutonium

非常に中身が濃いので簡単に要約などできないが、この文章を読むと、日本の原子力発電と宇宙開発が「日本はいつでも核兵器を作ることができる」という「非核・核カード」を持つために押し進められたことが良く分かる。

私の目を引いた文章は何カ所もある。たとえば、

In October 1964, communist China stunned the world by detonating its first nuclear bomb. The world was caught by surprise, but nowhere were emotions as strong as in Japan. Three months later Japanese Prime Minister Eisaku Sato went to Washington for secret talks with President Lyndon Johnson. Sato gave LBJ an extraordinary ultimatum: if the United States did not guarantee Japan’s security against nuclear attack, Japan would develop a nuclear arsenal. The ultimatum forced LBJ to extend the U.S. “nuclear umbrella” over Japan. Ironically, this guarantee later enabled Sato to establish Japan’s Three Non-Nuclear Principles: to never own or produce nuclear weapons or allow them on Japanese territory. The policy won Sato the Nobel Prize for Peace. The Japanese public and the rest of the world never knew that these three principles were never fully enforced, and Sato allowed the secret nuclear weapons program to go on.

という部分。この文章によると、日本が米国の「核の傘下」に入ることになったのは、佐藤栄作がリンデン・ジョンソン大統領に「米国が日本を中国による核攻撃から守ると約束しない場合は、日本が自分で核兵器を作る」と脅したから。これによってノーベル平和賞を獲得したのだから、素晴らしい交渉力だ。

次の文章も興味深い。

By 1988, when the Senate ratified Kennedy’s U.S.-Japan Nuclear Agreement, Japan was one of only a few countries in the world that regarded plutonium as an asset, not a liability. The Soviets and Americans were trying to devise ways to store and secure vast quantities of this long-lived, radioactive element. In places like Germany and Italy, strong public protests compelled governments to store plutonium outside their own national borders.

冷戦も終わりに近づいた1988年ごろには、ソビエトも欧米諸国はどこも自国に溜め込んでしまったプルトニウムを「負の資産」と見ていたにも関わらず、1960年代に佐藤栄作が立てた国家戦略をひたすら押し進めていた日本だけがプルトニウムを「価値のある資産」と見なしていた、という話はなんとも言えずに皮肉だ。

その結果が、六ヶ所村の再処理工場であり、見果てぬ夢の「もんじゅ」なのだ。

結局のところ、日本が50以上の原発と大量のプルトニウムをバカみたいに抱え込んでしまった理由は、冷戦時代に佐藤栄作が立てた「『核兵器なしの核の抑止力』を持つために原発を作り、プルトニウムを備蓄する」という戦略を、ベルリンの壁が崩壊してからも20年以上も方向転換せずに、走り続けて来てしまったことにあるのだ。

本来ならば、トップに立つ政治家が「方向転換」を指示しなければならないのだが、ここ20年は政治家の影響力は落ちる一方で、本来の「舵取り」をする人がいないのが今の日本の一番の問題だ。

その結果、与えられた仕事を着々とこなすのは上手だが、ちゃぶ台をひっくり返すようなことは決して出来ない霞ヶ関の官僚が、1960年代に立てられた時代遅れの国家戦略を2012年の今になってもコツコツと実行しているから、原発を止めることもできなければ、使用済み核燃料の処理問題も先送りしたままで放置しているのだ。


「節電ソフト」ベンチャー OPOWER は脱原発の夢を見るか?

OPOWERは各家庭が使っている電力の「可視化」により節電を促すというウェブ・サービスを電力会社向けに提供しているソフトウェア・ベンチャー。2007年に設立されたばかりの企業だが、すでに全米50社以上の電力会社と提供し、のべ1テラワット時を節電した、とのこと。

私が来たばかりのころの米国は「省エネ」とはほど遠い国だったが、最近はLED電球もCostcoで売るようになったし、タクシー会社が次々に Prius に切り替えはじめた。「SNSベンチャー」の次に来るのは「省エネベンチャー」「代替エネルギーベンチャー」の波だ。全米の原発がすべて止まる日も遠くない。