原発にこれ以上投資することに本当に意味があるのか考えてみよう

テレビにしろパソコンにしろ、私たちの身の回りの電化製品は、モデルチェンジのたびに性能が上がるか値段が下がる(もしくは両方)。理由は技術の進歩であったり、大量生産だったり、自由競争によるコモディティ化だったりするのだが、一般的にはこれを科学技術の「学習効果」と呼ぶ。

これは電化製品に限った話ではなく、私たちの身の回りの工業製品ほとんどすべてに当てはまる。例えば太陽発電に使われるソラーパネルの1ワットあたりのコストを見てみよう。

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見事に下がっている。

しかし、その中にも例外はいくつかある。特に際立って目立つのが原子力発電である。

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パソコンや太陽電池とは逆に、年々上昇しているのだ。つまり「負の学習効果」があるのだ(参照)。

これにはいくつかの原因がある。事故リスクが高すぎるために政府による債務保証や損害補償がない限り誰も手が出せない分野であることも理由の一つだ。核拡散防止条約とも結びついた微妙な分野であるために、情報がすべてオープンではないのも問題だ。失敗が許されない分野なので、他の分野のように「失敗を繰り返しながら学ぶ」ことが不可能なことも進化を遅くしている。

さらに問題なのは、安全性と経済性は常にトレードオフの関係にあり、事故から得られた知見を元に安全性と高めようとすると、経済性がどんどん悪くなってしまうことにある。

今回の福島の事故を徹底究明して行けば(そして役立たずの原子力安全保安院の代わりにもっと中立的な規制組織を作れば)、行き着くところは今までよりもはるかに厳しい安全基準である。

1000年に1度の津波にもたえられるような防波堤を作らなければならないし、電源の喪失を避けるためにさらに多重防護を施さなければならない。さらに、全電源喪失という万が一の事態にもメルトダウンをおこさないための様々な工夫が必要だ。免震重要棟もフィルター付きのベントも必須だ。安全性の低い古い型の原子炉は思い切って寿命が来る前に廃炉にする勇気が必要だ。放射能漏れを起こした際に、近隣の住民を速やかに退避させるための準備(避難路、バス、核シェルターなど)にも莫大なお金がかかる。

使用済み核燃料を原子力発電所のプールに中間貯蔵しておくことがいかに危険かということも、今回の事故で明らかになったので、これにも答えを見つけなければならない。

多くの国民が原発の再稼働に反対なのは、こういった新しい安全基準と安全対策が先送りされていることにある。一方、関西電力が再稼働を急ぐのは、夏場の電力が足りないからではなく、原発なしでは関西電力の経営状態が大幅に悪化してしまうからである。結局は「安全」を求める国民と「経済性」を優先する関西電力がすれ違っているだけの話だ。

そこまで考えた上で、国として原子力発電にこれ以上国費を突っ込むことが果たして日本という国の将来のためなるのかもう一度考えてなおして欲しい。石油にも原子力にも頼らずにエネルギーを調達するには何をすべきなのかを真剣に考えて欲しい。

原子力のような「負の学習効果」を持つ技術よりも、さまざまな自然エネルギーを利用した発電方法の研究、省エネ・蓄電技術の研究、スマートグリッドの構築、家庭用電気自動車のバッテリーを活用したピーク需要対策、などに投資をした方が日本の将来のためには良いのでないのだろうか?


最新の研究で「低線量被曝にしきい値がない」ことが明確に

福島県放射線健康リスク管理アドバイザー・山下俊一長崎県大学教授は、就任以来「100ミリシーベルトは『しきい値』以下なので安全。毎時10マイクロシーベルト以下なら外で遊んでも大丈夫」と言い続けて来た。

実際のところは、「100ミリシーベルト以下の低線量被曝をした場合の癌による死亡リスクの増加が統計データにつきものの誤差にまぎれてしまい、測定できていなかった」というのが科学的に見て、もっとも客観的な表現であったにも関わらず、「100ミリシーベルトは大丈夫」と主張し続けた山下教授の無責任さは科学者にあるまじき姿だ。原子力ムラの住人、御用学者と批判されても仕方が無い言動だ。

しかし、1年前の話をいつまでもしていても意味がない。注目すべきは、この分野における最新の研究結果だ。

先週、放射線影響研究所から、広島・長崎の被曝者たちを50年以上わたって追跡調査した結果、低線量被曝には「しきい値」などなく(つまり年間100ミリシーベルト以下でも健康に被害がある)、それも累積効果がある(放射性物質に汚染された地域に長く住むと、その滞在期間に比例してリスクが増える)ということが統計的に証明された、という発表があった。

zero dose was the best estimate of the threshold (しきい値はゼロであると類推できる)

Importantly, for solid cancers the additive radiation risk (i.e., excess cancer cases per person-years per Gy) continues to increase throughout life with a linear dose–response relationship (特に重要なのは、固形癌に関して言えば、被曝によるリスクはその人の生涯を通した被曝量に比例して上昇する、という点である)

一つの論文ですべてが結論付けられるわけではないが、少なくとも最新の研究結果がここまで明確に低線量被曝・累積被曝のリスクを語っているにも関わらず、外部被曝だけで年間20ミリシーベルトという地域に子供を何年間にもわたって住まわせるということが、どのくらい非人道的なことかが理解いただけると思う。

自費で避難する経済的な余裕がある人たちだけが県外に子供たちを避難させ、それ以外の人たちは汚染された地域に住み続ける以外に選択肢はない。政府が安全だと言えば、心のどこかで不安を感じながらも、その言葉を信じて福島に住み続ける以外に選択肢はない。子供が鼻血を出すたびに「ひょっとしたら被曝が原因かも」とおびえながら生きる。それが今の福島の現状だ。

低線量被曝がやっかいなのは、

  1. 臭いも味もないので被曝をしていても本人には全く感知できない、
  2. 被曝により癌化した細胞が実際に健康に害を及ぼすのは数年後である、
  3. たとえ数年後に癌や白血病が発見されたとしても、それが被曝によるものと証明することは困難である

こと。そのため、万が一低線量被曝が原因で癌や白血病になったとしても、政府もしくは東電からまっとうな補償を受けるためのプロセスは長く苦しい戦いになる。判決が出たころには、放射性物質をまき散らす原因を作った東電の経営陣や保安院、そして、子供たちを放射性物質から守ることができなかった文科省や厚生省の役人もすべて現役を引退している。

英語の論文だが、全文が公開されているので、興味のあるかたはどうぞ。

Studies of the Mortality of Atomic Bomb Survivors, Report 14, 1950–2003:An Overview of Cancer and Noncancer Diseases

 


福島第一4号機プールのリスクに関する海外メディアの報道

下にビデオを貼付けてあるが、簡単に要約すると、

  • 4号機のプールは補強されているとは言え、地震で崩壊する可能性は十分にある
  • 水がなくなった使用済み核燃料は自らの熱で発火し、チェルノブイリの10倍のセシウムを環境中にばらまく
  • すると、発電所の作業員は全員退去せざるをえなくなる
  • その結果、他のプールの使用済み核燃料も冷やすことが出来なくなり、結果的にチェルノブイリの85倍のセシウムが放出される
  • こうなると放射能汚染は日本だけにとどまらず、グローバルなスケールでの人類の経験したことのない被害をもたらす

米国政府が、「東電などに任せず、一日でも早く燃料をプールから取り出してほしい」と日本政府に要求しているのは、まさにこれが理由である(参照)。


声を上げはじめた地方自治体の首長たち

京都府の山田啓二知事、滋賀県の嘉田由紀子知事による「国民的理解のための原発政策への提言」、京都府ホームページでも読むことができるので、ぜひとも一読をおすすめする。

国民的理解のための原発政策への提言

  1. 中立性の確立~政治的な見解ではなく信頼のおける中立的な機関による専門的な判断を~
  2. 透明性の確保~国民の納得できる情報公開を~    
  3. 福島原発事故を踏まえた安全性の実現~
  4. 緊急性の証明~事故調査が終わらない段階において稼働するだけの緊急性の証明を~
  5. 中長期的な見通しの提示~脱原発依存の実現の工程表を示し、それまでの核燃料サイクルの見通しを~
  6. 事故の場合の対応の確立~オフサイトセンターの整備やマックス2、スピーディなどのシステムの整備とそれに伴う避難体制の確立を~
  7. 福島原発事故被害者の徹底救済と福井県に対する配慮について~東京電力はもちろんのこと、国においても福島原発事故被害者に責任を持って対応するとともに、福井県の今までの努力に対し配慮を~

原発事故を生み出した主犯の一人でもある経産省に言いくるめられて、こんな「当たり前のこと」すら出来ないのが日本の政府の現状。

この情けない状況を打破するには、中央の力を奪って地方分権を強めるしかないと思うのだが、一体全体どんなプロセスを踏めばそれが実現できるのかがなかなか見えてこない。

いっそのこと、すべての都道府県がいったん日本国からの独立を宣言した上で、まったく新しい連邦政府を一から作り直すぐらいの過激な変革が必要なのではないかと妄想してしまう今日この頃である。


ジャイアンからの手紙と霞ヶ関文学と

あまり日本のメディアは注目していないようだが、こちら(米国)では、米国の Ron Wyden 上院議員が日本大使に向けに書いた書簡が注目を集めている。

具体的には、「4号機の使用済み核燃料プールにある大量の『まだ熱い』燃料がとても危険で、地震などで万が一のことがあれば、去年の3月にまき散らされた以上の核物質を環境にまき散らす可能性がある。10年かけて燃料を取り出すという東電の行程表はリスクがあまりにも高く、地震のリスクを過小評価しすぎている。」と指摘した上で「すべてのことに最優先でプールの中の燃料を取り出すべきだ。事故処理を加速するために日本政府は何ができるのか、米国政府に何を手伝って欲しいのか、すぐに返事をしてくれ」と書いている。

つまり、「お前たち、何をもたもたしているんだ。東電なんかに任せておかずに一日でも早く使用済み核燃料をプールから取り出すべきだろう。福島第一は、日本だけでなく世界中に放射性物質をばらまいているんだぞ。こっちから軍隊でもなんでも派遣して手伝ってやるから、見栄も外聞も投げ捨てて、素直に泣きついて来い」という意味だ。

いかにも「世界のジャイアン」らしい書簡である。普段は「いじめっ子」だが、イザという時には頼りになる。平和に日本に暮らしていると想像しにくいかも知れないが、こんな時に他の国のために本当の「命がけの仕事」をしてくれる兵隊を持っているのが米国のすごさだ。

メンツのかたまりの霞ヶ関は、今頃大慌てで「英語版霞ヶ関文学」で「丁重なお断り文」を書いているところだろうが、ここは本来ならば(官僚ではなくて)政治家が直接「腹を割った話し合い」を米国と持つべきタイミング。でも消費税で頭がいっぱいの野田総理には無理だろうなあ...

 


「組織と人と法律」を根本的に変えずに、再稼働などありえない

ウォールストリート・ジャーナル日本語版が原発の再稼働についてアンケートを集めたところ、反対票が92%だったそうである(参照)。

ここまで反対派が多いのは、問題が単なる「100%安全な原発などありえない」という「科学的」安全神話の崩壊から、「日本政府には原発のような危険なものは任せられない」という「組織的」安全神話の崩壊に達しているからである。

今回の事故を通して分かった、日本の行政機関の欠点を箇条書きにしてみる。

  • 過酷事故への準備を全くしていなかった(それは今でも変わらない)
  • 住民の安全よりも「パニックを起こさない」ことを優先する
  • 東電に変わって事故を収束させる能力など全くない(これから先もない)
  • 放射性物質を含む食品の流通を止めることができない
  • 資本主義の原則に基づいて東電の破綻処理をすることすらできない
  • これほどの事故が起こったとしても「責任」を取る役人はいない
  • 原子力安全保安院の一番の役目は「国民に原発は安全だと思ってもらうこと」である
  • 原子力安全委員会はたんなる名誉職で、保安院のやったことを「確認」するだけである
  • 「すぐにはできない安全対策」を再稼働の条件になどできない
  • 東電による周辺地域の住民への補償を速やかに行わせることなどできない
  • 周辺地域の生活や経済を元通りにすることなどできない
  • これから起こる病気の因果関係を解明して、きちんと補償することなどできない
  • 放射性廃棄物の最終処理場はいまだに決まっていない
  • 原発のプールは、使用済み燃料で満杯である
  • 政権交代をしても何も変わらないのは、実質的に国を動かしているのが霞ヶ関の官僚だからである

全く情けない話である。こんな信用できない連中に原発のような危険なものは任せられない。「組織と人と法律」を根本的に変えずに、再稼働などありえない。

 


良い子はマネしてはいけない「政治判断」

ついに「政府は13日に開いた関係閣僚会合で、大飯原発の安全性について最終確認した」そうである。そして、「枝野経済産業相は14日午後、福井県庁を訪れ、西川一誠知事らと会談し、関西電力大飯原子力発電所3、4号機(福井県おおい町)の再稼働を要請する」とのことである。

これがまさに班目委員長の言うところの「政治判断」である。保安員が審査をした上で、さらに原子力安全委員会がダブルチェックする、という本来の手続きを無視したこの「政治判断」。これが許されるなら「この国は何でもあり」と言われてもしかたがない。純真な子供たちには聞かせたくない話だ。

参考までに「原子力安全委員会の役割」と、「大飯再稼働に関する班目委員長の発言」を下に書いておく。特に注目していただきたいのは「二次評価まで終わらなければ、安全性の判断はできない。一次評価は安全委が要求している(安全性の)レベルに達していない」という部分。

原子力安全委員会の役割参照

  • 原子力安全委員会の最大の責務は原子力安全確保の基本的考え方を示すことです。このため、安全審査にあたっての安全性判断の基礎として、多くの安全審査指針等を策定してきています。
  • 原子力の安全をより確実なものとするため、我が国の原子力の安全確保には、原子力事業者に対して直接規制を行う行政庁(規制行政庁:経済産業省など)と、それらの規制活動を監視・監査する原子力安全委員会によるダブルチェック体制がとられています。原子力安全委員会は、行政庁による安全規制が原子力安全委員会の示した基本的な考え方を踏まえて適切に行われていることを確認し、さらに安全規制や事業者自身による安全確保における新たな課題に適確に対応するための調査審議を行っています。
  • 例えば、発電用原子炉を新増設又は改造する場合、原子炉等規制法に基づき、経済産業省による審査が行われます。さらに、経済産業省が行った審査に関して、原子力安全委員会が独自の立場から審査を加えます。
  • また、建設・運転段階においても規制行政庁の行う安全規制活動を原子力安全委員会が監視・監査しています。  原子力利用の環境や技術は変化していきます。原子力安全委員会では、上記の活動から得られた知見や、国際的情報などを総合して、原子力安全確保の基本的考え方を見直し、提示して、規制行政庁を指導していきます。

大飯再稼働に関する班目委員長の発言

  • 一次評価により緊急安全対策等の一定の効果が示されたことは一つの重要なステップと考える
  • しかし、ストレステストの一次評価は再稼働とは関係ない。二次評価まで終わらなければ、安全性の判断はできない。一次評価は安全委が要求している(安全性の)レベルに達していない(東京新聞 2012年2月18日 朝刊)
  • ストレステスト1次だけで再稼働させるか否かは『政治判断』

 


自分の庭先に作れないほど危ないものは、他人の庭先にも作るべきではない

Photo (1)左の写真は、東京渋谷区のクリーニング店で見かけた張り紙。冗談混じりではあるのだろうが、これが東京に住む人たちにとっての放射能の存在なのだろう。

少なくとも東京に住む限り外部被曝の心配はないし、内部被曝もいちいち気にしてはいられない。小さい子供のいるお母さんの中には出来るだけ西日本の食材を使うようにしている人もいるだろうが、わざわざ声を大にしてそれを言う必要もない。

ある意味、東京の人たちにとっては、「ただちに健康に害を及ぼす」花粉の方がよほど迷惑な存在だったりする。

福島で暮らす人たちと比べれば、ストレスも晩発性の健康被害の可能性もゼロに近いわけで、結果からみれば、やはり「人口密集地に原発を作らなくて良かった」という話なのかも知れないが、あれだけの被害を福島にもたらしておきながら、「電力が足らないから原発は再稼働するしかない」と平気で言える経産省の役人の神経は私には理解できない。

自分の庭先に作れないほど危ないものは、他人の庭先にも作るべきではない。そんなごく当たり前の考えかたが出来ない「エリート役人」たちが日本を動かしている。


IAEA、原発事故300キロ圏内の農畜産物の出荷停止を提言

御用学者たちの間では未だに内部被曝の危険を出来るだけ低く見せようという試みがされているが(参照)、御用学者の集まりでもある IAEA(International Atomic Energy Agency) ですら、2005年の時点で「(チェルノブイリ級の)重大事故の後は300キロ圏内の農蓄産物は出荷停止にすべきだし、放射性物質を含んだ食物の摂取に関しては厳格な制限が必要」との提言を出していたことは注目に値する(参照)。

2005年当時、これを国際標準とすることに猛反対したのが、日本の原子力安全・保安院と原子力安全委員会だ。そんな国際標準ができてしまえば、万が一の事故の際に莫大な被害を国全体にもたらすことが明らかになってしまい、原発の安全神話が崩れてしまうからだ。

典型的な「安全神話作り」の歴史だが、いざチェルノブイリ級の重大事故が起きてしまった今となってしまっても、未だに安全神話の維持のために内部被曝のリスクを過小評価し、その結果、数十万人の人たちに不必要な被曝をさせつづけている、というのが今の現状である。

内部被曝を外部被曝と同じシーベルトに変換することには意味がない。外部被曝を起こすガンマ線と、内部被曝を起こすアルファ線・ベータ線とではDNAに対する影響のしかたが大きく異なるからだ。

外部被曝と異なり、体内に取り込まれた放射性物質は、たとえごく少量でもその近傍の細胞を確実に傷つける。傷ついたすべての細胞が癌化するわけではないが、傷つく細胞の数が多ければ多いほど、その損傷がもとで癌・白血病・心筋梗塞などの疾病を引き起こす可能性が高くなる。内部被曝による疾病を避けるためには、摂取する放射性物質を可能な限り少なくすることが必要だ。

ちなみに、1ベクレル(Bq)とは1秒間に1つの原子核が崩壊して放射線を出す放射性物質の量。100Bq/Kgの放射性物質を含む米1キログラムは、1秒間に100回放射線を出す。そんな米を80グラムを含む一膳のご飯を食べると、それがお腹の中にある間に1秒間に8回放射線を出す。1日だけお腹の中にとどまったとしても69万回だ。

ICPP(国際放射線防護委員会)の研究によると、1日あたり10ベクレルの放射性セシウムを含む食事を2年間続けると(つまり100Bq/Kgの米を毎日1膳ちょっと食べ続けると)、体の中に1400ベクエルのセシウムが常に残留した状態になるという(参照)。

そんなご飯を食べるか、と言われてもちょっと食べる気になれないのは当然だ。それを「風評被害」と呼んで過小評価することは、「少女売春」を「援助交際」というオブラートに包んだ言葉に包んで過小評価するのと同じ行動だ。


原子力安全委員会、ようやく本来の仕事に目覚めてくれたのか!?

原子力安全・保安院は表向きは「国民の安全を守る」ために存在することになっているが、実際には「国民に原発は安全だと理解してもらう」ことにあることは、ここで何度も指摘して来たし、多くの国民が知るところである。

それに加え、原子力安全委員会は単なる名誉職で、保安院が「安全です」とお墨付きを与えた原発に対しては何も言えない・言わない組織であった。

このままでは、4月の組織替え前に再稼働が既成事実化してしまう可能性も十分にある、と危惧していたのは私だけではないはずだ。

ところが、ここに来て、少し様子が変わって来た。

  1. 原子力安全・保安院が「ストレステストの結果、再稼働は妥当」と判断を下した関西電力大飯原発3、4号機に関して、班目委員長「安全評価としては不十分で2次評価までやっていただきたい」と発言し、再稼働を事実上ストップした。
  2. それに加え、今回はホームページで「防災指針改訂に関する保安院との打合せ経緯」を公開し、原子力安全・保安院が防災指針の改訂に反対していたこと(そして、それが結果として周辺住民を被曝させる結果となった)を指摘した(参考)。

まだたった二つの事象に過ぎないが、ようやく「本来の仕事」に目覚めてくれたようで少しホッとしている。

班目委員長に対する世間の評価は厳しいが、私は実はとても正直な人ではないかと思っている。原発のことを「あんな不気味なもの、安心なんか出来ませんよ」と言ったり、「結局はお金でしょ」と地元の説得には交付金が必須であることを語ったりと、なかなか他では聞けないストレートな発言をしてくれる。

今までは原子力安全・保安員の提出してきた書類にハンコを押すのが自分の仕事と割り切っていたようだが、なんらかのきっかけでその呪縛が外れたのではないかと密かに期待している私である。

とにかく、今の段階で、もっともストレステストが必要なのは原発ではなく、安全神話を作り出し、津波への対策を「想定外」として意識的に排除し、事故の際には十分な情報を流さずに住民を被曝させてしまった、原子力安全・保安員そのもの。まずはそこから直さなければ原発再稼働などありえない。