ソフトウェア・エンジニアから見た「機械化やAIによって豊かになった人間社会」のあるべき姿

大方の予想に反して、トランプ大統領が誕生してしまいました。私のように西海岸に暮らす人からみれば、トランプ氏は、都知事選におけるマック赤坂氏や外山恒一氏と同じような、絶対当選するはずのない「泡沫候補」でした。

予備選でトランプ氏が善戦しているのを見ても、「トランプ氏に投票するのは、騙されやすい人だけ。良識がある米国人は騙されない」と楽観視していました。

にも関わらずトランプ大統領が誕生してしまったのは、広がる一方の貧富の差に不満を持つ人が、中西部や南部に大量にいるからなのです。

ここ30年ほどの情報・通信革命は、「生産性の向上」に大きく貢献しましたが、そのメリットを享受できるのは、一握りの資産家と高等教育を受けたエリートたちだけなのです。その結果大量に生まれた「現状に不満を持つ失業者や低賃金労働者」たちが、英国をEUから離脱させたし、トランプ大統領を誕生させてしまったのです。

そこで、ソフトウェア・エンジニアの一人として、私なりの意見を先週号のメルマガ「週刊 Life is Beautiful」に書いたので、下に貼り付けておきます。

「機械化によって豊かになった人間社会」のあるべき姿

少し前にもベーシックインカムに関して書きましたが、ようやく今年に入って、ベーシックインカムに関する記事を書く人が増えてきたことは大歓迎です。

従来型の社会保障は、失業・貧困・高齢などの特定の条件を満たした人たちをサポートする仕組みですが、制度が複雑になるし、その「特定の条件」を満たしているかどうかの審査に莫大なコストがかかります。

生活補助や失業保険を受け取っている人が、仕事を探さずに1日中パチンコをしており、それを把握するために市役所の人がパチンコ屋を見張る、などが典型的な例です。生活補助を受けている人が、アルバイトをすると、その分だけ支給金が減るという、「負のインセンティブ」も従来型の社会保障の欠点です。

ベーシックインカムは、その手の「条件」を一切排除し、貧困層から富裕層まで、老若男女すべての人に一律にお金を普及する仕組みです。それにより、誰もが最低限の生活は保障され、「負のインセンティブ」も無くなります。

ベーシックインカムというアイデアは昔からありますが、財源(財源は累進課税や消費税で賄うため、富裕層にとっては増税になります)や生産性(人々が働かなかくなるため、全体としての生産性が落ちる)の問題から、これまでは現実的ではないとされて来ました。

しかし、ここ20年ほどの世の中を見ると、機械化や情報革命により全体としての生産性は上がっているものの、そのメリットを享受できるのは富裕層のみであり、結果として貧富の差は広がる一方だということが明確になってきました。そして、ここ数年の進歩が著しい人工知能技術の応用が進めば、さらにこの傾向が強まることは目に見えています。

私は、この問題を、これまで通りの失業保険や最低賃金の引き上げで解決することは無理だと見ています。このままでは、人口の大半が、失業しているか最低賃金で働いており、現状に不満を持っている、という時代が来ることが目に見えています。

ドナルド・トランプの大統領選挙での勝利は、そんな時代の始まりを示す警告だと私は受け取っています。機械化や情報革命のメリットを受けることができず、逆に職を失ったり、最低賃金の仕事に追いやられてしまった人たちの不満が爆発した結果の、トランプ大統領の誕生なのです。

トランプ大統領は、公約通り、保護主義に走り、公共投資や工場の米国内への誘致などで国内の雇用を増やす努力をすると思いますが、結局は対処療法でしかなく、国の財政を悪化させ、最低賃金で働く人たちを増やすだけです。貧富の差は、彼のアプローチでは縮まりません。

一方で、トランプ大統領と対立する民主党が各州で行っている最低賃金の引き上げも、同じく対処療法でしかなく、企業は海外へのさらなるアウトソーシングや機械化で対応してくるだけのことです。
ベーシックインカムは、人々に全く新しい「生き方」のオプションを与えます。これまでであれば、とても難しかった、ボランティア活動や芸術や研究に一生を捧げる人々が増えると想います。生活のためではなく、充実感のためだけに職に就く人も数多くいると思います。歌手になる、スポーツ選手になる、などの夢をいつまでも追い続けることが可能になります。

共産主義が崩壊し、資本主義が貧富の差を増大している今、「機械化により、豊かになった人間社会」の形がどうあるべきか、という根本の問いかけに対する、現実的な答えの一つが、ベーシックインカムなのだと私は思います。


「指示待ち人間」はなぜ生まれるのか?

なぜ、あなたの仕事が終わらないのか』の担当編集より連絡があって、彼が担当した新しい本『自分の頭で考えて動く部下の育て方』(文響社)の関連記事を私のブログに掲載してもらえないか、という話でした。

原稿を読んでみるととても興味深かったので、そのまま掲載します。書き手は、『自分の頭で考えて動く部下の育て方』の著者であり、国立研究開発法人「農業・食品産業技術総合研究機構」上級研究員の篠原信さん。

 ◇ ◇ ◇

■ずぼら人間の周りに優秀な部下が集まる?

「指示待ち人間ばかり、自分の頭で考えて動かない」という嘆きの声をよく聞く。不思議なことに私の研究室には指示待ち人間は一人もいない。パートの女性3名も他の研究室がうらやむほど優秀。9年連続で私のところに来た学生もことごとく自分の頭で考えて行動する。指示待ち、なんのこと? という感じ。たぶん私がテキパキ指示を出せない人間なので、そのうち周囲があきれて、自分の頭で考え出すからだろう。私は自分のことさえ心もとなく、パートの方に「今日、お客さんじゃなかったですか?」と念を押されて思い出すこともしばしば。スケジュール管理まで進んでやってもらっている。実に助かる。


周囲が指示待ち人間ばかりだ、とお嘆きの方は、おしなべて優秀な方ばかり。自分のことはもちろんきちんとできるし、スタッフや学生への指示も的確。文句なしに優秀。私なんて足元にも及ばない。なのに私の周りには自分の頭で考えるスタッフや学生ばかり。よくうらやましがられる。なぜ優秀な人のところには指示待ち人間が多く、私のようなズボラで穴だらけの人間の周りに優秀なスタッフや学生ばかりが集まるのだろう? これは非常に不思議なことだ。そのことをずっと考えてみた。

実は私のところに来たばかりの頃だと「指示待ち人間」候補と思われる人もいた。初めから指示を待つ姿勢なのだ。もし私がテキパキ指示を出していたら立派な指示待ち人間に育っていただろう。しかしどうしたわけか、自分の頭で考えて動く人間に必ず変わった。なんでだろう?


私の場合、指示を求められたときに「どうしたらいいと思います?」と反問するのが常。私は粗忽できちんとした指示を出す自信がないので、指示を待ってくれる人の意見も聞くようにしている。最初、指示待ちの姿勢の人はこの反問に戸惑う人が多い。しかし私は引き下がらず、意見を求める。


「いや、私もどうしたらいいか分からないんですよ。でも何かしなきゃいけないから考えるきっかけが欲しいんですけど、何か気づいたことあります?」と、何でもいいから口にしてくれたらありがたい、という形で意見を求める。そうするとおずおずと意見を口にしてくれる。「あ、なるほどね、その視点はなかったなあ」「今の意見を聞いて気づいたけど、こういうことにも注意が必要ですかね」と、意見を聞いたことがプラスになったことをきちんと伝えるようにし、さらに意見を促す。そうすると、だんだんとおずおずしたところがなくなり、意見を言うようになってくれる。


もちろん、私の希望とはズレた、的外れな意見も出てくることがある。でもそれもむやみには否定せず、「なるほどね。ただ今回は、こういう仕事を優先したいと思っているんですよ。その方向で考えた場合、何か別の意見がありませんかね?」と言い、私が何を希望しているのか、伝えるようにしている。


こういうやりとりを繰り返しているうち、私が何を考え、何を希望しているのかを、スタッフや学生は想像できるようになってくるらしい。そのうち「出張でいらっしゃらなかったのでこちらでこう処理しておきましたが、それでよかったでしょうか?」という確認がなされる。大概ばっちり。

たまに私の考えとはズレた処理の場合もある。しかしその場合でも「私の指示があいまいだったので仕方ないです。私の責任ですので、気にしないでください。ただ、実はこう考えているので、次からそのように処理してもらえますか」と答えておく。そうして、考えのズレを修正していく。

・私の考えを折に触れて伝える。
・後は自分で考えて行動してもらう。
・失敗(私の考えとずれた処理)があっても「しょーがない」とし、改めて私の考えを伝えて次回から軌道修正してもらう。

この3つの注意点を繰り返すだけで、私の考えを忖度しながらも、自分の頭で考える人ばかりになる。

■優秀な人が指示待ち人間を作る?
これに対し「指示待ち人間ばかり」とお嘆きの優秀な方は、少々違う対応をスタッフに取っているらしい。特に3つ目の「失敗」に対する対応にシビア。

「あのとききちんと指示しただろう! なんで指示通りやらないんだ! そもそも少し頭で考えたら、そんなことをするのがダメなことくらい分かるだろう!」

こういうことがあると、スタッフは叱られることにすっかり怯えてしまう。そこで叱られないように、自分の頭で考えることを一切やめ、すべて指示通りに動こうとする。「指示通りにやっていない」ことを再度叱られないで済むように、実に細かいことにまで指示を仰ぐようになる。「そんなことくらい自分の頭で判断しろよ」という細かいことにまで指示を仰ぐようになってしまう。だから、優秀な人は「指示ばかり求めて自分の頭で考えようとしない」と不満を持つようになる。

でも多分、「指示待ち人間」は自分の頭で考えられないのではない。自分の頭で考えて行動したことが、上司の気に入らない結果になって叱られることがあんまり多いものだから、全部指示してもらうことに決めただけなのだ。叱られないようにするための防衛本能なのだろう。

指示というのは本来、あいまいにならざるを得ない。たとえば「机の上拭いといて」と指示を出したとしても、どの布巾でふくべきか、布巾がそもそもどこにあるのか、ということもあいまいなことが多い。仕方がないので自分の判断でこれかな? という布巾をみつけ、それで拭いたとする。そのあとの顛末で多分、違いが出る。

「なんで新品の布巾でふくんだよ、ちょっと探せばここにあることくらい分かるだろう、なんてもったいないことをするんだ」と言えば萎縮して、今度から布巾はどれを使えばよいのか、どこにあるのか、細かいことまで指示を仰ぐようになる。

こういう対応だと違ってくる。「きれいにしてくれてありがとうございます。ん? 新品の布巾を使ってよかったかって? ああ、いいですよそんなの。どこにあるか私も言っていなかったし。今度から布巾はここに置くようにしてくれればいいです」。自分の判断で動いても構わない、という経験をしてもらう。

■怒るか、感謝するか、そこが分かれ目
「指示」にはどうしてもあいまいさが残り、部下が自分で判断して行動せざるを得ないもの。そしてその結果を、ビシビシ「違う!」と怒ってしまうか、「そもそも指示があいまいですもん、ちゃんとできる方がビックリ。やってくれただけでありがたい」と感謝するか。そこが大きな分かれ道になる。指示があいまいなのに自分の考えと違うと言って怒るのか、指示のあいまいさを自分で考えて補おうとしてくれたことに感謝を述べるのか。それによって、スタッフの心理は大きく違ってくるらしい。前者だと怯えて全てに指示を出してもらおうとする。後者は次も自分で考えて補おうとしてくれるようになる。

指示はあいまいで雑にすればするほど、指示する方は楽。その代わり、指示があいまいなので、指示された側が誤解することも多くなる。誤解を補おうと自分の頭で考えてくれた時に、叱ってしまうか、「ありがとう」と言うか。それによって、指示待ち人間か自分で動く人間になるかが決まるのだろう。

私は図らずもおっちょこちょいなので、そもそも、一所懸命考えた指示でさえどこかあいまいなところがある。それを自覚しているので、あいまいさが原因で想定とは違う結果になっても、それは私の指示がいけないだけのこと。私が悪い。 指示があいまいなのにきっちり補ってくれたら、感謝感激雨あられ。指示があいまいだから失敗しても責める気にならない。あいまいな指示なのに自分で考えて補正してくれたら、なんてありがたい。そういう風だと、スタッフは自分で考えて補ってくれるようになるらしい。

「指示が少々あいまいな部分があっても、そこは自分で考えて補ってくれよ」という不満を伝えてしまうと、スタッフは「いや、無理だし。あいまいなんだから今回の解釈だってあり得るし。なのに叱られて理不尽。」と、これまた不満を持ってしまう。でも仕事だから逆らえない。結果、指示待ち。

優秀な人は、自分が部下の立場だったら、リーダーの気持ちを忖度してきっちり指示のあいまいなところも補ってしまう自信があるのだろう。とても私にはできない芸当。私が部下の立場の場合、根掘り葉掘り指示を仰ぐ。あいまいさが残らないよう「今の指示はこうも解釈できますけど」と突っ込む。

優秀だと部下が指示待ちになり、私のような融通の利かない不器用者だとスタッフが私より優秀になるという皮肉。しかし優秀な方は、私のやり方を真似ることもできるはず。そうすれば優秀なリーダーに優秀な部下。もう鬼に金棒。

自分の頭で考えるスタッフになってもらうには、
 
・リーダーの考えを折に触れて伝える。
・後はスタッフに自分で考えて行動してもらう。
・意図と違う結果になっても「あいまいだもん、しょーがない」とし、改めてリーダーの考えを伝え、次回から軌道修正してもらう。

を繰り返すこと。

■最初から優秀な人間などいない
失敗を許容するゆとりがあれば、むしろ自分の頭で考えて失敗するリスクを採った勇気をたたえれば、人は指示待ち人間でなくなる。人は皆、最初から優秀なのではない、失敗を繰り返しながら能力を育てていくのだ、と考えたほうがよいのかもしれない。

世界一足の速いボルトだって赤ん坊のころはハイハイから始め、歩き出しても転んでばかりだったはず。「自分の頭で考えて行動する」スタッフに育ってほしいなら、少なくとも最初のうちだけは、自分の頭で考えて行動したこと自体を称揚し、少々の失敗を許容するゆとりが必要なのだろう。

「あいまいな指示だったのに、よく自分で考えて補おうとしてくれましたね。ありがとう」。 それが言えれば、次からはリーダーの気持ちを忖度して行動しようとしてくれるはず。そうすれば、指示待ち人間ではなくなっていくのではないか。

「指示待ち人間」が生まれるのは、指示を出す側が、結果に対してどのような態度を示したかが決定打になるのかもしれない。失敗に対してゆとりある態度をもてる社会になれば、指示待ち人間は、もしかしたらびっくりするほど少なくなるのかもしれない。


10万部を超えるベストセラー書籍はどうやって生み出せば良いのか

先週、編集者の方から「なぜ、あなたの仕事は終わらないのか?」のさらなる増刷が決まり、ついに目標だった10万部を超えたという知らせを受けました(ちなみに、これは紙の書籍の数字で、Kindle などの電子書籍の読者数は含まれていません)。

私は、この本の前にも「エンジニアとしての生き方」「おもてなしの経済学」などの書物を幾つか書いてきましたが、労力の割には売れる数が少ないので(5000千部から1万部)、「もう書物は書かない」と一度は心に決めていました。

しかし、去年の末に「編集エージェント」という出版社から独立した形で書籍の企画・編集をしている方から声をかけられ、「必ずベストセラーにしてみせる」と説得されて書いたのが「なぜ、あなたの仕事は終わらないのか?」なのです。 最初は「彼に会うこと自体が時間の無駄かも知れない」と思っていたのですが、彼のロジックにとても説得力があったです。

そのロジックとは、

  • 出版社は再販制度のために、常に新しい書籍を市場に押し込まないと資金繰りが苦しくなるという悪循環に陥っている。
  • そのため、ほとんどの出版社は、丁寧にベストセラーを育てる余裕などなく、一人の編集者が複数の書籍を同時に担当し、1つ1つの書籍の質よりも、数で勝負をしている。
  • そのため、初版が3000千部〜5000千部で、ろくな宣伝もしてもらえないというケースが大半である(私の過去の書籍はこれに該当します)。

というものです。

そして、数万部を超えるようなベストセラーを作るのであれば、給料で働く出版社の編集者とではなく、著者と同じく印税で生活する独立系の編集者と企画の段階からタッグを組んで本を作る必要があるし、出版社選びも、ちゃんと広告費をかけて宣伝してくれるところを選ぶべきだと言うのです。

結局、彼にその場で説得され、「やるのであれば、必ず10万部は売れる本を作ろう」と心に決めたのです。実際に実現可能かどうかは、その時には半信半疑でしたが、そのぐらいの高いゴールを設定しない限りは、執筆をする気にならなかったのです。 なので、目標通りに10万部を突破できたのは、私にとってはとても喜ばしいことなのです。 そこで、備忘録も兼ねて、今回私が心がけたことを箇条書きにしてみます。

  1. 優秀な編集者とタッグを組まなければならない。出版社の中にいる編集者はあてにならないので、独立系の編集者が良いが、印税をシェアしてくれる形で働いてくれる人を見つけるべき。
  2. 出版社は丁寧に選ばなければならない。最初から1万部を超える数をコミットし、宣伝費もかけてくれるところを選ぶ。
  3. 本の構成やタイトルや装丁は可能な限り編集者に任せる。
  4. 読んだ人が誰でも理解できるように、できるだけ解りやすい言葉で書く
  5. 自分が「これだけは誰にも負けない」と思っているテーマを選ぶ。
  6. 「この本の内容ならば売れる」と意気投合してくれる編集者/出版社と組む。

この中で、最も重要で、かつ同時に、最も難しいのが、最後の「意気投合してくれる仲間を見つける」部分です。どんなビジネスでもそうですが、ビジョンを共有してくれて、一緒の同じゴールに向けて努力してくれる仲間を探すことが何よりも大切です。

私の場合は、私のブログの記事を見た編集者が、「それをネタに是非とも書籍を作りたい」と向こうから近づいてきてくれたので、この部分ではとてもラッキーでした。

そんな人を自分から見つけるには、労力も時間もかかるとは思いますが、ここで妥協しては絶対にいけないと思います。「この本なら売れる」と信じてくれる編集者と出版社を見つけることができれば(別の言い方をすれば、そんな人たちを見つけるだけの魅力のある本を書けるのであれば)、その時点で成功に必要不可欠な材料は揃ったとも言えるのです。

もし、書籍として書きたいテーマがあるのであれば、知り合いに話したり、ブログの記事として公開することを強くお勧めします。どのネタが良いのか決められないのであれば、それぞれを別の記事として公開して、人々の反応を見れば良いのです。

「ブログの記事に書いてしまったら本が売れなくなるのでは」と心配になるかも知れませんが、決してそんなことはありません。ブログはブログ、書籍には書籍の役割があるので、大丈夫です。私の書籍も、エッセンスの部分はブログで公開していますが、それでも書籍を読んでくれる人が沢山います。

ブログの記事をきっかけに、ベストセラーが生まれる、今はそんな時代なのです。


発行部数の激減する新聞・雑誌。本当になくなってしまって良いのか?

ジャンプ、マガジン、サンデーに代表される週刊漫画雑誌の売り上げが激減しています。

20年前には650万部を売り上げた週刊少年ジャンプ すら、毎年のように10%を超える売り上げ減に見舞われ、今や200万部を切ろうとしています(データソース:日本雑誌協会)。

新聞社も週刊誌も売り上げの激減に悩まされています。特に、駅売りに頼っていたスポーツ新聞ビジネスは、どこも破綻状態で、数年後には、「スポーツ新聞」というジャンルそのものがなくなってしまうと言われています。

理由は明確です。人々のライフスタイルが大きく変わったからです。

20年前、通勤・通学する人々の多くは、漫画・雑誌・スポーツ紙を読んでいました。駅のホームには必ずキオスクがあり、そこで雑誌や新聞を売っていました。朝、通学途中に読んだ漫画を友達と回し読み、それがごく普通の高校生・大学生の姿でした。

今はそんな人たちはほとんど見かけません。誰も彼も、スマホで何かをしています。LINEでコミュニケーションをする人、Instagramで写真を楽しむ人、Youtubeで映像を観る人、ゲームを遊ぶ人、ニュースを読む人。目的は様々ですが、そこに、従来型の雑誌やスポーツ紙が存在する余地はすでにないし、決して元には戻らないのです。

では、出版社は生き残りのために何をすれば良いのでしょうか?

既存の雑誌や新聞を単純に「電子化」しただけでは全くダメなことは、数々の失敗が証明しています。紙に印刷した雑誌や新聞と、スマートフォンとでは、大きさ、解像度、閲覧時間や頻度、インタラクションなどに根本的な違いがあります。単に紙に印刷すべきコンテンツを電子書籍化してスマホ向けに配布しても、ユーザーには受け入れられないし、決してビジネスとして成立しないのです。

参考にすべきはテレビです。テレビという新しい媒体(メディア)が出てきた時に、新聞や雑誌をカメラで写すだけのテレビ番組を作っても誰も喜びませんでした。紙の雑誌向けに描かれた漫画をスキャンして、電子書籍として配布する行動は、それに相当する愚行なのです。

報道は、新聞で使われている「写真と文字」から、「映像と音声」へと大きく変わりました。漫画は、紙に描かれたコマ割りの漫画から、「アニメ」へと進化しました。テレビという新しい媒体に合わせて、コンテンツのフォーマットそのものが大きく進化したのです。

メディアとコンテンツの関係は、本来こうあるべきなのです。メディアが変われば、コンテンツのフォーマットも、それに合わせて大きく変わるのが当然なのです。

スマートフォンという新しいメディアが誕生してから、早くも10年が経とうとしていますが、それに最適化されたコンテンツ・フォーマット、という意味では、まだまだ業界全体が手探り状態にあると言えます。

「スマートフォン向けのコンテンツはアプリであるべきだ」と主張する人もいます。確かに、スマートフォンというデバイスの利点を最大限に生かすには、それぞれのコンテンツ向けにアプリを作るのが最適であることは事実です。

しかし、例えば「ワンピース」というコンテンツのために、専用アプリを作っていてビジネスが成り立つか、というと決してそんなことはありません。何時間も遊んでもらえるゲームならばまだしも、漫画やアニメのように毎週配信されるコンテンツのために、アプリの開発者を雇ってコンテンツを作り込むというのは、時間的にもコスト的にも全く現実的ではありません。

iPhone向けに、子供向けのインタラクティブ・ブックのようなものも幾つか作られましたが、専用アプリを作る開発費を回収することは、残念ながらどこも出来ていないというのが現状です。

電子書籍の業界には、EPUBという世界標準がありますが、そもそもが文字を中心とした書籍を電子化するために作られたフォーマットであり、画像や映像が中心のコンテンツには不向きなフォーマットです。アニメーションやインタラクティビティが必要な場合には、JavaScript で書かれたプログラムを各ページに埋め込む必要があるという、全く使い物にならない仕様になってしまっているのです。

今、業界に必要なのは、写真、映像、アニメーションなどを取り入れた、スマホに最適化されたコンテンツの配布を可能にするコンテンツ・フォーマットであり、そんなコンテンツ作りを支援するオーサリング・ツールなのです。

私が、去年の10月に Swipe というコンテンツ・フォーマットを提唱し、同時に iPhone 向けのビューアーをオープンソース化したのは、そんな業界のニーズに応えるためです(参照:Swipe on Github)。複数のページに分割された、アニメや動画を、親指のスワイプだけで、サクサクと自分のペースで楽しむことができる、スマートフォンに最適化された paged-media と呼ばれる、これまでに存在しない、全く新しいコンテンツ・フォーマットの提案です。

当時、日米の出版社や作家の方たちに、Swipe を提案したところ、誰もが EPUB の抱える問題点は認識しており、新しいフォーマットが必要であることには同意してくれました。私が Swipe という新しいコンテンツ・フォーマットを、ロイヤリティ・フリーで、完全にオープンな形で公開したことを歓迎もしてくれました。そして、多くの人たちから「是非ともオーサリング環境も作って欲しい」というフィードバックをいただきました。

さすがに、オーサリング環境となると私一人では難しいので、Swipe Inc. という法人を立ち上げ、人を集めて開発を続けてきました。それも、従来のツールのようにパソコンをターゲットにしたものではなく、コンテンツのオーサリングそのものもスマートフォンで行う、「スマートフォンで作り、スマートフォンで消費する」という、真の mobile-only なエコシステムの構築を目指したものです。

あれから1年、ようやく iTunes ストアで公開できるところまで開発が進んだので、まずはクリエーターの人たちに向けてリリースしたいと思います。名前は、Swipe Studio(無料)です。iPhone/iPad/iPod touch さえお持ちであれば、誰でも試すことが可能なので、ぜひともお試しください。

作ったコンテンツをどうやって誰が販売するのか、その際のビジネスモデルは何なのか、出版社はどう絡むのか、ビューア・アプリは一つなのか雑誌ごとに別個のものを配布するのか、など細かなことはこれから決めていけば良いと考えています。何よりも大切なことは、今の時代のユーザーが楽しむことのできるコンテンツを作ることであり、それに必要な新しいコンテンツ・フォーマットを、誰でも使えるオープンな形で進化させて行くことなのです。

現在の「紙に印刷した雑誌・新聞」というビジネスが完全に破綻してしまう前に、一緒に新しいビジネスを作りませんか?

Swipe Studio を iTunes Store でダウンロード

 

SwipeSwipe 2

 

 

 


iPhone 向けインタラクティブ・アートという新しいジャンルの誕生

これまでに存在しなかったもの、人々が見たことのないものを理解してもらうには、必ずと言って良いほど「産みの苦しみ」が伴います。今回、3年越しでリリースすることが出来た 「imm rain」は、その典型的な例です。

IMG_9538cs

開発したのは、3年前の2013年。能力が格段に向上した iPhone のGPUを活用した、新しいジャンルのアプリケーションを作ろうという発想のもとにスタートしたプロジェクトです。

子供の頃、雨の日に、窓ガラスについた水滴を指で他の水滴とくっつけて遊んだ経験がある人も多いと思いますが、そんな体験を厳密な物理演算で iPhone の上で再現したものです。

あえて、ありきたりのゲームにはせず、瞑想効果のあるインタラクティブ・アートとして丁寧に作りこみました。テトリスのような単純なゲームをすると、特殊な快感(瞑想効果)がありますが、そんな体験をインタラクティブ・アートとして提供したかったです。

しかし、Apple の審査に出したところ、リジェクトされてしまいました。理由は「目的がない、ゲーム性がない」というものでした。

私なりに、「これはインタラクティブ・アートだ。アートに目的やゲーム性は必要ない」と必死に説得を試みたのですが、その時は全く理解してもらえず、リリースを断念せざるを得ませんでした。

しかし、今年の9月の iPhone 7 のローンチイベントで、Apple が「アプリの審査プロセスを大幅に改善した」とのアナウンスがあったので、再度チャレンジしてみたところ、あっさりと一発で審査に通り、3年越しのリリースが叶ったのです。

知り合いの何人かには、「ビジネスモデルは?」と聞かれましたが、これはアートですから、ビジネスモデルはありません。広告もありません。無料で提供し、より多くの人たちに楽しんでもらうことが一番の目的です。

現代人にはストレスが多く、そのままにしておくと、脳の中心部にある海馬という器官が縮退してしまいます。海馬を休ませるには、(夜の睡眠に加え)昼寝や瞑想が必須ですが、忙しい日本人にはなかなかそんな時間や場所を確保できません。

そんな時にこそ役に立つのが、瞑想効果のあるこの imm rain です。imm rain には、点数やゴールのようなものはありません。リラックスして、子供の頃のように、思いのままに水滴と戯れてみてください。

 


「決断力のない人」に共通する残念な考え方

6月1日発売の拙著『なぜ、あなたの仕事は終わらないのか?』からの引用です。

 ◇ ◇ ◇

「出勤前の服選び」で疲れてどうする

話が脱線しますが、効率化といえば、「世界の偉人はいつも同じ服を着ている」ということが一部で知られています。たとえばフェイスブックのマーク・ザッカーバーグはいつもグレーのTシャツにジーンズをはいています。アップルのスティーブ・ジョブズは黒のタートルネックにジーンズをはいていました。オバマ大統領はグレーかブルーのスーツを着ています。

彼らはなぜそういうことをしているのでしょうか。それは彼らが日常のささいな決断の数を減らそうとしているからだそうです。日々たくさんの人と会い、様々な意思決定を行う彼らは、普段から大きな決断を迫られています。そのため会社の経営や政治に関わる重大な決断をするときに脳が疲れないよう、無駄な決断をしないようにしているのだそうです。無駄な決断とは、ここでは服選びのことを指します。

心理学では、決断や意思決定をする際に減少する気力のようなものを「認知資源」という名前で呼んでいます。この言葉を使うと、つまり世界の偉人は、認知資源を経営や政治のために温存しているということになります。服選びなどのつまらない決断で疲れるのを避けようというわけです。

私は認知資源という言葉は最近まで知らなかったのですが、「決断疲れ」を避けようとする偉人たちの気持ちはとてもよくわかりました。

私は毎日服を着る際、いつも箪笥(たんす)を3センチだけ開けて、一番手前にある服を着ることにしています。服で何か仕事に影響があるとは思っていないからです。服装が仕事のパフォーマンスに影響するならともかく、そうでないことがはっきりしているのに、服にいちいち気を遣う必要はあまりないのではないでしょうか。

服選びならともかく、もっと時間を取るものがあります。それは表敬訪問です。とくに用事はないけれども、ご挨拶という触れ込みで訪ねる不思議な文化です。あれは無礼の表明になりこそすれ、敬意の表明にはなりません。

ビル・ゲイツは私よりももっと先鋭化させた考えを持っています。最初に私が驚いたのは、彼が何らかの説明を社員から聞くときに、直接その社員からは話を聞かないことです。彼は情報をかみくだき、彼にわかりやすく説明してくれる専門の社員を雇っていたのです。

私たち社員は、ビル・ゲイツに何か説明をするとき、その専門の社員に説明をします。するとその専門の社員がビル・ゲイツにわかりやすく説明をするのです。

一般のスタッフの中には、説明がうまい人もいれば下手な人もいます。そんな中でビル・ゲイツがいちいち顔を合わせて聞いていたら、膨大な時間がかかります。だから彼は、コストをかけてでも、説明を聞く時間を効率化するために専門のスタッフを雇っていたのです。当時ビルは、常時二人の説明専門家を雇っていました。

さらに、彼が参加するプレゼン会議では、発表者が発表をする時間は設けられません。彼のいうプレゼン会議とは、発表者との質疑応答の時間のことを指します。したがってスライドを動かしながら説明をするといったことはしません。資料は前もって送り、当日、質問を受けるだけです。これは究極の効率化です。

そこまで効率化を図りつつも、しっかりと会議をする目的は果たします。会議室に入っていきなり「3ページ目の開発は、ほかのグループがやってるけど、君は知らないのか」など鋭い突っ込みが入ります。そして会議は最長で 30 分という時間が決められています。ですのでちゃんと受け答えの準備ができていないと、うなだれて帰るのがオチになります。

ビル・ゲイツはとにかく仕事の効率化を図っている人です。私も彼ほどまでに厳しくはできませんが、ビル・ゲイツが世界一の大金持ちになった理由の一端は、彼の時間の使い方にあったのだと確信しています。

時間を制する者は、世界を制す

本章の最後に、結局時間を制するとどんなメリットがあるのかをおさらいしておきましょう。それは次の3点に集約されます。

①リスクを測定できる

②目に見える形のもの(プロトタイプ)を素早く作ることができる

③誤差に対応できる

まず、冒頭でリスクを測定できるというお話をしました。その仕事が締め切りまでに終わるかそうでないかを早期に判断することが、会社にとって非常に大事なのです。終わりそうにない、ということ自体は仕方のないことです。一番避けたいのは、締め切り間際になって「終わりそうにないです……」と言ってくることです。上司としては、早めに報告してくれればいくらでもリカバリーできるのに、ギリギリに報告されるのは正直困ります。でも前倒しで仕事の大半を終わらせるようにすれば、迷惑をかけることはありません。

次に、プロトタイプを作ることができるというお話をしました。プロトタイプとは、簡単に言えば 70 点でも 80 点でもいいので、仕事全体をいったん終わらせたもの(試作品)のことです。 Windows95はバグが3500個あったという話を思い出してください。細かいところは後から直せます。ですから細部は後に回して、まず大枠を作って全体を俯瞰できるようにすることが大事です。

バグの数は絶対に0にはできません。ですから、許容範囲を見極めて早めに形にしてしまうほうがいいのです。バグを消そうとして頑張っていては、いつまで経ってもゴールにたどり着きません。

「評価恐怖症」のところでお話ししたように、100点の出来を追求しすぎると、自分の中でどんどん勝手にハードルが上がっていき、上司や顧客からの期待に応えられないのではないかという不安が増幅していきます。これではいつまで経っても仕事は終わりません。

すべての仕事は必ずやり直しになります。ですから、 70 点でも 80 点でもいいから、まずは形にしてしまうことから始めましょう。スマホアプリが延々とアップデートを繰り返している理由を考えてみてください。100点の仕事など存在しないのです。それよりも最速でいったん形にしてしまってから、余った時間でゆっくりと100点を目指して改良を続けるのが正しいのではないでしょうか。

最後に誤差に対応できるというお話をしました。これは渋谷に 10 時に待ち合わせをするという比喩がわかりやすかったと思います。9時 55 分に渋谷に到着する計画では、遅れてしまう可能性が十分あります。そうではなく、 30 分前に近くのスターバックスにいることも含めて待ち合わせだと考えてください。私にとって、 10 時に渋谷で待ち合わせというのは、すなわち9時半にTSUTAYAのスターバックスにいることと同義なのです。

また、ビル・ゲイツがあなたに花を用意させる話もしました。花を用意するという任務を与えられた以上、あなたは花屋がいかなる理由で花を届けることができなくても、責任を持って花を準備しなくてはなりません。あなたの任務は花屋に花を注文することではなく、花を用意することなのです。待ち合わせの例でいえば、待ち合わせというのは 10 時前に到着する電車に乗ることではなく、 10 時に絶対に待ち合わせ場所に着くことなのです。

このように自分の中で何を守るべきなのか、何が任務なのかを再定義することが仕事でも重要です。責任感を持つことで自分のやるべき使命がはっきりします。


「いつまでも英語や資格の勉強が終わらない人」に共通する残念な考え方

6月1日発売の拙著『なぜ、あなたの仕事は終わらないのか スピードは最強の武器である』からの引用です。

 ◇ ◇ ◇ 

目的があれば、勉強はたやすい

読者のみなさんの中には、きっと将来のために資格の勉強をしている方もたくさんいらっしゃると思います。そこで私なりの勉強に対する考えを述べたいと思います。

一言で言えば、目的のない勉強はするな、です。正確に言えば、勉強のための勉強に意味はないということです。

勉強のための勉強というのは、「なんとなく将来役立つかもしれないから」などの漠然とした理由で臨む勉強のことです。明確な目的のない勉強と言ってもいいでしょう。そういう勉強は得てして長続きしません。

私も「なんとなく」という理由で勉強したいことはあります。近年世界をにぎわせている人工知能なんかは、おもしろそうなので詳しく知りたいと思っています。将来役立つような気もしますし。けれどもそういった理由で勉強しても長続きしないし、途中で挫折することはわかっています。だから私は、何かきっかけがあるまで人工知能の勉強はしないようにしています。

きっかけというのは、たとえば仕事で人工知能を使ったソフトウェアを開発することになる、といった機会です。そんなソフトウェアを開発するためには人工知能の知識が必要になります。そのように明確な目標が決まって初めて調べ出します。勉強ではなく調べるのがキモです。

実際に私は、本業であるプログラミングについても「なんとなく」で勉強することはありません。もっといえば、私はプログラミングの勉強をしたことがありません。プログラムはすべて、あるソフトウェアを動かすための一つの構成要素です。プログラミングとは、その要素を作るための方法です。だから、将来役に立ちそうだからという漠然とした目標の下でプログラミング自体を勉強しようと思っても、つまらなくて長続きしないし、身に付きません。

一方、私はもともとコンピューターでゲームがしたい、というところからプログラマーのキャリアがスタートしました。つまり「ゲームを作るため」という明確な目標があったのです。だからプログラミングも挫折せずに続けられました。

ではプログラミングをどのように習得していったのかというと、これは「やりながら覚えた」という答えになります。何かやりたいことがあって、それを実行するときに必要なものだけを参考書や解説書から拾ってきて使う。実際に作ってみる。それの繰り返しです。

その例として、私が3年前に開発したアプリの話をします。プログラムの世界にOpenGLという3Dグラフィックの最新技術があります。以前からずっと勉強したかったのですが、必要がないので勉強は保留にしていました。しかし、3年前にあるアプリを開発する際に必要になるという機会に恵まれました。

そのアプリは、スマートフォンのカメラを向けると景色や人がリアルタイムでアニメーション風に描画されるというカメラアプリでした。これはVideo Shader (ビデオシェー

ダー)として2013年に公開されました。

開発に当たっては、GPU (グラフィックスプロセッシングユニット。パソコンやスマホ等の画像処理を担当する主要な部品の一つ)を使った高速な画像処理を行う必要があったので、OpenGLの説明書を読み、その機能を実装するために必要なことを調べました。そうしてOpenGLのグラフィック技術をビデオシェーダーに組み込むことができました。

この、アプリに必要な機能の作り方を調べて、実際に作って実装していく、を繰り返していくなかで私はOpenGLについて詳しくなっていきました。勉強という勉強はしていないにもかかわらずです。

OpenGLに詳しいプログラマーはあまり多くないので、周りから私はOpenGLの大家のように扱われました。しかし私はビデオシェーダーを作るのに必要だった知識しか持っていませんからOpenGLに本当に詳しい人からすれば私は「にわか」なのです。

これはたとえば、日曜大工で「ハンマーの使い方」を学ぶのではなく、「くぎの打ち方」を学ぶことに相当します。私にとってはくぎを打つことさえできれば、ハンマーでなく金属バットでも石でもなんでも十分だからです。

勉強はあくまで手段であり、それ以前に何かやりたいことがなければとくにする必要ないのです。そんな暇があったら、もっと本当にやりたいことに時間を注ぎ込むべきです。

英語の勉強をせずに話せるようになる方法

アイルラインド人の女の子をデートに誘いたい場合、英会話教室に通ったりする必要はありません。デートに誘うために最低限必要な英語を調べて、実際に誘えばいいだけです。

約束を取り付けることに成功した後も同じです。食事を楽しみたいのであれば、食事のときに必要な言葉を調べましょう。長時間話す自信がないのなら、「この後用事があって1時間しかいられないんです」と英語で言う練習をしておきましょう。とりあえず最初のデートのときは、このくらいの準備でいいのではないでしょうか。これを繰り返していれば、いつしか英語が話せるようになります。

ここで言っておきたいのですが、大事なのは「あなたは彼女とデートがしたくて誘った」ということです。英語の勉強をしたくてデートに誘ったわけではないですよね。ですから完璧な英語を話すことにばかり気を取られないでください。英語なんてコミュニケーションのための一つの手段にすぎません。必要があるときだけ調べておけばいいのです。

洋書を読みたいという動機で英語の勉強をしている方も多いと思うのですが、それなら、辞書を右手に、洋書を左手に持って読み出せばいいのです。「ちょっとそれは……」と躊躇する人は、そもそも英語で何かを読みたいわけではないということかもしれません。だとしたら時間の無駄ですから、すでに出ている翻訳書で我慢するか、その本の翻訳版が出るのを待ちましょう。海外のニュースを読みたいというのも同様です。辞書を引きながら今日から早速読み出せばいいだけです。

ハリウッドで映画を作りたいという場合でも同じです。そういった野望を持つ人は、英語を勉強する前に絵コンテを作ってハリウッドに行くべきです。あなたの目標はハリウッドで映画を作ることであり、英語を身に付けることではありません。もしかすると絵コンテが言語の壁を越えて認められるかもしれません。絵コンテが完成したときに必要なのは自分の絵コンテを英語で説明する能力くらいです。説明のためのスクリプトを作って、それだけ暗記して制作会社に営業にいきましょう。

仮に絵コンテがまだできていないのであれば、英語の勉強どころか、あなたはまずは絵コンテを描き始めるべきです。描き方がわからない? 全然問題ありません。絵コンテの描き方を調べて書き出しましょう。ストーリーの作り方がわからない? まったく問題ありません。ストーリーの作り方を調べてすぐにストーリーの作成に入りましょう。そういう方法を解説した本は、ごまんと出ています。

そのときには、ぜひロケットスタート時間術を使ってみてください。まずは40%の出来栄えでもかまいません。絵コンテにしてもストーリーにしても、想定の2割の時間で一気に全体を書き上げるのです。枝葉や装飾は、その後の8割の時間をかけてゆったりと付加していけば問題ありません。

英語の話は決して大げさな話ではありません。私もそういうことをしてきました。マイクロソフトにおけるすべてのプレゼンの場面で、いつも私は自分の作品と少しの言葉ですべてを伝えてきました。言語の壁はそんなに高くもないし厚くもありません。ただ何かを伝えたいという情熱さえあれば、壁は乗り越えられます。

あなたのやるべきことは英語を勉強することではありません。英語を使って何かをすることです。


「一生チャンスをものにできない人」に共通する残念な考え方

6月1日発売の拙著『なぜ、あなたの仕事は終わらないのか スピードこそ最強の武器である』からの引用です。

◇ ◇ ◇

「まず作ってみる」が、 未来を変える

大学卒業後は、早稲田の大学院で相変わらずコンピューターのソフトを開発していました。大学院の修士課程を修了した後は、NTTの研究所に就職しました。自分は実務より研究のほうが向いていると思ったからです。NTTを選んだのは、当時、通信研究の日本最大手だったから、という理由です。

しかし、入社して14か月後のことです。アスキーがマイクロソフトと結んでいた代理店契約が切れ、マイクロソフトが日本法人を作るというニュースが私の耳に飛び込んできました。さらにそのニュースによると、私がアスキーでアルバイトをしているときにお世話になっていた15人の方が、マイクロソフトに移ったということでした。

私はマイクロソフトの社長に就任が決まった古川享さん(現・大学院メディアデザイン研究科教授)に電話をしました。「なんでマイクロソフトに誘ってくれないんですか。水臭いじゃないですか。僕がやりたくないわけないじゃないですか」と。そうして私もCANDYを開発したという実績を買ってもらい、NTTを辞め、日本法人のマイクロソフト株式会社に移りました。

マイクロソフトでは、主にアメリカのソフトの日本版を作る仕事をしていました。縦書きができるようにしたり、漢字変換ができるようにしたりなどです。

3年半日本法人で働いた後、ついに1985年にアメリカのマイクロソフト本社へ移ることになりました。そこで私はマイクロソフトの次世代OSの開発を任されました。

次世代OSの開発グループはなんと6、7人しかいませんでした。私はそのなかの一人だったのですが、英語があまり得意ではなかったので、どうも会話についていけませんでした。

それを見た上司は私に「何か考えてることがあるなら、プロトタイプを作ってみたら」と言いました。そうして私は相変わらずプロトタイプを作ることにしました。

本物ではなくてあくまでプロトタイプでいいということで、デザイナーに近い仕事をしていました。具体的にいうと見た目や操作性などの基本設計(アーキテクチャ)を生み出す仕事です。開発グループでは次世代OSのベースになるソフトウェアモジュールを作っていましたが、私はそこから外れ、一人プロトタイプの作成にいそしんでいました。

半年後、完成したプロトタイプを上司に見せると大喜びで、さらにその上司にもプロトタイプを見せることになりました。私が緊張しながら片言の英語で説明をしていると、上司の上司は「やはり目に見える形にするのは良い。これからいろいろな人にデモしてもらうことになると思う。よろしく頼むよ」と言いました。

それは私にとって最高の褒め言葉でした。ろくに英語もしゃべれないままシアトルに来た私にとって、「会社のために何か役に立つことができた」と実感できた最初の経験でした。

その後も、上司やいろんな部署の人が私の部屋に来るたび、私は喜んでプロトタイプのデモをしていました。そんなある日「来月の頭に、もう少しちゃんとした場所で、プロトタイプのプレゼンをしてほしい。30分ほど時間をあげるから、用意しておくように」と言われました。

「ミーティングの席ですらまともに話せないのに、英語でプレゼンなんて無理」という私に、上司は「何とかなるよ。君が作ったプロトタイプなんだから、君がプレゼンして当然だ。プロトタイプが良くできているんだから心配ないよ」と気楽に笑うのです。こんな経緯で、英語でプレゼンをすることになってしまった私は、とにかく恥をかかないようにするにはどうすれば良いかという作戦を立て始めました。

最初に決めたことは、スライドは一切使わず、プロトタイプのデモだけに専念することでした。プロトタイプのデモを命じられたのだから、細かい技術の話はせずに、とにかく見ている人に「次世代のユーザー体験はどうあるべきか」をわかってもらうことが一番です。そのためには、それだけで30分飽きさせないデモをする必要があります。

そこで、「次世代OSを入手したユーザーが、ユーザー登録をし、ワープロをインストールし、文章を作成し、プリンターを接続し、書いた文書をプリントする」という一連のユーザー・シナリオを30分かけてデモすることにしました。

プロトタイプ上のデモを斬新で魅力的なものにすれば、見ている人の意識はほとんどそちらに行くし、私自身は「これからワープロをインストールします」などの補足的なことを言うだけで十分です。

企画を早く形にした者がチャンスをつかめる

当日、会議室まで上司に連れられていった私は、「場所を間違った」と思いました。それは単なる会議室ではなく、1000人近く人が入れる大ホールだったのです。それも、観客席にはぎっしりと人が座っています。

「まさかこの会場でプレゼンするわけじゃないですよね?」

「ここだよ。マイクロソフトが毎年開催しているカンファレンスなんだ。パソコンメーカーやソフトウェアメーカーの重役たちが来ているから、マイクロソフトがどんなものを開発しているかをデモする絶好の機会なんだ」

せいぜい十数人くらいの、それもマイクロソフト社内の人たちに向かってプレゼンするものとばかり思い込んでいた私の背中に冷や汗が流れました。まさか、1000人近い観客の見ている前でプレゼンをすることになるとは夢にも思っていなかったわけですが、いまさら断るわけにはいきません。「やるだけやってみるしかない」と自分に言い聞かせるしかありませんでした。

少しすると上司が壇上に立ち、「これからマイクロソフトが開発している次世代OSのデモをご覧いただく。まだ開発中のものだが、社外の人たちに見せるのは今日が初めてだ」とアナウンスし、私に目配せをしました。

私の頭の中に「プロトタイプって言わなかったけどいいのかな」という疑問が浮かびましたが、とにかくこのプレゼンを無事にこなすことだけに全神経を集中していた私にとっては、どうでもいいことでした。

壇上に上がると、数百人の観客の目が私にそそがれます。深呼吸をして、デモをスタートさせます。

「これがユーザーがOSをインストールしたばかりの状態です。最初にすることはユーザー登録です」

練習しておいたシナリオどおりにデモを進めます。ほとんどが画面上の操作を見てもらえればわかるように作っておいたので、言葉を挟むのは要所要所だけでいいのです。プロトタイプも順調に動作してくれています。

観客はとても静かでした。私のデモを期待を込めて見ているようにも思えましたが、「なんてつまらないデモをしているんだ」とあきれているようにも思えました。その静けさが、私の緊張感を一層強めました。

ワープロをインストールし、文書を作り、プリンターの文書をドラッグ&ドロップしてプリントさせます。デモはすべて順調に動いてくれました。

「以上で、デモは終わりです」

私がデモを終了すると一瞬の間の後に、会場から大きな拍手がわき上がりました。デモは大成功でした。日本から出てきたばかりで英語が片言しか話せないからこそコアの開発チームから外れて、一人でプロトタイプを作っていた私のプログラムが、世界に向かって「次世代のOS」として発表されてしまったのです。

私自身だけでなく上司もその上司もこれが単なるプロトタイプにすぎないことは十分承知していたはずですが、それがプロトタイプだということを知らない観客から見れば、本当の次世代OSに見えたことだと思います。

余談になりますが、マイクロソフトはベーパーウェアという戦略が得意です。まだ完成してもいないものを発表して、競合他社のやる気を削ぐという戦略です。私はそれを知らなかったので、上司にまんまと乗せられたということになります。

時期は、1990年の中頃。Windows95リリースの5年も前の話でした。

私はこうやって、Windows95のアーキテクト(基本設計者)に任命されました。これもプロトタイプを率先して作ったことが認められたからでした。そうしてこのプロトタイプこそが、2章でお話しした、私がシカゴに移る前からカイロで開発することになる、後にWindows95として結実することになる次世代OSの種だったのです。

どんな仕事でも、企画をアイデアのままではなく形にした人がその企画の推進者になることができます。私のような日本から渡米したばかりのいちエンジニアがマイクロソフトで活躍できたのは、まさに限られた時間を濃密に使いこなし、プロトタイプを先に作ったからなのです。


MBAで学べることより大切な、たった一つの人生の掟

6月1日に上梓した拙著『なぜ、あなたの仕事は終わらないのか?』(文響社)からの引用です。

◇ ◇ ◇

突然ですが、私はここでみなさんにお詫びをしなければいけないことがあります。

それは、ここまで長らく私の人生がトントン拍子にうまく進んできたかのように書いてきてしまったことです。

自慢話のようで鼻についた方もいたでしょう。そういう方にはお詫びを申し上げたいと思います。不快な思いをさせてしまったことと同時に、私の人生も決してうまくいったことばかりではなかったからです。

そういった話――すなわち、何かを成し遂げたり幸せな人生を手に入れたりするには、「好きなことに向き合い続けること以外に方法はない」という話――をこれからしていきたいのですが、私の人生の最大の試練は、初めてのスタートアップであるUIEvolutionを立ち上げた直後に訪れました。

起業直後から本当に失敗の連続でした。良いものを作っているはずなのに、なかなか売り上げにつながらず、お金が足りなくなって人を解雇しなければならない事態にまで追い詰められました。どうしてうまくいかないんだろう、何が間違っているんだろうと、それはもう想像を絶するほどの苦悶の日々でした。

自分に限界を感じた私は、会社がいったんほかの会社に買収されたのち、ワシントン大学に入学し、MBAのコースで会計やマーケティング、商品戦略などいろいろな勉強をして、経営学修士を取得しました。 「勉強のための勉強」はしないことを信条として生きていた私が、勉強をするほど追い詰められていたのです。

でも、勉強に二年を費やしましたが、無情にもそこに答えはありませんでした。

そこで考えたのは、「なぜマイクロソフト時代は何をしてもうまくいっていたのか」「何を作っても市場で受け入れられたし、上司にも気に入られていたのか」ということでした。

結局マイクロソフトですごかったのは、 Windows95のチームでした。コアな技術者が 30 人くらいで、ある意味異常なカルト集団だったのです。そのチームこそが、あのカイロを出し抜いた、シカゴのチームメンバーたちでした。

私たちはあのとき、熱狂していました。カイロにすでに相当なお金をつぎ込んでいるとか、社内の軋轢とか、どうでもよかったのです。

それよりも「俺たちが何よりもまず先にWindows95を出して、まずアップルをぶちのめす」「IBMをぶちのめす」。「そうして、世界に俺たちのほうが正しいことを証明してやる」と、それに向かって皆がまっしぐらだったから、ものすごく気持ちよく仕事ができていたわけです。

「こんなのを作りたいんだ」「これで俺たち証明してやるんだ」。「チームの存在、個人の存

在、なんでもいいんだけど、全部力技で証明してやる」と皆が思っていました。

全員がその方向で一致していました。思いは一つだったのです。

だからこそ何にも苦しくなかった。それがあったから1日 16 時間とか 17 時間とか働いても全然つらくなかったのです。

同じことをしていても目標がわかっていなかったり、上司に言われて「おまえ納期が迫っているんだから週末も来い」とか言われるとキツくてしょうがないはずです。実際には同じ時間働いているので、肉体にかかる負担は同じです。でも、楽しんでやっているかそうでないかで結果は変わってくる。すごく楽しかった思い出しか、その時期の記憶はなかったのです。

そういう試行錯誤の末にたどりついた一つ目の答えは、ベンチャー企業は普通うまくいかないのが当たり前だという、身も蓋もない現実でした。

商品を出して、何の工夫もせずに大ヒットするなんてことはありえません。 Twitter も YouTube も、製品をリリースしてみてうまくいかなければ修正し続けるのです。その中でつらいこともあって、一緒にやっていた人が辞めたり、お金がなくなったりするケースもあったでしょう。それでも突き進んだ人だけが成功している、ということに考えが至ったのです。

Googleも最初は全然ビジネスモデルなんてなかったわけです。じゃあなぜ、その人たちがやり続けることができたかと言うと、それはその人たちがそれをやりたかったからです。

お金目的の人たちが集まると、お金儲けでやるから、やり始めて「意外と儲からないな」と思った瞬間に人がちょっとずつ抜けていくようになります。全員がくじけないかもしれないけれど、やっぱり人は辞めていきます。

でも、こんなことを実現したい、という思いで人が集まると、そこに向かって走り続けられるのだと気づいたのです。

一つのサービスが成功したとかしないとか、誰かが抜けたとかいてくれたとか、お金がなくなったとか結構残ったとか、まぁそれはそれでつらいことだったりうれしいことではあるけれど、本当の目的に目を凝らしたら関係ないですよね。

目的はここでしょ、って。そうすると走り続けることができた。逆に言えば、そう思っている時にだけ走り続けることができていた。この走り続けられることが最も重要なことだったのです。

結局、ビジネスをどうやって成功させようかとか、お金の面をどうするかとか、人をどうやって増やすかとかどうとかこうとか、そういう話は些末な枝葉にすぎなかった。

答えはどれでもなくて、大切なのは共通の目的を持った者同士が集まったかどうか、それだけだったんです。それによってチーム全員で走り続けることができるわけですから。結果が出ていたのは、いつもそういうときだけだった。

そのためには結局、人一人の人生にとって一番大切なのは、自分の好きなことをやるかどうか、やり続けることができるかどうかだ、というシンプルな答えにたどりついたのです。

自分が幸せになれる行動をしないと、人は幸せにはなれない――。

そんな簡単なことに、そのとき私は気づいたのです。

そのことに気づくためには、MBAなんて一つも必要ではありませんでした。だからこそ、方法はそれしかないからこそ、私はあなたに行動してほしい。今までの自分を幸せにしない行動から早々に足を洗って、自分を幸せにするばかりの行動に舵を切ってほしい、その思いで筆を執っています。

だから私は、集中力を無理やり引き出さなければならない仕事はするな、とお伝えしたのです。これがあまりにも変えようのない人生におけるたった一つの真理だからです。

「このノウハウであなたも集中できます」と言っても、それは絶対嘘になってしまいます。私の本書での仕事は、あなたに本を読んで気持ちよくなってもらうことではなく、実際に行動を変えてもらうことです。

だから私は、ここでおためごかしを書くわけにはいかない。

最後は精神論しか語れなくなりますが、そのためになら、見栄も外聞も地位も名誉もかなぐり捨て、人生のすべてを賭けるほどの価値が、そこには絶対にあるのです。

 


「いつまでも成績が上がらない人」に共通する残念なノートのとりかた

6月1日発売の拙著『なぜ、あなたの仕事は終わらないのか スピードは最強の武器である』からの引用です。

◇ ◇ ◇

あなたの授業での仕事はノートを取ることではない

中学になって初めての定期試験で、私は試験の前日に慌てて勉強してしまいました。とはいえ、試験のために勉強するという行為自体が初めてだったので、たいした勉強はできなかったのですが。

結果は、あまりよくありませんでした。そんなにダメというわけではなかったのですが、小学校の時のように、すらすら解けなかった。これは1週間前からコツコツと勉強をしないと次からは失敗するぞ、と悟りました。

当時、クラスメイトのF君が「徹夜で勉強をしてきた」と、試験日に言っていました。彼は試験はまったくできず(ひょっとしたら私よりも点数が悪かったかもしれません)、私は詰込みの勉強法では試験に太刀打ちできない、ということを彼に学びました。

寝ないと頭が働かない。そうすると本来発揮できるはずのパフォーマンスさえも発揮できなくなる。だから試験前はなるべくたくさん寝ていく。これは中学の試験から現在まで貫き通している私のポリシーです。毎日勉強していれば、試験前に慌てて時間を取る必要もない。そのことに気づいたのです。

中学と小学校との違いといえば、やはり英語という新たな科目を勉強しなくてはならないところです。私はもともと国語はからっきしでしたが、英語は勉強しなくてはと思っていました。理系の研究者になるからには、英語は必須、と子どもながらに考えていたからです。

とはいえ、やはり最初から英語の才能があったというわけではありません。まったく理解できなかったし、わからないからますます勉強をしたくなくなる、という負の循環がありました。その循環を断ち切るために、私はある勉強の仕方を始めることにしました。それは授業の前に、その日の分の教科書の英文を、全部訳しておくという方法です。

言葉にしてみると何ということもないかもしれませんが、やろうとすると意外と大変です。今でこそ英語を読むのは簡単なことですが、当時はそもそも英語に触れること自体がほとんどなかったのですから。

しかし、自分が何もわかっていないことを、授業で初めて教わってその場で理解していくという勉強過程も、なかなかハードなことだと当時の私は感じていました。それよりも事前に予習をしておいて、授業でその答え合わせをしていく、といったやり方のほうが頭にすっきり入ってくるのです。

ここで、みなさんに一つ質問です。

・授業前に毎回頑張って予習をして、試験には余裕でのぞむ。

・予習をせずに、試験前に苦労して寝不足の頭で当日を迎える。

どちらがいいでしょうか?

私は前者のほうが時間も節約できるし、何より勉強内容が頭に入ってくると考えました。予習の段階ではとにかく、わからないところは飛ばして全部訳していく。そうして授業を受けると、わからなかったところが埋まっていきます。

授業でも理解できなかったら、先生に質問する。英語の勉強はそれで終わりです。試験前も勉強という勉強はせず、ノートを読み返す程度でした。

これは英語だけでなく、物理や数学の勉強にも有効でした。様々な資格試験の勉強にも役立つ方法と思います。事前に次の授業の範囲の教科書の問題を解いておき、授業ではわからなかったところを理解する時間に充てるのです。

予習そのものも勉強になりますが、もっと重要なのは、授業そのものです。予習は自分がわからないところを明確にするための準備にすぎません。本当の勉強は授業中にするのです。授業で自分がわからなかったところを解決すれば、それが勉強になります。

その意味で、板書をノートにとることに授業の大半を費やしている人ばかりだと思いますが、これほど膨大な無駄に私はいまだかつて出会ったことがないと言えるほど、無駄中の無駄です。

あなたの授業での仕事は、ノートを取ることではありません。わからないことを理解することです。

予習をするメリットは授業の内容を適切に理解できるという点だけではありません。授業を最大限に活用することで、復習や試験前の勉強の時間などを削ることができます。すなわち、時間の節約になるのです。

やりたいことをやるには、やりたくないことを速攻で終わらせるしかない

私は高校受験を控え、早稲田大学の付属高校を受験することに決めました。理由は単純で、東京大学に進むためには国語と社会科目を勉強しないといけなかったからです。いい大学には行きたい。けれども一番の大学である東大に入るには、自分の嫌いな科目を受けなくてはならない。さすがに国語と社会科目を捨てて受かるほど東大は甘くない。ならば東大にはもうこだわらなくていいけど、次くらいにレベルの高い大学に入りたい。私立なら早稲田だな、ということで早稲田を選びました。

そして早稲田大学に入ることが目標なら、もういっそ付属高校から入ってしまえというシンプルな考えでした。付属高校に入れば、普段の成績さえ良ければ、受験なしのエスカレーター式で早稲田大学に入ることができます。わざわざ高校受験を通過したのに、またそこから3年間大学受験のための勉強をしなければいけないというのが、なんとも時間の無駄のように感じたのです。

勉強がよっぽど好きな人なら、こんな目標を立てずにとにかく勉強をするでしょう。でも正直なところ、勉強はできるだけしたくないですよね。私もそうでした。勉強よりも、好きなこと、やりたいことがある。だからそのためにいかに効率よく、楽に試練を乗り越えるかということばかり考えていました。

中学で物理学の本を読んでから、物理学の世界にハマッていました。大学では物理学の勉強をして、タイムマシンを作りたいとも考えていました。でも、タイムマシンを作るために漢字は必要ありません。それよりもむしろ、英語の研究論文を読んだりする必要はあると思っていたので、英語の成績ばかり伸びていきました。とにかく自分で納得できないもの、自分に必要ないと思っていたものは、やらない方向で生きていたのです。

そうやって無事、受験に合格し、早稲田大学高等学院に入学した私は、相変わらず予習をして授業を受けていました。そうすることで授業の内容がすっきり頭に入るだけでなく、無駄な勉強の時間を削り、効率的な学習ができるからです。これは高校でも通用する勉強法でした。そうして遊ぶ時間を確保したものの、何をしたらいいかわからず時間を持て余していた私に転機が訪れました。

高校2年生の時。親からコンピューターを買ってもらったのです。私はコンピューターを使い、さっそくプログラミングを始めました。プログラミング言語に関しては、最初はまったく意味がわかりませんでした。けれども雑誌に載っているプログラムをただひたすら、幾度も幾度も書き写していると、ある日突然プログラムの意味がわかるようになったのです。不思議な感覚でした。

これは英語も似たようなものだと思います。わからなくてもいいから何回も書き続けたりしゃべり続けたりする。そうしているうちに、ある日突然「悟る」のです。私はプログラムを「悟った」あの瞬間の興奮を今でも忘れません。そしてその瞬間こそが、私がプログラムの世界に足を踏み入れた瞬間なのです。

付属高校だから受験勉強をしなくてもいいとはいえ、定期試験の成績が良くないと好きな学部に進学できないという制約もありました。私はプログラムを始めてから、大学でもコンピューターの勉強をしたいと思っていたので、早稲田の理工学部に入るために成績は上位をキープしておく必要がありました。

勉強もしなければいけないけれど、アルバイトも忙しい(その頃、アスキーでプログラマーのアルバイトをはじめました)。中学の時ももちろん勉強の効率化には尽力していましたが、アルバイトを始めてからは、さらにそれを先鋭化させました。国語と社会科目は捨てていたので、もはや国語と社会科目の時間に英語の勉強をするといったことまでしていました(もちろん先生には怒られましたが……)。すべては大好きなプログラミングの時間を取るため。やりたいことをやるためには、やりたくないことを速攻で終わらせるしかないのです。

試験前もアルバイトはやりたかったので、中学の時と同様に、普段から予習をまじめにすることで、試験前の重点的な勉強を省くようにしました。勉強量は少なく、成績は高く。嫌いな勉強を倒すために、とにかく効率化しました。

社会や国語の勉強は本当に嫌いでしたが、やらないと好きなこともできなくなるので、とにかく嫌いなことをする時間を減らそうと努力しました。でも嫌いなことには集中できない。集中できないなら効率を上げるしかない。それだけを信じて突き進んでいました。

やりたいことを思いっきりやるには、効率的に動くことで、やりたくないことをなるだけやらずに済むようにし、同時にやりたくないことをどんどん片づけていくしかないのです。

そうして作った、世界初のパーソナルコンピュータ上で動くCADのソフト「CANDY」は爆発的なヒットになり、私は学生ながらにして億を超えるロイヤリティを手にしたのです。すべては、やりたくないことをやらないですむよう徹底的に効率化を図り、空いた時間をフルに使って、やりたいこと、やるべきことと情熱的に向き合い続けた結果です。

私は今までそうやって生きてきました。