モンゴルの人々が安倍総理の訪問に神経質になっている理由

Mongol Mongol2

安倍総理が訪問したモンゴルでは、安倍総理に向けて「モンゴルはウランを売らないし、使用済み核燃料も引き取らない」というデモが繰り広げられたそうである(参照)。なぜこんな声が上がるかを理解するには、少し歴史をひも解く必要がある。

以下の3つの記事(いずれも英文)が良い参考になる。

2011年7月11日 US Promotes Nuclear Waste Dump in Mogolia

この記事は、

  • ウランを輸出して外貨を稼ぎたいモンゴル
  • 原子力発電所を持ちたいアラブ首長国連邦
  • 原子力技術を輸出したい日本
  • 使用済み核燃料の最終処分場を国内に作れずに困っている米国

の4カ国の間で、

  • モンゴルにはウランの濃縮設備は作らない
  • モンゴルには中間貯蔵施設だけではなく、最終処分場を作る

という条件の元にモンゴルから輸出したウランを日本もしくは米国で濃縮した形でアラブ首長国連邦に原発の燃料として運び、使用後は再びモンゴルに戻して最終処分する、という覚え書きが交わされたと報道している。

2011年8月23日 Official: U.S. in Early Talks About Int'l Nuclear Leasing Arrangements

この記事は、モンゴルでの使用済み核燃料の最終処分に関する報道を否定して来た米国政府が、ようやく公式に話し合いの存在を認めたが、あくまでこれは「モンゴルが自国で採掘したウランを他国に貸す」という「核燃料のリース・プログラム」であり、米国で行きどころがなくなった使用済み核燃料をモンゴルに押し付けるものではない、と報道している。

2011年10月17日 Mongolia abandons nuclear waste storage plans, informs Japan of decision

この記事は、モンゴル政府が、国内の反対派の声に押されて、使用済み核燃料の中間貯蔵施設および最終処分場の建設を中止し、日本に通達した、と報道している。

 

つまり、この Comprehensive Fuel Service (CFS) プログラムとも呼ばれる「核燃料のリース・プログラム」は、「ウランを輸出して外貨を稼ぎたいなら、最終処分場を作って使用済み核燃料を引き取れ」という日米によるモンゴルへの「核のゴミ」の押しつけプログラムなのだ。

この経緯を良く覚えているモンゴルの人々からすれば、日本の安倍総理が「エネルギー・資源問題を話す」ためにモンゴルを訪れているとなれば、CFSプログラムが復活してしまうのでは、と神経質になって当然なのである。モンゴルとのCFSプログラムがあれば、日本は原発を輸出しやすくなるし、あわよくば国内にたまった使用済み核燃料を「将来輸出するだろうウランに見合う分」などの方便で引き取ってもらえる可能性すらあるからだ。

【参考資料】

モンゴル国のウラン開発・原発建設・核廃棄物処理場建設についてー今岡良子 


官僚は日本の手足であり頭脳でもある。では政治家は?

「原子力損害賠償支援機構法案」に関して、経産省(もしくは財務省)が政治家向けに書いたとされる「名無しの文書」がリークされた(参照)。「この部分の修正に応じたら、東電は債務超過になって(破綻させざるをえなくなって)しまうので、徹底的に抵抗するように」と東電救済派の議員を手取り足取りで理論武装するための文書である。

本来ならば、政治家が日本の頭脳となって政策を決め、それを手足となって実行するのが官僚。しかし日本の場合、法案の作成能力などの頭脳が官僚側に集中してしまっているため、「電力の安定供給と、国民の安全のどちらを重視するか」「東電を破綻させて国民の負担を最小にするか、それとも東電を救済して銀行や保険会社への影響を最小限にするか」などの重要な政策判断が、政治家たちに上がって来る前にすでに官僚側でされてしまっているのだ。

そして、その「官僚が選んだ政策」が「日本のために(もしくは政権維持のために)最適の選択だ」と与党の議員を説得するのも官僚、実際の法案に落とし込むのも官僚、そしてその政策をあたかも自分が立案したように国会で答弁できるように与党の政治家を理論武装をするのも官僚である。

自民党政権があまりに長い間この枠組みに乗って政権を維持して来たために、民主党がいくら「政治主導」と叫んでも簡単には実現しないのが悲しい現実だ。

その意味では、(国民にとってはどんなに唐突でも)海江田大臣の「原発安全宣言」は今までの枠組みに従った(つまり自民党時代から引き継がれた「永田町のルール」に従った)行動であり、逆に、「経産省が決めた原発の再稼働」に逆らった菅首相の「ストレステスト宣言」は、永田町のルールでいえば「とんでもないおきて破り」だったのである。

官僚が国家の手足であり、かつ頭脳だとすれば、政治家は感情をつかさどどる「扁桃体」のようなもの(大脳辺縁系にあるアーモンド大の神経の集まり)。原発事故というストレスのために、「扁桃体」の一部が悲鳴を上げて「脱原発ホルモン」を出しているのだが、理性をつかさどる大脳が懸命になだめすかし、「原発の再稼働と東電の救済」という大脳が選んだ政策を観念して受け入れる様に説得している、というのが今の日本の現状だ。

 


「空気が読める日本人」と「言論の不自由」と

今朝の私のエントリーに対して、池田信夫氏がTwitterで二回つぶやいた。最初のものがこれ。

首相がブログ読んで素人に「脱原発」の知恵を借りるって末期症状だな・・・

典型的な「菅おろし」発言。まるで読売新聞のようだ。原発に関して色々と書いているブロガーと意見交換しただけなのに、なぜ「知恵を借りる」という表現を使ってわざわざこき下ろすか私には理解できない。オバマが同じことをしてもこんな風に解釈するのか?それとも、オバマだったら「国民の声を聞く、開かれた政府」と褒めたたたえるのか。

そして次がこれ。

私も彼のソフトウェアについての洞察には敬服しているので、おそまつな床屋談義はやめてほしい。

つまり「素人は黙っていろ」という意味だ。池田氏のうらみを買うようなことを言った覚えはないのだが、なぜここまで侮辱されなければならないのかまったく理解できない。「原発のことは原発の専門家に任せておけば大丈夫」と多くの国民が放置していたからこそ起こった今回の原発事故。素人だからこそ、原発の利害関係者ではないからこそ、何のためらいもなく脱原発と東電の破綻処理を語れるのだ。

ちなみに私は「空気を読め」とか「素人は黙っていろ」という発言を見るたびに悲しくなる。加藤喜一氏の言うところの「見えないタブー」(参照)が言論の自由を日本人自身から奪っているからだ。

経産省の中にも、東電の中にも、東大の原子力学者の中にも心の底では「もう原発は辞めた方が良い」「原発は決して安くなんかない」と思っている人は沢山いるはずだ。しかし「空気が読める」日本人は滅多なことでは自分の属する組織を否定するような発言はしないしできない。それでもたまには古賀茂明氏(参照)や小出裕章氏(参照)のような人たちが現れるから日本もまだ捨てたものではないが。

 


「ネット新党」構想

先のエントリーで述べた新党構想。頭の中を整理するためにも、漠然と考えていることを書いてみる。

 

・バックグラウンド

今の日本は、「誰が政治家になっても結局のところは国を動かしているのは官僚」というのが状態で、なかなか民意が反映されにくく、財政は悪化する一方である。今回の福島第一での事故を生み出した原因の一つもここにあり、この状態を根本的に直さない限り、国民の政治不信は消えないし、国の発展もありえない。

ビジョン

政治家が「民意を反映した政策」を作り、官僚は政治化の手足となりその政策を実行する、という国民主権の国を作る。

・ミッション

「民意を反映した国の運営」とはどうあるべきかを、党としての「活動資金の調達」、「政策の決定」のプロセスから根本的に作り直し、政党の在るべき姿を身をもって示す。

・設立のプロセス

自民党・民主党、およびすべての野党からこのビジョンに賛同していただける政治家を引き抜くことにより作る。党員が十分に集まり、選挙で十分な数が取れると判断できた段階で、菅首相にこの党が菅政権を引き継ぐことが国民にとってベストであることを納得してもらい、衆議院を解散してもらう。

・活動資金

党の活動資金は、ネットからの寄付(1年間1000円以上)および各党員が毎週発行する有料メルマガからの収入でまかない、企業献金は一切受け付けない。

・民意の反映

ネットから寄付をした日本国民は誰でも会員になることができ、重要案件に対して票を投じることができる。党内での政策議論は、会員に議事録もしくはustreamの形で公開し、重要案件はすべて会員全員のネット投票によって多数決で決める。

・党員の義務

政治活動をする党員は、ブログおよびメルマガを通じて、常に会員と対話し、個々の案件に関して自分の立ち位置を明らかにし続けなければならない。

・比例代表

比例代表選挙における席次は、有料メルマガからの収入に応じて決める。

 

まだまだ考えなければいけないことは沢山あるが、今のところ漠然とこんなことを妄想している。未完成ながらも自分の考えを表明することにより、色々な人からの意見を集めてより良いもの、より現実的なものにするのにはブログは最適なので、フィードバックは大歓迎である。ちなみに、私自身は政治家として立候補するつもりは全くないので、誤解のなきように。政治家や官僚が国民のことを第一に考えて働かざるをえない仕組みを設計(アーキテクト)しようと試みているだけである。


脱原発・脱官僚新党を作りませんか?

7月28日の夜、菅首相に会って来た。原発問題に関して書いて来た私のブログが菅首相の目に止まり、「この男に会いたい」ということになったそうである。私自身も、海江田大臣の原発安全宣言から菅首相のストレステスト宣言に至る台所事情を知りたかったこともあるし、色々とお願いしたいことも会ったので、喜んで参上した、というしだいである。

具体的にどんな話をしたかは8月から開始するメルマガ(参照)の方に詳しくレポートする予定だが、私が菅首相にどうしても伝えたかったのは、東電を経済原理にのっとって破綻処理しなければ国民は納得しない、という点。「私は民意を反映した政策を打ち出し続ける限り、菅さんを支持し続けますが、万が一東電を救済するようなことになれば、その時点で支持を打ち切ります」と伝えて来た。

マスコミの「菅たたき」が激化し、支持率も低迷する中、私のように菅首相の発言や行動を純粋に政策面のみで評価する人はごく少数というのも事実である(下村健一氏に言わせると、私は「隠れキリシタン」のような存在だそうである)。しかし私としては、菅直人という人物が総理大臣の椅子に座っている限り、不必要な裏読みなどをせずに、政策そのものを評価するというのが、この時点で私にできる最善のことだと信じている。

経産省+東電の反対を押し切って脱原発や発送電の分離を実現するのは簡単ではない。菅首相にそれが実現出来るかどうかはまだ分からないが、総理大臣を毎年のように交代させていては、何も変わらないことだけは今までの自民党政権が証明している。

ちなみに、私が菅首相に提案したのは、以下のようなもの。

  • 被災者の補償を優先し、政府が東電に変わって賠償金の立て替え払いを前倒しで進める。
  • 国の「立て替え払い」で地下遮蔽壁の建設に速やかに着工する。
  • 高汚染地域の土地の買い取りなども含めて賠償額の概算を政府が行う。
  • その賠償額(数〜十数兆円)を元に東電の債務超過の認定をする。
  • 100%減資、取締役の解任、年金カット、借金カットをする(国からの資金注入の条件)
  • 新株を発行し、国が資金注入し株主となる(一時国有化)
  • 送電会社、発電会社(原子力以外)、原発会社、の三つに分割する
  • 送電会社は国策会社として運営するが、後に上場する可能性も検討しておく。
  • 発電会社は、速やかな売却もしくは上場により民営化する。
  • 電力債の返済責任は、送電会社と発電会社が引き取る。
  • 原発会社は、福島第一の事故処理、被災者の補償、他の原発の運営・廃炉を担当する。
  • 原発会社の運営の原資は、送電会社からの営業収入、送電会社の売却益、使用済燃料再処理等積立金を当て、それでも足りない場合にだけ税金で補填する。
  • 東京電力以外の電力会社の原発、六ヶ所村の再処理工場もこの原発会社で引き取る。

東電・経産省・財務省・銀行・生命保険会社の猛反対が避けられないプランだが、資本主義経済の原則に忠実に、国民の負担を最小にし、かつ、被災者の救済を速やかに行うには、この方法しかないと私は考えている。

菅首相が私の主張を受け入れてこんな方向に国を動かしてくれるかどうか、動かせるのかどうか、はまだ分からないが、その方向に向けた努力をし続けてくれる限り私はサポートする。

もし途中で菅首相が途中で退陣せざるを得なくなってしまった場合の事も考えておかねばならないが、民主党の誰が新しいリーダーになればこんな政策を押し進めることができるのか私には見えてこない。かと行って、谷垣さんが総裁をしている自民党にこんなことができるとも思えない。政策的にもっとも「まとも」なことを言っている河野太郎(参照)が自民党の総裁になってくれれば、自民党を支持しても良いとは考えているが、どうも現実的とは思えない。

いっそのこと、自民党・民主党だけでなく、共産党までも含めたすべての野党から「良識のある政治家だけ」を集めた、脱原発依存・脱官僚依存を党の方針とした新しい党を作るというのはどうだろう→菅さん、河野さん。


各地方自治体が脱原発宣言をして国政を動かすというのも面白いかも知れない

今回の福島第一での原発事故を受けて、ドイツ・イタリアなどのヨーロッパの国々が、国民の声を反映して(もしくは国民投票の結果)脱原発を宣言している。日本でもようやく菅首相が「脱原発」宣言をしたが、まだまだ政府内の調整も取れてはおらず、安心はできない。

日本の電力会社およびそれを取り巻く電力・原発利権関係者の影響力は計り知れないほど強く、首相が宣言し、国民の多くが望んだとしても必ずしもかなうものではないのが、「先進国の中で最も民意を反映しない国」と他の国から揶揄される日本の悲しさである。

何か良い方法はないものかと思案している時に目に入ってきたのが、福島県の脱原発宣言(参照)。これはとても興味深い。引用先で書かれてある通り、大切なことは何もかも霞ヶ関で決めてしまう日本では、「原発立地の自治体が脱原発を掲げたのは聞いたことがない」というのも事実。

大阪府も既に脱原発宣言をしているのに近いし、こうなったら、国がもたもたしている間に、福島県に続いてそれぞれの地方自治体が脱原発宣言をすることにより民意を国に示して国政を動かす、というのはどうだろう?

特に都市部に電力を供給するための原発を押し付けられている地方自治体の人たちは、今一度、自分たちの土地に原発を持つということのリスクを考えてみていただきたい。

東電も政府も例によってはっきりとは言わないが、福島第一原発近辺のかなり広い地域(20キロ圏内の大部分、および北西方向の汚染度の高い地域)は、チェルノブイリの周辺と同じく「今後数十年は人が住めない」「そこで農作物を育てても危険で食べられない」場所になってしまっている。つまり、そこで暮らしていた多くの人たちは、もう二度とそこに戻って暮らす事も農作物を作ることも家畜を育てることもできなくなってしまったのだ。

万が一事故が起これば、周辺に住む何千人・何万人の人たちから、家を、農地を、家畜を、仕事を、生活の糧を、近所づきあいを、そして笑顔を奪うのが原発だ、ということが今回の福島第一の事故で証明されたのだ。今こそ声を上げて原発にはっきりと「NO」と言う勇気を持つべきだ。「都市部に電力を供給するために危険な原発を押し付けられるのはもう嫌だ!」と声を上げるべきだ。


菅首相はなぜ色々と重要なことをとうとつに発表するのか?

ここのところ、浜岡原発の停止要請、ストレステスト、脱原発宣言、と色々と重要なことをとうとつに発表する菅首相。「党内の意思の統一ができていない」「政権維持のための人気取り」「思いつきで記者会見をしている」などの批判の声が多く聞かれるが、これに関しては、先日のテレビで古賀茂明氏(国民の負担を最小限にする東電の破綻処理の方法を提案した結果、退職勧告を受けてしまった経済産業省の人)がとても納得の出来る説明をしていたので(参照参照)、私なりの解説をしてみる。

分かりやすく言えば、菅首相は東電(=原発推進派)相手のオセロゲームをしているのである。脱原発の菅首相が白、あくまで原発推進の東電が黒。オセロ盤の外にいる国民の多くは白(つまり脱原発)を応援しているが、選挙の時以外は盤面の外にいるので何もできない。盤面の上には、電力会社と政治家はもちろんのこと、経産省の官僚、原子力関係の学者、経団連に属する大企業などがそれぞれの思惑で上がっている。

菅首相にとって分が悪いのは、盤面上のほとんどの人たちがすでに黒であること。国が脱原発をしてしまうと天下り先がなくなって老後の設計が狂ってしまう官僚たち。東電の株主である保険会社。東電にお金を貸している銀行。東電からの巨額の受注で潤うゼネコン。東電と政府からの莫大な研究費がなければ何もできない東大の原子力研究者。そしてとにかく菅首相から政権を奪いたい自民党員。オセロで言えば「四隅」どころかすべての「辺」を黒に取られてしまっている状況だと思えば良い。

そしてとうとう、唯一の頼りの民主党の党員たちも、地元の有力者たちと経団連に挟まれて次々に黒(原発推進派)に転向しはじめたのだ。そのため、「保安院の経産省からの切り離し」、「東電の破綻処理」、「発送電の分離」などの重要案件について党内で合意を取ろうとしても、根回しの段階で原発推進派・東電擁護派に負けてしまうのだ。

そこで菅首相が最終手段として選択したのが、首相であるという地位を利用した「根回しなしのとうとつな記者発表」である。本来は「ちゃんと根回しをして党内の合意を取ってからしか政府の方針として発表しては行けない」というルールがあるのだが、そんなルールに従っていては原発推進派に負けることは目に見えている。浜岡原発への停止要請が金曜日の夜7時という妙な時間に発令されたのも、週明けにまでもちこむと原発推進派の根回しで発表できなくなってしまうと予想されたからだという(同じく古賀茂明氏談)。

記者会見の場で、盤面の外にいる反原発の国民に向かって、「原発の再稼働にはストレステストが必要」、「原発なしでやっていける国を作る」などの国民の意思を反映した明確なメッセージを出し、既成事実化して原発推進派の先手を打とうという作戦である。

特にこと危険な原発に関しては、今までのように民意を無視した状況で色々なことが決まって行くことだけは勘弁して欲しいというのが多くの国民の意思である。ルール違反でもなんでもかまわないので、政治家には民意を反映した政治をして欲しいと切に願う今日このごろである。


政策よりも政局を語りたがる日本のマスコミ

以前から、日本のマスコミは「政策」の議論よりも「政局」の議論が得意で、せっかく国民の間で政策の議論をする機会を、政治家間の争いに焦点をあてたゴシップにすり替えてしまっている、と書いて来たが、13日の菅首相の「脱原発宣言」の報道に関して、その顕著な例が見られたので紹介する。

「事実を伝える」「政府が打ち出した政策に関して国民が考える機会を与える」という報道の基本に忠実な例が、この東京新聞の記事(参照)。

「脱・原発依存」を表明 首相

菅直人首相は十三日夕、官邸で記者会見し、今後のエネルギー政策について「将来は原発がなくてもやっていける社会を実現する」と述べ、深刻な被害をもたらした福島第一原発事故を踏まえ、長期的には原発のない社会を目指す考えを表明した。

首相は事故後、原子力の活用を中心にした現在のエネルギー基本計画の見直しには言及してきたが、「脱原発」に転換する方針を初めて打ち出した。「原発に依存しない社会を目指すべきだと考え、計画的、段階的に原発依存度を下げる」と指摘したが、時期など具体的な目標は「中長期的展望に基づいて議論し固めていきたい」と述べるにとどめた。

(後略)

よけいな意見をはさまず、菅首相の「政策」を読み手に伝えるという役目を十分に果たしている模範的な記事だ。

逆に、この日本の将来を担う重要な「政策」の議論を、無理矢理「政局」の議論にすり替えてしまっているのが、読売新聞の記事(参照)。

「脱原発」宣言…電力供給確保の根拠もなく

菅首相が13日の記者会見で、将来的な「脱原発」を表明したのは、自らがエネルギー政策の見直しという歴史的な転換に着手することで、首相としての実績を作る狙いがあったとみられる

ただ、原子力発電所に全く依存しない社会を作るための道筋や十分な電力供給が確保できる根拠は示されず、閣内で十分に議論された形跡もない。場当たり的ともいえる対応に、実現性を疑問視する声も多い

(後略)

特に下線の部分は、「誰がそう見ているのか」「誰がそういう声を上げているか」も示されておらず、単に読み手に「菅首相は保身のために脱原発を言い出した」「脱原発なんて現実的には無理」というイメージを植え付けるための意図的な文章だ。

論説員が自分の意見として書く社説ならいざしらず、ニュースの形でこれだけ意図的な報道をするというのは大きな問題がある。バックにどんな原発利権団体がいるのか分からないが、世論操作と言われてもしかたがない記事だ。


新エネルギー政策に期待すること

菅総理が、原発依存のエネルギー政策を抜本的に見直し、新しいエネルギー政策を作ることを宣言した。電力利権・原発利権の享受者が政府・官僚・財界だけでなく学者やマスコミの世界にまではびこっているなかで、どこまで「抜本的な」改革ができるかお手並み拝見だ。

新しいエネルギー政策を作る際に考慮していただきたい点は以下の三つ。

  1. これを機会に東京電力を破綻・解体して、発送電の分離を実現する
  2. 代替エネルギーに関しては、競争原理の導入により、単に「再生可能」なだけでなく、経済的に見ても「継続的に維持可能」な発電方法を見いだす。
  3. 公務員制度の改革を実現し、再生可能エネルギー事業が天下りの温床にならないようにする

1の東京電力の破綻処理は、国民の負担(税金および電気料金)を最小限に抑えるためには必須。100%減資はもちろんのこと、退職金・年金・債務を大幅にカットした後、負の資産(原発、使用済み核燃料、被災者の補償)も含めて一旦国有化し、資産(原発以外の発電所、送電線など)の売却もしくは(別会社として)上場などで負の資産の処理の財源とする。この時に大切なことは、発電事業と送電事業をしっかりと切り離し、発電事業者間での自由競争を促す仕組みを作っておくこと。

2の代替エネルギーだが、「これからは太陽光だ」などと特定のものだけを政府として選択するのは誤り。そうではなく、より多くの企業が発電事業に乗り出せる様に制度的・資金的補助をし、競争原理の結果、太陽光・風力・地熱・潮力などのさまざまな選択肢の中から経済的に見てベストの発電方法が自然に選ばれる様に誘導するのが政府の役割。化石燃料からのシフトは、段階的にCO2税を課して行くことにより進化圧を与えれば良い。

3の公務員制度の改革だが、福島第一の事故の原因の一つは、公務員の原発関連企業への天下りが日常化し、本来国民の安全や利益を第一に考えるべき官僚たちがその役目を果たさなくなってしまったことにある。そんな過ちを繰り替えさないためにも、 公務員制度の改革は必要だ。

ちまたには大手マスコミの世論操作に乗せられて「菅おろし」の声が高まっているが、そんな風に政府のトップをころころと代えてばかりいるから(選挙で選ばれてもいない)官僚が実権を握る社会になってしまったのだ。ここは少し我慢して、菅さんに思い切った改革を実行するチャンスを与えるべきだ。


今の段階で、なぜストレステストが必要なのか

菅総理の「ストレステスト宣言」は、「福島第一のような重大な事故を繰り返さないためには何をすべきか」という日本の将来がかかったとても重要な「政策」の話であるにも関らず、政策の議論よりも政局の議論ばかりが得意な大手マスコミは「政権維持のためのパフォーマンス」と菅おろしに懸命だし、「このまま原発の再開を許さなければ電力が不足する」と経産省と電力会社の世論操作に協力ばかりしている。

今の段階で何よりも大切なことは、福島第一で起こったような重大な事故を二度と起こさないためには、どんな組織と法律・規制が必要かを見極めること。菅総理が何度も繰り返しているように、今までのように「原発推進」の経産省の下に原子力安全保安院を置いていたのでは、国民の安全を最優先にした安全管理は不可能である(組織)。それに加え、今までのように「全電源喪失は考えなくて良い」「100年に一度しか起きないような大津波は考慮しなくて良い」などの甘い安全基準も根本的に書き直さなければならない(法律・規制)。

菅総理の言う「ストレステスト」とは、まさにこの組織(保安員の経産省からの切り離し)と法律・規制(今まで想定外とされていた巨大な天災やテロも考慮した新しい安全基準)という二つの面での原発政策の大幅な変更へ向けた「最初の一歩」であり、それなしに原発の再稼働・継続運転がありえないのは当然である。

もっとも批判すべきは、監督下の東電にあんな事故を起こさせておきながらも、謝罪もせず、事務次官や保安院長などのトップが責任を取って辞任もしていない経産省・保安員である。あれだけ国民の信頼を大きく裏切っておきながら、「電源車を用意する」「がれきの撤去ができるように準備する」などのその場しのぎの応急措置をさせた上で海江田大臣を通じて安全宣言をしただけで、国民の信頼を取り戻せるとでも思ったら大間違いだ。

菅総理の発言などを聞いていれば、事故の後に政府内で何が起こったかは、容易に想像がつく。時系列的に書くと、こうなる。

菅総理:福島第一での事故を受け、「原子力政策は一度白紙に戻す」という宣言する。
経産省:一気に脱原発に走られては困ると、民主党内の政治家を通じて菅総理の説得にかかる。
菅総理:これを受けて「安全が確認されたものから再稼働しても良い」と少し矛先を納める。
経産省:ひとまず安心し、電力会社と相談して、すぐに実行可能な「応急措置」のリストを作る。
菅総理: 「安全の確認は、応急措置だけでは不十分。経産省とは切り離した別の組織で新しい安全基準を作って行うべき」と発言する。
経産省: そんな組織や安全基準が出来る前に、原発を再稼働して既成事実を作ってしまおうと、菅総理抜きで海江田大臣を安全宣言をさせ、 一番落ちやすい玄界町を落としにかかる。 
菅総理: 既成事実を作られては困ると、「ストレステスト宣言」をして、経産省を牽制する。
経産省: 怒りが爆発し、経団連・マスコミを通じて「菅たたき」および「原発を止めたら電気が足りなくなるという世論作り」を加速する。

つまり、菅総理としては、福島第一のような事故を繰り返さないためには、今まで原子力安全保安院がやってきたようなものなんかよりもはるかに厳しいストレステストが必須だと言っているのである。とりあえず今の組織(経産省の下の保安院)のままで応急措置だけすれば十分というスタンスの経産省と、どちらが「国民の安全」を重視しているか明確だ。